第25回 よいことを数える

第25回 よいことを数える

2021.11.29 update.

中山求仁子(なかやま・くにこ) イメージ

中山求仁子(なかやま・くにこ)

2017年から18年まで、神奈川県のとある放課後等デイサービスの管理者として勤務。自身も幼少期から横綱級ADHDであり、現在は双極性障害も発症している。
大阪大学文学部美学科音楽演劇学コース卒業。高校時代よりモダンダンス、大学入学と同時に小劇場演劇を始める。2001年、劇団㐧2劇場を退団以降、人生自体が演劇のような双極 I 型ジェットコースターライフを送っている。韓国映画と韓国ドラマをこよなく愛す。

 

■よかったことを三つ書いてきてください

 

いいことなんかひとつもないと思っていた。実際なかった。

 

今年の6月、睡眠導入剤を過剰摂取し、かかっていた心療内科に「薬をください」とも、そのわけも話せない気がして、自宅から近い別の心療内科にこそこそと駆け込んだ。

 

若い女性の医師はお薬手帳をしばらく見ていたが、「まだお薬はありますか?」とは聞かず、「では、以前と同じお薬でいいですね」と処方箋の内容をパソコンの画面に打った。私は薬を手に入れられたと思い、ホッとした。「では、2週間後にしましょうか」と言われ、次回の予約を取る。私は、こういう形でかかりつけ医を変えたことに罪悪感のような、危ない綱渡りをしたような気持ちでいたから、「2週間後にここに来られるよう、今度は昼間の服用は決してしないことだ」と気持ちを定めた。椅子から立とうとしたとき、「中山さん」と先生から声がかかった。

 

「1日過ごされてよかったこと、できれば三つ、書いてきてくれませんか」

私は突然出された宿題に驚き、思わず「えっ」と言った。先生はニコッと笑い、

「できれば、毎日」

と言う。私はしばらく先生の顔をみつめてから目を逸らし、

「あのー、先生、私にそんないいことなんて……」と小さな声で呟く。

「ムリはしないでくださいよ。でも、見つけてみてくださいね」

また先生がニコッとする。

 

「いや、ムリです」と言おうとしたが言えずに立ったまま戸惑う私に、先生は「中山さん、きょうは来てくださって、ありがとうございます」と明るい声で言った。医師に「ありがとうございます」なんて言われたのは初めてのような気がした。

 

私は立ちくらみしそうだった。ボォーッとガラス張りの診察室の扉を引き、待合室に出た。そこは陽の光が射しこみ、夏が始まる明るさが溢れていた。大きな鉢植えの観葉植物がたくさん置かれ、新緑の明るい緑の葉を茂らせていた。木製の椅子にはアレンジされた生花の大きなかごが置かれていた。小さな男の子が患者さんの間を渡って遊んでいる。先生の息子さんらしかった。少し変わった心療内科だった。

 

■それより、書いてますか?

 

睡眠導入剤を飲んで、テーブルに肘をつき、考える。

いいことなんか、ひとつも浮かばないわ。

私にいいことなんかあるわけがない。こんな生活にいいことなんかない。悪いことならいくらでも書けるけど。そう思った。そして寝た。

翌日も、考えてみるが浮かばない。そのうち、私は考えるのもやめた。

 

10日が経った。新しい心療内科を受診した頃、前回お話ししたような、骨のストレッチを始めた。毎日、地味に手足の指の間をこすったり、指の関節を伸ばしたり、爪を上下にぎゅっと押したり、手首や足の裏を叩いた。そのわずか10分ほどの時間が、うつの特徴ともいえる、一切合切をなし崩しにしたくなる気持ちを止めた。導入剤の昼間の服用も収まっていた。

 

診察の日が近づいたが、私は「書けないものは書けないから」と居直る気持ちでいた。

診察日、「調子はいかがですか?」と聞かれ、「あまり変わりませんが、悪くはなっていない気がします。ストレッチを始めました」と答えた。

「そうですか! それはいいですね。中山さん、やりたいことをどんどん見つけてください」と言われた。

 

