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株式会社医学書院看護出版部

看護師のためのwebマガジン かんかん!編集部

退院支援・退院調整の第一人者、宇都宮宏子先生による、「がん患者の退院支援」をテーマにした実践講座です。退院調整担当者、病棟・外来看護師、看護管理者にお勧めのセミナーです。

 

「在院日数短縮で従来の入院中心の医療から、外来・在宅へと移行する流れは、がん治療においても例外ではありません。こうしたなか問題となるのは、治療が困難になったターミナル期の患者の退院支援、在宅療養支援です。一般病院での長期入院は難しく、ホスピスにも入所できない場合、医療依存度も高く、不安を抱えたまま自宅へと退院することとなります。

 

人生の幕引きの場面をどこで、どのように迎えるかという患者・家族の決断に、専門職として寄り添っていく。そこでの看護師の役割は非常に大きいといえるでしょう。

 

今回のセミナーでは、がん患者、特にターミナル期のがん患者・家族の退院に際しての支援・調整に焦点をあてて解説します。(宇都宮宏子)

 

>>お申し込みはこちらから

 

【日時】
2011年9月3日(土)13:00-16:30(開場12:30)

【講師】

宇都宮宏子先生(京都大学医学部附属病院地域ネットワーク医療部)

【対象】

退院調整担当者、看護管理者、病院看護師、その他

【内容】
講演とグループワーク

【参加費】
8000円(当日会場にてお支払いください)

【定員】

70名(定員に達し次第、締め切ります)

【申し込み方法】

 

>>お申し込みはこちらから

 

メールでお申し込みください。「9月3日宇都宮宏子先生セミナー申し込み」と標題に記入いただいたうえで、(1) お名前、(2) ご所属、(3) 職種、(4) メールアドレス、(5)宇都宮宏子先生の講義・講演受講経験の有無、(6)宇都宮先生への質問(複数名でのお申込の場合は、人数と参加者全員のお名前をこちらにお書きください)を下記までお送りください。

 

お申し込みいただいた方には、折り返し受け付け完了メール(あるいはファックス)をお送りさせていただきます。

 

【申し込み・お問い合わせ】
医学書院看護出版部(鳥居)
E-mail:kankan@igaku-shoin.co.jp
Fax:03-5804-0485
Tel:03-3817-5772
(お電話でのお申し込みは受け付けておりません。E-mailをご利用ください)
 

 

【名越康文連続講義】現場で生き残るための心の技法

 

第3回 「怒り」と「性格」(2)

 

人の生死が交錯する医療介護の現場には心の問題があふれています。精神を病んだり、告知に動揺する患者さんへの対応はもちろん、同僚との関係性、医療者としての自分のあり方に悩む人も少なくないはず。

2011年6月にスタートした、名越康文流“心の技法”を学ぶ連続講義。それぞれの現場で生き残るために。必聴です。

(第3回のテーマ)

第2回に引き続き、個々の人間の性格理解を軸に、「怒り」を中心とした心をいかにコントロールしていくかを学びます。

 

【日時】

2011年10月26日(水)19:00-21:00(開場18:30)


【講師】

名越康文先生(精神科医)

 

【対象】

看護師、研修医、医療従事者、その他

 

【会場】

医学書院本社ビル

文京区本郷1-28-23(下記画像をクリックするとpdfファイルが開きます)

igsmap.jpgのサムネール画像

【参加費】
3000円(当日会場にてお支払いください)


【定員】

70名(定員に達し次第、締め切ります)

【申し込み方法】

メール、ファックスにて、表題に「10月26日名越康文先生セミナー申し込み」と記入の上、

(1) お名前(ふりがな)
(2) ご所属

(3)職種
(4) メールアドレス(or ファックス番号)

(5)名越康文先生の過去のセミナー参加経験の有無
(6) 名越先生への質問(複数名でご参加の場合はその旨、と参加者全員のお名前をお書きください)

を、下記担当宛にお送りください。お申し込みいただいた方には、折り返し受け付け完了メールもしくはファックスをお送りさせていただきます。

【申し込み・お問い合わせ】

医学書院看護出版部
E-mail:kankan@igaku-shoin.co.jp
Fax:03-5804-0485
Tel:03-3817-5772
(お電話でのお申し込みは受け付けておりません。申し込みフォーム、ファックス、E-mailをご利用ください)

 

【今後の予定】
第1回(6月29日) 心の起源と怒りの構造
第2回(7月27日) 「怒り」と「性格」(1)

第3回(10月26日) 「怒り」と「性格」(2)
第4回(12月、調整中) 「怒り」と「性格」(3)
第5回(2012年1?2月、調整中) 心と身体の整え方

※ 第4回以降の日程は、2011年9月頃までに決定予定です。

 エンゼルケア(死後のケア、死後の処置)が変わりつつあります。これまで慣習的に行われてきた死後のケアから、よりご家族のことを考えたケアに見直されています。

 

本セミナーでは、エンゼルケアの具体的な方法や考え方だけでなく、「どうしてこれをやるのか、やらないのか」「なぜ、このような手順・方法で行うのか」を、患者さんのご家族などに看護師が“説明できる”という視点でお話ししていきます。

 

エンゼルケアに関する質問・お悩み大募集!

