第4回 「患者の気もち」とは・・・

第4回 「患者の気もち」とは・・・

2017.6.10 update.

西村元一(左)×村上智彦(右) イメージ

西村元一(左)×村上智彦(右)

にしむら げんいち(左) 1958年石川県金沢市生まれ。消化器外科医として30余年臨床に従事する傍ら、いしかわ観光特使など多彩な活動で知られる。2006年金沢大学付属病院臨床教授、2008年金沢赤十字病院外科部長、2009年同副院長。2012年石川県医師会理事。2015年3月切除不能進行胃がん発見,数々の啓発活動を経て2017年5月31日逝去。2016年「元ちゃん基金」創設、NPO法人「がんとむきあう会」設立・理事長。「元ちゃんハウス」オープン・運営基金創設。著書『余命半年、僕はこうして乗り越えた!』(ブックマン社)。「がんとむきあう会」ウェブサイト

むらかみ ともひこ(右) 1961年北海道歌登町(現・枝幸町)生まれ。2006年から財政破綻した夕張市の医療再生に取り組む。2009年若月賞受賞。2012年NPO法人「ささえる医療研究所」理事長。2013年「ささえるクリニック」創立。岩見沢・栗山・由仁・旭川周辺の地域包括ケアに従事。2015年12月急性白血病発症。再発を経て2017年2月退院。5月、再々発・闘病を経て11日逝去。著書『医療にたかるな』(新潮新書)『最強の地域医療』(ベスト新書)。「ささえるクリニック」ウェブサイト

 北陸北海道病院勤務地域開業――対照的なそれぞれの現場にあって、それぞれの姿勢で医療に尽くされてきた2人のベテランドクターが、同じ時代にがん患者となって闘病生活を続けられるなか再会を果たされ、ともにケアの意義を語る盟友になりました。

 

 その2人の「患者医」 西村元一氏村上智彦氏に、毎回がん医療にまつわる共通の「お題」(テーマ)に回答いただき、彼らをささえる人たちとのコラボレーションとともに紹介する特別連載、第1回「がんと向きあう」第2回「死の受容」第3回「患者の居場所」に続く第4回は...

*5月11日に逝去された村上氏・31日に逝去された西村氏より、ともに本連載への回答遺言を託されています。継続して更新してゆきます。【本文中敬称略】

 

 

テーマ●「患者の気もち」とは......

 

入院直後 - コピー.JPG

 患者の本当の気もちは

患者になってみて初めてわかる

家族、ましてや 医療者には はかりしれない

   西村元一

 

【解説――北陸の地域ではたらく同志として】

他人の事なんてわかるはずがない。

わかったような軽い綺麗な言葉は、

きっと見透かされていて、

患者を傷つけてしまっているのだろう。

山本周五郎の小説『樅の木は残ったの中に

次のような一節がある。

 

人は誰でも、他人に理解されないものを持っている。
もっとはっきり云えば、人間は決して他の人間に理解されることはないのだ。
親と子、良人と妻、どんなに親しい友達にでも――人間はつねに独りだ。
 
ケアの原点は、元ちゃんのいう患者の気もちは
はかりしれないということに、自覚的になる
ところなんだと思う。
元ちゃんの気もちをわかろうと努力する、
その姿勢と態度がすべてなのだろうね。
 
「はかりしれないもの」に「想いを馳せる」
 
愛も友情もケアも、きっとそんなところにある。
元ちゃんの想い、わからないけど、
わかろうとする努力はするからね。
みんな、ずっとそうだからね。
 
 ●写真は、入院直後、奥様とのツーショット(西村家提供)
 
佐藤伸彦(さとう のぶひこ)1958年東京都生まれ。国立富山大学薬学部卒業後、同大学医学部卒業。同大学和漢診療学教室研修医、成田赤十字病院内科、飯塚病院神経内科などを経て、富山県砺波市で高齢者医療に従事。市立砺波総合病院地域総合診療科部長、外来診療部内科部長を経て、2009年医療法人社団「ナラティブホーム」創立・理事長。2010年「ものがたり診療所」開設・所長。一般社団法人ナラティブ・ブック代表理事。著書『ナラティブホームの物語 終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ』(医学書院),『家庭のような病院を 人生の最終章をあったかい空間で』(文藝春秋)などがある。

 

 

 

 

神棚に.jpg

 (病気が完治するのが厳しいと言われた時の気もち?)

