2011年5月アーカイブ

夜勤というアンチクライマックス(2)

 

変化を実感できない辛さ


それだけの緊張感を強いる夜勤というのは、睡眠時間とか、過剰な労働という側面はもちろんのこと、人の精神にも独特の負担を与えるものである、という側面も無視できません。人間が必然的に持つ「何か起こるかもしれない」という幻想がもたらす不安や過覚醒ってけっこう強烈なもので、決して慣れるものじゃありません。


うつや引きこもりの人も、事件が起きないことで、ますます身動きが取れなくなってしまう悪循環に陥ることがあります。経済的に余裕があったり、いろんな条件が整っていると破綻しないので、いつまでもそれでやっていけてしまう。そのことがもたらす不安というのは確かにあるんですよね。


エントロピーの法則、仏教の無常観、最近では生物学者の福岡伸一先生が動的平衡という概念で説明しておられますが、世界というのは変化し続けているもので、生き物にとっては、変化することが生きることなんです。


ただ、これだけ社会全体が強固に、いわばコンクリートで固められていると、「すべてのものが朽ちていく、すべてのものが変化していく、何一つそのままではない」ということを実感しづらくなっていますよね。

 

夜勤も同じで、変化を実感しづらい。そういうなかで過覚醒状態になってしまうと、自分自身がどんどん虚しい、頼りない存在に思えてくるんです。かえって変化や動きがあったほうが、しゃきっとする。生きている実感がある。夜勤のときに何にもイベントが起こらないと、自分自身がどんどん頼りない、朽ちていく存在に思えて、このまま世界から取り残されていくような葛藤・焦燥感に駆られてくるんです。


それはもしかすると、「世界が恒常的に維持されている」という幻想に僕らがあまりに浸りすぎているからかもしれないですね。

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夜勤の空気を共有することの意味
 

そういう夜勤がもつアンチクライマックス性って、人間の精神に独特の緊張感を与えるんだと思います。だから、当直の夜にはけっこう深い話を同僚と交わせたりする。看護師さんとも「ああそうか、そういうことをあなたは考えていたのか」といったことがふとわかったりする。眠れない患者さんから、すごく意外な話が聞けることもあります。


僕がよく覚えているのは、当直の夜にサンドイッチを作ってもってきてくれた看護師さん。みんなで食べたら、美味しくて、すごく絆が深まったように感じました。それは、ずっと「来ないクライマックス」を待ち続けている、独特の緊張感によるところは大きかったと思います。

 

夜勤の空間というのは、pre-festival(祭礼の前夜)じゃないですが、独特の神聖な空気が流れているんです。ふだんなかなかコミュニケーションが取れなかった医師や同僚に、ちょっとした差し入れをしてみると、意外な関係が開けるかもしれません。
 
 

ふわトロチヂミ(嚥下食用お好み焼き)

 

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対応

食欲不振、嚥下障害 

 

レシピの背景

お好み焼きを食べたいけど、固くて無理だと思われている患者さんでも、もんじゃ焼きのような食感なら、食べやすいのではないかと考えたメニューです。嚥下食用お好み焼きです。

 

管理栄養士としての患者さんとの関わり

治療が進むにつれて、食欲低下となり気持ちも落ち込んできます。長い入院生活では、病院給食に飽きてしまう方がいます。「寝ているだけではおなかも空かないから、ますます食欲はでない」といわれます。 いつもと違うメニューで蓋を開けたときに喜んでいただけるように心がけました。

 

調理のポイント

食べやすくするために長芋の量をたっぷり使うことが大切です。食べたときにトロトロとした食感も楽しめます。卵はつなぎ程度に使います。

 

レシピ紹介(3人分)

 

一人当たりエネルギー80kcal、たんぱく質3.8g、塩分0.7g

 

<材料> 

長芋        100〜 150g

たまねぎ      30g

ねぎ         10g

人参         15g

卵          50g(1個)

お好みソース      25cc

だし汁        50cc

 

<作り方>

(1)長芋はすりおろし、ねぎはみじん切り。玉ねぎと人参は茹でてからみじん切りにする。

(2)卵を割りほぐし、(1)の材料を混ぜ、お好みソースとだし汁を加え、アルミカップに流し入れる。

(3)数が少ない場合は、フライパンに水を入れ(2)を置き、蓋をして15分蒸し焼きにする。大量調理の場合はコンベクションオーブンで蒸焼。(170℃15分)

(4)アルミカップから取り出し、器に盛る。

 

提供を終えて

食欲のない患者さんに味のはっきりしたソース味のものを食べたいと言われることがよくあります。しかし、嚥下食を食べている患者さんに焼きそばやお好み焼きを出すことは難しく、なかなか要望に応えることができませんでした。そんな折、このふわトロチヂミを出したところ非常に喜ばれました。

 

患者さんの声

蓋を開けたときのソースの香りが良かったようです。「食欲が少し出た」と言って食べていただきました。 

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ほんとうの部長室はもっとあかるくて緑もいっぱいなんだよ。

あとほんとうの部長はアロハシャツじゃないんだよ。

おやつとアロマはほんとうにあるよ。

ざんぎょうしてるとおやつがもらえるよ!

第7回 下半身の連動性を高める

 

前回までは、上半身の連動性を中心としたエクササイズを紹介してきました。

 

今回は、下半身の連動性です。

 

通常、われわれはしゃがむ際に、股関節、膝、足首といった関節を意識しません。しかしそうするとどうしても、動かしやすい膝関節に頼った運動になってしまいやすいのです。

 

ここでは股関節、足首を意識した、しゃがみこみを行ってみましょう。慣れないうちは、椅子を使うと楽です。慣れてきたら、椅子なしで、床近くまでしゃがみこんでみましょう。

 

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1 肩幅程度に足を開きます
2 股関節とつま先を外に開きながら、腰を落としていきます。膝は曲げるというよりも、ゆるめる感覚です。
3 足元を踏ん張らず、自然につま先を外に開きながら、腰を落とします。
4 元に戻るときも、つま先、足首、股関節の連動を意識しましょう。

 

第9回 二日酔いに負けない

 

黄連解毒湯

 

二日酔いに効くということで有名な漢方としては、黄連解毒湯という処方と、五苓散という処方と、二つあります。この二つの処方、漢方医学的にはかなり異なった作用をもつ薬です。黄連解毒湯は、黄連・黄芩・黄檗・梔子という四つの生薬からなります。この生薬はどれも非常に苦いのですが、苦い薬は胃の調子を調える作用があるものが多く、「苦味性健胃薬」という言葉もあります。特に、黄連や黄檗は、下痢にも有効で胃腸炎の治療に良く使われます。おそらく胃だけではなく腸の粘膜を保護したり、炎症を和らげる効果があるようです。アルコールは粘膜にとっては害のあるものなので、お酒を飲んだ後の胃は大なり小なり胃炎を起こしています。まず、それを修復する作用が黄連解毒湯にはあるということですね。

 

さらに、黄芩という薬は、消炎作用とともに、肝臓の働きを正常化する作用があるといわれます。ひょっとしたら、アルコールやアセトアルデヒドを分解する、すなわち“解毒”する肝臓の働きを助けているのかもしれません。

 

黄連解毒湯にはもうひとつ、梔子、クチナシの実が入っています。クチナシの実を煎じると鮮やかな黄色が出てくるので、天然の着色料として衣服を染めたり、食べ物、たとえば栗きんとんなどにも使われていました。梔子はどんな作用があるかというと、「心中懊悩」、すなわち胸のあたりが苦しくて夜もゆっくり休めない、という症状に効くといわれています。解剖学的に言うと、食道のあたりに効くのだろう、ということになります。アルコールは食道の粘膜も荒らすはずなので、そういう意味では理にかなっています。

 

梔子にはほかにもいくつか面白い使い方があって、ある消化器の先生は、胃カメラをする前に、利膈湯という梔子が入った処方を患者さんに少し飲んでもらって、検査をすると、ほとんどむせないでカメラを飲んでもらえる、という話をしていました。また、「心中懊悩」=恋の悩み、と見做して、相談にやってきた若い医局員に梔子の入った処方を与えたところ、めでたく看護婦さんとゴールインした、なんていう大学の先生もいました。これは本当に薬の作用なのかどうか、疑わしいですが…

 

とにかく、黄連解毒湯は、消化器の状態を調え、アルコールやアセトアルデヒドといった二日酔いの原因物質の分解を促して、症状を良くする、という作用があります。

 

五苓散

 

もう一方、五苓散は、茯苓・白朮・沢瀉・猪苓・桂皮の五つの生薬で構成される処方です。このうち、白朮という生薬が、ホソバオケラという植物の根茎で胃腸の働きを調え、水分の吸収を促します。余談ですが、京都の八坂神社では、元日に白朮詣り(おけらまいり)という祭事があり、神社の境内で一晩中、白朮に火が灯されます。お参りに来た人は持参した火縄に火を移し、消えないように火縄を振り回しながら自宅に帰り、台所のコンロに火縄で火をつけてお雑煮を作り、一年の無病息災を願うのです。これも、いかに日本人が「水滞」に悩んできたかを反映する風習ではないか、と思います。

 

五苓散の話に戻します。茯苓は、マツホドという、松の根に生えるキノコの一種です。白朮と協力して胃腸の働きも整えますが、胸部の水分代謝を活発にして、胸水や痰を減らしたり、心臓の負担も軽くする作用があると考えられています。二日酔いの場合は、肺からの吐く息に乗って、アルコールやアセトアルデヒドが蒸散されるということもあるかもしれません。

 

沢瀉は、オモダカという水辺の植物の根で、昔の人は、田んぼや沼地のような湿気の強い土地でも青々とした葉を付けるオモダカを見て、水滞に効く薬かもしれない、と考えたようです。沢瀉の得意範囲は、首から上の臓器で、水滞によって起こる耳鳴り・めまい・頭痛に効くといわれており、二日酔いの症状のうち、頭痛を改善するのは沢瀉の役割だと思われます。

  

猪苓は、チョレイマイタケという、ブナやナラの木に生えるキノコの一種です。これは下半身が守備範囲で、利尿作用に優れる薬です。実は、五苓散の「苓」は猪苓のことだと言われていて、水滞治療の主役だとみなされています。

 

利尿薬を水分過剰の治療薬の主役と考えるのは、西洋医学と同じですが、胃腸の水分吸収を改善する白朮、胸部の水分代謝を活発にする茯苓、頭部の水滞症状を解消する沢瀉、と脇役がバラエティー豊かなところが、漢方の特徴の一つだと思います。しかも、気の巡りを良くする桂皮を配剤することにより、ほかの4つの生薬の作用を十分に引き出す工夫がされています。私は五苓散の処方構成を見るたびに、昔の人は本当に偉いなぁと、脱帽する思いを深くします。次回は、五苓散のように、「気」「血」「水」をまたがって生薬が組み合わさっている処方について述べていきたいと思います。  

『助産雑誌』の連載「現場で即使える! 助産師のための英会話」と連動して、各回のスキットの音声を掲載します。妊娠・出産の場面でよく使われる用語を集めた音声へのリンクも掲載していますので、合わせてチェックしてみてください! 



第3回 ★ Prenatal Check-up【妊婦健診】

 

第3回からは,妊婦健診での内容を学習していきましょう。外国人の妊婦さんにとって,文化の異なる日本での出産には不安が大きいもの。妊娠期からの助産師のかかわりで,安心して出産に臨めるようサポートしていきましょう。

 

今回のスキットは,健診で行なう検査項目について説明する場面です。日本人の妊婦さんへ説明する時と同様に,日常であまり聞くことのない専門単語は,より通じやすい表現に変えて説明できるとよいですね。

 

 

よく使う例文集の音声はこちら

 

単語集の音声はこちら

 

チェックシートの音声はこちら

 

 

Scene


Midwife:At each check-up, we’ll check your urine and blood pressure. We’ll also  measure your weight, abdomen and fundal height, listen to the fetal heartbeat and check the size and position of the fetus.

 

Ms. Thomas:OK.

 

Midwife:Since this is your first prenatal check-up, I’ll take your blood sample.

 

Ms. Thomas:What’s that for?

 

Midwife:We will check your blood type, HIV, hepatitis B, and syphilis status, and your immunity to rubella. 

 

Ms. Thomas:Do you check them at each check-up?

 

Midwife:No, these are done only at the first check-up. Well, then, roll up your sleeve and give me your arm, please. OK, it’s done. Press firmly for one minute.

ちょっと甘いものを食べたいと思ったときに、チョコレートなんていいですよね。

 

さて、ミルクチョコレートを1枚食べると、菓子パン1個と同じくらいのエネルギーがありますが、食事の代わりにチョコレートを食べた場合、体重の変化や血液中のコレステロールに変化はあるのでしょうか?

 

チョコレートはカカオ豆をカカオバターとココアパウダーにし、カカオバターの配合によって、ビターチョコレート、スイートチョコレート、ミルクチョコレート、ホワイトチョコレートなどに分かれます。チョコレートに含まれるカカオバターと、普通のバター、大豆油、オリーブ油を摂取した人の血液中のコレステロールの変化を調べた実験があります。これによると、25日間、普通のバターを使用した食事を摂った人は血液中の総コレステロールとLDLコレステロール濃度が大幅に上昇したのに対し、カカオバターを使用した食事を摂った人は血液中の総コレステロールとLDLコレステロールともに変化なしだったそうです。大豆油とオリーブ油を使用した食事を摂った人は血液中の総コレステロールとLDLコレステロール濃度が低下という結果になったそうです。

 

また、チョコレートのカカオには『カカオ・ポリフェノール』が含まれており、カカオ・ポリフェノールの健康効果として動脈硬化を防ぐ、がん予防、ストレス防止、精神安定などが公表されています(日本チョコレート・ココア協会による)。つまり、チョコレート自体が太りやすいわけではなく、少量で高エネルギーであることから食べる量が多いとエネルギーの過剰摂取となり、太る原因になるということです。

 

ではこのチョコレート、上手に付き合っていくにはどうしたら良いのでしょうか?

