第8回 もうひとつの生き方――前哨戦

第8回 もうひとつの生き方――前哨戦

2022.1.13 update.

三谷雅純(みたに・まさずみ) イメージ

三谷雅純(みたに・まさずみ)

人やヒトの社会や行動の本質を科学的に探る、霊長類学、人間行動進化学に強い興味を持つ研究者。アフリカ中央部(カメルーン、コンゴ共和国)を中心に、鹿児島県屋久島、インドネシアの熱帯林で調査・研究を行ってきたフィールド・ワーカー。


2002年4月に脳塞栓症に陥り、以来、右の半身まひと失語となる。自由に森には行けなくなるが、代わりに人やヒトの多様性に興味を持ち研究を続ける。生涯学習施設の講演や緊急災害情報などの放送はどうあれば「聴覚失認」のある高次脳機能障害者、聴覚情報処理障害者が理解できるか、視聴覚実験によって検証している。


文化的、遺伝的多様性を持つ人で作る社会のあり方を研究していきたいと考えている。

 

今回のタイトルは、わたしに霊長類学調査の大枠を与えて下さった故河合雅雄さんが、「京都大学霊長類研究所やモンキーセンターは、(障害者として)<負ければ見捨てられるだけ>だという戦いの場であった」とおっしゃったことを心に刻む意味で付けました。

 

■気楽に受けた検査だったが

 

リハビリ病院で認知症の検査を受けました。今になって思えば、それは「改訂長谷川式簡易知能評価スケール」でした。脳梗塞や脳内出血を起こして脳にダメージを負った人は誰でも受けるルーティンのようなものだったと思います。義務として行う検査ですから、わたしに対して、医師もあまり重大なこととは考えていなかったでしょう。

 

そうして、「気楽に受ければいい検査」が始まりました。

 

わたしの年齢や今日の日付、今、検査を受けている場所が病院であることはすぐに分かりました。関連の薄そうな3つの単語を復唱するのも簡単でしたが、それを覚えておいてくださいと言われると少し不安がありました。

 

そして100から7を順に引いていく引き算になりました。引き算など簡単だと思いましたが、本当はこれが問題でした。しかし、始めたときは問題である自覚はありません。

 

まず、100から7を引くのですから、答えは93です。ピンポーン!

 

次は93から7を引きます。93の一桁は3なので7よりも小さい。だから90から10を借りてきて、まず13にします。3という数字は7から見れば4小さい。今さっき10を借りているので、80になっていますから、80に小さかった4を足します。答は84です。

 

医師の顔が曇りました。

 

意外なほど曇りました。

 

わたしは自信をもって「84」と答えたのに、おかしな空気になってしまいました。どうしたのでしょうか。わたしは訳がわかりません。訳がわからなくってドギマギしてしまいました。あまりにドギマギしたので、それからの検査がどんな具合だったのか、はっきりとは憶えていません。わたしの記憶からは消えています。

 

正しい答は86です。借りてきた10から小さかった4を引けば6です。ですから、80に6を足して86というのが正解です。けれども、わたしは84と答えてしまいました。

 

その先の設問には、覚えた単語を思い出して声に出して言ってみたり、わたしの苦手な「野菜の名前」を言えるだけ言ったりという難問があり、どうやら、そこでもあまり十分には答えられなかったようです。医師は考え込んでしまいました。

 

■研究が続けられない?

 

数日して妻が呼ばれました。そして医師から「三谷さんには研究という高度な仕事を続けることは無理だと思います」と告げられたのです。

 

誠実な医師の言うことですから、妻もわたしも大抵のことは素直に聞いていました。家庭で出来るリハビリも、アドバイスを聞き入れて真剣に計画を立てました。しかし、その「研究はできない」という言葉だけは、妻もわたしも信じられませんでした。

 

わたしに研究者としての能力がなくなった? もしそれが本当なら、わたしは大いに嘆き悲しむことになります。なぜなら、それまで日中は他の仕事があり出来なかった研究を諦めきれず、夜、自宅でほそぼそと続けていたからです。

 

わたしが研究を続けたのは、(建前上は)研究をして給料が貰えるからでした。それなのに「研究という高度な仕事は無理」とは何という言われ方でしょう。妻は言いました、

 

「あなたに研究ができなくなったなんて信じられない。あなたの顔付きを見れば、以前と何も変わっていないことがわかる」と。

 

