湿った体のサイボーグ【前編】

湿った体のサイボーグ【前編】

2021.12.15 update.

対談者プロフィール

伊藤亜紗(いとう・あさ)
美学、現代アート。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター。リベラルアーツ研究教育院教授。著書に『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『ヴァレリー─芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)他。


川口有美子(かわぐち・ゆみこ)
NPO法人さくら会理事。『逝かない身体』(医学書院)で第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長。有限会社ケアサポートモモ代表取締役難病患者向けヘルパー派遣事業を営む。立命館大客員研究員。最新作は『見捨てられる〈いのち〉を考える』(共著、晶文社)。

2021年11月、東京・下北沢にある横町BONUS TRACKで、「Caring November」というイベントが開催されました。たくさんの催しがありましたが、横町の一角にある本屋B&Bさんでも、シリーズ「ケアをひらく」の著者のおふたり、『どもる体』の伊藤亜紗さんと、『逝かない身体』の川口有美子さんによるトークが行われました。

タイトルは「湿った体のサイボーグ」。

え、どこがケアなの?っていう感じですが、お読みいただければこれこそケアの核心だとお感じになられるでしょう。当「かんかん!」では、当日のトーク第1部を、前編・後編に分けてご紹介します。

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■目次

【前編】→この欄です。

1 家の中は工場――『逝かない身体』

2 サイボーグになった私――『どもる体』

3 手がかかるから「居る」ことができる――分身ロボットその1

4 ノイズがリアリティをつくる――分身ロボットその2

【後編】ここをクリックしてください。

5 自己目的化したコミュニケーション――体の微調整

6 蘭の花のように守ればよい――ALSの完成形

7 魂が中空から自分の体を見ている――心身二元論

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伊藤 みなさん、こんにちは。今日は会場にお客さんが参加してくださっていて、誕生日会みたいな、「久しぶり~!」みたいな雰囲気ですね(笑)

 

川口 ビール飲みながらやればよかったかなぁ(笑)

 

伊藤 では最初に川口さんから自己紹介をお願いしていいですか。

 

 

逝かない身体』

1 家の中は工場

 

川口 伊藤亜紗さんの話は「ケアをひらく」編集の白石さんからいつも聞いていて、今日は伊藤さんとお話しするのを楽しみにしてきました。そのシリーズで『逝かない身体』という本を、2009年に書かせていただきました。実は、きょうのテーマでもある『湿った身体』という書名候補もあったんです。

 

伊藤 湿った身体というのはどういうことですかね? 汗かいてるってこと?

 

川口 発汗したりとか、吸引したりとか、胃瘻から経管栄養で水分入れたりするので、そういう意味では病人って湿った体なんですね。今日はそんな生物としての湿った人間と乾いたサイボーグ(人造人間)の間というか、機械と人間の中間地点の話ができたらいいなと思っています。

 

伊藤 『逝かない身体』は、お母さまの介護をされた経験を書かれた本ですね。

 

川口 ALS(筋側索硬化症)の母の介護をしていました。ALSは全身の運動神経が消えてなくなってしまうので、筋肉が衰えていって動かなくなってしまうんです。ただ動かないだけじゃなくて、コミュニケーションも難しくなっていく。だからどうにかして母を生きながらえさせたいって考えたときに、移植というわけにいかないので、機械をつけてなんとか……という発想になっていったんですね。

 

伊藤 へぇ~。

 

川口 要するに、身体と機械との融合、それから身体の拡張性。生身の人間だとこういう病気になると長く生きていけないし、QOLもどんどん下がっちゃうけど、なにかの機械につながっていけばいろんなことができるんじゃないなかなぁと思ったわけです。そういう研究をしたい、ということで立命館大学の先端総合学術研究科に入りました。

 

伊藤 お母さまが実際に使われてた機械というのは、人工呼吸器とかですか?

