第5回 「人生のものがたり」とは・・・

第5回 「人生のものがたり」とは・・・

2017.6.30 update.

西村元一(左)×村上智彦(右) イメージ

西村元一(左)×村上智彦(右)

にしむら げんいち(左) 1958年石川県金沢市生まれ。消化器外科医として30余年臨床に従事する傍ら、いしかわ観光特使など多彩な活動で知られる。2006年金沢大学付属病院臨床教授、2008年金沢赤十字病院外科部長、2009年同副院長。2012年石川県医師会理事。2015年3月切除不能進行胃がん発見,数々の啓発活動を経て2017年5月31日逝去。2016年「元ちゃん基金」創設、NPO法人「がんとむきあう会」設立・理事長。「元ちゃんハウス」オープン・運営基金創設。著書『余命半年、僕はこうして乗り越えた!』(ブックマン社)。「がんとむきあう会」ウェブサイト

むらかみ ともひこ(右) 1961年北海道歌登町(現・枝幸町)生まれ。2006年から財政破綻した夕張市の医療再生に取り組む。2009年若月賞受賞。2012年NPO法人「ささえる医療研究所」理事長。2013年「ささえるクリニック」創立。岩見沢・栗山・由仁・旭川周辺の地域包括ケアに従事。2015年12月急性白血病発症。再発を経て2017年2月退院。5月、再々発・闘病を経て11日逝去。著書『医療にたかるな』(新潮新書)『最強の地域医療』(ベスト新書)。「ささえるクリニック」ウェブサイト

 北陸北海道病院勤務地域開業――対照的なそれぞれの現場にあって、それぞれの姿勢で医療に尽くされてきた2人のベテランドクターが、同じ時代にがん患者となって闘病生活を続けられるなか再会を果たされ、ともにケアの意義を語る盟友になりました。

 

 その2人の「患者医」 西村元一氏村上智彦氏に、毎回がん医療にまつわる共通の「お題」(テーマ)に回答いただき、彼らをささえる人たちとのコラボレーションとともに紹介する特別連載、第1回「がんと向きあう」第2回「死の受容」第3回「患者の居場所」第4回「患者の気もち」に続く第5回は・・・ *5月11日に逝去された村上氏・31日に逝去された西村氏より、ともに本連載への回答遺言を託されています。継続して更新してゆきます。【本文中敬称略】

 

テーマ●「人生のものがたり」とは......

 

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 まったく同じものは存在せず、

良くも悪くも 自分の生きてきた証し

   西村元一

 

 

【解説――北陸の地域ではたらく同志として】

元ちゃんの人生を、私はほとんど知らない。

私が知ってるのは、単なる一側面。

だから、「大変な人生だったね。もっとやりたいことがあっただろう。
志半ばだっただろうに」 そんな言葉はかけられない。
 
元ちゃんにとっては唯一無二の人生。
良いことも、悪いことも、いろいろあったけど、
人生のものがたりの中では全てが必然だった、と思えたのかなぁ。
 
そうだ、元ちゃんの言葉を聞いて、高村光太郎「道程」という詩を思い出したんだ。
 
どこかに通じている大道(だいどう)を僕は歩いているのじゃない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立っている
 
元ちゃんの歩いた後に残る足跡を、人それぞれが、その関係性の濃淡で拾い上げ、
その人にとっての「元ちゃんものがたり」を作り上げていく。
人によって違ってよい。ものがたりとしてその人に残れば、
それが元ちゃんの生きた証になる。
いつまでも人と人を繋いでいくことを私に言っていた元ちゃん。
忘れない、それが元ちゃんに対してできる私の恩返し。
私たちは、他人の人生を生きているわけではない。
だからこそ、元ちゃんを忘れない。
私のものがたりの共同著者として、元ちゃんは在る。
私の誕生日に逝くなんて忘れられるわけがない。
 
 ●写真は、元ちゃんハウス(2016年12月オープン)でのひとコマ
佐藤伸彦(さとう のぶひこ)1958年東京都生まれ。国立富山大学薬学部卒業後、同大学医学部卒業。同大学和漢診療学教室研修医、成田赤十字病院内科、飯塚病院神経内科などを経て、富山県砺波市で高齢者医療に従事。市立砺波総合病院地域総合診療科部長、外来診療部内科部長を経て、2009年医療法人社団「ナラティブホーム」創立・理事長。2010年「ものがたり診療所」開設・所長。一般社団法人ナラティブ・ブック代表理事。著書『ナラティブホームの物語 終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ』(医学書院),『家庭のような病院を 人生の最終章をあったかい空間で』(文藝春秋)などがある。

