■ゲリラ的公演
西堂 くるみざわさんは、いろんな場所でゲリラ的に公演されてますね。
くるみざわ はい。
西堂 例えば自分で劇団を作って、春・秋に定期的に公演を打つというようなスタイルとは違って、個人的なペースでというか、人との出会いから創作が始まっているという感じがするんですね。だから従来の劇団のあり方とはずいぶん違って、僕は注目したんです。そういう活動をやっている劇作家は少ないんじゃないかと思うんです。つまり劇作をすること自体で1つの演劇の行動が生まれてくる。行動した後に道筋が見えてくる。あらかじめレールがあって、何月何日に劇場を押さえているからやりましょう、みたいに、今は大概がそうなっていますよね。そういう資本主義のシステムとはまったく違ったところでやられている。この自由さは何なのでしょうか。
くるみざわ そうですね。さっきの僕のお祖父さんの芝居で言うと、役者さんがいたっていうことで書けたんですけど、そういう出会いがなかったら書けない。これは不自由なんですけど、自由なんです。誰かに無理強いされているわけじゃない。必然と偶然が連なって実現してゆく。あと、演劇の場合は劇場をどうするかっていうのが大きな問題です。借りるのにいくらかかるのかという料金の問題もあるし、客席が何席あるかっていう問題もあるんだけど、劇場の人が僕の作品を見て、良いものとして温かく応援してくれるかどうかっていうのが大きいんです。そういう出会いが欲しい。のっぺらぼうの会場ってあるんですよ。全然無思想......無思想って言っちゃいけないか(笑)。どんな作品でもいいです、お金払ったら貸します!っていう場所もあるんだけど、そういう場所でやるよりも、「くるみざわさんの作品をうちでやって欲しい。上演したい」って言ってくれる場所でやりたいですね。そうするとその小屋主が料金負けてくれたりとか、知り合いに宣伝してくれたりするわけ。
僕のお祖父さんのことを書いた『鴨居に朝を刻む』という芝居をやったのは、江古田にあるギャラリー古藤ってところで、「表現の不自由展」を開催したところです。天皇制などのタブーに触れて展示を禁じられた作品を集めて美術展をやった場所なんですよ。そういう場所には、そういった問題に関心がある人が集まって、つながりが生まれているんです。で、映画祭やったり芸術祭やったりしてるわけ。僕の芝居も、いざ上演ってときに、そこの芸術祭から何か上演してみませんかと声をかけてもらったことが大きいです。西堂さんが、今回の対談を「劇作という活動」ってネーミングしてくださいましたが、僕にできることはまず脚本を書くことじゃないですか。それを役者さんに渡して、上演して、作品が転がっていくことで人が寄ってくるわけ。観たお客さんが「今度うちでもやりたい」って、場所を提供してくれることもあるんです。「くるみざわさんのお芝居どこでもできるわけじゃないからうちでどうぞ」って。今度、高円寺と西東京で「従軍慰安婦」をテーマにした一人芝居をやるんですけど(『あの少女の隣に』※すでに終了)、高円寺の方は音楽活動が好きで、自宅に音楽室を作っている人がいて、そこを貸してくれるんですよ。西東京のほうはダンスの人で、ダンススタジオをご自宅に持っていて、そこを貸してくれる。そういうふうに、1人1人バラバラだったったら表に出てこない思いを、演劇活動でつなげていく。具体的な人と人のつながりが生まれる。そっちが大事だと思っています。だから行き当たりばったりのところがあって、スケジュール立てて劇場を押さえていついつ上演っていうのはあんまり......。
西堂 つまり作品を作ると同時に観客のネットワークが次第に立ち上がってくる感じね。逆にそこいろいろな出会いが生まれてくる。
くるみざわ そうそう。そういうものですね。
西堂 僕はそれが演劇の運動だと思うんです。
■充実した公演活動
西堂 本来そうあるべきなんですが、活動を始めた初期の頃はみんなそういうことを考えるんだけれども、すぐにキャパ(収容)はとか、動員はどれくらいできるのとか、チケットがどれくらい売れるとか、そういう興行のルールに組み込まれていく。でもそうじゃないのが、くるみざわさんの活動の自由さかなと。