 

川口 最初は人工呼吸器と、胃瘻も機械だと思えば胃瘻も装着していましたし、ベッドも電動のベッドだし、あとリフトも使いますし、ありとあらゆる機械を使って。普通の在宅介護って高齢者のイメージですよね。でも全然違うんです。機械だらけになって、家の中が工場みたい。母の時代と違って、いまの患者さんたちは意思伝達装置でもいろんな種類のものを使うので、パソコンの画面がいっぱいあるような部屋で暮らしてます。

 

伊藤 じゃ、最近出ているような機械ができる前から、こういう機械があったほうがいいんじゃないか、みたいに思ってらしたんですね。

 

川口 そうですね。うちの母が発症したのは1995年だったんで、いまの鼻マスクを使うような非侵襲的な人工呼吸器もなくて、すぐ気管切開をしてそこから呼吸器をつけるっていう野蛮なことをしていました。パソコンはまだそんなに普及してなくて、コミュニケーションの方法も文字盤しかなかったです。そんなアナログの介護をしながら、機械があったらいいなぁとか、インターネットと母がつながれればいいなぁとか、そういう発想がありました。まあ思ってたとおりに社会も変わってきたし、介護の方法も当時私たちが想定していたとおりになってきましたね。

 

 

『どもる体』 

2 サイボーグになった私 

 

 

伊藤 私も「ケアをひらく」で、『どもる体』という吃音に関する本を書きました。吃音は、今日のテーマのサイボーグみたいなこと直接つながるところはそれほど多くはないんですけど。ただ1回、私はサイボーグ化したことがありまして……。

 

川口 え、すごい!(笑)

 

伊藤 2019年にMITの客員研究員をしていたのですが、そのときちょうどメディアラボで吃音の研究をやっていたんです。学内にたまたま「吃音の人募集」というポスターが貼ってありまして。で、その実験に参加したんですね。吃音って基本的に喋ることに関する障害だって思われてるから、その人の中で完結してる問題のように見えます。でも実際には、いま私は声を出して喋ってるけど、それがまた耳に入っている。そういう「サイクル」の中に起こってる問題なんですよね。

 吃音の人は、フィードバックの調整の仕方が変なんだっていう研究成果があるんですよ。自分が喋った声を聞くときに、空気の伝導で聞くっていう経路と、自分の中を通る骨伝導の経路の2つがあって、どちらの情報を注意するかというところで吃音の人は普通の人と違うそうです。

 そもそも「自分の体」と言ったときに、それがサイクルというか、サーキットを持っているわけです。いちばん小さいレベルは自分の声と耳ですね。だけど本当はもっと大きくって、たとえば話を聞いてくれる人の表情もそのサイクルの中に入ってくるし、周りの環境だったり、自分が使う言語だったり、さまざまな外部との関係のなかで生まれてくるサイクルの問題なんです。

 で、そのサイクルが、結構介入可能だというのが私は面白いなぁと思って。そもそもサイボーグって、自分と自分でないものを一体的に扱うような情報の経路を作ることだと思いますが、自分の体の中にすでにそのサイクルがあって、それに介入できるということ自体がすごく面白いし、ケアとか介助の可能性を探ることだと思うんです。

 私がアメリカで「サイボーグ化」したというのは、まさに自分の発話のサイクルに、機械的に介入したからなんですね。

 

川口 どんなふうに?

 

伊藤 やってることは超シンプルで、自分が喋ってる声をその場で波形編集して、違う声にして耳に届くようにするんです。口元にマイクをつけて、それがすぐコンピュータに取り込まれて、即座に違う音になって聞こえる。たとえば普通に喋ってるのに、洞窟で喋ってるみたいな音で聞こえるとか、「わわわわ」とすごい反響音が聞こえたりとか。あと普通に喋ってるんだけど、宇宙人みたいな「ワレワレハ~」みたいな声で聞こえるとか、ダークボイスだったり、さまざまなエフェクトがかかって聞こえるっていう実験でした。

 それは吃音を緩和するための研究で、実験の意図とはちょっと違うかもしれないんですが、やっていると、ちょっと演技入ってくるんですよね。演じるとどもりにくいって言われてるんですけど……。

 

川口 『どもる体』に書いてありましたね!

 

伊藤 はい。だから演劇をやってる吃音の人って多いんです。声が編集されて耳に入ってくるだけで自分に酔うというか、いま洞窟で話してるとなったら少人数で親密で大事な話をしているような気分になったりとか、宇宙人っぽい声だとSF映画のアテレコをしているような気分になったりとか。聞こえてくる声によって、外側から自分の人格みたいなものが作られていく。それによって実際に私の吃音がどれぐらい減っていたのかわからないんですけど、いつもの喋るパターンとは全然違う、むしろそのキャラクターに意識が向くようなことはありました。

 だからそうやって機械に自分がつながってることによって、機械を介してもう1回自分というものが再編集される。そんな経験をしたんです。超シンプルな仕組みですけどね。でもそのぐらいで自分の喋る仕組みが変わったり、もしくはそれで吃音が出にくくなったりするくらい、体ってゆるいんですよね。外部の、自分でない存在からの介入の余地がめちゃくちゃある。そういう体のいい加減さってものすごい救いです。

 

川口 いまの話で思い出したんですけど、たとえばALSの人は長いあいだ呼吸器を使っていると、自分の手ではできないんですけど、ヘルパーさんや家族を介して、「深呼吸したいから、もうちょっと空気のボリュームを調整して」とか……

 

伊藤 深呼吸ってあるんですか?

