第6回 ゴリラの絵が待っていた

第6回 ゴリラの絵が待っていた

2021.11.15 update.

三谷雅純(みたに・まさずみ) イメージ

三谷雅純(みたに・まさずみ)

人やヒトの社会や行動の本質を科学的に探る、霊長類学、人間行動進化学に強い興味を持つ研究者。アフリカ中央部(カメルーン、コンゴ共和国)を中心に、鹿児島県屋久島、インドネシアの熱帯林で調査・研究を行ってきたフィールド・ワーカー。


2002年4月に脳塞栓症に陥り、以来、右の半身まひと失語となる。自由に森には行けなくなるが、代わりに人やヒトの多様性に興味を持ち研究を続ける。生涯学習施設の講演や緊急災害情報などの放送はどうあれば「聴覚失認」のある高次脳機能障害者、聴覚情報処理障害者が理解できるか、視聴覚実験によって検証している。


文化的、遺伝的多様性を持つ人で作る社会のあり方を研究していきたいと考えている。

嬉しい提案

 リハビリ病院から提案がありました。試しに家に帰ってみてはどうかというのです。病院という、患者が外界から守られた環境から、一歩、社会に踏み出してみよう。その手始めに、一番慣れているだろう家庭に帰ってみてはどうかという提案です。

 

 順調にリハビリテーションが進んだ患者には、誰にでもする提案ですが、嬉しくて、踊り出しそうになりました。なぜかというと、急性期に入院した病院からリハビリ病院に移るとき、車の中からわが家のマンションが小さく見えて、今、あそこに帰れたらどんなにいいかとあこがれた記憶があったからです。

 

 数日間の「お試し」で、社会生活に再び復帰する練習です。病院での、朝食前に片足に装具を付けて病棟の廊下を行ったり来たりする早朝の「自主練習」にも力が入ります。わざとまひした右手でお箸を持って食べるまねごとも(こっそりと)やってみました――作業療法士の皆さんに、やって問題がないかどうかを聞いたわけではなかったので、(こっそりと)なのです。心配をかけるといけないので。

 

 妻に知人から電話があったそうです。昔から親しくしている野生動物の保護管理事務所の皆さんが、私を心配してくれていました。事務所の皆さんは家に電話をかけ、この週末、数日だけですが、お試しでわたしが家に帰ると知ったのです。

 

 そして、それなら自分たちが車で迎えに行きますと言ってくださいました。わたしと仲の良かったお二人が三田(さんだ)市から篠山市まで迎えに来てくれます。長身の男性、濱崎伸一郎さんと女性の岸本真弓さんのお二人です。お二人とも野生動物を診る獣医師です。

 

 嬉しくなったわたしは、ついつい顔の筋肉が緩みっぱなしです。なぜかと言えば、第一に帰りたくてしかたのなかったわが家に帰れること、それから、入院していて長い間お話ができなかったお二人と話ができるからです。

 

友人との再会

 廊下に岸本さんの姿が見えました。濱崎さんは車で待っているのでしょう。岸本さんは、わたしがどんな状態なのかを妻から聞いていたはずです。それでも自分の目で確かめてみるまでは不安があったに違いありません。無理もありません。

 

 そんな心配をしながら病室を一つひとつ探していると、わたしがにこにこ笑って待っていたのです。岸本さんはほっと一息吐きました。

 

 荷物はそれほどありません。エレベーターで階下に下り、さっそく車に案内されます。お二人は義理堅く、最初は仕事の話から始まりました。野生動物のデータをまとめている様子をお二人からうかがいます。聞くときは、にこにこ笑って頷いていればいいのですから気は楽です。ところが一転、しゃべるとなると大変でした。

 

「病院の生活はどうですか?」

「どんなリハビリをしているのですか?」

「お家ではご家族が待っていますね」

 

 その質問の一つひとつに、ていねいに答えていきました。答えているつもりでした。

 

 ところが、自分の言葉がうまく出ていないことに気づいたわたしが、ぎごちなく「言うことは分かりますか?」と問いかけてみると、岸本さんはゆっくりと首を振り、申し訳なさそうに無言で笑うのでした。

