2 心ないシンクロは気持ちいい

2 心ないシンクロは気持ちいい

2022.8.24 update.

対談者プロフィール

村瀨孝生(むらせ・たかお)
特別養護老人ホーム「よりあいの森」、「宅老所よりあい」、「第2宅老所よりあい」の統括所長。大学卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として8年勤務。その後福岡市で、「宅老所よりあい」にボランティアとしてかかわる。
著書に『おしっこの放物線』(雲母書房)、『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『増補新版 おばあちゃんが、ぼけた。』(よりみちパン!セ、新曜社)など。

伊藤亜紗(いとう・あさ)
東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。専門は、美学、現代アート。
著書に『ヴァレリー 芸術と身体の解剖』(講談社学術文庫)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)など。
第13回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞(2020)受賞。第42回サントリー学芸賞受賞。

2022723日、東京・代官山 蔦屋書店にて、「シリーズ ケアをひらく」の最新刊、村瀨孝生さんの『シンクロと自由』の刊行記念トークイベントが行われました。

お相手は、同シリーズで『どもる体』を刊行している伊藤亜紗さん。村瀨さんの最高の理解者である伊藤さんは『シンクロと自由』をどう読むか――注目の対談を、当「かんかん!」では4日連続更新でご紹介します。

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【目次】

1 介護と「わたし」(823日更新)

2 心ないシンクロは気持ちいい(8月24日更新)

3 自由は、後ろのドアを開けてやってくる(825日更新)

補 ヒントいっぱいのQ&A826日更新)

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 2 心ないシンクロは気持ちいい


 

シンクロには二つある

 

伊藤 この本『シンクロと自由』は大きく二つの部分に分かれていて、PARTⅠのほうは不自由な体同士がシンクロする話ですよね。シンクロというのは介護という行為を成り立たせる一つの方法だと思うんですけれど、PARTⅡになると自由の話になっていく。

 まずはPARTⅠ。読むとどんどん作者が消えていくというか、村瀨さんが消えて、風のささやきのような文章になっていくような感じがしました。単純に主語がどんどんなくなっていって、現象が淡々と記述されていくみたいな印象があって、後半のPARTⅡと全然違う感触をもったんですよね。

 

村瀨 へぇ~。

 

伊藤 シンクロっていうのがどういうものなのかを教えていただけたらと思うんですけど......ここにはいろんなシンクロ出てきますよね。

 

村瀨 ご飯を食べてもらうのもそうですよね。「できる体ができない体を補う」といっても、その人の気分とか、体の調子とかに、波長というかタイミングを合わせていかないと補えないんですよね。介護ってタイミングだっていう気がする。

 介護は、優しさとか受容とかすごくハートフルに、精神的な感じで語られることが多いし、それが求められるじゃないですか。でもそれよりも、「いま、トイレに行かないと」っていうタイミングで行けるかどうか。

「ご飯食べたいんですよ、食べさせてくれますか、わたし食べることできないですから」と意識的に了解できている人はちゃんとシンクロできるんです。契約的にタイミングを合わせられるというか。だけど、ぼけが深い人なんかは、そういう申し合わせができないんですよね。

 オシッコをしたいのは明らかなのに、トイレに座ることができない。お腹が空いて、今ご飯を食べたほうがいいのに、お腹が空きすぎて食べられない。すんなり次の行為にいけなくて、しかも言葉も通じないというような状況になるわけです。こうなると常にタイミングをはかることになる。それは「信頼関係があれば行ける」なんてものでは全然ない。

 お風呂に全然入りたくないお年寄りがいます。もう2か月も入ってない。どんなアプローチしても断られて、かといって強引にすることもできない。どうせ入らないと思ってるけど、「アプローチだけはしとかんとね」「いちおう仕事だし」みたいな感じで、「おばあちゃん、風呂入る?」って聞いたら、向こうが「はいっ!」って言うときがあるんですよ。

 

伊藤 ほー!