 

当日は、講義だけではなく、みなさまからのエンゼルケアに関する質問や悩みに答えられるようなプログラムを考えております。ナーシングカフェセミナーならではの近い距離感で、あなたの悩みを解決します!

 

※お申し込みは締め切りました

 

 

対象:看護師

 

講師:小林光恵先生(エンゼルメイク研究会代表)

『看護ワンテーマBOOK 説明できるエンゼルケア』刊行予定

 

日時:2011年8月17日(水) 18:30-21:00

 

場所:医学書院会議室

東京都文京区本郷1-28-23 電話03-3817-5700

 

受講料:3000円(税込)資料代、茶菓子代、消費税含む。当日受付でお支払いください。

 

定員:70名(先着順)

 

お問い合わせ:医学書院看護出版部(担当:石塚)

TEL:03-3817-5778 FAX:03-5804-0485

第2回 「怒り」と「性格」(1)

<本セミナーは定員を超えるお申込をいただいたため、本日(7月25日)にて、お申込を締め切らせていただきました。ご了承ください>

人の生死が交錯する医療介護の現場には心の問題があふれています。精神を病んだり、告知に動揺する患者さんへの対応はもちろん、同僚との関係性、医療者としての自分のあり方に悩む人も少なくないはず。

 

2011年6月にスタートした、名越康文流“心の技法”を学ぶ連続講義。それぞれの現場で生き残るために。必聴です。

 

(第2回のテーマ)
第1回では怒りの構造と、その取り扱い方について学びましたが、それを現場実践にいかすためには、一人ひとり異なる性格傾向への理解が必要となります。第2回以降では、「性格とは何か」を軸に、心のコントロール方法を学んでいきます。

 

>>お申し込みはこちらから

 

【日時】

2011年7月27日(水)18:30-21:00(開場18:00)


【講師】

名越康文先生(精神科医/京都精華大学教授)

 

【対象】

看護師、研修医、医療従事者、その他

 

【会場】

医学書院本社ビル

文京区本郷1-28-23

 

【参加費】
3000円(当日会場にてお支払いください)


【定員】

70名(定員に達し次第、締め切ります)

 

>>お申し込みはこちらから

 

【申し込み・お問い合わせ】

医学書院看護出版部
E-mail:kankan@igaku-shoin.co.jp
Fax:03-5804-0485
Tel:03-3817-5772
(お電話でのお申し込みは受け付けておりません。申し込みフォーム、ファックス、E-mailをご利用ください)

『助産雑誌』の連載「現場で即使える! 助産師のための英会話」と連動して、各回のスキットの音声を掲載します。妊娠・出産の場面でよく使われる用語を集めた音声へのリンクも掲載していますので、合わせてチェックしてみてください。 

 

第5回 Health Guidance for Pregnant Women(2)
【妊婦への保健相談(2)】  

 

第4回に続き,第5回では妊婦への保健相談に関する表現を学習していきます。「継続的なおなかの張りがある時」など病院への連絡が必要な場面の伝え方を取り上げます。胎動が感じられなくなった時,破水した時,陣痛が起こった時など,Check Sheetを使って,妊婦の相談内容に沿ったアドバイスができるように応用してみましょう。

 

よく使う例文集はこちら

 

単語集の音声はこちら

 

チェックシートの音声はこちら

 

Scene

 
Midwife:Ms. Thomas, you have gained 2kgs since the last check-up. You should not gain more than 2 kg a month or 500g a week.

 
Ms. Thomas:I'm trying to eat well but I'm hungry all the time.

 

Midwife:You only need an extra 300 calories each day. Your baby is growing fine. Eat a well-balanced diet and get some exercise. Is anything else bothering you?

 

Ms. Thomas:Yes, my back hurts. 

 

Midwife:As your uterus grows please try to maintain good posture. A continuous lower back pain or continuous cramps may be a sign of premature labor. If you ever have these signs, please let us know.