 

チョコレートの主要成分は糖質と脂質です。糖質の代謝に必要な栄養素はビタミンB1、脂質を代謝するのに必要なビタミンはビタミンB6、脂質・糖質・タンパク質などほとんどの栄養素の代謝に関わるビタミンはビタミンB2です。また、糖分の代謝時にはカルシウムが使われます。そのため、代謝に必要なビタミンB群とカルシウムを摂っておくと、代謝がスムーズになります。

 

ビタミンB1が豊富な食材:

胚芽米・玄米・種子類(そら豆・ごま・落花生・きな粉)

 

ビタミンB2が豊富な食材:

レバー、うなぎ、サバ、イワシ、卵、納豆、牛乳、乳製品

 

ビタミンB6が豊富な食材:

多くの魚(鯛・鮭・鮪)や肉(鶏肉)に含有、バナナ、大豆、小麦粉

 

カルシウムが豊富な食材:

チーズ、干しえび、しらす干し、ひじき

 

ですが、これらをチョコレートと一緒に食べることはなかなか難しいので、前後の食事で代謝に必要なビタミンやカルシウムを摂って上手に代謝することをお勧めします。 

 

夜勤というアンチクライマックス(1)

 

当直室の夜はなぜマンガなのか

 

夜勤の当直室にはマンガが置いてある、という話を聞きました。これ、すごくよくわかるんですよね。活字が読めないからなのか何なのか。でも、自分の経験に照らしても、感覚的には絶対正しいと思った。

 


1つは、夜勤って、いつ何時何が起こるかわからないなかで、ずっと「助走」状態だからじゃないかと思います。患者さんが来る、容態の急変がある、ということになると、一気にピークが来る。それに備えるための助走状態がずっと続くのが夜勤なんじゃないでしょうか。

 


昔、夜勤のときに読めるかなと思って松本清張のミステリーを当直室に持ち込んだことがありました。でも松本清張って、本題に入る前に20ページくらいずーっと情景描写があったりするんです(笑)。それに対して漫画って、数ページごとにちょっとずつクライマックスが来るように作ってあります。そういうリズムのほうが、夜勤にあっているのかもしれません。

 


いつ来るかわからないクライマックスにずっと備えている、という意味では、夜勤って、アンチクライマックスなんです。あるいは、夜勤におけるクライマックスというのは、「クライマックスが来ないこと」なのかもしれません。

 

アンチクライマックスがもたらす過覚醒

 

テレビのBSで、ポール・マッカートニーのライブがやっていました。見るともなく見ていると、オープニング曲が「マジカルミステリーツアー」。そうすると、観客がものすごい盛り上がりを見せました。熱狂状態です。でも、考えてみれば不思議ですよね。Let it beでもなく、Hey judeでもない。あるいはLong Tall Sally(のっぽのサリー)でもない。そこまで盛り上がる曲とも思えないマジカルミステリーツアーでどうしてここまで観客が興奮するのか。

 


意外性ということもあったんだとは思うんですが、僕も見ているうちにだんだんと鳥肌が立ってきたんです。定番中の定番みたいなものが来てしまうと、ここまでの興奮はなかった。Hey Judeだったら、なんとなく安心してしまったと思うんです。

 

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閑話休題。話を夜勤に戻すと、夜勤も実は、クライマックスなんて来ないんです。言い換えると、決して来ないクライマックスを待つのが、まさに夜勤のクライマックスなんです。つまり、「急患です」と患者さんが来たら、それはもうクライマックスじゃない。精神的には、ある種のピークは過ぎているんです。

 


たとえば僕の場合、夜の10時前後には、何にも事件が起きていないのに、過覚醒状態がよく訪れました。たとえば、見慣れているはずの男性看護師さんの髭剃り跡が妙にクローズアップされて、妙にリアルにこちらの中に入ってきてハッとする。あるいは、同僚と世間話をしているときに、ふっとその人の人生が、僕の中にものすごくリアルに浮かび上がってきたりする。

 


人間の感覚って相対的なもので、熱いものがあるから冷たいものを感じるだけなんですよね。だから、人間にとって変化を感じられなくなるというのは、すごい恐怖なんですよ。つまり、感覚がないというのは、死、ということですから。ものすごく不安になる。

 

だから、夜勤のように変化のないときには、無理矢理にでも自分のなかでネガティブなものまで掘り起こして感覚を作ろうとする。それは時に破壊的だったり、過剰だったりするんだけど、ないよりはマシなんですよ、きっと。

 


そういうときには、何も起こってないのに「あ、なんか今日あたりちょっとめんどうなトラブルが起こりそうや」とか、妙な圧迫感が生じてきたりする。意識の揺れが強くなる。だから逆に、何か起こってくれたほうがフッとリラックスできてしまったりすらするんですね。

 


 「早くなんか起こってくれ」ぐらいの気持ちは、夜勤をしている人なら一度は感じるんじゃないでしょうか。むしろ、ずっと何も起きない、「何かが起こる前」の濃密な感覚が、時々すごくしんどかったり、その不安感がすごく出てきてしまって、それをポジティブに変えれないときがある。そういう感覚が、夜勤の辛さの一端を担っているんじゃないかと僕は思います。

レシピNo.007 柔らかフィッシュバーグ

 

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対応

嚥下障害、食欲不振、煮魚が嫌いな方

 

レシピの背景

いわしは、骨が多くて出しにくい魚ですがミンチにすればOKです。山陰の海に近い当院では、新鮮ないわしを手に入れることが容易で、いわし料理を好む方も多くいます。

 

管理栄養士としての患者さんとの関わり

患者さんが白身魚ばかりでなく、いわしを食べたいと思われました。嚥下障害があり、においも気になるようでしたので調理法を工夫しました。

 

調理のポイント

新鮮ないわしを使うことがポイントです。 軽く揚げているため、魚の臭みがやわらぎます。仕上がりの固さは揚げる時間で変えます。油を使用しているためカロリーアップも期待できます。

 

レシピ紹介(3人分)

一人当たりエネルギー238kcal、たんぱく質12.8g、塩分1.6g

 

<材料> 

まいわしミンチ             100g

豆腐             125g (1/4丁)

たまねぎ           30g

にんじん                 30g

 

≪a≫

鶏卵             25g (1/2個)

生姜               少々                    

しょう油              5cc

砂糖            小さじ1杯

塩               少々

片栗粉           大さじ1杯

 

サラダ油(またはマクトンオイル)  大さじ1杯

 

≪b≫

しょう油           10g

塩               1g

砂糖             5g                            

出し汁           100cc

 

揚げ油

 

盛り合わせ

かぼちゃの煮物 (かぼちゃ 90g、しょうゆ 4.5cc、砂糖 3g、出し汁 適宜)

 

<作り方>

(1)たまねぎはすりおろし、人参はみじん切りにする。

(2)ボウルに(1)、まいわしミンチとaを入れてよくこねる。

(3)(2)をハンバーグのように形を整え、きつね色に揚げる。

(4)揚げたフィッシュバーグを調味だしbで煮る。

(5)かぼちゃの煮物を盛り合わせる。

 

患者さんの反応

「舌でほぐれる感じが最高、味も美味しい」「懐かしい味」「ふわふわと柔らかで食べやすかった」「いつも白身魚の煮物だったから、魚を食べたという満足感が味わえた」と感想をいただきました。

 

※ マクトンオイル(キッセイ薬品工業)・・・体内で速やかにエネルギーに代わり蓄積脂肪になりにくい液体油脂。油っぽさが少なく、口当たりがさっぱりしている。 

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ほんとうはセミナーの開催日を常務がしらなくて後日ビックリされただけだよ。怒られてないよ。部長の許可はとってたよ。いいわけくさい?そんなばかな。

共感は可能か(3)

 

第7回 共感は可能か(2) よりつづく

 

物語は破綻していたほうがいい

 

患者であれ医療者であれ、人間の語りなんて、すべて作り話といえば作り話だし、嘘のない「ホントの話」なんていうものは存在しません。だから問題は、真実は何かということではなく、その物語がどんなふうに機能しているか、ということです。

 


そういう点から見ると、自分の苦労話を、あまり熱をこめて語ってしまうのはあまり有効じゃないと思います。それはどうしても、自分のコアの部分を念入りに隠すような物語になってしまう。語れば語るほど精緻な作り話になって、現実から解離してしまうんです。

 


作り話って、自分も癒せないし、聞いているほうもうんざりします。だから、なるべく淡々と、相手を説得させるような物語を作ってしまわないよう、自分の物語から絶えず距離を作るようなやり方で話すのがよいと思うんです。

 

ちょっとくらい、物語が破綻してもいいんです。そういう語りのほうが、相手がちょっと共感してくれた、うなづいてくれたことによって癒され、勇気がわいてきます。このコツを手に入れると、臨床家にとっていろんなことがましになると思います。

 

宮崎駿さんの作る物語って、破綻していることが多いと僕は思うんです。僕が宮崎アニメに共感するのは、その破綻のなかに、いきいきしたものが感じられるからなんですね。そういう意味では、作品に臨場感をもたらすものって、破綻なんです。それがないと人の心には訴えかけてこない。出来合いのものでは、人は感動しないし、自分も満足しないんです。

 

他人語りにリアリティーを覚える

 

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医療に物語論が取り入れられるようになったことはいいことですが、当人の語りをあまり過大に取り上げてしまうと、うまくいかないことが多いように思います。

 

誰もがそういう面を持っているという意味でなんですが、苦しんでいる当人の語りというのは、どうしても「私を哀れんで」「私が一番悲惨でしょう」「私が一番大切な人間だと認めて」という欲求に費やされがちです。しかしそれでは、当人が本当に癒されたい部分に届かないんです。

 


語れば語るほど、聞いているほうはコントロールされる感じを受けて嫌な気分になるし、物語自体がリアリティを失っていくから、感情が伝わらない。

 


カウンセラーの仕事の大きな役割の1つが、患者さんの断片的な言葉を元に、他者として物語を呈示することです。そうやって呈示された物語に患者さんが「はっ」とさせられることがあるのは、自分の言葉を元にして他人が作り上げた物語のほうが、自分で作った物語よりもむしろリアリティがあるからです。

 


患者さんがカウンセラーに対して「私以上に、私のことを知っている」と感じることがあるのは、だから不思議なことではないんです。感覚的には事実に近い。「自分はこういう人なんですよ、わかってください」というメッセージを込めずに語るっていうのはそう簡単ではありません。誰もが自分のことを語るときは嘘をつくし、熱心に語れば語るほどそうなります。

 


自分が医療者として聞き手になったときも、同僚に愚痴を言うときのように語り手になったときも、物語のもつこうした性質を踏まえておくとよいと思います。
 

第4回 同じ問いの繰り返し 

 

柳田國男の問いに息を飲む

 

《時に君はタカボコでしたね。大間知君は越中でしたね……》

 

福井県坂井郡高椋(たかぼこ)村生まれの中野重治が、最晩年の柳田國男の自宅を訪ねたときの会話の一コマである。

日本民俗学の創始者である柳田國男がその晩年に来訪者に対して何度も出身地を確認する質問を繰り返したことは、『読書空間の近代』(佐藤健二著)によってずいぶんと有名になった。中野重治は、その事実に向き合ったときの心情について後にこう記しているという。

 

《私は息を飲んだ。4〜5分もすると話がもどってくる。それがくりかえされる。私は身の置き場がなくなってきた。》

 

同じ問いを数分おきに繰り返す、というのは、言うまでもなく認知症の症状であろう。博覧強記で記憶力も超人的であったという柳田を身をもって知る中野が、認知症による記憶障害から免れなかった柳田の老いを眼前にし、どんなに落胆し、悲しみを感じたことか、容易に想像できる。

「私は打ちひしがれて電車に乗り、打ちひしがれたままで家に帰って行き、模様を話してからも腰の抜けたような気持ちでいた」と中野は言う。

 

認知症の症状が進み老人ホームのサービスを利用するようになった利用者さんたちの個人ファイルを見ていると、多くの家族が認知症の発症に気づいたきっかけのひとつとして「同じ問いを繰り返す」ということを挙げているのがわかる。

だが、在宅で毎日介護をしている家族にとっては、「同じ問いを繰り返す」ということは、大切な存在が認知症という病気に侵されている事実が突きつけられる症状であるばかりではないだろう。

数分おきの繰り返しは毎日毎日繰り返される。中野のように打ちひしがれてばかりはいられない。その禅問答のような決着のつかない問いの繰り返しから何もかも捨てて逃げ出したくなるような激しい苛立ちを覚えることも少なくないのではないか。

 

介護のプロとして働いている当の私も、老人ホームで認知症の利用者さんたちと日々向き合っていると柳田と同様に同じことが繰り返し問われる場面に遭遇することが多いが、あまりに繰り返しの頻度が高いと時には思わずイラついてしまうこともある。

そのたびにこれではいけないと自分を諌めるのだが、それでも未熟な私は自分の気持ちを抑制し笑顔をつくることが難しくなってしまうこともあるというのが正直なところである。

 

自分の至らなさをひしひしと感じていたとき、先の柳田のエピソードを紹介した『読書空間の近代』を読み直す機会があった。

著者の社会学者・佐藤健二は、このエピソードを持ち出したのは単なる興味本位でもなければ、また、どんなに偉大な巨匠でも人の老いは避けられない、という当たり前の事実を指摘するためでもなかった。佐藤はこう指摘する。

 

《「君はタカボコでしたね。大間知君は越中でしたね……」。壊れた自動機械のようにこのフレーズがくりかえされたとして、しかしそれは柳田自らの学の構築にとって、意味のない問いかけではなかった。むしろ彼の方法の運動の、原点を象徴する問いであった。》

 

若いころから柳田は、初めて会った研究者や学生に、決まって出身地を訪ねていたという。そして、どんな地名を言われても、頭のなかに日本全国の地図がはっきり刻み付けられているのではないかと思われるほど明確に、そこにはこんな神社があるとか、こんな史料があるだとか、それまでに蓄積してきた関連知識を惜しげもなく披露したというのだ。

それは、柳田がいかに大きな記憶装置を持っていたのかということを意味するだけではない。そこに見えてくるのは、その頭に蓄積してきた膨大な知識と経験を分類し、新たな知識を関連づけて記憶するために柳田が地名を索引にしていたということである。

それが、彼の学問を支える最も基本的な方法論であったと佐藤は言う。そして、老いによって単純化された柳田の頭脳に最終的に残ったのは、その学問を体系づける知の方法=地名による索引だったということである。

認知症によって記憶障害を負った柳田が、学問の原点にあった、記憶を分類し、検索する方法=地名による索引だけは強固に保持しつづけていたというのは皮肉のようでもあるが、別な見方をすれば、柳田を柳田たらしめる原点は最後まで失われることがなかったということができるだろう。

 

看護や介護を専門とする本マガジンの読者からしたら、柳田國男の学問的方法などと言われても関心の外にあるかもしれない。

しかし、晩年の柳田の老いの症状について、民俗学者たちが、みなその権威を守るためか、はたまた敢えて触れる必要もない些細なエピソードと考えたのか、いずれもまったく不問に付してきたなかで、佐藤がこれに注目し「知の方法への回帰」として積極的に研究対象として論じたことの意味は大きいし、介護の現場で日々認知症の利用者さんに向き合う私たちにも少なからずヒントを与えてくれるのではないかと思うのである。