 

村瀨 まさかそんな返事が来るとも思ってないから、こっちは全然準備できてない。もう一回「ホントに入る?」とか聞き直したりしちゃって(笑)。「さっきの間違った」って言うのを聞きたくて、「マジで?」と聞いても「入る」って。こんなふうに、合わせようとも思ってもないのに、タイミングが合っちゃったりということがあります。

 シンクロにも二つくらいありますね。意図的にこっちの努力で、その人のリズムをつかんだり、その人の習慣を一緒につくって、相手のリズムをうまく乗っ取るような。ある意味、意のままにドンピシャに「あぁ、トイレに行けた」となるシンクロがあります。

 もう一つはこのお風呂の話のように、思いもしない感じで「そんなふうに事が進んでもこっちが心の準備ができてないよ〜」みたいなシンクロもあるんです。そんなことが面白くて書いているのかなっていう気がします。

 

 

「シンクロしちゃった」の気持ちよさ

 

伊藤 ハートフルと言われがちな介護現場で、村瀨さんは「心は洗面台に置いておく」と書かれていますよね(82頁)。そして現在形で"いま・ここ"を一緒につくり出すことに専念するのがシンクロだっておっしゃっています。

 こちらで乗せて乗せて、こちらの思うときに相手もトイレ行こう、お風呂入ろう、ご飯食べようって思うのを「シンクロ」と感じるのはよくわかるんですけど、そうじゃないときもシンクロする感じがするのが不思議だなって。つまりこのタイミングではたぶんOKしないだろうと思っているのに、向こうが「お風呂入ります」と言ったときのシンクロ感というのもある。これが面白いと思ったんですよね。

 

 母を追いつめたぼくは、自分自身が怖くなり、情けなさと恥ずかしさに襲われる。母のお漏らしを容赦なく責める自分の怖さ。傷ついた母に優しくできない情けなさ。人として恥ずべき態度をとってしまうことに対する自責の念。

 心が邪魔だと思った。少しのあいだ、体から心を切り離して洗面台に置くことにした。無心に母の尻と床を拭いた。母の体をうんこまみれから救い出し、快適になるように努めた。温かいタオルできれいに拭く。シャワーを浴びる。ふかふかのバスタオルで体を包む。

 「すっきりした?」

 母に尋ねると「気持ちいい」と答えた。

(『シンクロと自由』82頁)

 

村瀨  面白いですよね。精神的交流はないんですよ。おばちゃんも本当は入る気じゃなかったはず、こっちも入ってもらうつもりでもなかったのに、シンクロしちゃった。そういうのも間違いなくあって、そっちのほうが気持ちがいいんですね、心が通うより。

 

伊藤 ハハハハッ。なんかその気持ちよさはわかる気がするけど。なんですかね、心が通い合うことよりも気持ちいいんですよね、深いとかじゃなくてね。

 

村瀨 そうなんです、気持ちがいいんですよ。それになんでしょうね、心通わせてうまくいくっていうのは......それヤバいっていうか、ハハハッ、不埒な手ですよね、それこそ。

 

伊藤 あぁぁ、そっか、そうですね。

 

村瀨 心を通わせて一緒に風呂入ったら、ヤバい気がしますね。今は同性介護じゃないとダメだと言われるから、僕もだんだん表で言えなくなってきてるけど、僕は結構おばあちゃんたちと一緒に風呂入ってきたんですよ、お互い裸で。なんかね、そういうときに心通わせちゃったらねぇ。

 

伊藤 そうですよね(笑)。なんか生理的な欲求に忠実であることの「健やかさ」みたいな、「潔さ」みたいな。それだけは確かだっていうのがありますよね。

 

村瀨 生理的欲求って心はいらないですね、きっと。バイオレンス映画とかでも、たとえば誘拐されて拉致された主人公がトイレ行きたいとかって言ったら、どんな悪人でもトイレ行かせるじゃないですか。そして逃げられたりするじゃないですか。ヘタしたら命を奪ってもおかしくない非情な人ですら、トイレに行かせる。あれは全然、心は通ってないと思うんですよね。共感してるわけでもないし。