くるみざわ 僕も最初大阪で劇団を旗揚げした時に、そこで行き詰ったんですよ。1回目はいいんですけど、2回目以降もやろうと思ったら劇場をだいぶ前に押さえなきゃならない、2年前とかに。劇場の予約取れてもまだ作品できてないですよ。こんな興行を続けていくことはできないです。
西堂 しかも人気劇団だと、作品がまだ全然書かれてないのに(チケットが)ソールドアウトになったりする(笑)。
くるみざわ そうなんでしょうね。
西堂 ソールドアウトになったからあわてて書かなくちゃいけない。だから逆に何のためにやっているのか。自分の創作活動とか、創造とかを活かすためにはものすごくおかしなところに組み込まれていく。しかも有能なプロデューサーとかがついているとますますそうなっちゃう。
くるみざわ そうですよね。僕も一時は有能なプロデューサーがいて、、
西堂 あ、いたんだ。
くるみざわ あ、いないですよ(笑)。もしいてね、次くるみざわさんこういう作品書いたらいいよってことを教えてくれたらいいなって時期あったけど、それされたら、たぶん僕はダメになってました。
西堂 今くるみざわさんの公演をお手伝いしてる人たちって、どういうつながりで出会ったりするんですか。
くるみざわ やっぱり、脚本が出会いを作ってくれていますね。もともと僕は大阪で劇団やっていたから関東方面の知り合いあんまりいなかったんです。でも、2011年の東日本大震災と東京電力の福島第一原発の事故のあと、『精神病院つばき荘』って作品書いたんですよ。タイトル通り、精神病院のお芝居。精神病院は自分の職場だから、あまりに近すぎてそれまでは書けなかった。精神病院って患者さん本人の同意なく強制入院だとか無理やり注射するっていうことを「治療」としてやりますけど、実はそれは人権侵害なんですよ。そういった闇の部分を、内側にいる僕が外に伝えないとって思っていたんですけど、書けなかった。
ところが東日本大震災の時に東京電力の福島第一原発が壊れたじゃないですか。あれにショック受けてね。原発がダメだってことを知ってたのに、僕は工学部を辞めて精神科医になって逃げてね、ほっといていた。知ってたのに何もしなかった。で、精神病院のことも自分は知っているのに書いていない。世の中に伝えてない。この業界に安住しているだけじゃないかと『精神病院つばき荘』を書き始めたんです。書くのに必死で、書き上げただけで満足して、その後寝かせてたんだけど、せっかく書いたんだからと思って、日本劇作家協会の新人戯曲賞に応募したんですよ。そしたら最終選考に残った。賞は取れなかったけど、戯曲集に収録されたんですね。それを読んだ土屋良太さんっていう俳優さんが目に止めてくれて、じゃあやりましょうってなった。その時に、西堂さんもご存知の近藤結宥花さんが看護師役で出演して、先ほど紹介した川口龍さんも出演してくれて、三人芝居ができあがった。そこが東京でのスタートですね。
西堂 近藤さんって新宿梁山泊の旗揚げの時の主演女優だった方で、俳優もやるけれど制作もされる方で、そこから広がっていった。
くるみざわ 新宿梁山泊はテントで芝居をしているから、近藤さんも、近藤さん以外の方も俳優だけじゃなくて、いろんなことができる。衣装もするし、音響オペや照明オペもできる。人数は少ないけど、1人で何役もできるから、集団として機能性は高いんです。
西堂 今度、こちらにも出ますね(『日の丸とカッポウ着』、2025年2月5日~11日)。三浦伸子さんなんかも手伝ってくれている。元新宿梁山泊の人達も加わっている。これはくるみざわさんの中では一番豪華なキャストですね。
くるみざわ そうですね!
作=くるみざわしん
演出=東憲司
2025年2月5日(水)~11日(火・祝))/浅草九劇
撮影=横田敦史
西堂 しかも演出の東憲司さんも劇団桟敷童子で今大変活躍されている方で、これは資本主義的な匂いも感じますが(笑)、どうですか?