 

もしかしたら、私たちを閉口させる認知症の利用者さんの「同じ問いの繰り返し」も、意味のない言動ではないのではないか。柳田のように「知の方法」などということはできないかもしれないが、彼ら、彼女らの人生の最も基層にある「生きる方法」につながる言動として理解できるのではないだろうか。そうしたら私たちは「苛立ち」ではないもう少しプラスの感情を抱くことができるのではないか。

そんな期待をほのかに抱きながら、あらためて、私のまわりの利用者さんたちに見られる「同じ問いの繰り返し」の様子を注意深く見てみたい、と思う。

 

繰り返される問い

 

瀬名喜代子さん、大正9年生まれ。たとえば、昼食前に私がショートステイのリビングで、喜代子さんの座っているテーブルを拭いていると、喜代子さんはにこにことして「ありがとう」と言ってくれる。そして次に続く言葉は必ず「あんた、何町?」である。まるで初めて出会ったかのように、喜代子さんは私の住んでいる場所を尋ねてくるのである。

 

私は毎回初めて聞かれたかのように、「沼津です」と答える。そうすると、「へえ、沼津。沼津の何町? 本町?」とさらに質問は続く。

私は「いいえ、○○です」と答えると、あまり聞いたことがないという顔をしながら「○○ってどの辺? 駅の周りじゃないわよね」と言うので、私は、「そうですね、ここから車で30分くらいのところですね」と答えると、喜代子さんはちょっと安心した顔をして、「それじゃあ近いじゃない、私は三島の○○町。今度お友達と一緒に遊びにいらっしゃいよ」と誘ってくれる。

「はい、ではぜひ今度」と私が答えると、喜代子さんはにっこりとほほ笑み、ここで問答はひとまず終わる。

 

「三島の○○町」とは喜代子さんの生まれ育った場所。ときには、この部分が現在居住している「長泉町の○○」と変化することはあるが、喜代子さんのショートステイ利用日には毎日、数分おきに、ほぼ同じ形でこの問答が繰り返される。しかもユニット中に響き渡る大きな声で。

もちろん、喜代子さんの問いの矛先は私だけではなく、目にとまった職員や利用者さんにも向けられる。

 

なかには、あまりの頻度に堪えられなくて、「なんであんたはさっきから同じことばかり言ってるの」と怒りを露わにする利用者さんもいるが、職員もそして多くの利用者さんたちも、何度も繰り返される問答に苦笑いをしながらも、怒ることなく「私は○○町」と答えてくれている。私はその様子を見ながら、みんなエライなあ!と感心し、イラついてしまう自分の未熟さを反省するのである。

 

岡田幸恵さん、大正15年生まれ。彼女も喜代子さんと同様に、「ところであなたはどこ?」と相手の住んでいる場所を尋ねる質問を繰り返す。喜代子さんと異なるところは、幸恵さんの場合には、その繰り返しの頻度が低いことと、そして、質問を繰り返すシチュエーションがだいたい決まっているということである。

私の経験からいうと、幸恵さんがこの質問をするのは送迎車のなかである。たとえば、迎えのときには、施設への道のりの途中でこんな会話が毎回繰り返される。

 

幸恵さん:(自宅近くの道路沿いの広い空き地を眺めながら)ここ、うちの土地なんです。

  六車:ああそうなんですか。

幸恵さん:畑なの。でも、息子たちは今はなーんにも作っていないでしょ。

  六車:そうですね、今は何も作っていないですね。

幸恵さん:まったく、何しているんだか。

 

しばらく静かに車が走る。そして、地元の自動車学校の前を通り過ぎるときにはこんな会話が再開する。

 

幸恵さん:この自動車学校やっているかしら。

  六車:やっているみたいですよ。

幸恵さん:ここうちの土地なんです。校長先生がね、うちにわざわざ来てね、貸してくれっていうから、うちの人が貸したんですよ。

  六車:そうなんですか。

幸恵さん:近くにこういうのがあると便利でしょ。車に乗るにはね、自動車学校に行かなきゃだめでしょ。遠くに行くのは大変だものね。

  六車:そうですね、近くにあると便利ですね。みなさん車乗りますからね。

 

車が自宅のある裾野市から長泉町に差し掛かるあたりになると、今度は幸恵さんはこんなことを話し出す。

 

幸恵さん:ここはどこですか。

  六車:長泉町の上○○です。

幸恵さん:ああ、たしか、上○○、下○○ってありますね。

  六車:そうですね、中○○もありますよ。

幸恵さん:それは知らないわ。私、この辺の出じゃないから、このあたりのことはさっぱりね。小田原高女って知ってます? 私は小田原高女に行ったんです。

  六車:じゃあ、幸恵さんは小田原の出身なんですね。

幸恵さん:いいえ。私はね、小田原の近くで、金原村、金○っていうところ、田舎の生まれなの。金がいっぱいつくって、友達にいつも笑われたんです。村長さんがね、お金がたくさん儲かるようにってつけたんじゃないかと思うのよ。ところであなたはどこ?

 

このタイミングでいつも私は居住地を尋ねられる。

 

  六車:沼津です。

幸恵さん:沼津のどこ?

  六車:○○です。

幸恵さん:○○? ごめんなさいね、知らないわね。私、小田原なの。小田原高女ってご存知? 小田原城のなかに小学校があってね、その隣にあるの。小田原は本当にいいところですよ。海も近いし、お城もあるし。私はね、金原村、金○ってところの出なの。金がいっぱいつくって、友達にいつも笑われたんです。村長さんがね、お金がたくさん儲かるようにってつけたんじゃないかと思うのよ。ところであなたはどこ?

 

この質問が何度か繰り返されるうちに車は施設に到着する。

 

予定調和を演じることによって立ち位置が確保される

 

冒頭の柳田に関連づけて、相手の居住地や出身地を尋ねてくる二人の利用者さんの「同じ問いの繰り返し」の様子について少し詳しく紹介してみた。

 

認知症の利用者さんたちの「同じ問いの繰り返し」を注意深く見てみると、その方によって繰り返される内容にずいぶんと特徴があることがわかる。ここで紹介した二人のように、相手の居住地について尋ねる方もいれば、その日の曜日を何度も尋ねる方もいる。また、相手の年齢を尋ねたり、いま何時かを尋ねる人もいる。

言い換えれば、認知症による記憶障害であっても、何から何まであらゆることを繰り返して尋ねるのではなく、そこにはその方の何らかのこだわりを読み取ることができると思われるのである。

 

では、喜代子さんと幸恵さんは、なぜ相手の居住地や出身地を繰り返し尋ねるのだろうか。また、そこには二人のどんな「生きる方法」が見て取れるのだろうか。先ほど紹介した「同じ問いの繰り返し」の文脈や二人に教えてもらった経験などから想像してみたい。

 

喜代子さんは、相手の居住地を尋ねた後、必ず「それじゃあ今度うちに遊びにいらっしゃいよ」と明るく誘ってくれる。それがお決まりのパターンである。それは、喜代子さんのこれまでの生き方に深く関係していると思われる。

喜代子さんは元気なころ、地域の婦人会やボランティア活動に積極的に参加していたという。喜代子さんも、私たちに時折そのころのことを話してくれる。ボランティア活動でみんなで施設をまわったとか、婦人会活動で公民館に集まって手作業をしたとか。

そんな喜代子さんは、職員たちに対していつも激励の言葉をかけてくれるのだが、そこから彼女がかつてどんなふうに活動にかかわっていたのかが想像できる。

たとえば、利用者さんたちに折り紙を折ってもらっているとき、喜代子さんもそれに参加しながら、こんなことを言うのだ。

 

こういう手を動かすっていうのは、本当にいいですよね。みんなでやるからいいの。そして、なんたってこれを引っ張って行ってくれる人がちゃんとしているからいいですよ。リーダーさんがこんなにいろんな折り方を知っていて、丁寧に教えてくれるんだもの。

 

ここで喜代子さんがリーダーさんと呼んでいるのは、折り方を教えながら利用者さんたちに折り紙を折ってもらっている私のことである。

喜代子さんは決して人をけなしたり、文句を言ったりはしない。いつもみんなに心を配り、その場の雰囲気を盛り上げようと気を遣っている。そして、職員に対しては、上記のようにどんな些細なことでも励まし、そしてリーダーとしてのあり方を嫌味なく教えてくれようとするのだ。

おそらく喜代子さんは、婦人会でもボランティア活動でもリーダー的存在として活動の中心に立ってきたのであり、他のメンバーを激励したり、活動の雰囲気を盛り上げたりしていたに違いない。そして、リーダーにありがちな権力の独占をせずに、後進が育つように役割を譲ったり、陰で支えたりしていたのではないだろうか。

まさにこれぞリーダーというべき、模範的なリーダーのあり方を体現して生きてきたように、少なくとも今の喜代子さんからは想像ができる。

 

ところで、「あなた何町?」から始まる一連の問いは、私の知る限り、喜代子さんが職員を激励した後に必ずといっていいほど続く。そして、「それじゃあ今度うちに遊びにいらっしゃいよ」で一応の終息を迎えるのである。

先ほどの折り紙のときもそうだったし、また、例えば、車椅子利用者である喜代子さんのトイレ介助をしたときもそうだった。介助をしている私にむかって、喜代子さんは、「あんたにこんなことしてもらって申し訳ないよ。本当に助かった。ありがとう」と感謝の言葉をかけてくれ、「ところであんた何町?」と問いかける。そして最後には必ず「うちに遊びにいらっしゃい」と言うのだ。

 

とすると、「あなた何町?」で始まる一連の問答は「それじゃあ今度うちに遊びにいらっしゃいよ」を導き出すためのいわば伏線だと考えられる。そして、自宅への誘いは、喜代子さんの相手に対する最大の激励の言葉だったのではないだろうか。

茶道の先生をしていて社交的であった喜代子さんのことだから、本心からの誘いだったかもしれないし、あるいは外交辞令だったかもしれないが、いずれにせよ、「それじゃあ今度うちに遊びにいらっしゃいよ」というのは相手の存在を受け入れ、その努力を最大限励ます言葉であったことは間違いない。そうやって喜代子さんは、地域で生きてきたのであろう。

「あなた何町?」から始まり「うちに遊びにいらっしゃい」で終わる問いの繰り返しには、地域での様々な場面でリーダーとして活動してきた喜代子さんの「生きる方法」が見て取れるのだ。

 

そして、ここでもうひとつ確認しておきたいのは、この問いの繰り返しは、常に予定調和的に終わることが大切だということである。そう感じたのは、職員のちょっとしたいたずら心による一つのハプニングがきっかけだった。

 

あるとき、職員が、喜代子さんの関心をそらそうと、「あなた何町?」という問いに対して、「僕は、火星です」と答えた。喜代子さんは、この突拍子もない答えに対して、「えー」と大きな声を挙げて驚いたと思ったら、「やだー、この人はまったく愉快な人だねえ」と大笑いした。そして、笑いもおさまらないうちに、「で、あんた何町?」を繰り返したのである。

職員はちょっと拍子抜けしたようだったが、再び「火星です」と答えた。喜代子さんも再び「えー」。そして、「で、あんた何町?」。今度は、なんだか居心地の悪そうな、落ち着かない様子に見えた。

その様子を察した職員は、今度は「沼津です」と答えた。するといつもと同じように「沼津の何町?」と問答が続いていった。喜代子さんは何もなかったかのように、にこにことしていた。

 

認知症の方の「同じ問いの繰り返し」には、実は、「同じ答えの繰り返し」が求められているのではないだろうか。

喜代子さんの問いに対して相手が予定調和的に答える。そのやりとりによって、「うちに遊びにいらっしゃい」という、喜代子さんの「生きる方法」を象徴する言葉が導き出される。そしてそのやりとりが何度も繰り返されることによって、喜代子さんは、ショートステイという未知なる場所において自分の立ち位置を見つけ、ほんのひとときの安心感を確保できるのだろう。

 

予定調和を演じることによって安定が確保される、というのは、ある意味で民俗儀礼に似ている、と民俗学を専門にしてきた私は思う。

たとえば、年中行事の代表格である小正月の儀礼を例に考えてみよう。

日本には元日を祝う大正月と1月15日を祝う小正月の二つの正月があり、特に小正月は農耕に関連する儀礼が多く含まれている。「同じ問いの繰り返し」に関連して挙げたいのは、問答によって進められる「成り木責め」である。

成り木責めは、1月14日、もしくは15日に行われる。庭にある柿や栗などの実のなる木の幹を1人が鉈で叩きながら、「成るか成らぬか。成らねば伐るぞ」と脅し、成り木役のもう一人が「成り申す。成り申す」と答え、その年の実りが豊かであることを呪術的に確かめるのである。

 

この成り木責めでは、夫婦、もしくはその家の家長と子供などのペアで必ず儀礼がおこなわれ、夫や家長が問い、妻や子供が答える。そして、二人は互いに決められた問答を正確に演じなければならない。なぜなら、それによって初めてその年の実りが確保され、家族の安定した暮らしが保障されるからである。

もし、ふざけて子供が「成りません。成りません」などと答えたとしたら、それは実りの不作を起因することになり、新年という一年のなかで最も不安定で混沌とした時期に家族の安定が得られないことになってしまう。それは、農耕に頼った暮らしをしていたころには家族にとって決定的なダメージになったのだ。

ゆえに、民俗儀礼とは、常に決められたことが決められた通りに滞りなく全うされることが重要となる。予定調和が毎回毎回繰り返し確実に演じられることによって、人々の暮らしの安定が保障されてきたのである。

 

この民俗儀礼の特徴になぞらえてみれば、予定調和が演じられる認知症の方の「同じ問いの繰り返し」も、本人にとっては不安定で混沌とした場所において、「生きる方法」を確かにし、ひとときの安心を得るための儀礼的行為だということができるだろう。

 

追体験される悲しみ

 

だが、「同じ問いの繰り返し」は、安定や安心が確認されるばかりではない。それについて、最後に、先に挙げた岡田幸恵さんとの問答から見ておきたい。

 

送迎車の中での幸恵さんの言葉を改めて見てみよう。

幸恵さんは、自宅に近いところでは、どこが自分の家の土地なのかを繰り返し述べている。しかし、それは単なる自慢話ではなく、神奈川県の山村から、静岡県裾野市という、実家から遠く離れた土地の大地主の家に嫁いだ幸恵さんにとっての「生きる方法」だったのではないか。