閉塞感と身体論

 

『シガテラ』の描く時代の空気

 

いまの日本を表現する言葉に、「閉塞感」があると思います。ストーカーやクレーマーといった現代的な事象についてひもといていくと、その根っこのほうで「閉塞感」という言葉に行き当たる。ちょうど、酒鬼薔薇聖斗事件のあった90年代以降、15年以上にわたって、閉塞感って、今の日本を読み解くキーワードになっていると僕は思うんです。

 


閉塞感って何なのか。閉塞感ってどこにあるのか。確かに僕も閉塞感を覚えるんだけど、それがどこにあるのかわからない。自分の内側にあるのかというとそうじゃないですよね。自分を取り巻くこの世界、人と人との間にある空気感みたいなものを、僕らはなんとなく、閉塞感と呼んでいる。

 

90年代後半から2000年代の始めぐらい、そういう空気を象徴的に描ける若い作家が次々とブレイクしました。たとえば漫画では、古屋実さんの『シガテラ』とか、浅野いにおさんの『ソラニン』といった作品ですね。これらの才能ある作家さんが描き出す閉塞感あふれる世界に、僕は読んでいて怖いくらい、引き込まれました。

 

その時代がもっている空気感をいったん客観的に捉えなおして、それを表現していくというのは、それこそギリシャ悲劇の時代から、芸術家の仕事でした。どうして、その時代で起きたことを作家が自分のなかで消化し、表現しようとするのか。また、どうしてそれを多くの同時代人が待ち望んでいるのかといえば、人間というのは、そうやることでしか自分の位置を確認できないからです。

 

身体と精神、あるいは自分と世界との間に感じている違和感のようなものを、作品を通じて確認し、解消しようとする。当然、その違和感は決してすべて解消されるわけではないんですが、そこにより深いリアリティを見出そうとするアーティストたちの運動のなかで、結果として多くの文化が生みだされてきたということです。

 

つまり、閉塞感のなかで僕たちは、「俺たち(日本人)はいったい何者なんだ」という問いを繰り返してきたと見ることもできる。僕はそう考えています。

 

閉塞感から時代をみる

 

もちろん、殺傷事件にいたるようなストーカーなどは絶対に許されない犯罪だし、クレーマーだって、不当なものは取り締まるべきです。しかし、そういう正論とは別の次元で、これらの事象は、僕たち1人ひとりの自己像、あるいは社会のある側面を反映してもいます。つまり、僕らが感じている漠然とした閉塞感に対して、何らかの答えを欲する。そうした運動のひとつの極端な形が、こうした行為なのではないか、ということはいえると思うんです。

 


ですから、閉塞感に対する、すごく生産的な方向の取り組みだってある。先に述べた漫画作品はもちろんですが、それ以上に僕がものすごく大きな変革だと思うのが、身体論の勃興です。

 


それまでの観念的な議論に対して、身体に目を向けること、もっと身体について考えることが大切なんじゃないか、というコンセンサスが生まれつつある。この流れに先鞭をつけたのはもちろん養老先生だと思いますし、武術研究者の甲野善紀先生、そして内田樹先生のブレイクの背景にも、身体論があると思います。

 

特に、養老先生の議論は独特のポジションです。いまの脳ブームよりもずっと前から脳を主題とした話をされながら、その内容をひもといていくと、必ず身体の話をされている。
 養老先生、甲野善紀先生、内田樹先生といった、身体をベースに置いた議論を行う人たちが人気を博すようになった背景に、90年代から社会に蔓延しはじめた閉塞感があるんじゃないか、というのが僕の考えです。この因果関係はある種、僕の直感で認識している面が大きいので説明が難しいのですが、すごくそういう実感があるんですね。

 

身体論が開く可能性

 

なぜ、閉塞感を背景として、身体論がこれほどまでに勃興してきたのか。その因果関係を説明するのは難しいのですが、とりあえず、以下のようなことは言えると思います。

 


閉塞感というのは、基本的にとらえどころがないものですよね。自分の内側に感じることもあれば、時代の空気として感じることもある。そういう、ゴーストのような存在を前にして、僕らは自分たちの身体、ひいては自分たちの存在について、あらためて強烈に感じるようになったんじゃないかということです。

 


そしてここでいう身体というのは、医療者にとって慣れ親しんだ解剖的身体ではなく、感覚経験そのもののことです。逆にいえば、「身体」という言葉が、それまでの素朴な実体としての捉え方から、哲学用語として、思想用語として位置づけて語る語り口が、これまでになく広まってきた、といえるでしょう。

 


閉塞感の蔓延するこの世界でどう生きていったらいいのか、どう自分を保てばいいのか。どう職場のなかで自分を位置づければいいのか。そういう問いを、多くの人が自分の問題として抱えるなかで、それを身体の問題と結びつけて問う必要がある、ということを直感している人が増えていると思うんです。