くるみざわ (笑)これも脚本が先行しているんです。もともと大阪で上演する予定だったのがコロナ禍で中止になったんです。その脚本をマートルアーツ(制作会社)の方が気に入ってくれて、いつかやりたいって言って以前から動いていたんです。それでこのような豪華なキャストが揃ったんです。でも......そうですね資本主義的って言われちゃうと......(笑)。
西堂 知る人ぞ知る良い俳優達が揃っているし、制作としては上手くできてると思うんですけど。
くるみざわ 長年考えに考えてこの役にはこの役者さん!って声かけて、キャスティングしてるんです。演出も誰でも良いってわけじゃないですからね。演出を誰に頼むかって、本当に難しい。
西堂 最近は東さんとよくやられていますね。どういう出会いだったんですか? 東憲司さんは昔新宿梁山泊にいたんですよね。
くるみざわ そうですね。元梁山泊の仲間です。近藤さんを含め、マートルアーツの皆さんも元梁山泊ですから。
西堂 彼は今すごく活躍していて、よく呼べたなぁと。この前も俳優座で岩崎加根子さん主演の『慟哭のリア』(2024年11月1日~9日)の作・演出もやっています。、僕にとって、今年(2024)のMVP候補の1人でもありました。
くるみざわ 東さんは演劇の情熱の塊みたいな人ですよ。
■書くことの習慣
西堂 公演の流れにも触れたいんですけど。僕は、くるみざわさんは毎日日記のように作品を書いてるんじゃないかと思うんですけど、どうですか?
くるみざわ そうですね。毎日書くようにしてますね。書く仕事をしている人に、「良い作品を書くにはどうしたらいいですか」と尋ねたことがあるんですよ。そしたら「毎日書くことだ」と言われました。毎日書くことでね、書く力が維持される。失われないですみます。1日休むと休んだ分だけ書く力が落ちる。もとに戻るのに時間がかかってしまう。だから毎日書くことが大事なんです。それとね、毎日書いていたら、いつか終わる(笑)。
西堂 (笑) あ、そう。
くるみざわ どんなに長い作品でも、毎日書いていたら、必ず終わる。毎日確実に終わりに近づくわけですよ。1日1文字でも、2文字でも書けば書いた分だけは先に進む。そしていつか終わる。書かなければ終わらない。そういう努力を怠ってはならないと習いました。
西堂 公演の予定があるから書く、公演の予定がないと書かないという人結構多いじゃないですか。あるいは締切があるから書くとか。小説だと書き終わった段階で編集者に渡すとか。それって放し飼いというか、キツい放牧の仕方ですよね。それを自分でやっているということですね。
くるみざわ そうですね、それが楽しいわけですよ。僕は午前中に書くことにしてるんですけど、書いて、書けたなっていうとそれだけでその日の満足感あるんですよ。それが大事だと思います。仕事で書いてるとどうしても書かなくちゃと思うようになって、楽しみが減って、充実感が薄くなっちゃう。
西堂 ルーティンのように自分の中で習慣化する。学生も同じだと思うんです。毎日積み上げていく。日記という形式じゃなくても、自分で思いついたことを書き留めていく。それがすごい財産になっていく。それを作品としてまとめる時にはエイヤっというまとめ方があると思う。僕なんかも芝居観終わった後にノートに書き留めておくと、3か月、5か月経った時に思い出せる。書いてないと何も思い出せない。思い出せるか思い出せないか、ノートでも良いんだけど、それで差がつくのかな。くるみざわさんはノートみたいなものに書いているんですか、それともパソコンですか?
くるみざわ 手書きでノートに、ですね。
西堂 僕も手書き派です。去年前川(知大)さんに、この場に来てもらって似たようなことを話したんです。前川さんは、日記を対話形式で書くというんですよ。これすごいなと、「君は生まれながらの劇作家だね」と僕は言ったんだけれども、ただ1つ彼が僕に謝ったのは、手書きじゃありませんパソコンですって(笑)。ただ自分なりの記憶のさせ方とかストックの仕方っていうのが1人1人違って良いと思うし、今だったら電車の中でスマホに書き留めておくっていうのもありだと思う。自分なりの記録の仕方を求めていくのが大事だなと。