すなわち、見知らぬ場所で見知らぬ人(彼女にとっては私たちはいつも初めて会う存在である)に対し不安な心持ちでいるときに、自分の立ち位置を確かにし、安定、安心を得るために、何よりも自分の嫁ぎ先の財力や権威を主張することが必要だったのだ。それが親戚も知人もおらず、習慣も異なる見知らぬ土地で、大地主の嫁として生き抜く幸恵さんの「生きる方法」だったのではないかと思う。

 

また、送迎車が施設に近づく頃に繰り返す、小田原高等女学校を出ていることをことさらに強調する言葉にも、自分が大地主の嫁にふさわしいことを示そうと腐心してきた幸恵さんの苦労をうかがい知ることができるように思う。

老人ホームという未知なる場所に赴くにあたって、いかに安定的な場所を確保し、安心感を得るのか、そのための儀礼として、毎回送迎車の中で幸恵さんは同じ問いを繰り返し、かつて培ってきた「生きる方法」を繰り返し確認しているのだろう。

 

だが、幸恵さんの「同じ問いの繰り返し」は寂しさのようなあるいは切なさのような、決してプラスではない感情を帯びているように感じられることがある。

たとえば、小田原高女のことを繰り返すとき、必ずついてくるのは、自分が小田原ではなく、金のつく山村、田舎の生まれであるという言葉である。しかも、そのことを小田原高女の友達にいつも笑われていたというエピソードも添えて。

 

別の機会に幸恵さんに小田原高女でのことを尋ねたことが何度かある。ところが、送迎車の中では小田原高女出身であることを繰り返していたのにもかかわらず、覚えていないと言ってあまり具体的な経験については幸恵さんの口からはほとんど聞くことができなかったし、そればかりでなく、そのときの友達とは裾野に嫁に来てからはほとんど会わなくなったと悲しそうにつぶやいていた。

実際のところはわからないし推測の域を出ないが、幸恵さんの話やその時の様子からは、高女時代の記憶は必ずしも楽しいものばかりではなかったのではないかと想像できる。もしかしたら幸恵さんは、子供時代貧しさでずいぶんと苦労したのかもしれない。それが、小田原高女出身だとか、嫁ぎ先の家の土地がどこだとか、そうした自分を権威づけることにより安定した場所を得るという「生きる方法」につながったのかもしれない。

 

送迎車の中での「同じ問いの繰り返し」によって、幸恵さんは自分の立ち位置と安心を得られるとともに、それが繰り返されるたびに、彼女のなかでは、悲しく切ない記憶をも呼び起されている、そう考えることができる。

実は、そのことは、「あんた何町?」から始まる「同じ問いの繰り返し」をする瀬名喜代子さんの場合にも言える。喜代子さんは、繰り返しの問答の最後を必ず「じゃあ、うちに遊びにいらっしゃい」で結ぶ。それは、地域のリーダー的存在として生きてきた彼女の「生きる方法」を象徴する言葉であったと私は述べた。

 

だが、「うちにいらっしゃい」という言葉は時にネガティブな感情をともなう辛い記憶に結びつくことがある。喜代子さんは、「うちには男の子が2人いるけど、大丈夫よね。女の子もいたんだけど、横浜に取られちゃったのよ」と会話を続けるのだ。

よく話を聞いてみると、喜代子さんには3人の子供がいたが、娘さんは、親の意に反した結婚をして横浜に嫁いでしまったようなのだ。その経験は、最愛の娘を無理やりもぎ取られたような痛みとして喜代子さんの心と体の深いところに刻み込まれている。

「本当にひどいのよ。こんなことがあっていいのかしら。私は大泣きしたわ。お父さんなんて、そのときから体がおかしくなっちゃったのよ」

 

普段はとても明るい喜代子さんが、そう涙ながらに私に訴えてくることさえあるのだ。

「同じ問いの繰り返し」は、安定や安心を確保する一方で、普段は心身の奥に眠っている悲しい記憶を呼び起こし、追体験することに結びついてしまうことがあるのである。

 

コインの裏表のように、ポジティブとネガティブな要素が表裏一体となり、それが時に反転するというのは、民俗儀礼の特徴でもある。先ほどの「成り木責め」も、実りの豊穣が呪術的に保障される一方で、鉈で木の幹を傷つけるという行為によって、木(自然)を傷つけ利用して生きているという人間がもつ原罪が目の前に突き付けられる、そういう儀礼である。

ただし、民俗儀礼の場合には、一年に一回、一か月に一回という決められた機会に行われるだけだが、認知症の方の「同じ問いの繰り返し」の儀礼は、毎日、そして数分おきに繰り返される、それが決定的に異なっている。彼らは、問答を繰り返すたびに、安定と不安定、安心と不安、喜びと悲しみの間を、さまよい、生きているのだ。 

 

(web第4回了)

【第8話】 母娘探偵は耳をすます 

 

[前回まで]

娘の真衣がパジャマと昼食を携えてやって来た。噂話の楽しみを共有できる娘の来訪に合わせたように、同室の太ったロシア人と老女ノジマさんに、それぞれ面会者がやってきた。相変わらずお腹のすく木川嘉子であるが、ここは腹より耳である。

 

いったん病室に戻り昼食をトレイごとラウンジに運んだ嘉子は、昼食を真衣と摂った。

1階の売店で牛丼を買ってきた真衣は、「塩分制限されててかわいそうにね」と笑いながら、わざと目の前で甘辛いタレの沁みたごはんをぱっくりと食べてみせた。もともと漬物のような塩辛いものが大好きな嘉子は心底悔しかったが、「薄味でもだしが効いてればおいしいのよ」と、あまり味のしないポテトサラダを頬張ってにっこり笑った。

 

嘉子は牛丼をひと口でいいから食べたいという欲望を紛らわすために、真衣に同室者3人の詳細なプロフィールを身振りを交えて伝えた。

目の前にいない人についてできるだけ相手の関心を惹きつけるように表現することは、カウンセラーにとって職業上必要なスキルである。その点で、どこか噺家に似ているかもしれない。しかし嘉子は、仕事を抜きにしてもそのことが大好きだった。いってみれば単なる噂話とおしゃべりにすぎないのだが、嘉子の人生からそれらをとり除いたら貧しいものになってしまうだろう。

 

家族でおしゃべりと噂話の楽しみをもっともよく共有してくれるのが真衣だった。嘉子の好きな言葉ではないが、ひょっとして遺伝? と考えてしまうほどだ。牛丼と紅ショウガを混ぜながらしだいに目を輝かせ、うなずきながら聞いていた真衣は、母親と同じ狭心症らしきロシア人女性に特に興味をもったようだ。

 

「すっごい美人かなあ、色は白いだろうし」

「ベッドがぎしぎし鳴ったからけっこう太ってるかもね。ロシアの女性って、30歳過ぎると太るっていうじゃない」

「ふ〜 ん、でも言葉も通じない日本でカテーテル検査受けるって不安だろうね。いずれロシアに帰るのかなあ」

「そうね……」

 

ロシア語の機関銃

 

きれいに完食したけれど、嘉子は腹七分目ほどの満腹感しか得られなかった。もっとガッツリ食べたいという欲望をなんとか抑え込みながら、食後の検温や血圧測定のために病室に戻ることにした。真衣の買ってきてくれた新しいパジャマにも早く着替えたかった。

 

並んで歩きながら、ナースステーションの前で真衣は軽くおじぎをした。

けっこう礼儀正しいんだ、つまり躾が行き届いているってこと? 嘉子は娘を誉めるより親として自己満足に浸っている。真衣はそんな母親のうぬぼれに気づくはずもなく、重そうなトートバッグを下げて病室に入った。午後いっぱい嘉子のベッドサイドで資格試験の勉強をするための参考書が3冊入っているのだ。

 

病室では、午前中の静寂とは打って変わったように、にぎやかな人の声が行き交っている。

高いびきでずっと眠っていたロシア人の女性は、意外と低い声で同国の友人らしき面会者とさかんに話していた。

まるで4〜 5人いるのではないかと思うほどの音量だったので、嘉子はカーテンの下を覗いて網目越しに足の数をかぞえてみた。足はたった4本、つまり面会者は2人しかいないことがわかった。

そのうち、ひとりの女性はおおっぴらに携帯電話をかけてロシア語でまくしたて始めた。理解できない言語の洪水に席巻された嘉子の病室は、妙な異国情緒に包まれていた。

 

そんななかで、最後の晩餐の静さんは相変わらずカーテンを閉め切ったまま、隣のベッドの喧騒とは無縁であるかのようにひっそりと閉じこもっている。

ノジマさんも機関銃のようなロシア語に気圧されたのか、隣のベッドで沈黙していた。

カーテンを閉めてベッド脇の椅子に腰かけた真衣は、目を丸くしながら小声で「すごいね」とささやいた。

「勉強、できそう?」「たぶんね」

二人は顔を見合わせて、やれやれという表情をした。

 

カーテン越しの母娘二組

 

真衣の買ってくれたグレーのパジャマに着替えた嘉子は、ベッドに横になり週刊誌を読みはじめた。何冊か選んで持ってきたハードカバーの本にはまったく食指が動かない。

真衣はベッド脇の椅子に座って、参考書にマーカーで線を引いている。

ほとばしるように語られるロシア語は、時間とともに少しずつ耳への心地よい刺激に変化していった。いつのまにか眠気に襲われた嘉子は、週刊誌を閉じて窓の外の空を見つめウトウトとした。

 

時計が午後2時をまわったころ、ロシア人の一行は潮が引くように居なくなった。突然訪れた静寂に、かえって落ち着かないものを感じた嘉子は眠気がさめてしまったが、真衣は相変わらず参考書を読んでいる。

「静かになったね」

小声でささやくと、真衣は勉強の邪魔をしないでという表情で嘉子をにらんだ。

「ごめん、ごめん。さぁ、昼寝しようっと」

 

窓と反対側に体の向きを変え、嘉子は本格的に眠ろうと目を閉じた。

そのとき、突然隣のベッドからノジマさんの声がした。

 

「アキコ〜 、遅かったじゃないかぁ」

 

しゃがれてはいるが、少し甲高い声で話しかけている。一瞬参考書から顔を上げた真衣と目が合った。同時にうなずき合った二人の推測は一致していた。きっと昨日病院に付き添ってきた娘のアキコさんが面会に来たのだ。

嘉子の聴覚は一気に研ぎ澄まされ、真衣も目だけは参考書に向いているが全神経は隣のベッドに向けられている。こちら側の母娘の関心は、カーテン越しの隣の母娘に集中しはじめた。

 

「はいはい、お待たせ〜 

 

アキコさんの声には抑揚がない。少し淀んだような話し方からは何の意欲も伝わってこない。カーテン1枚隔てた向こうで、母からアキコと呼ばれる女性がいったいどのような表情をしているのかがありありと想像できる気がした。たぶん無表情なままで返事をし、母親と目を合わせることもないのだろう。

 

馬鹿丁寧な口調のヒミツ

 

「いったい何時に出てきたのさ」

「お昼ですよ、ごはんを食べてからです」

「あのさ、先生はさ、もう少し入院しなさいって言うんだよ」

「はいはい、そうですか、先生のいうことを聞いてください」

 

ノジマさんの息せき切った話に対し、娘はゆっくり応答している。母のテンポに巻き込まれることのない娘の馬鹿丁寧な口調は、母との距離を保つために使用されている。嘉子はそう思った。

カウンセリングでは、クライエントに対して「丁寧な口調でゆっくり話しましょう。敬語やあいさつをちゃんと使いましょう。そうすれば距離ができますから」と説明することが多い。

摂食障害の娘から攻撃される母、引きこもりの息子から怒鳴られ殴られている母に、まず伝える必要があるのがこの点である。受け入れて理解しましょう、といった提案は一切しない。だから嘉子は、アキコさんの口調とテンポから、母親と距離をとりたいという姿勢を強く感じたのだ。

しかし大きな相違点は、アキコさんの声から漂ってくる何ともいえないけだるさだった。もう辟易している、これ以上かかわりたくはない、飽き飽きしている……「はいはい」という前振りを聞くたびに、そんな思いがカーテンを越えて伝わってくるのだった。

 

「マルジューにも行かなくっちゃなんないし、そうだろ」

「いえ、お母様には買い物は頼みませんよ」

「今度は転ばないように気をつけなきゃ、あ〜 あ、えらい目に遭っちまった」

「お母様、転んだのはおうちでしょ?」

「違うよ、何言ってんだい。マルジューにトイレットペーパー買いに行ったからじゃないか」

「いいですか、何度も言いませんから! お母様は2階から階段を下りる途中で転げ落ちたんです。わかりました?」

 

アキコさんは、「おかあさまは にかいから かいだんを……」から最後までを異様にゆっくりと語った。それも声を一段と低くして。

その怒気をはらんだ強い口調に気圧されたのか、ノジマさんはしばらく黙った。

嘉子と真衣はカーテン越しの母娘劇場にすっかり耳を奪われ、今後の展開にハラハラしていた。

娘の機嫌を考えて、ノジマさんは話題を変えようとしたのだろうか。まるで秘密を告げるように声をひそめた。

 

「あのさ、アキコ、同じ部屋にロシア人がいるんだよ」

「えっ、そんなはずはありませんよ。ここは日本ですよ」

「だって、ロシア人がいるんだよ、話してんの聞いたんだから」

「はいはい、わかりました。そうなんですか、ロシア人ね」

 

まったく信用しないアキコさんの口ぶりを聞いていると、「はいはい」という相槌に嘉子はいら立ちを覚えるようになった。

ノジマさんは、カーテン越しに会話をじっと聞きながら、ななめ向かいのベッドの女性がロシア人であると理解したのだ。そして、それをニュースとして娘のアキコさんが面会に来たら報告しようと準備していたのだろう。

話しながらアキコさんがベッドまわりの整理をする音が聞こえてくる。紙を丸めて捨てる音、洗濯物を袋にしまう音、ロッカーの扉を開閉する音。おそらくアキコさんはノジマさんに丁寧語で相槌を打ちながらベッドの周辺の整理をしているのだ。いやそちらのほうが主たる目的なのかもしれない。

 

マルジュー的世界に息を呑む

 

「ところでさ、マルジューのいつもの月曜特売はチラシ入ったのかい」

「いいですか、マルジューには行ってません。だから、わかりません。」

「そうかい」

4秒ほど沈黙してからノジマさんはまた尋ねた。

「マルジューのトイレットペーパーは特売になったのかい、今度は転ばないようにしなきゃ」

 