 


身体とは何か、心とは何か、精神とは何か。そういう人間存在の原理的な部分を一度解体し、再構築しないとやっていけない、という感覚が共有された。身体論の勃興の背景には、そういう事情があると思うんです。

 

出入り自由の身体へ

 

それぞれの論者がどのように身体論を論じているかについては、ここではとてもご紹介できませんが、1点、共通しているのは、それまでの単なる物質的な身体観に対する批判です。身体というのは単に物として存在しているものではなくて、周囲との関係性だったり、内的な感覚世界として存在している。そういう身体観が、少なくとも議論の俎上にのるようになりました。

 


そして、僕の考えでは、これは日本人がもともともっていた身体観の再評価でもあるんです。

 

日本画をみても、漢字仮名文化を考えてみても、日本の文化というのは、境界線が動きやすいんです。明治維新の頃に境界線を明確にするまでは、国境という感覚が希薄であったように、身体においても境界があいまいで、身体から出たり入ったりする心のありようというものを受け入れてきた文化です。

 

そう考えてみると、身体論の勃興というのは、自分の身体をはじめとしたあらゆる領域を明確にし、境界線を引くことに取り組んできた100年に対して、僕らの身体が反乱をはじめたと見ることはできないでしょうか。僕らが感じている閉塞感とは、僕らがより自由な、出入り自由な身体と精神のあり方に向おうとするなかで生じているのではないか。僕の空想ではあるんですが、そんな気がしています。
 

 

【お知らせ】

2011年6月29日 名越康文連続講義、スタートします。

パスタムース

 

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対応

嚥下困難 柔らかいものを好む人 食欲不振

 

レシピの背景

入院期間が一年近くと長く、入院生活に疲れた患者さんでした。また、コミュニケーションがなかなかとれず、食事の要望を聞くのに時間がかかっていました。

 

「食べたい物が思い浮かばない」という患者さんのためにいろいろな工夫を行いましたが、日に日に病状は悪くなる一方で、不安なことがたくさんあり、食事のことを聞いても「いまは何も食べたくない」といわれるばかりでした。

 

ある時、患者さんから「ケチャップ味のものは好き」と教えてもらいました。しかし、ケチャップ粥を出してみたところ「おじやは嫌い」といわれ、新たなメニューを考えることになりました。

 

調理のポイント

パスタは袋のゆで時間より長くします。30?40分は茹でて、芯が残らないようにします。芯が残っているとミキサーにかけた時、滑らかさが悪くなります。

 

 

レシピ紹介(3人分) 

 

一人当たりエネルギー60kcal、たんぱく質1.6g

<材料> 

【ソフトパスタ】

乾燥パスタ     90g

湯冷まし      270cc

塩          少々

ソフティア2※    6g

 

【トマトソース】

トマトピューレ  60cc

たまねぎ     60g

トマトケチャップ  15g

塩          0.6g

砂糖         6g

水         30cc

コンソメ       0.5g

 

<作り方>

(1)パスタを柔らかく茹でる。(30から40分位は茹でて柔らかくしておく)

(2)柔らかく茹でたパスタを湯冷ましとともにミキサーにかける

(3)鍋に(2)とソフティア2※を加えてよく混ぜ、火にかけて80℃まで温度を上げる。荒熱を取ってビニール袋に入れ、冷やし固める。

(4)ゼリー状に固まったら、器に搾り出し、トマトソースをかけたら完成!!

 

【トマトソース】

(1) たまねぎはスライスしてから柔らかく茹でておく

(2) (1)に水、砂糖、コンソメを加えて火にかけひと煮立ちさせ、ミキサーにかける。トマトケチャップとトマトピューレ加えて味を整える。

 

提供を終えて

患者さんからは久しぶりにパスタの味が楽しめたと喜んでいただけました。ソースを変えれば、何通りも楽しめるメニューです。

 

ムース麺はそば、うどんでも同じように作れます。年越には、このムース麺を使えば、家族みんなで年越しそばを楽しんでもらえるのではないでしょうか。

 

また、もう少し食感を残したい場合には、茹でた麺を粒が残る程度にミキサーにかけます。こうすると、麺の食感を楽しめます。このとき、麺は柔らかく茹でておいたほうがミキサーにかけやすいようです。

 

 

※ソフティア2 (ニュートリー株式会社)

食品のゲル化剤ソフティア2のゲルは、60℃でも溶解せずセットできます。暑い季節でも室温で溶けず、寒い季節には温めても使用できます。味噌汁などの温かいゼリーを作ることも可能です。