 

 

 

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    なんとなく、いつも思うんですよね。

  「誰かやってくれよ!」と。

  でも、自分でやらなければいけないんです。

 それが、結論ですね

  村上智彦

 

【解説――ともにあゆむ仲間として】

前半の『誰かやってくれよ』という他力本願なところ、

これは誰にもであるものですね。

この、誰かやってくれよ!現象がいまの日本の問題だと、村上は
絶筆となった著書『最強の地域医療』のなかで語っています。
それに気がついて、自分でまず一歩踏み出し、自分でやり始めた村上。
実際、村上が僕を夕張で一緒に働こうと誘ってきた手紙(2007年冬)にも、
 
『ずっと、「誰かがやってくれないかな」と思っていたが、
 自分でやらないとだめだと気がつきました。
 だから、もし良かったら僕と一緒に行動して、変えていきませんか』
 
そう書いていました。
村上のおかげで、僕も自分の意思で東京から家族をつれて
夕張にやってきました。
そして、10年後。村上から僕への遺言には、
 
夕張で一緒に仕事を始めて、あなたのおかげで良い人生になりました。
 大変でしたが、ともに困難を乗り越えて、夢をかたちにできました
 
と書かれていました。
自分で自分のものがたりを歩む決意をし、行動すると、
仲間が増え、人生のものがたりが幸せに、豊かになっていくのです。
人生をどうするのか?どう生きるのか?
簡単に考えれば、誰でもわかるはずです。
自分の人生のものがたりは、
自分で描いていくしかなんですよね。
 
村上が聞いてきます。
あなたはどうしますか?
 
●写真は、西村先生と最晩年のツーショット。
 ハグしあう腕に力がこもりマスクごしに笑みがこぼれた
永森克志(ながもり かつし)1972年富山県生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。佐久総合病院で研修後、村上智彦医師とともに夕張の医療再生に取り組む。栗山町で夕張郡訪問クリニック院長を経て、2013年医療法人社団ささえる医療研究所「ささえるクリニック」岩見沢院長・代表理事。Kindle専門電子出版レーベル「ものがたりくらぶ出版」編集長として『白血病闘病中』『ささえるさんスキーム』『訪問看護ステーション むらかみさんのたちあげかた』『まるごとケアの家と半農半介護』などの刊行に携わる。

 

 

第5回ゲストコメンテーター●加藤忠相  「『命の使い方』をみせられて――『お悔やみを言えなかった僕の決意」

 

村上先生の「誰かやってくれよ」という言葉、自分のこととしてめちゃくちゃわかります

「なんで自分なの?」というか、そこに旗を立たなきゃならないと言われて、振り続けるしんどさというか......。

人からねたまれ嫌われてまで、なんで「自分が」やらなければいけないのか。

みっともないと思われるかもしれませんけど、僕は、自信を持って歩んできた、ものがたりを持っていないのです。だから尻込みします。

僕は、はっきり言って周囲に流されているだけです。毎日、洗濯機に入れられて廻されている気分です。実力に依らず、周りの引きたてだけで、むだに目立って...。そんなことが実に嫌だし、辛いです。先生方にはもうどんなに走っても追いつけませんし、それこそ不遜だとも思います。

「僕にとっての永森先生」は、まだいません。だから正直にいえば、早く楽になりたくって、メディアに露出してPR活動・協力もしているのです。

人の生き死にが、暮らしのなかで当たり前のこととして幸せであってほしいと思い、そのためにみんなが旗をふってくれないかな......毎日そう願うばかりです。

 

西村先生の解説文で佐藤伸彦先生が引用された古詩道の最端にいつでも僕は立っている...。これは世代の感覚なのかもしれないですが、この国の医療・福祉の先駆者、先輩がたはそれぞれに孤独と戦ってきたのだろうと思うのです。広大な芦原を鎌1本もって切り開いてこられたのだとおもいます。

僕らはその開かれた土地になんの種をまいて、どんな花を咲かせるのか?