一瞬アキコさんが息を呑む気配がした。それは怒りを抑えるために必要だったのだろうか。アキコさんは否定も肯定もせず、沈黙したままベッドまわりの整理をを続けていた。

ノジマさんの世界はマルジューというスーパーを中心に回っている。そこに買い物に行くことが彼女の日常を支える唯一の確かな行為なのだろう。次の特売日が何より大切な未来なのだ。

どれだけアキコさんが否定しようと、ノジマさんはマルジューにトイレットぺ―パーを買いに行く途中にころんで顔を打ったのだ。

嘉子は、そしておそらく傍らで聞いている真衣も、ノジマさんという老人の生きている世界の一端を、カーテン越しの会話から知ることができた。

 

気がつくとアキコさんの気配が消えていた。音もなくいつのまにか隣のベッドサイドからいなくなってしまった。

「逃げたんじゃない、それにしても黙っていなくなるなんて」

真衣がぼそっと小声でつぶやいた。

それからしばらくして、ノジマさんの混乱が始まった。

 

あのね、薬じゃないの

 

「アキコは? アキコ〜 

ノジマさんは娘を呼んだ。それでも返事がないと知ってナースコールのボタンを押した。

パタパタという音をたてて駆けつけたナースはノジマさんに聞いた。

 

「ノジマさん、どうされました?」

「アキコは? アキコはどこにいったの?」

「アキコさんって娘さんのことですよね」

「アキコはどこにいったの?」

「アキコさんはお帰りになったと思いますよ」

「そうなの、アキコ、帰ったの」

「じゃ、戻りますね。よろしいですね」

「はいはい、ご迷惑おかけしました」

 

ノジマさんはていねいにお礼を言い、パタパタと音をたててナースは戻っていった。

わずか5分ほど沈黙ののち、ノジマさんは再びナースコールを押した。

パタパタと走ってきたナースはノジマさんに聞いた。先ほどと同じ言葉だ。

 

「ノジマさん、こんどはどうされました?」

「アキコは? アキコはどこにいったの?」

 

ナースは淡々と同じ口調でさきほどと同じ内容を繰り返した。落ち着いた口調は見事なほど変わらない。そして同じようにパタパタという音を立ててナースは戻っていった。

今度はどれくらいもつのだろうとドキドキして聞いていると、3分後には予想通りノジマさんはナースコールのボタンを押した。

パタパタと走ってきたナースは尋ねた。

 

「ノジマさん、こんどはどうされました?」

「あのね、痛いの、とっても痛いの」

「どこが痛いのですか?」「ここ、ほらここ」

「ここですか」「う〜 ん、違う、ほらここ」

「ここですね、ああ、ちょっと赤くなってますね。じゃ、お薬塗っておきますね、ちょっとお待ちください」

 

立ち去ろうとするナースを引き留めるようにノジマサンは言った。

「あのね、薬じゃないの、そこさすってくれない? 痛いの、とっても」

「ここですね、わかりました。じゃさすってみますね」

皮膚をさするひそやかな音がする。体のどこかはわからないが、さすられて気持ちよさそうにしているノジマさんの顔が目に浮かぶようだ。

「どうですか? まだ痛みますか?」

「ありがとうございました、お世話になりましたでございます」

 

丁寧な言葉でお礼を言ったノジマさんは、やっと娘がいなくなったことから解放されたようだ。

嘉子母娘は、すぐ隣のベッドで起きたノジマさんの娘失踪事件、その後のナースコール連発を実況中継で聞いていたような気分に襲われた。あまりに生々しかったので、息抜きをして真衣と総括をしなければと嘉子は考えた。

その思いが伝わったように、真衣もうなずいている。

一言も発することなく、まるでアキコさんのように二人はそっとベッドを離れ、ロビーへと脱出した。

 

(第8回了)

お酒についてのお話

 

前回はお餅についてでしたが、今日はもう1つの太る原因「お酒(アルコール)」です。ビール、日本酒、焼酎…いろんなお酒を目にしますよね。お酒には好みもありますし、料理によって合う合わないなどもありますが、エネルギーで考えてみるとどうなんでしょうか?

 

お酒で太るのではなく、おつまみで太ると聞くこともありますが、それは間違いです。アルコール自体は肝臓で分解されるので問題ありませんが、飲み過ぎるとアルコールが肝臓で分解される中性脂肪が合成されるのです。そのため、中性脂肪値が増えるので太っているのと同じ状態になってしまいます。そこに揚げ物や甘いものを食べると中性脂肪値が一気に上昇し、火に油を注ぐような状態になります。

 

中性脂肪を下げるためには…

 

1.食物繊維を摂りましょう

温野菜、海藻(わかめ、こんぶ、ひじきなど)、こんにゃく、きのこなどの食物繊維が豊富な食品を摂るように心がけましょう。

たとえば、温野菜サラダ、海藻サラダ、煮物、きのこのソテー、ひじきの煮物が挙げられます。

 

2.青魚を食べましょう

魚のEPA、DHAは肝臓で中性脂肪を合成するのを抑制したり、血液中に中性脂肪が流れ込むのを抑えます。

たとえば、さんまの塩焼き、サバの味噌漬け、〆さば、イワシの酢の物が挙げられます。

 

また、タンパク質は肝機能をUPしてくれます。お酒を飲む際に脂っこいものはなるべく避けた方が良いので、脂身の少ない肉(ヒレ肉やささみなど)や魚(青魚や白身の魚)、大豆製品(五目煮豆)、しじみ汁、いかのげそなどが適しています。 

 

こんなのもあります

 

日頃からコーヒーをよく飲む方にお勧め出来る1品があります。「コーヒー豆マンノオリゴ糖」入りのコーヒー、「ブレンディプラス」。コーヒー豆マンノオリゴ糖とは、ドリップした後のコーヒーから抽出・精製した成分で、整腸機能はもちろん、摂る量によって体脂肪低減効果があります。

 

ただし、本当は身体の中に、入れないことが、正月太り防止に一番効果的なので、食べ過ぎ・飲み過ぎに注意して食べ方を工夫することで健康的にお過ごし下さい。 

共感は可能か(2) 疲弊しないための語りのコツ

 

第6回 共感は可能か(1) よりつづく

 
 
前回から共感をテーマにお話していますが、もうひとつ、共感について考えなくてはならないことは、そのプロセスの中で医療者が疲弊してしまうことがあるという側面です。
 
 
医療者として「共感」することをスキルとして教育されてきた人は、かなり暴力的な患者さん相手でも、それこそ受容、共感しようとしてしまう。キャリアのある人であれば一定の距離を置くことができても、経験が浅いとどうしても、患者さんの感情の奔流に巻き込まれてしまうことがあります。
 
 
そういうときの基本的な対処としては、そうした体験を「人に話す」ということがありますね。同僚や指導者や上司に自らの体験を話し、それこそ共感してもらうというのは、疲弊しないための方法としては、唯一といっていいくらい有効なものです。
 
 
「人に話す」なんてあまりにも当たり前過ぎるように感じるかもしれません。しかし実は、有効なときと、ぜんぜん有効でないときがあることには、注意が必要です。「言ったら気が晴れるよ」っていうような単純なものではなく、ちょっとしたコツがある。それをつかんでいるかいないかで、ずいぶん成功率は違うように思います。
 
 
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あっさり、淡々と話す
 
 
それは、わりに「あっさり、淡々と話す」ということです。信頼している相手に、「聞いてくださいよ、こういうことがあってね。それで……」と長時間話したほうが、いろんなものを吐き出せそうに思うんですが、そういうべったりとした感情の吐露って、往々にして効果が薄い。むしろ、話のなかでふっと漏れ出た言葉に対して、相手が「そういうことあるよね」とうなづいてくれる、それくらいの軽快さのほうが、効果が高いんです。
 
 
実はこれはちょっと入り組んで、複雑な話です。つまり、「こんなことあったんですよ、聞いてください」という構えから話してしまうと、私達はその時点で少し、自分に嘘をついているんです。自分の感情を、相手にわからせるための物語を作って、それを話している。でも、その物語は往々にして、自分の内側のドロドロとした感情を隠すために機能してしまうんです。
 
 
その典型例が「苦労話」ですよね。「私の若い頃、こういうことがあってね」という語りって、一見すごくいい話に聞こえるんだけど、実は、その人の本音、心の部分を巧妙に隠すように作られている。できあがった「お話」なんです。
 
 
依存の構造
 
 
じゃあ、それは何のために作ったかというと、相手に依存したいがためです。苦労話をして、相手が共感して、自分を救ってくれないかという期待が、そういう物語を作らせる。しかしながら、その物語は、その人の本当の苦しみを巧妙に隠してしまう。そんな二重構造を、人間の心は自然とつくってしまうんです。
 
 
だから、人は依存心を起こせば起こすほど、依存できなくなってしまう。結果的に、話を聞いている相手も辟易としてくるし、そんな話を繰り返す自分も自己嫌悪に陥るという悪循環が生じる。
 
 
心って意外と自律的に動いているので、自分の意思で開いたり閉じたりコントロールできるものではありません。だから、話せば話すほど心が閉じて、相手に伝わらなくなり、10分で済む話が3時間になって、それでも伝わらなくて結局は相手との関係性を壊す、ということになりかねない。依存するための物語が、相手に依存しない(できない)方向に働いてしまうんです。

レシピNo.006 おから団子 
 

 

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対応

嚥下困難、食欲不振、噛むことが難しい方

 

レシピの背景
嚥下には障害はない患者さんでしたが、口が動きにくくて噛むのが難しいと言われるので、舌で潰せるくらいの軟らかさのメニューを考えました。

 

管理栄養士との関わり
患者さんは看護師から食事介助を受けていたが、そのことをとても申し訳なく感じておられました。食事時間を少しでも短縮できたらという希望もあったので、食べやすい形のメニューを検討しました。


初めにすべてをミキサーにかけたものを出したところ、ペースト状になった食事をみて「病気が悪くなったからこんな食事になったのではないか」と不安に思われました。そこでゼリー状にして提供しましたが、それも食べにくいと言われました。さまざまな食材を使用し、歯茎で噛めるくらいのふわふわのムース状、見た目の良いペースト状にして提供するよう工夫を重ねました。

 

レシピ紹介( 3人分)
一人当たりエネルギー107kcal、たんぱく質3.4g、塩分0.6g
<材料> 
おから     30g
鶏ミンチ肉   15g
玉葱       30g
人参      15g
サラダ油         小さじ1杯
しょう油    小さじ1杯
塩       0.5g

みりん     3cc

豆腐      30g
鶏卵      15g
長いも     60g
揚げ油      適宜
だし汁             60cc
しょう油、みりん、塩  各適宜

片栗粉          小さじ2杯

 

<作り方>

(1) 玉葱、人参はみじん切りにする。

(2) 豆腐はさっと茹でて水切りする。長芋はすりおろし、卵は溶いておく。
(3) 鶏ミンチ肉を炒め、(1)とおからを加え調味料で煮る。
(4) (2)と(3)をよく混ぜ合わせて、スプーンで団子状にすくい、油で揚げる。
(5) だし汁をしょう油、みりん、塩で味を整え片栗粉でトロミをつけ団子にかける。

 

患者さんの反応
形のあるものは食べにくく、ミキサーにかけてペースト状になったものは好きではないという患者さんでした。おからを用いた柔らかい食感の団子は、目先も変わり、食欲も増したようでとてもうれしそうに食べてもらえました。

さて、「水」のお話に移ります。「気」・「血」では、うまく体をめぐっていかず滞りが生じる場合(気鬱・瘀血)と、量が不足する場合(気虚・血虚)の2通りの異常が論じられるのですが、「水」のときは、滞りの生じる「水滞」というパターンに対し、量が不足するパターンを現す概念がどういうわけか見当たりません。

 

中国医学では、「津液不足」という概念があって、組織の乾燥や全身の脱水症状を指すのですが、そもそも中国では気血と「津液」を少し別に考えているようなところがあり、日本漢方の「水」と中国でいう「津液」を同じと考えていいかどうか、やや議論が分かれるところがあります。ひょっとすると、日本は雨が多く、水に恵まれた風土であるために、水分不足はあまり問題にならなかったのかもしれません。粘膜や皮膚の乾燥に関しては、「血虚」に属すると考えますし、熱射病での脱水症状は、後述する「陽明病」の項で記載されることが多いです。

 

「水滞」の原因は日本人の胃腸にアリ?

 

反面、日本人は「水滞」にはずいぶん悩まされた民族といえそうです。水が滞ってダメージを受けやすい代表的なからだの場所のひとつが、胃腸です。脂っこい中華料理や、肉食の多い欧米料理にくらべ、日本料理はカロリーが少なく、ヘルシーな印象がありますが、私は、日本人の胃腸がそういう料理しか受け付けなかったからではないか?と思っています。

 

「水滞」と胃腸の関係については、江戸時代の医師、百々漢陰(1774?1839)が面白い譬えを使って説明しています。「人間の胃腸は、台所のシンクのようなものだ。いつも水を流さざるを得ないところだけれども、出来るだけ乾燥させておかなければ、カビや錆が生じてしまう。胃腸も水分や食物を受け入れる器官だが、できるだけ水分がたまらないように、乾くようにしないと傷んでしまう」

 

「水滞」の症状とは…

 

胃腸に水が溜まるとどんな症状になるかというと、みなさん経験があるかもしれませんが、二日酔いの症状を思い浮かべていただくといいと思います。頭痛がして吐き気がひどく、吐くんだけれども、のどが渇いて…といった症状です。こんどそういう症状が出たら、横になってみぞおちのあたりを軽く叩いてみてください。そうすると、ポチャポチャと水が溜まっているような音がするはずです。外来でも、「胃が悪いんです」と言う患者さんのおなかを診察してみると、こういう音が聞こえることは多いです。

 

西洋医学的には、二日酔いの症状を、アルコールの代謝産物によるアセトアルデヒドの中毒症状と考え、血中濃度を下げるべく、大量の点滴をおこない、アセトアルデヒドが尿から排出されるのを待つのが治療になるのですが、漢方では、酒の毒によって、胃腸の働きが落ちて、水分が吸収できない状態と考えます。一方、からだの中は、水分が吸収できず、アルコールによる利尿作用も相まって、脱水状態です。そこで脳は、水が足りない、水を飲むように、と命令を発するのでのどが渇くわけですが、ここで水を飲むと、胃腸にさらに負担がかかってしまい、水分の大渋滞が起こってしまいます。そして、限度を超えると吐いてしまうわけです。

 

次回はこんな二日酔いのときに処方する薬について述べていきます。 

 第6回 上半身の連動性を高める(2)

 

前回とは違ったエクササイズで、背中と腕の連動を高めてみましょう。

 

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上半身の連動性を高めるエクササイズ

(1) 胸の前で手を組み、胸を張り、背筋を伸ばします。肩甲骨はやや中心寄りです。
(2)―(3) 腕を伸ばしていくにつれて、自然と胸がくぼみ、肩甲骨が左右に離れます。

(4)―(6) 胸を張り、背筋を伸ばしながら、腕を戻していきます。

 

これを繰り返します。

 

下半身の動きは、この段階ではさほど意識していただく必要はありませんが、がちっと踏みしめて、足元を固めてしまわないように気をつけます。上半身の動きに連動して動くようであれば、その動きに任せましょう。

 

日常の動きのなかで腕の曲げ伸ばしをする際、ほとんどの方が腕だけで曲げ伸ばし運動を行っています。ここでは、背中と腕とを連動させることによって、腕の曲げ伸ばしをしてみます。

 

今回のポイントは「背中から動かした結果として腕が伸びる(曲げる)」ということを意識することです。(3)のように、普通なら腕だけが伸びるところで、背中が丸まりつつ、それと連動するように腕が伸びる動作となっています。また、もとの姿勢に戻る際も、背筋を伸ばす動きに連動して肘が曲がり、胸の前に引きよせられています。

 

肩甲骨がポイント!