■研究室の現実

 

退院後、研究室に行ってみました。そこは病院のように<患者>が外界から守られる場所ではありません。研究者にとっては激しい競争の場です。

 

同僚の態度はぎごちなく、誰もわたしに話し掛けようとしません。わたしは、その態度を善意にとることにしました。きっとどう話し掛けたらよいのか、何を話題にするべきなのか、想像がつかなかったのだと。

 

このときのわたしには、まず職場に慣れるのが先だという思いと、長時間(それでも6時間ほど)席に居て、ひとつのことをし続けるのは無理だという思いが共にあり、毎日座っているのがつらかったことを覚えています。まさに<易疲労性>そのものです。どうしても疲れて我慢できないときには、倒れる前に――泡を吹いて倒れるのではないかと真剣に心配していました――早めに帰るようにしました。そのような日が続きました。

 

ですが、それがどうにも気に入らない同僚がいました。

 

「三谷はまともに口をきこうとしない」――口をききたくても、相手が失語症のしゃべり方に慣れていなければ、何を言っているのか通じません。

 

「仕事の打ち合わせができない」――<健常者>のように振る舞うことが期待されているのは理解できましたが、わたしはすでに<健常者>ではなくなっています。

 

「仕事をする気がないのだ」――1日も早く仕事を再開したいという思いは強くありましたが、マヒのある高次脳機能障害者に適した、わたしの能力を活かす仕事はなかなか見つかりません。

 

この「仕事をする気がないのだ」という言葉は、容易に「早く職場を去るべきだ」という発想に結び着きます。「役に立たないのなら辞職しろ」。そう暗黙の内に迫っているのです。

 

そして脳塞栓症におちいる以前は仲の良かった同僚が、研究室を代表して、わたしに「最後通告」を告げに来ました。

 

「君はもう研究はできない。」「これからできることは、脳梗塞の患者として、医学者の研究に(自分の身体を使って)素材を提供することだ。」「職場に残りたいのなら、(障害がどうのと)あれこれ言わずに<健常者>のように働くべきだ。(それができないなら辞職するべきだ)」

 

マヒした身体は目で見て分かります。しかし、失語や易疲労性といった高次脳機能障害は、一見しただけでは分かりません。その上、職場に高次脳機能障害者はわたし以外にはいません。実はいたのかもしれませんが、いないことになっていました。

 

今では<障害者>を受け入れるのが当然のこととされています――それでも「障害者」にとって職場には果てしなく高い壁が立ちはだかっています――が、当時、<障害者>には「働けないのなら辞職するのが当然だ」という<健常者>がつくったルールがあったのです。

 

もともとは仲の良かった同僚だったので、失語や易疲労性のこと、たった今したことでも簡単に忘れてしまう悔しさについて、できる限り説明してみました。聞きながらその人は怪訝な表情をしていましたが、それ以上、わたしの進退を追求することはありませんでした。ただ、本当のところは、いまだに分かっていないと思います。

 

一計を案じたわたしは、脳が疲れたらウォーキングに出ることにしました。1時間ほどウォーキングをしてくると、痺れたような脳の疲れが、幾分、和らいだ気がします。

 

■閉鎖した組織の中で起こるハラスメント

 

それにしても研究者の住む世界とは残酷なものです。わたしは人類学の一種である霊長類学の指導を河合雅雄さんから受けましたが、河合さんは子どもの頃、小児結核で片肺を失っています。治療のための薬が強すぎたからです。その河合さんはわたしが脳塞栓(そくせん)症に陥ったとき、

 

「きっと快癒(かいゆ)する.その確信が大切です.」

 

「世間は弱者に冷たい.冷酷でさえある.でも負けないように.負ければ見捨てられるだけです.誰も助けてくれない.生きるということは、確信に達する力を持つことです.」

 

と書いた手紙をくださいました。涙が出ました。わたしが今感じていることと同じことを、昔、河合さんが感じていたのです。

 

大学や研究所というところは、実によくハラスメントが起こります。企業や行政の組織でも、もちろんハラスメントを見聞きしますが、大学や研究所はハラスメントがひどく、それがいつの間にかなかったことにされていたりします。

 

学問の現場で起こるハラスメントをアカハラと呼んでいます。アカデミック・ハラスメントの略称です。アカハラは、酷い場合には、地位の低い研究者が集めたデータの権利をまるで認めず、本人を組織から追い出し、データは残りの地位の高い研究者が山分けするのです。そういう事例を知っています。信じられないかもしれませんが、これは事実です。