 

■わが家がどこか変だ

 わたしは濱崎さん、岸本さんのお二人に助けられながら、無事、マンションまで帰り着きました。マンションの入口には妻が迎えに出てくれています。3か月ぶりのわが家です。帰宅が嬉しくて、踊り出しそうになったわが家です。家族がいて、のびのびとくつろげるわが家です。

 

 濱崎さん、岸本さんにはお礼を言ってお別れをし、一歩、玄関に入ります。

 

……ところがどこか変なのです。どこがとははっきり分かりません。しかし、懐かしいわが家のはずが、どうも違うのです。

 

 まず玄関のつくりが違うような気がします。上がり框(かまち)で靴を脱ぐ場所が、以前と変わった気がしました。

 

 玄関を入ると、阿部知暁(ちさと)さんの絵本『くんくんくん おいしそう』に使ったゴリラの絵やエッチングの作品が飾ってあるはずです。わたしと妻の結婚祝いに、阿部さんご本人から贈っていただいた絵です。確かに飾ってありました。飾ってはありましたが、そして阿部さんの絵であることには違いないのですが、でもどこかが変なのです。この大きさだっただろうか……

 

 リビングに入ると、テーブルがあります。いすがあります。あと、何だか電気が薄暗くなったような気がします。ここは、本当にわが家なのだろうか? 疑う余地はありません。ここはわが家に違いありません。しかし、以前住んでいた場所とは微妙に違う気がするのです。まるで竜宮城に行っていた浦島太郎が人の世に戻ったときのようでした。

 

 アフリカの森の奥で一年以上過ごしたあと、久し振りに日本の家に戻ったときでも、そんな感覚にはなりませんでした。記憶が混乱しているのです。これは発症から3か月目のことです。

 

 

図1 阿部さんのエッチング.JPG

 

わたしを待っていた阿部知暁さんのエッチング

奥に絵本『くんくんくん おいしそう』に使った原画が見えます。妻が撮影

 

 

■店や人の名前が思い出せない

 わたしは脳塞栓症で脳にダメージを負いました。記憶の混乱が、そのことに関係しているのは間違いないでしょう。

 

 試しに近所の地図を描いてみました。

 

 マンションの配置や通りの走り方はどうにか思い出せました。しかし、町の中の商店の名前が思い出せません。店が書店であるか、お好み焼き屋であるか、文房具店であるかは、じっくり考えていれば思い出せます。以前、訪れたときの様子も思い出せます。でも店名は思い出せません。無理をして思い出そうとすると、呼吸が乱れてくるような気がします。脳が酸素を必要としているのかもしれません。大きく息を吸って、吐いて……

 

……やはり店名は思い出せませんでした。

 

 そんな状況も子どもには関係ありません。お父さんが家にいることが嬉しくて、まとわりついてきます。2歳の娘が甘えてまとわりついてきたとき、わたしは思わず「あっちに行ってろ」と怒鳴ってしまいました。驚いた娘は、泣きながら「お父さんこそ、あっちに行ってろ」と言い返すのでした。

 

 これは大変なことになった。

 

 では、人の名前はどうでしょうか。試しに職場の人の名前を挙げようとしてみました。少数ながら思い出せる人もいます。しかし、大半の人の名前は薄ぼんやりとして、霧がかかったようです。結局、思い出せませんでした。

 

 それから一晩、どうしたらこの苦境を抜け出せるか考えてみました。まず店の名前はパソコンで白地図をつくり、それに書き込むことにしました。そのために明日は通りを歩いて店名を確認し、記録しておくことにします。

 

 人の名前はどうでしょうか。こちらは職場でもらったリストを見つけました。これで名前は確認できます。しかし、リストには顔写真がありません。顔写真が付いていれば、それを手がかりにして名前の音と顔が重なります。

 

 名案を思いつきました。「あ、い、う、え、お、……」と順番に呟いていき、例えば田中さんなら「た」、佐藤さんなら「さ」という読みに行き当たったところで思い出せそうです。ただし、名前がラ行やワ行で始まる方は、行き着くまでに時間がかかります。