 

背中の動きでポイントとなるのは、今回も肩甲骨です。この動きを背中側からみると、腕を伸ばす時、肩甲骨は左右に広がり、腕を戻す時には肩甲骨は背中の中央に寄っています。つまり、肩甲骨を意識して動かすことで、背中と腕とが連動して動くようになるのです。

 

背筋力に代表されるように、背中の筋力は非常に大きな力を出すことができます。背中を使わずに腕だけで曲げ伸ばしをする運動ばかりに頼っていると、背中が硬くなってしまい,せっかくの大きな力が腕まで伝わりにくくなってしまします。

 

このエクササイズで肩こりが緩和されたという人が少なからずいらっしゃいます。それはおそらく、普段からあまりにも背中の筋肉を活用しない生活を送っていたからでしょう。いわば、ちょっとした廃用症候群に陥っていたというわけです。

 


講座などでこの動きを紹介すると、「この動きは何回くらい行なえばいいですか」と聞かれることがあります。私は1日10回でも十分だと思っていますが、漠然と形だけを真似しても何の効果も得られません。しっかりと背中から腕を動かすことを意識して行なうことで,はじめて効果が得られます。量より質、ということを肝に銘じてください。

血止めの漢方、ちょっと補足―芎帰膠艾湯

 

前回まで「血」のお話をしました。大黄の血止めの作用のお話で終わったので、「水」のお話に行く前に、「血止め」の漢方についてもう少し補足しておきます。

 

前回の三黄瀉心湯(さのうしゃしんとう)の止血効果は、体力のある人や強い炎症を伴っている場合により適しますし、大黄は下剤としての作用もあるので、便秘気味のほうが使いやすいです。イメージとしては、赤ら顔で太って高血圧の人が、鼻血が止まらないとおっしゃっていらっしゃるような場合が典型的です。

 

しかし、痩せ型で冷え症で、便秘も無く、でも生理や出産後の出血が多くて困っている…というような場合は、また違うお薬が漢方にはあります。芎帰膠艾湯(きゅうききょうがいとう)という薬です。この薬の止血効果は、阿膠(あきょう)と艾葉(がいよう)という生薬に由来するとされます。

 

阿膠はロバの皮から取れるニカワ、すなわち「コラーゲン」です。コラーゲンというと、みなさんは美容でお肌がツルツルになるとか、化粧品・サプリメントの類を連想されるかもしれませんが、体の組織と組織をつなぐ“糊”のような働きをする、大切な物質です。皮膚や粘膜以外にも、骨や軟骨、靭帯といった組織に含まれ、体を建物にたとえれば、セメントや漆喰のような役割でしょうか。

 

艾葉はヨモギの葉っぱです。艾は訓読みすると、「もぐさ」つまりお灸で火をつける綿のようなもののことです。もぐさは、ヨモギの葉の表面に細かい毛がたくさん生えていて、その毛を集めたものですが、薬として使うときは葉を丸ごと使います。昔から、切り傷にヨモギの葉を揉んで貼り付けておくとよく治ることが知られていますが、これはヨモギの止血効果を利用したものと思われます。

 

芎帰膠艾湯は、ヨモギで血を止め、阿膠で損傷した組織をくっつけて、しかも前回お話しした補血薬の代表選手、四物湯が丸ごと配合されていて、失った血を回復させる、という組み立てになっているのです。また、阿膠そのものにも、補血の作用があるといわれています。

 

胃腸にもたれやすい漢方、そんなとき―帰脾湯

 

このように、非常にうまく設計されている芎帰膠艾湯にも、欠点があります。前回お話しした通り、補血薬、特に地黄は胃腸にもたれやすい傾向があります。しかも、阿膠や艾葉も同じように胃腸に負担がかかりやすい傾向があるため、芎帰膠艾湯は胃腸が弱っている患者さんには使いにくい薬です。

 

では、胃腸が弱って出血しやすい人には、どうしたらよいでしょうか?漢方はこんなときにも選択肢を用意しています。帰脾湯(きひとう)という薬です。漢方でいう「脾」とは、西洋医学や解剖学で出てくるspleenのことではなく、消化器系全般を指しています。いま一般的に使われている漢方薬は大部分が経口薬ですから、消化器系の働きが良くないと、薬も十分吸収されないので、治療が難渋する場合は、遠回りなように見えても、まず消化器系に狙いを絞って治療することもあります。帰脾湯のネーミングには、治療に行き詰まったら「脾に帰って」戦略を練り直す、そんな意味が込められているのかもしれません。

 

漢方の古典によれば、胃腸が弱って出血しやすい人の特徴に、精神的に不安定になる、夜眠れなくなる、という特徴があると書かれています。貧血が強くなってくると、心臓の一回当たりの拍出量が減ってきます。そうすると、心臓はそれを回数でカバーしようとして、心拍数が増え、それが動悸につながります。動悸がすると、人は結構不安になってしまうものです。皆さんも、寝るときに耳の近くで血管が脈打つ音が気になり、眠れなくなった経験があると思いますが、特に夜間の動悸は不眠につながります。

 

私が研修医の時に、非常に強い不眠の症状を訴えている白血病の末期の患者さんを受け持ったことがあります。自分の病状を悲観してそのような不眠に陥っているのだろう、と思わなくもなかったのですが、私は思いついて帰脾湯をお出ししてみました。すると、患者さんはよく眠れるようになった、と大変感謝してくださいました。

 

帰脾湯は、人参や黄耆、大棗といった、胃腸の働きを調える補気薬が入っていて、補血薬は当帰が入っていますが、胃腸にもたれやすい地黄は入っていません。また、酸棗仁・竜眼肉といった、亢ぶった神経を鎮める薬が入っていて、これが不眠に効果を表します。一見、血を止める成分が全く見当たらないように思えるのですが、漢方には、脾が血をまとまりのあるものにする、という考え方があり、脾が衰えると血が凝固しにくくなる(脾不統血)といわれています。西洋医学では、肝硬変になると凝固因子が不足して出血しやすくなるということが常識ですが、肝臓を広く消化器系の一部と考えると、ややイメージしやすいかもしれません。帰脾湯は、肝硬変の出血に必ずしも使われる機会が多いとは言えませんが、脾不統血を適応とする薬です。肝や脾といった臓器別の漢方については、また稿を改めて解説したいと思います。 

History Taking【問診】 

 

かんかん!では、『助産雑誌』1月号からスタートした連載「現場で即使える! 助産師のための英会話」と連動して、各回のスキットの音声を掲載します。妊娠・出産の場面でよく使われる用語を集めた音声へのリンクも掲載していますので、合わせてチェックしてみてください! 
 

第2回は、産婦人科の外来で問診を受けている外国人の妊婦さんと助産師との会話です。 


日本とは文化や習慣が異なることも多いため,実際の生活状況や,妊娠出産への捉え方をていねいに聞き取り,対応することが重要です。すべてのアセスメントの土台となる問診に使うフレーズを,スキットで学習していきましょう。

 

Sceneの音声はこちら

 

Glossaryの音声はこちら

 

チェックシートの音声はこちら

 

Scene


Midwife:Ms. Thomas, is this your first pregnancy?


Ms. Thomas:Yes, it is.
 

Midwife:Have you ever had an abortion or miscarriage?
 

Ms. Thomas:No.


Midwife:Have you or any of your family members ever had any serious illnesses?


Ms. Thomas:My mother is diabetic and gives herself insulin injections.
 

Midwife:I see. Are you diabetic, too?
 

Ms. Thomas:No, I’m not. 
 

お餅を食べるときに

 

季節は真逆ですが、お正月といえばお節やお雑煮がつきもの。私はお餅が大好きで、冬になると良く食べてしまいます。ところで、お正月に太る原因でよく耳にするものは「お餅」と「お酒」。本当に「お餅」と「お酒」は太るのでしょうか?ここではお餅について考えてみましょう。

 

お餅は手軽に食べられて、少量で沢山の糖質が取れるので、アスリートのエネルギー補給には非常に適している食品です。しかし、逆にエネルギー消費が少ない人にとっては、食べ過ぎに注意が必要。

 

お餅は炭水化物なので納豆や豚肉のように炭水化物の代謝に必要なビタミンB1が豊富な食材と一緒に食べたり、大根おろしのようにデンプン分解酵素が入っている食材と一緒に食べるなどの工夫をすると食べ過ぎ防止、消化不良防止になります。 下のレシピも参考にしてください。

 

かんたんレシピ!

 

野菜たっぷり雑煮(2人分:1人分のエネルギー196kcal)

<材料>

  • だし汁 400ml
  • お餅 2個
  • 大根 2cm
  • 人参 2cm
  • 三つ葉 適宜
  • 蓮根 1cm
  • 椎茸 2枚
  • 鶏もも肉 60g

 

<作り方>

  1. 大根、人参を短冊に切る
  2. 蓮根は食べやすい大きさにイチョウ切りにする
  3. 椎茸はかざり切りをする
  4. 鶏肉は一口大に切る
  5. お餅はお好みで表面を焼く
  6. だし汁に三つ葉以外の野菜とお餅を入れて煮る
  7. 最後に三つ葉をちらして出来上がり

 

お汁粉よりもエネルギーが低く、食物繊維のある野菜と一緒に摂ることで消化を助けます。

 

納豆大根もち(1人分:エネルギー357kcal)

<材料>

  • お餅 2個
  • 納豆 1パック
  • 大根おろし 20g
  • 焼き海苔 適宜
  • しょうゆ 10g

 

<作り方>

  1. お餅を焼く
  2. 納豆と大根おろしを合わせて混ぜる
  3. 2にしょうゆを入れて混ぜ、1を絡める
  4. 3を海苔で巻いて出来上がり

 

アミラーゼ分解酵素のある大根とタンパク質を一緒に摂ることで、食事としてバランスよくお餅を食べることができます。

 

餅ピザ(1人分:343kcal)

<材料>

  • 切り餅 1個(または薄切り餅)
  • 餃子の皮 5枚
  • 大根 10g
  • 玉ねぎ 10g
  • ピーマン 10g
  • スライスチーズ 2枚
  • 紅しょうが・海苔 適宜
  • しょうゆ 適宜

 

<作り方>

  1. お餅を薄く切る
  2. フライパンに油をしいて軽く加熱する
  3. 餃子の皮、1の餅、玉ねぎ、大根、ピーマンの順で乗せて火が通るまで焼く
  4. 火が通ったらチーズを乗せてとろ?っとするまで待ち、お皿に移して紅しょうが・海苔をお好みで盛り付ける
  5. 食べるときに味をみてしょうゆをつけてもOK

 

薄く切ることで食べ過ぎを防止し、大根を入れることで消化を助けます。 

 

共感は可能か(1)

 

心は言語化以前のエネルギー

 

心のことを考えるうえでひとつ、大事なことがあります。それは「心は自分ではない」ということです。「心」とか「感情」という言葉で僕らがイメージすることはいろいろあります。腹が立ったり、大好きだったり、落ち込んだり……。でも、それらは明らかに、意識化され、言語化されたもので、人間存在の本質からは、ちょっと離れているんです。


前回の原子炉のたとえでいえば、核融合のもたらすエネルギーの本質って、もっと潜在的な、言語化以前の衝動のようなものです。もはや感情とは呼べないような暗さとか、どんよりしたもの、胸がムカムカするような感じといった、すごくあいまいで、範囲の広い物を僕らは心の中に抱えている。そう考えたほうが、現実に近いのではないでしょうか。


そういうふうに心を捉えたとき、僕は医療においてよく主張される「共感」という言葉に違和感を覚えます。もちろん、すばらしい実践を行い、その内容を共感という言葉に込めた先人の取り組みを否定するわけではありません。しかし、現状においてはこの言葉がミスリードしてしまっている側面は強いんじゃないかな、と思うんです。

 

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作為的な共感の限界

 

まず、共感という言葉自体、どうしても作為的な印象を与えますよね。つまり、「共感してあげる」「共感せねばならない」みたいな作為が、どうしてもくっついてくる。これは現場の実践を言語化していくときには避けられない問題なんですが、共感ってそのなかでも特に「must」「should」がつきやすい言葉だと思います。

 

抽象的に感じられるかもしれませんが、これは実は、すごく実践的な話なんです。というのは、そういう「○○せねばならない」という意識のなかで行われる共感は、どうしても自分が作った妄想とか、ある種の鋳型に相手の心を押し込めるようなものになりがちだからです。


そういう意味では、僕は「感応」という言葉のほうを好みます。この言葉のほうが、少なくとも現状では、作為が入りにくいから。正しいかどうかよりも、より安定した、より自然な、より実感がある、より居心地のいい、持続性のある「共感」というのは、相手の気持ちに感応する、というところがベースに置くべきだと思います。

 


もう少し具体的にいえば、感応とは、相手とのコミュニケーションが盛り上がって、互いの気持ちが通じ合ったというある種の興奮状態の中にいるときよりも、それらがいったん落ち着いて、静かな心になったところへ湧き上がってくる感覚のことです。こちらを大事にしたい。

 

もちろん、そういう静かな気持ちのなかで湧き上がってくるもののなかにも、思い込みや固定観念は混じってきますが、比較的、危険性は少ないんじゃないかと思います。

 