  

解離的な怒り(3)

 

解離の出発点は「二足歩行」

 

解離と怒りのコントロールという話題を取り上げてきましたが、一方で、人というのはそもそも解離している存在なんだという考え方もあります。以下にご紹介するのは、身体教育研究所の野口裕行先生からうかがったお話ですが、僕は非常に感銘を受けました。

 


人の赤ん坊は、四つ足でハイハイしているとき、身体と精神とが完璧に一致しています。足の指先から手の指先まで力がみなぎっていて、一体感がある。普通の大人が感じているような、心と身体との間の解離感を、赤ん坊は感じていない。

 


じゃあ、いつから心と身体の不一致がはじまるかというと、それは二本足で立ち上がるときです。赤ん坊がはじめて立ち上がるときの身体の状態を見ていただければ多くの方が同意されると思うのですが、手足が所在なく、ブラブラになってしまう。特にわかりやすいのが手先で、まるで幽霊のように、肘から先の力が抜けてしまう。四つ足ではいはいしているときの、力強さが消えてしまうんですね。

 


身体と精神との解離は、まさに人間の身体が直立しようとするときに生じる。このときから、身体は精神の思い通りには動かなくなります。よく「心身一致」ということをスポーツ選手やダンサーの方などが口にします。しかし、それは厳密に言うとそれは不可能なのだと思います。もちろん、不可能に挑むからこそ、スポーツ選手やダンサーはすばらしい瞬間を生み出すわけですが、実は厳密な意味での「心身一致」というのは、誰も達成できない領域なのではないでしょうか。

 


証明は難しい説かもしれませんが、感覚的には全面的に支持します。人は、精神と身体が一致した、赤ん坊のときの全能感にあこがれますが、決してそこには戻れない。精神と身体とが分裂した、ある種の不全感、違和感のなかを生きるしかない。

 

身体が不完全だからこそ、精神の自尊がある

 

さらにおもしろいのは、一方で人間は、「決して四つ足には戻らない」と決意して生きている存在でもある、ということです。

 


どんなに違和感があっても、苦しくても、人間は二足歩行をやめようとはしません。当の赤ちゃんがそうです。一度直立することを覚えた子は、再びハイハイすることを猛烈に嫌がります。どんなに辛くても、立って、歩こうとします。その欲求は一方通行で、帰り道はありません。

 


四つ足の、動物的な存在に戻りたいという根源的な欲求を持ちつつ、人間はそこから離れていこうとする存在でもある。実はこれこそが、文化、文明の第一段階ではないかと考えることができます。

 


人間の二足歩行は不安定です。動物的な、四つ足のほうが、生き物としては充実していたはずです。しかし人間は、そういう非効率的な状態を維持してきました。それはおそらく、そうすることによって、人間の精神が、身体からの独立性を保持することができたからじゃないかと思うんです。

 


仮に身体が100パーセント機能的な構造になったら、ある意味で精神性なんて必要なくなっちゃうわけですからね。身体性だけで生きていけるんなら、精神なんて必要ない。もしもそうだとしたらわれわれの身体が非効率的なまま維持されているのは、精神の自尊のためといえるんじゃないか。

 


人間は、精神の自尊を担保するために、進化をとめ、不完全な身体のままでいようとする。ここではとても大雑把に上澄みの部分だけを説明させて頂きましたし、多分に私の自己流に解釈している部分もあると思います。しかし、これは僕のなかではすごくリアルな人間像なんです。

 

精神から自由になるためのツールとしての言葉

 

でも一方で人間は、その精神からも自由になりたがっている存在です。妬んだり、恨んだり、悲しんだり、執着したり。荒らぶる精神に、人間存在って本当に右往左往させられています。つまり、精神は肉体から自由になろうとするわけですが、その精神に、人間存在自体が支配されているという面もあるわけです。

 


その状況からも、人間は何とか逃げ出そうとする。その結果、生み出されたものが「言葉」なのではないか。文学、小説、あるいは詩、俳句といったものは、そのような文脈のなかで生まれたんだと思います。

 


仏教は、精神がもたらす苦しみについて、欲、怒り、無知の3つであると看破しました。そして言葉は、その苦しみから逃げ出すための、強力なツールとなりえます。言葉は現実を写像するものでもなければ、情報交換のツールでもない。身体から離脱した精神性、そこからさらに自由となろうとする思いが、言葉となる。

 


僕は、カウンセリングにおいて用いる言葉についても、その観点から見つめなおすことが必要だと考えています。

 

 

【お知らせ】

2011年6月29日 名越康文連続講義、スタートします。