くるみざわ 大事なのは読み直すことだと思うんです。
西堂 そうですね。
くるみざわ 書きっぱなしじゃなくて、自分の文章を自分で読み直す。数日後くらいに。その時の自分と今読んでる自分は違うわけでしょう。注釈入れるとか書き加えるとかすることで文章が成長してゆく。だから捨てないで取っておくのが大事です。フォルダに入れとくとか。
西堂 これ学生さんに向けても1つのアドバイスかなと思いました。もし学生の方で質問・意見ありましたら、2つか3つ聞いてみたいと思います。いかがでしょうか。
質問者1 本日はありがとうございました。感想と質問なんですが、まずくるみざわさんのお話を聞いていて、能をすごく想起することがありました。もう亡くなっている方から、亡くなるまでに言えなかった辛さを、ワキを通して聞くような感じがしました。次に質問ですが、日本人には隠すことが美徳という価値観が強くあると思っていて、他人の迷惑にならないように過ごす感じがあると思うんですが、そういう意味で日本人にとって、誰かに何かを聞いてもらうというのはすごく大事なんじゃないかと思うんです。くるみざわさんが人から話を聞くときに気をつけていることや、重要だと思っていることがありましたらお聞きしたいです。
くるみざわ ご質問ありがとうございます。重要だと思っていることの前に、まず隠すについて話してみたい。喋りたいことがあるけど、隠す場合ね。例えばさっきの僕のおじいさんの話なんですけど、周りの人が僕に隠してるわけじゃないですか。で、僕は知った時にしゃべれなかった。言葉にできなくて、しゃべりたくても秘密にしておくしかできなかった。隠すのとしゃべれないことは決定的に違うんです。その事実について知っていて、たくさん言葉の蓄えを持ってるけど、今ここでは言わないでおこう、この人には言わないでおこうって選んでいるのは、隠しているんだけど問題はないと思います。そのことに自分ではおさまりがついている。わざわざここで話題として持ち出さないですむなとか、そういうのは楽な状態で、無理して喋らなくても良いと思う。そして、ここぞという時にはそれについて相手に伝える言葉を持っている。そういう状態は隠していても大丈夫だと思うんです。ただ言葉がなくてそれについて喋れないという場合、これはなんとかして言葉を手に入れて喋る方が良いと思う。人に知られたらやばいなって隠すのはどっちかというとそういう状態だと思うんですよ。人にも自分にも隠してしまっている。自分について自分が知らない。そういう状態は抜け出した方が良い。事実も知らなければ、そのことについて自分がどれだけ苦しんでいるかもわからない。そこから抜け出すために芸術・文化が役に立つと思います。
あと、人の話を聞くときに気をつけていることは、結構いっぱいあるんですけど、まず大事なのは、「聞いてるよ」ってことを伝えることですね。病院に行くと、診察室で医者がパソコンに向かってたりするでしょ。患者さんを見ないでディスプレイばっかり見てる。ああいうのは良くないですね。話してる人を、聞いてもらえているのか、聞いてもらえていないのかわからない状態に置いちゃうでしょ。話してる人が、自分の言葉がこちらに届いてるなってわかってもらうことが大事ですね。それがもう最低ラインじゃないかな。オンラインの場合はそれが難しくなるんですよね。対面の方が良いわけです。あなたの話聞いてますよって態度で示せるからね。言葉で聞いてますよって言っても、聞いてないってことあるでしょう。1番大事なことをあげるとするとそれですね。あなたの話を聞いてるよって伝えることが大事。でないと話している方は不安になっちゃいますよね。
質問者1 ありがとうございます。
くるみざわ なんか演劇の講座か精神医学の講座かわからなくなってる(笑)。ちなみに今の 答えは精神医学の初歩よりもちょっと上くらいです。つまり今、僕が言ったことを知らないで仕事をしている精神科医もいると思うんです。
西堂 オンラインでは態度が伝わりにくい。対面だとちょっとしたしぐさで伝わりやすいっていうのは、そこに対話の空間が生まれているってことですね。それが話者を、患者さんを安心させたり励ましたりする。それがまさに演劇の効用です。他に何かありますか?