 

伊藤 たとえば盲導犬と暮らしてる人も、「盲導犬の膀胱の中に尿が今どれだけ溜まってるか常にわかる」みたいなことを、みなさんおっしゃる。それがある種の取引の条件になってくるっていうか、尿の量でタイムキープしてるわけですよね。もうそろそろいっぱいになるから、今のうちにトイレ連れていっておこうみたいな。盲導犬の生理的な要因が主導権を握る瞬間というのが、何時間かおきに定期的にやってくるわけです。

 

 

ぼ〜っとすると見えてくる

 

村瀨 僕らも同じですよ。一緒に生活をして、そうやってお互いの習慣をつくっていく。これまでの自立した体だと、全部自分の思うままにできてたんだけど、それを他者の手を借りる。それは「こうしましょうね」っていう意識的な同意の世界というよりは、感覚的な合意の世界です。感覚交流みたいな部分がたぶんベースになっている。だけど意外とそのことが介護の教科書には載っていない。「感覚で介護しろ」とかって言ったら、非科学的になっちゃうんですかね。

 

伊藤 そうですね。この本の中にも「ぼ〜っとすると見えてくる」(96頁)と書かれてましたけど、むしろすごく感覚を開いてるわけで、非科学的なのではないですね。むしろ科学がすごい狭めてしまっている。「注意すべきことはコレとコレとコレ」みたいにパラメータを設定して、そのほかは入らなくなってるのが科学のよくあるパターンです。そうじゃないものにも常に感覚を開くっていうのが、「ぼ〜っとして」シンクロするあり方だと思うんですけどね。


 もちろん記録(データ)によって排泄間隔を知ることや、いい介護を実現するために意味や価値を追求する態度は必要である。けれども、介助者の意識が先立ちすぎると、老体の発するサインを拾う感受力が育たない。

 「する」ことや「しなければならない」ことで頭も体もいっぱいとなり、お年寄りの体が発する微弱なサインが入り込む余白が生まれない。目的や価値と意味で埋め尽くされてしまった介護は生活からお年寄りを遠ざけてしまう側面もある。車のハンドルに遊びがあるように、介護者にも遊びが欲しい。

 そのような余白を介助者の体に育てるには、ぼ〜っとするのがよいと思う。ぼ〜っとしていると感覚器が開きはじめる。開かれた感覚はさまざまなものと交感する。そのような営みは老体の声なき声を介助者の体に蓄積してくれる。

(『シンクロと自由』96頁)


村瀨 だから職員が出勤してくると、「まず記録を見る」みたいなことが起こっちゃうんですよ。まずパソコンをのぞいたりノートを開いて、前任者の言葉とか文字を取り込んで、それからお年寄りに出会う。たぶん今はこれが普通なんでしょうけど、僕はそこにすごく抵抗感があります。

 まず座って一緒にお茶を飲む。お年寄りの顔をじ~っと見る。見るだけじゃなくてたぶん聞くし、匂うし、一緒にお茶を味わう。そこでまず「ふ~、着いた」みたいに思いながらも、「今日目ヤニすごいなぁ」とか、「今日どうしたの? なんでそんなにあなた喋ってるの? いつも寝てばっかりなのに今日すごいね、よくそんなに喋ってるね、昨日の夜なんかあったの?」とか。

 要するに聞きもしないけど、立ち上がってくるものがたくさんあるんですよね。まずそこからお年寄りと出会って、それから前任者の記録を見る。自分の感覚を補完するような形で記録を見てほしいなと思います。でもたぶん現実の介護現場ってそうじゃないよね。まず記録を見て、情報を得て、そしてしっかり理論武装してからお年寄りと出会いましょうみたいなことになっている。そんなことしてたら、みんな働いてて苦しいんじゃないですか。

 

 

隠しきれから隠さない

 