 

川口 ないんですけどね(笑)。1分間の呼吸量をもうちょっと多くするとか少なくするとかはできるんです。私たちの体は自動的にそれができてるんですけれども。いまのお話は、呼吸機能を自分の体の外に置いているのと同じですよね(笑)

 

伊藤 結構呼吸って大事ですよね。

 

川口 呼吸は大事ですよ~。

 

伊藤 さっき換気っておっしゃったけど、自分のなかの状態が呼吸によって全然変わりますもんね。

 

川口 そうですね。でも呼吸器をつけることに対しては、批判があるんですよ。長く生かされちゃうからつけないほうがいいよっていう人、特に神経内科の専門医なんかにそう言う方が結構いらっしゃる。不思議なのは、専門分野の方々じゃないですか。呼吸器つけたら呼吸が改善されるにもかかわらず、なんでそれを否定するのかなって思います。そもそも苦しさがなくなるんですよ、呼吸器つけた途端に。明らかに治療としては非常に有効なのにね。

TR文中写真1.jpg

 

分身ロボットその1

3 手がかかるから「居る」ことができる 

 

川口 このへんで分身ロボットの話をしましょうか。みなさんご存知かもしれないですが、OriHime(オリヒメ)という小さなロボットがあります。

 

伊藤 この新型コロナになってから、私は外出できないことの可能性を考えてなかったと思って、あわててOriHimeのことをやり始めたんですけど、川口さんはもっと前から?

 

川口 そうですね。だいぶ前からなので、OriHimeも、開発者の(吉藤)オリィくんもこんなに有名になるとは思ってなかったです。すごいですよね、今。

 

伊藤 じゃぁ、この開発が完成する前から?

 

川口 私は介護事業所をやってるんですけど、うちのヘルパーさんが介護に行ってるお宅にちょうどOriHimeがあって。そのヘルパーさんがなんかの拍子に首をすっ飛ばして壊したんですね。それでわぁ~っと思って、オリィくんに謝りにレトルトカレーのセットを送ったっていうのが最初なんですけど(笑)。『逝かない身体』を書いた頃だったから、たぶん2010年くらいだと思うんですけど。まさかこんなふうになるとは思わなかったです。伊藤さんはどういうきっかけで? さっきコロナとおっしゃいましたね。

 

伊藤 そうです。自分は体の研究者のつもりでいたんですけど、コロナになって、自分が体だと思ってたものがすごい狭かったということを猛反省しました。分身ロボットを使ってる方と関わることによって、別に人間の体だけが体じゃないよねって思ったんです。Zoomとかは会議などで毎日のように使ってますけれども、Zoomで人とつながるのと、分身ロボットでつながるっていうのは全然違う。

 

川口 うん、そうですね。そこのところを伊藤さんがどう評価されるのかなと思って。

 

伊藤 まず「そこに居る」っていうことを皆さんおっしゃいますよね。さっき「つながる」って言っちゃったんですけど、たぶんそれはちょっと違っていて。自分が実際に、ここに居る、そこに居る、という感じがすごく強い。

 

川口 OriHimeの中に入っている方(パイロット)とは、OriHimeを通して知り合いになられたんですか、それともその前から?

 

伊藤 パイロットの方とはZoomでインタビューをしたのが最初で、そのあと分身ロボットを使って一緒にいろんなところに行ったりしてるって感じですね。

 

川口 その方と最初にZoomでお話しされたときと、パイロットのときの印象は違いますか。

 

伊藤 全然違います。OriHimeになると、すごく介助している感じになります。川口さんも本の中で、お母さまが動かなくなってから「体のすべてを川口さんに預けた」とおっしゃってましたよね。もちろんそれとはだいぶ違うんですけれども、この丸投げ感すごいなって思ったんです。つまり、この分身ロボットを連れてたとえばどこかに行くってなったら、私が充電したり、いろんな器材を集めて持っていくわけです。