 

 この「あ、い、う、え、お、……」とこっそり順番に呟いて思い出すわざは、それから長い間、わたしの「必殺わざ」になりました。本来の言葉のリハビリテーションでは反則かもしれませんが。

 

■「語想起」「喚語困難」について

 わたしのような症状を、言語聴覚士は「喚語(かんご)困難」とか「語想起(ご・そうき)の障害」と呼ぶそうです。憶えていたはずのわが家の印象が記憶と違っていたというのが同じ現象なのかどうかは分かりません。少し違う気もします。しかし「喚語困難」や「語想起の障害」の方は、わたしの言葉の障害にぴったり当てはまります。

 

 「喚語困難」とは「言いたい言葉が出て来ない状態」を指すそうです。「言いたい言葉」という以上、脳内言語の段階では、言うべきことがすでに決まっているはずです。しかし、脳内言語から言語音として喉の筋肉に伝える発話の段階がうまくつながりません。何やら越えられない壁があるようです。この壁のために物理的な音声が出てこないということです。

 

 「語想起」という術語も「喚語困難」と似ています。こちらは「思い出す」ことに重点がある感じです。多くの人はいくつかある脳の中の言葉のストックを探し、一番適切な言葉を思い出して(想起して)、文章をつくっていきます。このとき、適切な言葉を探し出せないことが「語想起の障害」です。

 

 わたしは文章を読み、文章を書くことを生業にしている研究者です。そのわたしが適切な言葉を思いつかなかったり、思い出せなかったりするのならば、これは致命的です。まず論文が書けません。この「『ことばを失う』の人類学」のような文章も書けなくなります。言葉が出ないのなら講演もできません。その前に、電話にも出られなくなるでしょう。わたしはこれからの生活を想像して愕然としてしまいました。

 

■しりとりが前に進まない

 わたしの場合、リハビリ病院の言語聴覚室では「語想起がむずかしい」ということから、「野菜の名前を20種類挙げて下さい」とか、「動物の名前を20種類挙げて下さい」といった課題が出されました。「野菜」ですから、「ニンジン、タマネギ、白菜、キャベツ、」と挙げていくのです。普通は20種類ぐらい簡単に挙げられるそうです。ところがわたしはというと、せいぜい10種類くらいが関の山でした。

 

 似た課題に、「『た』で始まる単語を、1分以内に、できるだけ挙げてみてください」というものもあります。『た』で始まる単語ですから、多くの人は「たぬき」「炊き込みご飯」「たらい」と、次つぎに出てきます。ところがこれも、わたしはせいぜい5、6語挙げられたら上出来なのです。それ以上挙げようとすると頭にもやがかかってしまいます。頭痛がするときもありました。

 

 先に書いた「あ、い、う、え、お、……」とこっそり呟くわざを言語聴覚士の前で使ってみたことがあります。動物が課題なら、「あ、アライグマ、い、イタチ、う、ウサギ、……」とやったのですが、これは簡単にばれてしまいました。

 

 それよりも、しりとりをやって、お子さんと遊んでみてはどうかと言われました。ならば、次の週末のお試し帰宅では、さっそく息子や娘と「しりとり遊び」です。これで機嫌よく遊べるようになれば、子どもを怒鳴らなくてもよくなりそうです。

 

 ……ですが、実際にやってみると、子どもはすぐに飽きてしまいました。「しりとり遊び」をしていても、お父さんはもたもたしていて、ちっとも前に進みません。ゲームらしくないのです。お友だちとやるときのようにスムーズに遊べないからだと思います。

 

 この先、わたしの言葉の霧が晴れるまでには、まだ数年の時間がかかります。

 

 

図2 ゴリラの少年.JPG

 

阿部知暁さんのエッチングのモデルになったゴリラの少年

コンゴ共和国のンドキの森で筆者が撮影

 

 

(三谷雅純 「ことばを失う」の人類学 わたしをフィールド・ワークする 第6回おわり)

 

←第5回はこちら

 

このページのトップへ