そのように感応することができたときには、もしかすると、相手との新しい、ポジティヴな関係性が開けてくるかもしれません。でも、これはあくまでも「もしかしたら」です。見返りを期待してはいけない。

 

共感という言葉に抵抗を覚える最大の理由がここにあります。共感という言葉は、どうしても医療者の側に利益、見返りを求める気持ちが生じがちです。相手の話に耳を傾けることで、「この人、これで薬飲んでくれるかなあ」とか、「こんだけ時間かけて話を聞いて、なんにも変わらんかったらたまらんなあ」という気持ちを、どうしても持ってしまう。

 


でも、人間というのは、相手にわかってもらいたい、一体となりたいと思いつつ、もう一方では自由を求めます。だから、そういうコントロール願望を載せた共感というのは、短期的にはうまくいっても、長い目でみると必ずしっぺ返しを食らいます。

 

触媒としてのかかわり

 

生命は海から生まれたということは定説ですが、海は人を拒絶します。母なる海と一体になろうとしても、溺れるのがオチですね。共感の問題でも同じことが言えて、わかりあいたい、一体になりたい、と思うだけれど、それに対するものすごく強力な拒否感も同時に存在している、とういことにはもっと目を向けてよいと思います。

 


そこで先ず理解すべきことは、他者というのは救いそのものではない、ということです。他者は触媒に過ぎません。自分が成長したり、苦しさを解消していくにあたって、他者、あるいは世界との関係性をどう取り結んでいくかはすごく大事なんだけれど、それで万事解決とはいかない。

 


そのことを理解していただいたうえで、さらにある意味、反転したことを言うのですが、その触媒作用が、実は問題解決に向けての、おそらく本質的な原動力になるんです。

 

つまり、他者は時として答えを与えてくれる存在ではあるけれども、それはまあ、たまたまで、期待するものではない。でも、他者に「相談する」という行為の中である要件が果たされる。それはつまり、他者との関係性の確認あるいは関係性の再編成です。

 

ベタにいうと、より深く相手を知るとか、信頼という感覚を得るとか、安心させられるとか。それらはつまり他者、それが友人であろうと異性であろうと、配愚者であろうと、自分の周囲にいる他者との関係性が再編成されたということです。

 

関係性の再編成。そして、そこで生まれ得る瑞々しい感覚が、ある種の起動力をその人に与える。すると、目の前に見える壁の如き問題が、着手可能なものに姿を変えていく。その働きは時として劇的ですらあると私は感じています。

 

自分の心のことは自分でなんとかするしかありません。しかし、そのためには触媒となる、他者が必要だということです。そして医療者もまたその触媒として、回復のプロセスにかかわっています。

 

地味なモデルのようですが、これからの医療やケアを考えていくうえで、この方向性には、可能性があると僕は感じています。
 

■レシピNo.004 魚のおろし包み  

 

 

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対応

食欲不振、嘔気・嘔吐のある方、魚のにおいが気になる方

 

レシピの背景

食後に嘔気を誘発することが多い患者さんでした。患者さんの希望に沿って食事をつくりましたが、やはりは吐き気があるようでした。食事をされる様子を見せていただくと、噛む回数が少ないことがわかりました。

 

調理のポイント

魚のほぐし具合で仕上がりの口当たりが変わりますので、患者さんの嚥下状態や好みによって変えるのがポイントです。よくほぐすと飲み込みやすく、荒めにほぐすと魚の食感が残り喜ばれます。大根おろしゼリーの皮で包むことで魚の匂いが薄れるため、「食器のフタを開けたときの魚の匂いが嫌で食べられない」という方にも向いた魚料理です。

 

管理栄養士としての患者さんとの関わり

食事にかかる時間が早く、口に入れた食べ物をすぐに飲み込んでしまうことが吐気・嘔吐の原因ではないかと感じ、患者さんには噛む回数に注意してもらいつつ、噛みやすく、またしっかり噛まなくても飲み込める食事メニューを心がけました。
本品のように、噛むことが少なく食べられるメニューを提供することで患者さんの希望に沿うことはできましたが、噛んで食べる練習にはなりませんでした。噛むことに注意しながら食べてほしいと思いましたが、長年の習慣もあり、よく噛んで食べていただくことは難しいようでした。

 

 

レシピ(3人分)
一人当たりエネルギー162kcal、たんぱく質29.6g 塩分2.0g
<材料> 
・煮魚(種類は何でもOK)  80g×3切れ

・だし汁                    150g

・長芋                       30g

・卵白                     卵3個分

・おろし大根             300g

・しょうゆ       15cc (大さじ1杯)

・塩                   1.5g

・ソフティア※     大さじ1杯

<作り方>
(1)煮魚は骨を取り除き、ほぐす。(ほぐし具合は個別に調整する。)
(2)卵白をよく泡立てメレンゲを作っておく。
(3)ほぐした魚に(2)とだし汁を加えてやわらかさを調整する。(患者それぞれの状態に合わせる)
(4)おろし大根をつくり、残りの調味料・ソフティアを加えて混ぜ合わせ火にかける。
(5)深めの小鉢にラップを敷き、(4)を入れて冷やし固める。
(6)魚のほぐし身を団子状にまるめ、(5)の大根ゼリーの皮でつつむ。(茶巾絞りの要領)
(7)器に魚のおろし包みと大葉を添える。大葉の香りで食欲UP!!

 

※ソフティア2(ニュートリー株式会社)
食品のゲル化剤 ソフティア2のゲルは、60℃でも溶解せずセットできます。暑い季節でも室温で溶けず、寒い季節には温めても使用できます。味噌汁などの温かいゼリーを作ることも可能です。

 

 患者さんの反応
「魚の臭いが抑えられていて良かった。見た目もいつもと違う魚料理で珍しかった」と喜んで食べてもらうことができました。嘔吐の回数も減り、付き添いの奥さんと共に食事を喜んで頂きました。
再入院時、奥さんから「退院後は“やっぱり家の食事がいい”と言ってくれるかと思ったら、夫は“病院の食事が懐かしい、食べたい”と言っていました。食事のことでは安心しています」という言葉を掛けていただきました。

 

第3回 逮捕!

 

「ガチャ」と音を立て、

茶色っぽい手錠が

両手にはめられた。

 

大阪地検を出ると、すっかり暗くなっていた。

帰りはなぜか行きよりも荷物が重く感じられた。

ホテルに到着し、ベッドに横たわり、検事から受けた任意の事情聴取の内容を思い返してみた。

 

検事は思ったより友好的な印象だった。

事件以外のことでも、私の仕事の話を興味深く聞いてくれるので、こちらも緊張がほぐれるような気分にもなった。

だが一方で、きちんと伝えきれただろうか、変なふうに思われているんじゃないだろうか、同じことを何回も聞くということは私の発言は疑われているんじゃないだろうか、という不安な思いがもたげてくる。

 

しかしすぐに「友好的な印象があったのだから、こちらから丁寧に話をすればきっとわかってくれるはず」となんの根拠のない願いに思いを馳せていた。何かにすがりたいという気持ちだったのだろうと思う。

 

 

「繰り返し」という恐怖

 

 

検事は手元にある分厚いファイルを重たそうに持ち、付箋のついたところを広げ、そのページを私のほうへ見せる。それは補助金の申請書だった。

 

「これは誰が作られたんですか」と検事が言う。

「私です」

「ではこれは誰の指示で作られたんですか」と淡々とした口調で私に聞く。

「Aです」と答えると、

「Aさんから、いつごろ、どのような指示がありましたか」とふたたび聞かれる。

 

私は見えない記憶の糸を辿るように、「たぶんですが、△月△日ごろに、××と言われたと思います」と答える。検事は手元にあるA4判の白い紙にボールペンを走らせながら聞く。

 

「では尾上さんは、そのときどう答えたのですか」

 

私はたぶんこう答えたという内容を伝えると、検事はA4判の白い紙を見たまま、「そうすると△月△日ごろに、Aさんから、こういう指示をされ、こう答えたんですね」と確認する。

発言までは細かく覚えていないと思いながら「そうだと思います」と答える。

検事は今度はパソコンの画面を見ながら「この補助金の申請は、いつごろ、誰に申請したのですか?」と聞く。

 

パソコンには何が書いてある? と思いながらも、私は「たぶん▲月▲日ごろに、Bさんへ提出しました」と答えると、「そのときにBさんとどんな話をしましたか」と聞く。

「特に話はしていません。申請しただけです」と答えると、私の答えに頷くこともなく、検事はもう一度パソコンを見ながら聞く。

 

「この申請の内容については、誰と相談したんですか」

「Cさんです」

「それはいつごろですか。そのときにCさんは何と言いましたか」

 

私は、この人たちの名前を出してしまうことで迷惑がかかってしまうのではないか、少なくとも全精社協のためにとても尽力してくれた人たちを売ることになるのではないか、と自問自答を繰り返していた。

でも私は私のわかっている事実を答えることしかできない、無力な存在なのだ。

 

調べの途中で休憩が入る。

休憩というと、普通は緊張した状態から解放される瞬間でもあるが、ここでは違う。

あのときはこうだったのではないか? いやこうだったんじゃないか? と私は私に向けて、取り調べと同じように自問自答を繰り返していた。

 

ふと目の前にある窓から外を見ると、きれいなオレンジ色の空が広がっている。それを見ながら「私はいつ帰れるんだろうか」と寂しい気持ちが湧きあがってくるのがわかった。

 

「尾上さん、こちらへ」と事務官から呼ばれ、我に返った。

 部屋に戻ると、検事は手元にある紙と、パソコンの画面を見ながら「ではもう一度聞きます。Aさんはこう言って、尾上さんはこう答えたのですね」と少し強い口調で聞いてくる。

 

このことを聞かれるのは2回目である。

なぜ同じことを何度も聞かれるのか……私が何か間違っているのか……そこにあるパソコンと、手元にある紙には何が書いてあるのか……。

 

そうなのである。このことについて確認できる仲間はこの閉ざされた空間には誰ひとりとしていない。私は一人なのだ。正確には検事と、事務官、そして私の3人であるが、私だけ違う人間なのだ。

そう思うと一気に強い孤独感と不安感が襲い、私は知らぬ間に「はい……」と答えていた。

 

 

「最後の取り調べ」とは

 

 

朝食を食べて身支度を整えていると、携帯電話のバイブレーションが響いた。

 

検察から「これで最後の事情聴取」と言われ、私は前日から大阪へ来て、いつものホテルへ宿泊していた。

手ごろな値段であるわりに設備はしっかりしていて、部屋もそれなりに広いということと、検察庁とも近くもなく遠くもなくのそれなりの距離を保っていたという理由で、利用していた。

 

電話をとると、神奈川の仲間の一人だった。

 

「尾上ちゃん(私はなぜか、よく知る仲間にはこう呼ばれている)、新聞に今日逮捕されるって載っていたよ! 大丈夫なの!?」

 

とても慌てているのが感じとれたが、私には何を言われているのかよくわからない。検察からは「最後の聴取」と言われているから、「そんなはずはない!」というのが私の言い分だった。

電話口の彼にもできるだけ冷静にそう伝えた。電話を切ったあと、とにかくいろんなことが頭をよぎった。

 

「最後」というのは違う意味なのか……たしかにきのうは新大阪駅まで事務官の男性が迎えに来ていたが……。

すべてが疑わしく思えたが、絶対にそんなことはないと思いたかった。

 

私は居ても立ってもいられず、予定の時刻より早目にホテルをチェックアウトした。

何も考えたくなかった。近くにある公園や川辺をさまよっていた。

突然、携帯電話が鳴った。

 

「もしもし尾上さんですか。本日はマスコミが多いので、ホテルへ迎えに行きます」

 

大阪地検からだった。

なぜ今日はマスコミが多いのか、私はすぐに察知した。

先ほどの電話で言われたことは本当だったのだ。

そう確信していても、検事に直接それと確認をすることは一縷の望みを消すことになると思い、怖くてできなかった。情けない。

 

 

見られる人

 

 

ワンボックスタイプの車を事務官が運転し、担当検事が後ろに乗っていた。

私が車に乗ると担当検事は車を降り、どこかと電話でやりとりをしている。

しばらくして「出発しましょう」と言い、車が動き出す。

担当検事からは「全精社協の会長、副会長の絵が撮りたくてマスコミが来ている」という説明を受けたが、私がこれから逮捕されるのかどうかについてはいまだ一言もない。

 

大阪地検へ近づくと、突如マスコミが飛び出してきて、窓ガラスにカメラを押しつけてきた。

よくテレビで見る光景であるが、今の主役は私であり、見る側ではなく見られる側となっていたことが不思議だった。

 

到着するとすぐに担当検事の部屋に通され、いくつか調べを受けた。

お昼の時間帯となったころ、担当検事から「昼食はどうしますか?」と聞かれた。

私は「今日はいつごろ終わるのですか。帰りの新幹線のチケットを買いに行きたいのですが」と言うと、「今日は何時になるかわからないので、チケットをとるのは待ってください」と濁された。

不安が強くなっていく。

 

マスコミ対策のため、昼食は担当検事の部屋でとらせてもらうこととなった。

昼食後はいったん待合室で待たされて、再び部屋に戻ると、担当検事から「尾上さん、たいへん残念なんですが、逮捕状が出ました」と淡々と言われる。

 

検事の机の上のA4判の紙に私の名前が書いてあり、「補助金適正化法違反の容疑で逮捕する」という趣旨のことが書いてあった。いや、そう書いてあったと思うだけだ。

このときは言われていることがあまりにも信じられず、目の前の紙をしっかりと見られる状態ではなかったのだから。

 

私は今これを書いていて、十数年前に勤めていた精神科を思い出す。

当時の精神科では、本人が自分の変調に気づいて、みずから受診してくる人は少なかったように思う。特にその症状が重いほど自分で受診をする比率は低くなってくる。

 

ではどうするか。家族や関係機関が、綿密な段取りのもとに、精神科を訪れるのである。

当の本人は「こんなところに連れてくるとは言わなかった。おれは精神病じゃない」と言うが、まわりはもとよりそのつもりである。

本人だけがそのつもりではないのだ。知らぬは本人だけであり、最後に知るのが本人なのである。私もその状態に置かれていた。

 

しかし入院したあとに当の本人と話をすると、訳がわからず勝手に連れてこられたと一応言ってはいるものの、「自分の変調にはなんとなく気づいていた」と言うことがある。

私も仲間から、こうして逮捕されることを数時間前に聞いていた。でも担当検事の「最後の調べ」という言葉にすがりつきたかった。

そうやって、必死に現実というものを回避してきたのだ。マスコミから電話があったあの日から、私の時間は止まっていたのかもしれない。

 

「ガチャ」と音を立て、茶色っぽい手錠が両手にはめられた。

冷たくて重い手錠が心にのしかかるのが感じられた。

それとともに、時間が動きはじめた。

 

検事からは「接見禁止」であることを告げられる。

拘留中は誰とも会えないということである。

関係性を一切断たれたのである。

 

(第3回了)

 

『精神看護』2011年3月号(医学書院)より。

 

この続きは、『精神看護』5月号(4月25日発売)で!