 

川口 もうケアするわけですね。

 

伊藤 持って行った先でも、どこに置こうかとか、どっち向きだったら見やすいかなとか、そういうことをすごくケアする。その感覚がすごく面白くて。それは私だけじゃなくて、たとえばマイクを装着するときに――そのときは音声の専門家の方がジャックを差してたんですけど――「すいません」って言いながら差すんですよね。「失礼します」みたいな感じで。

 

川口 なるほどぉ、介助してるんですね。ロボットなんだけど介助が必要だっていう。

 

伊藤 そうそう。中の方は「さえさん」というのですが、それを介助だって思うってことは、このロボットをさえさんの疑似的な体と思って、周りの人が自然に扱い始めている。そのことがさえさんの「そこに行ってる感」にもフィードバックしてくるわけですよね。単なるペットボトルのように扱ったら、たぶん行ってる感はしない。周りの人がさえさんを介助するように分身ロボットを扱うから、彼女も仲間でそこにいるっていう感じになるんだと思います。

 体って基本、面倒くさいじゃないですか。邪魔なもので、でもその邪魔さが周りの人のケアを引き出していて、「そこに居る」ということを成り立たせている。ここがまず、Zoomとすごく違うところだなと。

 

川口 まず物体がある、存在があるっていうことですよね。Zoomのように画面で現れれば簡単なんですよね。だからそっちのほうがいいじゃないかっていう話も結構あったんです。「じゃ、なんでOriHimeがいいの?」っていうのは今まで言語化されてなかったんですけど……すごいわかってきた。手がかかるからいいんですね!

 

 

分身ロボットその2

4 ノイズがリアリティをつくる 

 

伊藤 そう、手がかかるからいい。パイロットのほうもそうなんです。「居る」という感覚を支えてるのは、やっぱり自分が欲しくない情報が入ってきたりするときだっておっしゃってました。たとえば、接客のお仕事を分身ロボットでされてる方がいますけど、そうすると、イヤなこと言ってくる人とか、向こうのほうであんまり聞きたくない会話をしている人の声とかも入ってくるわけです。そこで電源切って抜けちゃえばすごい楽なんだけど、それはしないし、そもそもその選択肢が思い浮かばないって。

 やっぱり人間が体ごとそこに居るっていうことは、想定外の出来事に出合うということなんですね。今日も私、久しぶりに本屋さんに来て、なんかすごい想定外だらけですよ。「こんな本出てたんだ」みたいなことだらけで。そういうノイズこそが、パイロットさんにとっても「行ってる」という感覚を作っている。だからそれはこちら側と、ある種同じような感じですね。

 

川口 要するにピンポイントじゃないからですよね。能率としては悪いのかもしれないけれども、そのノイズの中に生きるために必要なものがあったっていう……。なるほどぉ。さっそくオリィくんに教えてあげないといけない、私たちの分析と評価を(笑)

 

伊藤 同時に、やっぱり体そのものではないので、不思議な感覚をいろいろ持つんですよ。たとえば、この写真を見てください。

orihime服を着た写真|川口有美子さん.jpg

 OriHimeの洋服を作っていらっしゃる方がいて、結構いっぱい売ってるんです。ここに写っているのは全部、パイロットの方が外出する前日とかに「明日はこれを着て行きたいです」と送ってくれる服です。これを着せたときの感じが、ちゃんとファッションなんですよね。つまりその人に似合ってるって感じがする。このロボットに似合ってるんじゃなくて、さえさんにすごく似合ってるなっていつも思うんですよね。物理的にはロボットに着せてるんだけど、中の人に着せてる。この感覚はすごく面白いし、人格みたいなものですよね。

 

川口 さえさんとは、じかには会ってはいない?

 

伊藤 会ったことないですね。

 

川口 会ってはいないのに、さえさんと会ってるような気持ちになってるんですね。

 

伊藤 会ってる気持ちになってるのかなぁ。会ってないかもしれないけど、でもさえさんはこういう人っていうイメージはあるんですよね。

 

川口 重い障害を持ってる方たちのなかには、「ロボットを動かすのは簡単なので、それによって自分たちの外出の支援が減るんじゃないか」と心配する人が結構いるんですよ。たしかに本人はずっと自宅にいても、ロボットはどこにでも行ける。だから「移動にかかるコストをカットできる」って取られると困ると言います。でも私もそうですしオリィくんもそうだと思うんですけど、ロボットは逆に「本人が外出をしたい気持ちになる」というきっかけを作ると思うんです。