伊藤 自分が介護をされる側を想像したときに、村瀨さんの体の中に、この本に書かれていたようないろんな衝動があるっていうことは、すごく恐ろしくもあり、逆に安心するようでもあり。村瀨さんの衝動っていうのは、バイクで高速道路を走っているときにハンドルを切りたくなるとかっていう。

 

村瀨 そうそうそうそう(笑)。

 

伊藤 子どものころは、教室の窓から外に飛び出しちゃうような。

 

村瀨 そうなんですよ。だからたぶん、今で言うと発達障害とか多動症だとか間違いなく診断されたでしょうね。やっぱりそういう衝動みたいなものが、たとえば夜勤でもお年寄りには伝わってると思いますよ。漏れ出るから。だからもう隠せないんですよね。

 

伊藤 夜勤のときの村瀨さんの衝動っていうのは、どういう?

 

村瀨 イライラして「もう~っ!」とか「く~っ!」とか。そうなってるのは向こうがいちばんわかってるから、余計に落ち着かないんだと思うんですよ。悪循環なんです。向こうは逃げられる体だったら、たぶん逃げたと思う。でも逃げられない体なので留まるしかないわけですよね。だからそのときはこっちが逃げないといけない。だってわからないですもん、僕が突き飛ばすかもしれないし。

 でも一方で、怒ったら本当に怖いおばちゃんもいるんですよね。なんかもういきなり呪文みたいなの唱えて、呪い殺されるんじゃないかって。「なんとかかんとか、ハ~っ! フ~っ!」とか言って息を吹きかけて退散させようとする。

 

伊藤 はいはい(笑)。

 

村瀨 それはたぶん、自分の意に沿わないことが起こって、おばあちゃんも怖がってると思うんです。霊力に頼るっていうのは、自分がすごく危機的な状況にあるわけだから。呪文を切り出したときはおばあちゃんが怖がってるんですけど、それが我々職員からすると怖いわけです。

 そうは言ってもちゃんと介入して事故を防ぐことができる職員も多いわけですけど、ある職員は「わたし、怖くてしょうがない」って言うんですよね。「自分は他の職員のように、『とはいっても』という形で介入できない」と相談されたんです。

 今まではイライラする自分が怖いっていう相談はたくさん受けてきたんですね、僕もそうだったし。そういうときは、はずみでおばあちゃんを倒すよりも、自分で倒れたほうがいいから、「逃げていいよ」って言ってました。だけど、「相手が怖い」って言う職員にはどんなアドバイスしたらいいんだろうと。でも結局は、こちらのほうも「逃げていい」だったんですよね。

 おばあちゃんの側からすると、おそらく怖がらせてるわけですよね。「来るな!」「あんたはイヤだ!」って威嚇してる。だからおばあちゃんからすると、怖がってる職員のほうが、怖がらない職員よりも信頼に値するんじゃないかなって話をしたことがあります。他の職員はなんやかんや言いながら安全を優先して介入してくるのに、あなたみたいに本当に怖くて逃げる職員は、おばあちゃんからしたら「あいつはちゃんとわたしの威嚇を受け取った」っていうことになる。

 このへんの問題って、やっぱり結果的には両者が隠し切れないんだと思いますね。お互いが感じてることは、どんなにうまく伏せたつもりでも、伝わっている。

村瀨孝生×伊藤亜紗『介護現場から自由を更新する!」第2回了

 

←第1回はこちら 第3回はこちら(8月25日更新)→


シンクロと自由 イメージ

シンクロと自由

介護現場から「自由」を更新する!
「こんな老人ホームなら入りたい!」と熱い反響を呼んだNHK番組「よりあいの森 老いに沿う」。その施設長が綴る、自由と不自由の織りなす不思議な物語。
万策尽きて、途方に暮れているのに、希望が勝手にやってくる。
誰も介護はされたくないし、誰も介護はしたくないのに、笑いがにじみ出てくる。
しなやかなエピソードに浸っているだけなのに、気づくと温かい涙が流れている。

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