 

第2回 押し寄せるマスコミ、待ち受ける検事

 

なんで大阪地検が

私の携帯電話へかけてくるのか。

では俺も疑われているのか!?

   

  

電話相談が終わり、A4判の記録用紙に相談内容について記載しているときだった。

「尾上さん、○○新聞からお電話です」

保健予防班の女性職員は、「なんでマスコミから電話があるの?」と言いたげな顔で(私にはそう見えた)、電話がきたことを告げてくれた。

 

私の職場は保健所の保健予防課である。

保健予防課は、感染症や特定疾患を取り扱う保健予防班と、メンタル面の相談を行う精神保健班の2つの班からなっていた。当時の私は精神保健班に在籍していた。

 

電話へ出る前から、どのような用件であるか見当はついていた。

嫌なことに対応しなければいけない、ましてやそれが自分のことであると思うと、このまま電話を切ってしまいたいという衝動にかられる。

電話に出なくても何かの罪に問われるわけでもないし、悪いことでもない。「何も答えなくてもよい」という自由だってあるはずである。

 

「○○新聞の××です。尾上義和さんですね。前職の補助金のことについてお聞きしたいのですが」

私は「仕事中ですので、そのことについてはお答えできません」と答える。

「では仕事が終わる時間にお掛けします。どちらにお掛けしたらよいでしょうか?」

 

口調は丁寧だが、勢いでたたみかけるような雰囲気が電話の向こうからジワジワと伝わってくる。

「もう私は、全精社協を辞めたので、現会長の許可なく安易にお答えすることはできません」

こちらもできるだけ丁寧に言い返すが、しつこさにだんだん怒り口調となってくるのが自分でもわかる。

それでもなんとか相手のペースに乗せられないように気持ちを抑えつつ答えようとするが、

「ですが、△△理事さんにはお答えいただきましたよ。そのことについて尾上さんからもお話をおうかがいしたくて」とさすがに切り返しが早い。

 

いつになったら終わるのか、先の見えないこのやりとりに、うんざりしてくる。

それよりも職員の目が気になる。この会話を聞いている周りの人はどう思っているんだろう……。

 

しかしこれだけでは終わらなかった。

携帯電話や自宅の電話、さらには職場にも取材と称して押しかけてくる。

極めつけは自宅の前でテレビカメラが張っているなど、まったく芸能人さながらである。自分では間違ったことはしていないという自信はあったが、どこからどのように私の居所を調べてくるんだろうかと思うと同時に、「この先どうなっていくんだろう」という不安が一気に押し寄せてきた。

 

 

答えない自由は、あるけどない

  

もはやプライバシーが脅かされ、強制的に何もかもが曝け出されているようである。

「マスコミの質問なんか、答えなければいいじゃないか」と言われそうであるが、私もそうしようと思っていた。だが、そうはいかない。なぜそうはいかないのか?

 

一言でいえば、「そのときだけのことではない」からである。

ごはんを食べているとき、仕事をしているとき、仲間と話をしているとき、テレビを見ているときなど、朝から晩まで、すべての時において、私の頭の中に「マスコミ」という存在が張りついてしまい、離れてくれないのである。

さらに重症になってくると、テレビや新聞で騒ぎ立てている事件や事故を見ただけで「私もいつかこうなってしまうのか」という何の根拠もない考えに、頭の中がだんだんと支配されていく。

 

この支配から逃れようと、意識的にテレビや新聞を見ないなど、できうる限りの抵抗を試みるが、それは一時的な対処療法でしかない。マスコミからの電話ですぐに現実に引き戻されていく。平静さを保とうと思えば思うほど落ち着きがなくなり、無意味な行動をとっている。

「俺は何やっているんだ!」と思いつつも、これが現実の私であった。追いかけられる者に選択肢はない。

 

先の見えるものであれば、なんとか我慢もできる。しかし、いつ終わるかわからないと、うんざりしてくる。

この繰り返しの日々へ終止符を打つためには「俺が話さないから追いかけてくる。だったら一度話せばいいんじゃないか」「それにちゃんと話せばわかってくれるんじゃないか」「そして終わるのだ」という結論に至る。

というより、こんなふうにしか考えられなかったのである。

 

発達心理学者の浜田寿美男氏は、「選びえるはずだと思いながら、現実的に選びえないというときに不自由さを感じる」(『心はなぜ不自由なのか』PHP新書)という。

まさに私はこの「不自由さ」により、話さないというわけにはいかなくなったのである。

 

不自由さとは、どれだけの不安と苦痛を人に与えるのであろうか。

だが同時に、この不自由さとは人がつくり出すものである。言いかえれば人は、そのような苦痛を与え続ける根源としての不自由さをつくり出すことさえできるのである。

一人の生活に負の力を毎日与え続けることができるのであれば、その人の自由を奪い、その人を支配することさえ可能かもしれない。

 

ただ、誤解があるといけないので一言お断りしておくが、私はこうした状況からつくり出される「不自由さ」の姿を、私のつたない体験を通してお伝えしようとしているものであって、マスコミのやり方一般について批判をするつもりではない。

 

 

検事からの電話

 

大阪へ移動する新幹線のなかでは、通り過ぎていく風景を見ているばかりだった。

前職の全精社協時代には、全国団体ということもあり、講師依頼などを受けていい気になって全国のあちらこちらへとお邪魔させていただいた。多いときは1か月に5?6回は出張し、新幹線や飛行機のお世話になっていた。

特に行き帰りの移動中は、講演内容の整理をしたり、時間がなくて溢れてしまった仕事を片づけたり、読みかけの本を読んだりするなど、とても貴重な時間だった。

しかし今は……。

 

「私たちは私たちなりにしっかりとやってきた」という事実を検察官に伝えにようという意気込みもあった。

だからいつものように読みかけの本やパソコンを持ってきたのだが、とてもそんな気持ちにはなれず、大阪へ着くまでのあいだ一度もかばんを開くことはなかった。

 

前日のことである。

昼休みに携帯電話を見たら、「着信あり」と留守番電話の通知が出ていた。

「新聞社の取材か」と聞く気にもなれなかったが、また職場にかかってくるのもそれはそれで困ると思い、留守電をまず聞いてみることにした。

 

「大阪地検特捜部の検事の□□です。至急折り返しご連絡をいただきたい」と入っていた。

 

なんで大阪地検が私の携帯電話へかけてくるのか?

やはり新聞報道のことか?

では俺も疑われているのか?

なぜ電話をかけてきたのかを知りたかった私は、すぐに折り返しの電話をした。

 

「尾上さんですね。新聞報道でもあったように今回の事件のことで詳しいことをお聞きしたく、お電話をさせていただきました。明日ですが、大阪地検までお出でいただきたいのですが」

 

翌日は金曜日で仕事もあったため難しいと伝えると、

 

「そうですか。どうしても来ていただかなくてはいけないので、こちらから上司の方にお話しさせていただいても構わないのですが」と言う。

 

とても丁寧な対応であるが、ある種の押しの強さを感じた。

任意取り調べであるにもかかわらず、もはや私には「選ぶ」という権利は存在していないことを実感させられた。

 

職場の上司、仲間、そして妻にはどう言えばいいのか。どう思われるのか――。

しかし私にはもう選択肢は残されておらず、目の前にあるのは、明日行くしかないという明白な事実だけだった。

 

 

任意取り調べ

  

最寄りの駅から重い荷物を持ち、歩いて移動した。この日は晴れていて、スーツのなかで汗がにじみ出ていた。

途中、見覚えのある新聞社の看板が2社ほどあり、ここから取材に来ていたのかと思いながら歩くと、わりと幅のある川が緩やかに流れており、そこにかかる橋を渡るとすぐ目の前にガラス張りの近代的な大きな高層ビルがそびえ立っている。

それが大阪地方検察庁、すなわち大阪地検だった。

 

受付で案内された階へ行くと、エレベーターの前で職員と思われる方が待っていた。

待合室のようなところへ案内され、しばらく待つように言われる。

緊張感と不安感を押さえるように窓の外を見てみると、さすが高層ビルである。眺めがよい。

遠くに飛行機が着陸するのが見える。「あれはどこの空港だろう」などと思いながら待ち続ける。

 

壁を見てみると、「検察で調べを受ける方へ」という注意書きが張ってあり、そこには「話したくない内容については、話さなくてもよい」という意味のことが書かれていた。

しかし、自分は本当に「話さない」という選択ができるのだろうか。ここへ来ないという選択肢はすでになくなっていただけに、自分自身への疑いは大きい。

それにしても「待つ」という時間はとても嫌なものだ。この先、検察と相対していかなければいけないという不安だけが募る。

 

果たして新患さんが診察を待っているのは、こんな感じだろうか。

精神科を初めて受診する人のほとんどは、家族や福祉関係者に連れてこられる。

しかしご本人は今の私のように何が何だかわからないまま、自分がどうなっていくのかもわからないまま、不安をかかえたまま待っているのではないだろうか――。

 

そんなことを考えていたとき、「尾上さん」と先ほどの男性が呼びにきた。荷物を抱え、後ろからついていく。

待合室から部屋は離れておらず、男性が扉を開けてくれ、入るとそこは私が想像していた以上に大きな部屋だった。

 

正面と横には大きな窓ガラスがあり、その前には分厚い青いファイルがいくつもきれいに並べられていた。ここも外の眺めがいい。

部屋の真ん中あたりに大きな机が正面に置かれ、そこに座った検事が私を迎え入れた。検事の右横には縦に机が置かれ、案内をしてくれた男性が座った。

私は机を挟んで検事の前に座り、まず挨拶をした。

 

任意の事情聴取は結局5時間以上も続いた。

 

(第2回了)

 

『精神看護』2011年3月号(医学書院)より。
 

第1回 明けない朝はない、か?

 

ある有名芸能人が、妻との最初の面会で頼んだことが

「伊丹空港の始発の飛行機の時間を調べてくれ」

だったという。

同感である。ただただ時間が知りたいのである。

 

 

やっと朝がきた。とても長い夜だった。

鉄格子の張ってある窓からは青く澄みきった空が眩しい。

ここは拘置所である。

 

四畳半かと思うが、剥き出しのコンクリートのせいなのか、やけに狭く、圧迫感がある。

窓の手前には変な木枠をつけたトイレが設置され、その横の畳半畳もないところにべニア板が立てかけられ、トイレの目隠しの役割を果たしている。

いや果たしきれていないというべきだろう。外から丸見えだ。

 

デコボコの畳は年季の入った代物であり、しかも歪んでいる。

寝ていると、いまにも底が抜け落ちてしまうのではないかと思うほどだ。

 

でも、何よりもここには時計がない。

今が何時なのか、あとどれくらいで起床なのか、まったくわからない。

わかっているのは「朝がきた」ということだけだ。

 

時間がわからないなんて大したことではないと読者の皆様は思われるだろうが、実際に時間のわからない世界へやってきた私は、それがいかにあり得ない大変なことかを身体が実感している。

 

 

夜が明け、徐々に空が白みはじめる。

やがてところどころに青空が見えはじめ、一日が始まったことがはっきりとわかるころ、鉄格子から見える空のなかを「ゴォー」という音が響きわたる。

その音は徐々に私のいる拘置所へ近づき、ついには私の真上を通り過ぎていく。伊丹空港に降り立つ飛行機である。

 

それは私が初めて任意の事情聴取のために訪れた大阪地方検察庁の待合室で、押しつぶされそうになる不安をかき消そうともがきながら目にしたのと同じ光景だった。

ただしそのときは、音のない一つの“景色”として見たのであったが。

 

2機目が通りすぎて間もなく、起床のチャイムが鳴り響く。これを目安に、拘置所はようやく朝を始める。

朝は、長い長い一日を終わらせ、あらゆることを解放へと一歩また一歩と近づけさせてくれる、儚い希望のようなものなのだ。

 

取り調べ中には雑談の時間もあり、それは気を休められる瞬間でもあるのだが、その雑談のなかで担当検事から

「拘置所へ拘留されている人から、時計がないことが苦痛だとよく聞くんですが、尾上さんはどうですか?」

と聞かれたことがあった。

私は「そのとおり!」と大きくうなずいた。

 

私より前に、ある有名芸能人がこの拘置所へ拘留されていたときのことである。

妻との最初の面会で彼が頼んだことが「伊丹空港の始発の飛行機の時間を調べてくれ」だったという。

同感である。ただただ時間が知りたいのである。

 

拘置所では、眠れないからとか、目が覚めてしまったからといって、本を読んだり布団から出たりしてはいけない(もちろん逆に眠いからといって昼間、布団の中にいてはいけない)。

布団から出れば規律違反で刑務官から厳しい指導を受ける。決められた時間にチャイムが鳴ってから、やっと布団から抜け出せるのである。

 

であれば、「今は何時なのか」「この布団の中にあと何時間いなければならないのか」、その目安というか、目指すところがほしい。

ゴールがなければ、がんばり続けることは難しい。苦痛だけが残る。

拘置所のなかの“時間”というものは、娑婆にいるときに闘っていた時間と違い、私ががんばり続けるためには絶対に必要な特別な存在なのである。

 

……それにしてもここは、かつて私が働いていた精神科病院の保護室と同じだ。ではそのときの私はどうであったか。

そう問うてみると、保護室に入っている患者さんを、ただの患者さんとしてしか「見て」いなかったように思う。

でも今ここにいる私は拘置所という独房のなかで、「見られている」存在となっている。まさに関係性の逆転である。

 

 

本稿は事件そのものについて語ろうというものではない。

大阪拘置所に23日間勾留され、地検特捜部の連日の取り調べを受けた体験から、それまでの関係を突然閉ざされたとき人はどのような心情となるのかを語ろうというものである。

そして私が経験したことを皆様にお伝えしながら、「関係性」という問題について考えてみたいと思う。

(第1回了)

 

 

『精神看護』2011年3月号(医学書院)より。
第2回「押し寄せるマスコミ、待ち受ける検事」はコチラから!

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