――うつの私に、そんな……。

と思いながら、もやもやとわだかまっていた胸の疑問を口にしていた。

「では、やりたくないこととか、気がすすまないことはどうすればいいですか?」

と聞くと、

「やりたくないことは、やめてください。嫌なことはしなくていい」

「でも、責任とか、感じます」

「責任? 責任なんて、どうやって取るんですか? いいんですよ、そんなことは考えなくて」

と笑顔で言われる。

 

「それより、書いてますか?」

「は? ええ、まあ」

「今度、持ってきてくださいね。楽しみにしています」

と言われる。

「では、2週間後でいいですか? 中山さん、きょうも来てくださって、ありがとうございました」

私は振り向いて、ガラス扉を引く。その日も待合室の緑は満々としていた。

 

会計を待つ間、待合室から診察室を眺める。私の後に入った初老の男性が、身振り手振りを交えて先生に話しかけている。男性は背中を丸め、ウォーキングシューズを履く両足は(かかと)が浮いたままで、椅子に浅く座って前のめりに話し続ける。が、胸に詰まっていたものすべてを出し切ったのか、やがて醒めたようにひとつ息をして黙り、椅子からふらっと立ち上がる。先生が、にこやかに送り出す。

 

――同じかもしれない。

私も、頭の前に不安や心配ごとをたくさん吊るして、それだけを見て生きてるような気がしてくる。

きょうは先生の息子さんは診察室の床でお絵描きをしているのだった。

 

■次回も見せてくださいね

 

バレエストレッチのスタジオは偶然、新しい心療内科の近くで、私はAmazonで購入した厚手のヨガマットを抱え、心療内科とレッスンをはしごした。

 

心療内科の先生が「調子はどうですか?」とほほ笑む。

「はい。体を動かすようになって、少しだけよくなりました」

「それはよかった」

私はリュックからごそごそと一枚の紙を取り出した。1週間前から、コピー用紙にその日のよかったことを書くようになっていた。けれど、いいことはあいかわらず見つからず、嘘っぱちやどーでもいいことを書いた。食事をするテーブルに、角が丸まり、ところどころ紅茶の染みのついたその紙を常時置いておくようになっていた。だからと言っていいことなど浮かばず、天気がよい、とか、雨があがったとか、犬の足が少しよくなった、とか、そんなことを書き続けた。

 

先生は、くちゃくちゃになった紙を見て、

「いいですねー。すごくいい感じのことですねー」と言った。

「えっ。そんなのでいいんですか」

「いいんですよ。すばらしい。次回も見せてくださいね」

と言われ、診察室を後にする。

 

――あんなんで、いいのかあ。

そのあと、私はスタジオに向かうことになっていた。ほめられたこともあり、週一の楽しみにやっと出会えることもあって、気持ちは高揚し、足取りが軽くなっていた。

 

■毎日、点数をつけてください

 

しかし、毎日の手足の手入れや覚えて帰ったストレッチを家で続けるうち、真夏に心身のバランスが大きく崩れた。骨と骨の間が柔らかく、離れてきたからだろうか、そこに澱のように溜まっていたらしい、長年正体がわからなかった感情が溢れ出てきた。どうしようもない気持ちをなんとかしようと、紹介されたカウンセリングセンターの予約をした。

 

初回カウンセリングの日まで少し時間があったので、淡々と体の手入れを続けながら、今の自分をみつめてみた。そうするうちに、気持ちが少し落ち着いてきた。

当日、ひととおりの過去の履歴や精神障害について話すと、年配のカウンセラーさんは言った。

「つらいことがたくさんおありだったのですねぇ。そこを生きてこられたのだから、これからはラクに生きられたらいいですね。日々、自分の毎日に肯定的に点数をつけられたらどうでしょう。自分にちょうど合うスケールをつくってみるんです」

ここでも日々のワークを奨励されたのである。

 

「点数のつけ方ですが、もうあなたは、生きてるだけでじゅうぶん。だから、生きてるで1点。食べられたら2点。犬の散歩ができたら3点。家事ができたら4点。お仕事ができたらもう5点以上でいいんじゃないですか? そして、7点以上にしようなんて、思わなくていいです。9点や10点は、あまり目指さないほうがいいですねぇ。『7点が自分の満点だ』でもいいんじゃないでしょうか。大事なのは、あなたにマイナスはない、ということです」

 

――マイナスは、なし?