 

なぜ学問の現場でハラスメントが起こるのでしょうか。

 

わたしが思うに、研究室が小さな単位で互いに独立していることに関係があります。研究に関わることは、研究室の中でほとんどが完結しているのです。研究者はその中で、やろうと思えば好き勝手に振る舞えます――ただし、毎年毎年の研究成果は継続的に出し続けることが条件です。それができない「研究者のまねをしている人」は嘘の成果をでっち上げたりします。

 

もちろんすべての研究者がハラスメントをするわけではありません。しない人の方が圧倒的に多いでしょう。だから研究機関では「研究者は善人だ」という性善説に立った組織運営が行われているのです。しかし、ハラスメントをする人は、それをよいことに狭い組織の中で勝手気ままに振る舞うのです。

 

わたし自身が経験したことですが、ハラスメントがばれても、地位の高い人は巧妙に言い逃れようとします。それはまるで、「本当は被害者とされている人の方が悪いのだ」と錯覚させるような言い方をします。事実はどうあれ、ことによったら本人も「本当は被害者とされている人の方が悪い」と思い込んでいるのです。

 

こうなると地位の高い人の思うがままです。組織はなるべく現状を変えないようにおさめるので、地位の高い人は何をしても地位の高いままなのです。減給や解雇はよほどのことです。

 

■想像の中の共生

 

もうひとつの難点は、わたしが所属していたのが公立大学だということと関係あるのかもしれません。公立大学は法人とはいえ、その地方自治体の考え方と密接に関係がある組織です。

 

地方自治体は「(人の)多様性」と「共生」という言葉が大好きです。わたしはこれらの言葉を聞くと、「(人の)多様性」をスローガンにして、人びとが想像の中で「共生」している姿を思い浮かべます。ですが、その人びとは現実に生きている人間ではありません。何者かの想像の中でだけ生きているのです。公立大学が持つ雰囲気も同じだと感じています。

 

――生きた一人ひとりの障害者といっしょに働きたい人はいない。障害者は他所にいて欲しい。

 

――しかし、今はいわゆる「障害者差別解消法」があるのだから、「障害者は他所にいて欲しい」と大っぴらに言うことはできない。それに例え法律で決まっていなくても、社会には倫理というものがある。障害者と共にいることが「正義」だと、皆が言っている。

 

――多数者に従うというのも社会のルールだ。そのことはよく分かっている。でも本音としては、どこかで静かにしていてほしい。あまりやっかいをかけないでほしい。

 

――本当に「共生」するとなると、社会のルールをいろいろ変えなければならない。それが決して「嫌だ」というのではないが、そもそも面倒なのだ。せっかく今まで「健常者」のルールの中で穏やかに暮らしてきたのだから、これからもそっとしておいてほしい。

 

このように感じる人には<障害者>の姿が見えていません。ですが、当時、本当に<障害者>の姿が見えていなかったのは、わたし自身でした。

 

■<健常者>と<障害者>その区別のナンセンス

 

わたしは、今では「健常者/障害者」の区別はナンセンスだと思っています。自分に「障害はない」と信じている非<障害者>はたくさんいます。しかし、実のところ「本当に障害はないのですか」と真剣に聞かれれば、ためらう人が大多数でしょう。この認識を持った上で言うのですが、人は変化するのが常なのです。

 

例えば年齢です。年齢は誰でも時が経てば同じだけ重ねていくものです。肉体の変化も同じでしょう。子どもだった人は成長して青年になり、やがて壮年を経て老人となります。そうして人は世代を重ねます。

 

人は変化するのが常なのだし、わたしは「健常者/障害者」の区別がナンセンスだと考えているのだから、いくらリハビリテーションをしても、もう脳塞栓症の前の身体に返ることはありません。

 

だとしたら、何のためにリハビリテーションをするのでしょう。生まれ落ちたときでも同じことですが、それは新しく与えられた身体と心に最高のパフォーマンスをさせる術(すべ)を身に付ける訓練なのです。

 

しかし、そのことに気が付くのは、頭にかかった霧が晴れるもう少し先のことでした。

 

(三谷雅純 「ことばを失う」の人類学 わたしをフィールド・ワークする 第8回おわり)

 

←第7回はこちら

 

このページのトップへ