質問者2 前半で、精神科医と演劇を一足の草鞋で活動されてるってうかがったんですが、いろいろ公演をされていく中でどうやって両立されてるのかが気になりました。私は2つのことを並列してやるのが苦手で1つのことに集中しないと他の物がダメになる性格というか性分なんですけど、くるみざわさんはどのように両立されているのですか。
くるみざわ それはね......僕も悩んだんですよ。2つやるのは難しいです。どういうふうにしたらいいのかを考えて、1番心掛けたのは時間の使い方です。何曜日の何時から何時までは病院で働くというのをきちっと決めています。それはちゃんと働く。だらだらは働かない。それ以外の時間は書くために使う。僕は37歳くらいから戯曲を学び始めたんですけど、その時に、働き方を工夫して、調節しないと書き続けられないなと思ったんですよ。で、考えた結果、仕事は選んで、出世を諦めて、役職につかないようにしました(笑)。ヒラの仕事だけ。長にはならない。管理の仕事はしない。それが書くために必要でした。決して簡単な決断じゃなかったですよ。キャリアを積めば総合病院の精神科部長、みたいな役職がまわってくるだろうけど、僕はやりませんみたいな態度をとるようにしたんです。僕の同僚たちはすごい勢いで働いていましたから、そういう人たちと袂を分かつみたいな決断ですよね。でもくるみざわは芝居やってるから仕方がないなって見てくれる人も多かったので、そんなに思いつめなくてすみました。そして、時間を確保するために、当直をしない。残業もなるべくしないようにした。その代わり、診療の質は下げない。手抜きをしない。精神科の仕事で手抜きをすると、劇作も良いものにはならないと思うからです。で、どうしたかっていうと、自分が納得のいく病院でしか働かない。営利追及で、金を稼ぐことしか考えてないような病院では働かない。ほんとうにあるんですよ、そういう病院が。そういうところでは働かず、医療にとって大事なのは患者さんの病気が治ることだっていう考えの病院を選びました。なかなかそういう病院には出会えない。だから大阪で今働いている場所は2か所。東京は1か所。もう1か所千葉にも行っています。病院を選ぶってことは経営者を選ぶことですね。病院の経営者っていうのはだいたいお医者さんだから、いいお医者さん。この人ちゃんとしてるなっていうお医者さんのもとで働く。これかなり大事。
西堂 仕事をするっていうのは、そういうことですね。これからの学生にとって重要なのは。大会社に入って安心するのじゃなくて、職種を選ぶっていうのがすごく重要だし、仮にマイナーな会社に入ったとしても、やりたいことがやれる所に行くっていうのもすごく重要な選択肢だと思う。
くるみざわ 芸術とか、芝居に対して職場でボロクソに言われたら耐えられないよ。演劇なんかやったって何になるのみたいに言われる職場で働けないよ(笑)。だからそうならない職場を選ぶのは、表現活動を守るための戦いです。わざわざ東京1か所、千葉1か所みたいにしないと見つからない。働けるところないかなって必死に探して、ようやく1つ、2つ見つかるくらいですよ。そういうふうにして創作を守ってます。で、いい職場で働くと、職場の人が芝居を見に来てくれる。そういう仲間がいる職場を選んでいます。
西堂 そういう人間関係が、いわゆる商業的な関係を超えちゃうんですね。演劇ってのは、パフォーマンス・コストが高いとか儲けにならないとよく言われるんだけど、実は儲けを度外視て、すごく大きな利益を獲得しているんじゃないかと思うんですね。
くるみざわ ほんとにそうだと思いますね。金が儲かりますよみたいな考えでやるより、ずっと得るものが大きいと思いますよ。僕はね、従軍慰安婦の方のお芝居 (『あの少女の隣りに』)や、大阪で若者がホームレスの人を殺した事件を題材にしたお芝居(『眠っているウサギ』)をしているんです。そうすると、そういう問題に本気で関わっている人たちに出会う。そういう人の本を読むし、取材することもあるし、そういう人たちがお芝居を観に来る。だから、その問題に本気で打ち込んでいる人たちが、「これはいい!」と言うような芝居を作りたい。で、その人たちが良いと思ったら広めてくれる。励ましてくれるんですよ。「くるみざわさん、よく書いてくれました」って言ってもらえる。そういうふうにして輪が広がってゆく。資本主義、商業主義と全然関係ないところで活動している。儲かるとかよりも、作品を通して「伝わる」が先ですよ。それを信じてなきゃやれないですよ。
今度横浜でもやるんですけど、横浜の親子劇場の人が、子供たちに見せたいってことで呼んでくれるからです。実は横浜では若者がホームレスを襲ってしまうっていう事件が頻発していた。それを防ぐために、ホームレスの人たちに学校に来て話をしてもらう。なぜホームレスになってしまったかとか、今どんな問題があるかとか、これからどうしていきたいかっていうのを伝えるっていう授業をやってるんですよ。そういう横浜に、自分の芝居が呼ばれたっていうのは嬉しいです。若者がホームレスを襲うなんていうのは、若者とホームレスの最悪の出会い方なんですよ。そうでなくて、もっと別の、もっと良い出会いを作り出そうとしている人たちに演劇で協力できるというのはすごく嬉しい。
西堂 そういう芸術の効用を僕は追求したいなと思いますね。そろそろ時間になりましたので終わりにしたいと思います。くるみざわさん、どうもありがとうございました。
(大きな拍手)
2024年12月20日13 30~15 00@明治学院大学横浜校舎にて
編集協力=上野仁菜 山岡南貴 五藤輝