これができない、あれもできない、こんなにたいへん、こんなに悲しいと思って暮らしていたのに、マイナスのない私の「設定」ができるだろうかと思った。けれど、なぜか安心している自分もいた。私は1点だ。いや、食べてるし、犬の散歩には行けてるから、少なくとも3点だと自分に確認し、家路についた。

 

■回復日記と手足の手入れ

 

「回復日記」というタイトルで、紙っペラから移行してノートに日々のよいことを書き始めたのは、カウンセリングを受けてから1週間後、9月17日のことだ。日記が3日と言わず2日も続いたことのない私が、齢56にして1日も欠かさず日記を書いている。

 

9月17日の日記を読み返す。

まだいろんなことが自分のなかに錯綜し、もがいていたことがわかる。人間関係の悩みや悲しみが溢れ、そこにはどうやら依存の影が見えた。人に変わってほしいと願っていたり、人の言動に傷ついたことが書かれていた。しかし、こうも綴っている。

 

振り返って、自分が「重くて抱えられないなあ」と感じたことを、やめることができかけた1週間。体の手入れを丁寧にすること、この上はない。

 

よかったことは相変わらず、ネトフリの韓国ドラマに癒される、とか、犬のシャンプーができた、とか、お風呂が気持ちいい、とか、あれこれ考えない1日だった、とか、梅干しがおいしい、とか、小さなことばかりだ。そういう小さなことの横に付箋が貼られ、「ちゃんとしない、まともに生きることを目指さない」などと標語のような言葉も書かれている。

 

昨日のよいことは、なんと7つも書いてあった。最後に、「よい1日でした。秋日和」とある。今までの点数は、平均して5点といったところか。でも、3点の日もべつだん落ち込んだりはしていない。「いいんだもん、3点」と思っていた。おおむね◎をつけてあげたい、自分に。

 

そんなことを振り返ってニヤニヤしながら、きょうも手足の手入れをしている。

触り始めてからしばらく経ってからわかったのだが(しばらくは感じることすらできなかったということだと思う)、私の手足は骨と骨の間がかちんこちんに固まっていた。特に、足の小指がへしおれて、爪は爪じゃなくて白い付着物のようにギザギザしていた。その硬い足の指の骨と骨を引き離すように手の節で丁寧に押す。イタタ、と悲鳴をあげられるようになったのは3か月経ってからだった。

 

今、驚くことに、小指の爪は爪になってきている。骨には血が流れているし、小さな骨のなかでも血をつくっているし、それを体にめぐらせている。新しい血がめぐっているうちに、小指の爪は手入れ半年後、この年にして初めて生まれ変わっている。なんかしみじみとする。

 

今は、座ったり、寝たりしたままのストレッチから、片足のつまさきを膝にのせ、片足で立ったりするポーズもできるようになっている。もちろん最初はトトトト、とぐらついた。けれど練習を続けると、少しの間なら立てるようになる。

 

そのとき、思う。片足を支えているのは、反対の足だけだろうか。

 

反対の足だけに力を入れてせいいっぱい突っ張っていると、すぐにグラグラとくる。何度もグラついているうちになぜか立てる。それは、不思議と体がラクになっているときだ。力が入っていなくて、全体の骨がなんだかうまく整いつながったような。上体も腕も、手先も、首も、顔も、目も、頭の後ろ側も。

 

つまり、宙に浮いたつまさきを、体が総出で支えているんだなあと思う。そして、立っている足の裏からすーっと何かが抜けて地面に流れていきながら、そこにもなんだかつながりを感じる。思うに、こんな練習をしている昼間の窓辺に差し込む光も、小鳥のさえずりも、犬の静かなまなざしも、すべてがつながっているような気さえする。

そのとき突然、あおぞら園のある日の出来事が思い出された。

 