 実は外出したくない障害者も結構いるんですね。「こんな体になって」と、自分の体に対して否定的な印象を持ってしまって。うちの母もずっと外出をいやがってました。人に見られるのがイヤでイヤで。それで閉じこもってたんです。他の障害でも、引きこもってしまうっていうのはよくある話です。

 でも自分の体は見えないわけですから、まずロボットで出て行って、いま伊藤さんがおっしゃったように、もうあたかも本人と話すみたいな人もいる。出先にそういうふうに理解してくれる人が待ってるとなれば、今度はもしかしたら頑張って自分が出かけようというきっかけになるんじゃないかなって。そういう使い方がもっとされてもいいかなと思います。

 

伊藤 たしかにそうですね。ユーザーさんのなかにはさまざまなタイプの方がいて、さえさんは体は動くんですけれども、外出ができないっていうタイプなんですね。

 

川口 難病なんですか?

 

伊藤 身体表現性障害っていう、ちょっとした刺激で吐き気が出たり、めまいがするというタイプなんですね。一方で体の動作範囲が限られてる方だと、バイバイって手を振れることがまずうれしいみたいな。どこかに行くっていうことよりも、体が動くっていうことに喜びを見出す方もいらっしゃいます。

 

川口 伊藤さんの利他学会議の動画を見ていたら、「池の水をパシャパシャしてみて」とかリクエストされていましたね(利他学会議 第1日目 エクスカーション「分身ロボットとダンス」)。

 

伊藤 ダンサーの砂連尾理(じゃれお・おさむ)さんっていう方、ご存知ですか。

 

川口 まだお会いしてないです。いろんなところから聞いてるんですけど。

 

伊藤 ダンスって、他人の体に振り付けをしますよね。自分の体で踊ればいいのに、他人の体にやらせるっていうところにも価値を見出している。分身ロボットも実は同じ構造なんです。面白いのは、現地にいる人がOriHimeを振り付けているようで、実は逆、つまり遠くにいるパイロットの方が、OriHimeを介して現地の人を振り付けている、というところです。

 たとえば砂連尾さんと、OriHimeさえさんと、私で、国分寺という西東京にある湧水群みたいなところを散歩したことがあります。その湧水の様子をさえさんがすごく感じたがるんですよね。最初は砂連尾さんが、池の水に手を入れてパシャパシャさせたりして伝えようとしてたんですが、カメラ越しにそれを見ていたさえさんがだんだんじれったくなって、「手を魚の尻尾みたいに動かして水紋を作ってみてください」みたいな感じで砂連尾さんを振り付け始めるんですよね。こっちもこの状況がOriHimeのカメラ越しにどう見えているのかわからないんで、「あ、それそれ、その感じ!」ってさえさんが納得するまでやってました。

 私たちが湧水を飲もうとしたら、さえさんがとっさに「喉のところをアップにしてください!」って叫んだのも面白かったです。私たちは、言葉とか体の動きで、この水がどんな感じかっていうことを伝えようとしていたんですが、さえさん的には、その水が喉を通っていくときの体の自然な反応のほうが、むしろ情報量が多かったんです。たしかに、その水が冷たければ、ちょっとためらいながら飲むだろうし、逆にそんなに冷たくなければゴクゴク飲みますよね。そういう私たちが伝えようとしてることよりも、体に起こってくること、起こってることをそのまま見たいって。OriHimeは向こうの様子がわからないという非対称性があるので、こちらもさぐる感じになるのが面白いですね。

 

川口 意図しないものが出てきますよね、いろいろやると。

 

伊藤 たとえばこの分身ロボットを私が持つといつも曲がってるらしいんですけど(笑)、そういうことが秘かに見られていて。それも一種のノイズですよね。そういう部分が見えたときに、その人がすごく見える。

(伊藤亜紗×川口有美子「湿った体のサイボーグ」前編 了)

【後編はこちら→】

 

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どもる体

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言葉と動きを封じられたALS患者の意思は、身体から探るしかない。ロックトインシンドロームを経て亡くなった著者の母を支えたのは、「同情より人工呼吸器」「傾聴より身体の微調整」という即物的な身体ケアだった。 かつてない微細なレンズでケアの世界を写し取った著者は、重力に抗して生き続けた母の「植物的な生」を身体ごと肯定する。

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