れを問われる世代なのかなといつも感じています。

 

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 映画『ケアニン~あなたでよかった~』

2017年初夏 全国ロードショー

 

僕は中学までいじめられっ子でした。楽器を吹くことぐらいしか人並みにできることがなくて、それだけを頼りに、吹奏楽が盛んな高校に進学しました(神奈川県立野庭高校)。そこで出会った恩師が、僕の人生を大きく変えました。

卒業して2年後、恩師はガンに侵されました。入院先の病院で、全国大会のステージでタクトを振るために一時退院を申し出たところ、主治医に、「責任持てないので許可できない、どうしてもというなら退院してくれ」と言われ......実際に生徒たちのためにぼろぼろの体で全国大会の会場に来て、指揮棒を振ってくださいました。

その演奏は金賞に輝き、さらに得点をみてみると、日本一の演奏だと評価されました。

 

その後、恩師は亡くなりましたが、あのとき先生が来てくれなかったら、僕も含めて生徒たちの人生は大きく変わっていると思います。

恩師は「命の使い方」を、身をもってしめしてくれたと思っています。

村上先生と西村先生の「命の使い方」は、僕にとってまさにそれでした。

最後のぎりぎりの瞬間まで命を使って何を残すのかを見せてくれていました。

だから、僕は「お悔やみ」を言うことができなかったのです。

 

 その人たちに、後を託されるということの重さ......

「光栄です」と喜ぶだけでは済まない心境なのです。

覚悟とか、僕自身が何歳まで生きるかわからないですけれど、

それに見合う生き方ができるのか。

自分の弱さがわかるだけに何もなし得ないのではないかと。

自分があちらにいくときに先生方から怒られるのではないかと...。

それほど格好いい「命の使い方」をみせられたと思っています。

 

応援してくださる方々が本当に多いことに感謝をしながらも、

誰かから疎まれ、妬まれること、怒られること、

僕はすぐに逃げたくなります

そこで踏ん張って歩き続けたひとの人生は、僕にとっては眩しすぎます

自分がそうしたことを言葉にするのが不遜に感じてしまうのです。

現代のこの国で、医療と介護とが同じ流れにありながら、

ちょっとちがう道をあるくときに、僕にものがたりができるのか? 

・・・僕は、僕として不肖の弟子であれればいいとおもいます。

 

なんだって飲み込んで、成長できるようにがんばります。
 
 
加藤忠相さんと村上先生.jpg
加藤忠相(かとうただすけ)1974年神奈川県生まれ。東北福祉大学社会福祉学部社会教育学科卒業、特別養護老人ホーム勤務を経て、藤沢市にて2001年株式会社あおいけあ設立・代表取締役。2007年小規模多機能型居宅介護「おたがいさん」創立(2017年春公開の映画『ケアニン』のモデル施設)。2012年「第1回かながわ福祉サービス大賞」受賞。慶應義塾大学非常勤講師、NPO法人ココロまち理事長など公職多数。高校時代はドラマ『仰げば尊し』(2016年,TBS系)の原案になったノンフィクション『ブラバンキッズ・ラプソディ 野庭高校吹奏楽部と中澤忠雄の挑戦』・『ブラバンキッズ・オデッセイ 野庭サウンドの伝説と永遠のきずな』に登場するサックス奏者(16期部長)であり、現在もOBバンドに所属する。
 
 

次回予告:私をはげますものとは・・・

 

[各界話題のロングセラー! 富山県砺波市にものがたり診療所あり]

ナラティブホームの物語 終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ イメージ

ナラティブホームの物語 終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ

著:佐藤伸彦 高齢者医療は、ものがたりがつなぐ絆から
超高齢・多死社会を迎えたこの国で、人が安心して死ねる住まいをめざしたチームが富山県砺波市にある。家庭のような病院をめざした医師と、患者固有の物語に添ったケアを追求する看護師と介護福祉士たち。2010年開設以来、全国から熱い注目を集めるナラティブホームはどのように誕生し、日々運営されているのか。さらにその診療、看取り、エンゼルメイク、葬儀、アルバム作りまで、医療者の実践の詳細を1冊にまとめた。

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