■ルカとタクトと秋晴れの日

 

午前中、事務所で子どもの支援について富田さんと話し合っていた。「うん。うん。……だけど……」「でもさあ……」とふたりの意見はかみ合わず、だんだん険悪な空気になっていた。パソコンを並べて仕事をしていたが、煮詰まった空気に富田さんはプイと二階にパソコンを持って上がっていった。それからお昼になって、スタッフが集まって、きょうの打ち合わせがあって、お迎えがあって、その間、すれ違うように富田さんと私は互いに話しかけることもせず、支援の時間に突入した。

 

さわやかな秋晴れだった。

「空が青くて、きれいだねぇ」と送迎車のなかで話すと、小3のルカ君と小2のタクトが「公園、行こう!」と言う。

「そうだね、野球セット持って行こう!!」

近くの公園までみんなで歩いていく。

 

ルカ君は、私がさげていた野球セットをさっと取り、「やるよー、野球」と言う。

プラスチックの軽いバットを構えたルカ君に、私がボールを投げる。ルカ君が打ちやすい感じのコースに、ゆっくりとしたボールを投げる。

ビュン。

ルカ君のバットは空を切る。

「おっ、惜しかったねぇ。もう一度」と言い、タクトが投げ返してくれたボールを持って構える。

ビュン。

ルカ君のバットはまたボールに当たらない。

 

たちまちルカ君は泣きべそ顔になり、バットを放り投げる。そのバットをタクトが拾った。

「ルカ君、ちょっと待ってて。タクトも打ってみる?」

タクトに投げると、へっぴり腰に構えていたタクトのバットにボールがうまく当たり、すべり台のほうへ飛ぶ。タクトが首を回してボールを目で追いながら「うわぁ」と叫ぶ。「すごい、タクト!!」と言ってタクトに駆け寄ると、ルカ君が泣きながらジャングルジムに向かって走り出した。

 

あ、マズイと思い、「ちょっと、ルカ君!!」と追いかけるが、ルカ君はぐんぐんジャングルジムのいちばん上にのぼり、涙を腕で拭いている。「ルカ君、もう一度やってみようよ、今度はきっと打てるよ」と下から声をかけるが、ルカ君は大きく首を振る。

 

タクトがあわててジャングルジムの近くまでやってくる。ルカ君とタクトは同じ小学校の特別支援学級で毎日を過ごし、兄弟のような、ときには親分と子分のような関係だ。親分を差し置いてどうしよう! という気持ちがタクトをあたふたさせている。タクトはジムを囲う柵をまたごうとする。が、柵は意外と高かった。股下より少し高い柵にまたがったタクトはおちんちんが邪魔になり、どうすることもできないで「イタタタ」と股間を押さえている。

 

何やってんのタクト、だいじょうぶ? と思った瞬間、遠くからガハガハと笑う声が聞こえる。富田さんだ。富田さんがタクトの様子を見ながら手をたたいて笑っている。私も振り向きながら、笑い始める。笑っちゃいけないけど、笑ってしまう。富田さんと目が合い、さらにふたりで大笑いする。半日ケンカしていたのに、タクトが笑わせてくれて、その瞬間私たちは、氷が水に解けるように仲直りしていた。

 

支援の時空間には、問題を探すまなざしで見ればそりゃ問題はいっぱい転がっているし、どうにでも深刻になれるけど、そればっかりじゃなあと思う。思い出すなら、子どもたちのおかしくて楽しい場面を思い出すほうが、何倍もその子の味が見えてくるものだ。そして愛しくなる。私たちを含めた彼らをとりまく世界は、決して暗くも固くもなくて、弾力をもったボールのように、柔らかくて楽しいのだと感じる。

 

私の調子は、お天気や犬や梅干しや韓国ドラマや、いろんなものが寄り集まり、総出で上向きにしてくれたのだと今になって思う。つまり、子どもも大人も、周りのいろいろがつながって目的なんか別になしに、なんとなく支え合いながら、ほわっと生きているんだよなあ、と思う。

 (中山求仁子「劇的身体」第25回了)

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