こうなると自分では何一つできなくて愕然とします
皆に申し訳ない気もちやら、悔しい気もちです
自分は悲しいですが、案外落ちついて考えています
 
 治療が奏功して
もう一度帰れたらいいなぁ
   と思います  

  村上智彦

 

【解説――ともにあゆむ仲間として】

村上はこの時期に、白血病の再々発を宣告されていました。

だから、絶望の淵にいる患者の答えになったのだと理解してください。
 
絶望の淵にいる患者さんの気もちというのは
なかなか聞けません。
 
村上の心の中で、いろんな気持ちが交錯しています。
でも、死への覚悟を固めている言葉なんだと思います。
 
死を覚悟しても、生きること、
そして可能性の低い治療にも希望を捨てない
村上の強さを感じます。
 
今回の「患者の気もち」というテーマについて、
村上は絶筆となった著書『最強の地域医療』の中で
 
世の中に患者として生まれてきた人などいません。
 入院は体力を奪うし、精神的にも
個人を患者にしてしまう
 
と述べています。
 
以前から、村上は、
医療者が患者の気もちをわかろうとするなら、
医療者である前に一人の人間として
体力も精神力も弱くなった病を持った
『人間』に対しての
気もちを考えてほしいと言っていました。
 
永森克志(ながもり かつし)1972年富山県生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。佐久総合病院で研修後、村上智彦医師とともに夕張の医療再生に取り組む。栗山町で夕張郡訪問クリニック院長を経て、2013年医療法人社団ささえる医療研究所「ささえるクリニック」岩見沢院長・代表理事。2017年6月,2代目理事長就任。Kindle専門電子出版レーベル「ものがたりくらぶ出版」編集長として『白血病闘病中』『ささえるさんスキーム』『訪問看護ステーション むらかみさんのたちあげかた』『まるごとケアの家と半農半介護』などの刊行に携わる。

 

 

第4回ゲストコメンテーター●佐々木淳  「ふたりの言葉に誓う」

 
西村先生と佐々木先生.png 僕はおふたりの言葉を知って、実は内心、少しほっとした。
「患者本位の医療」を長年推進されてきた西村元一先生や村上智彦先生ですら、医療者には患者の本当の気もちは理解できない、ということが病気になって初めてわかったといわれた。
 
では、僕らはその前提で患者さんと向き合えばよいのだ。
それは患者の気もちに無頓着でいい、という意味ではない。理解したふりをして接するのではなく、理解しようとする態度を持ち続ける、ということだ。
 
急性期病院で仕事をしていた10年以上前、僕は、医療という暴力的な正義を無意識に振りかざし、「インフォームドコンセント」の名の下に、患者に妥協を強要していた。
 
 "あの患者はわかってない。
   あの家族は理解力がない"
 そんな言葉を平然と使っていた。
 そんなとき、ある女性の病棟主治医を担当することになった。進行性の運動ニューロン疾患(ALS)で呼吸筋の機能すら失おうとしていた。天井だけを見つめ、身体に閉じ込められて生きていく。そのために必要な24時間のケアが家族の人生をも奪う。誰も幸せにならない――。僕は病状説明を通じて、人工呼吸器を装着しないという選択肢を、それ以外の候補よりも少し強めに示唆した。
 その意図を理解した彼女は、か細い声で抗議した。
 
 死にたい人がいるわけがないでしょう、と。
 
 彼女とはその後、僕が転じた在宅医療のフィールドでもご縁が続くことになった。
 ご自宅で医療機器や介護サービスを使いこなし、生活を楽しみ、自分の人生の主人公として生き続ける彼女を見て、おのれの限られた見識と価値観だけで物事を判断することの危うさを思い知らされた。あのとき、本音をぶつけてくれた彼女に心から感謝している。 
 
 医療の究極の目的は「延命」なのだと思う。死や病気に対する恐怖から人々を守り、平和な日常を取り戻すことが医師の仕事なのだ。
 しかし、人は必ず人生のどこかで治らない病気や障害を抱える。そして必ず死を迎える。誰もその運命に抗うことはできない。
生きることへの渇望と、生きものとしての運命。これは当事者にしかわからない葛藤なのだと思う。誰もが最適なバランスを求めて苦悩する。
 
村上先生と松山夫妻と佐々木先生.png
 理解したいという気もちでその人に伴走することで、その人が心地よいパートナーだと感じてくれたら、そのこと自体が支援になるかもしれない。
 また、その人のすべてが理解できなくても、援助者として自分たちがやるべきことを示唆してくれるかもしれない。
 
医療はその人をささえるための手段の1つにすぎない。そして人生が最終段階に近づくほど、医療だけで解決できる課題は少なくなっていく。
 
死を先延ばしにするために闇雲に治療を続けることも、合理性だけで治療を終了することも、その人を幸せにしない。自分の人生を、自分でコントロールする力を取り戻せることこそが、解になるのだと思う。そのためにも、医療者である前に一人の人として関わる姿勢が大切なのだと思う。
 
特に在宅医療は、「患者」ではなく「生活者」としてのその人をささえ続けるために、そして「在宅の力」を最大限に引き出すために――自宅を病院のような緊張感のある空間にしないよう心しなければならないと、改めて思った。 
たとえ病気や障害があったとしても、その人の生活は続く。求められているのは、安全な病室ではなく、その人にとって快適な居場所であるはずだ。
そんな場所を作るためには、医療者も「専門職」ではなく「生活者」としてその人に関わることが重要なのだ。
 
 「生活者」として「生活者」をささえる。
 
 医師として、そして患者として自分の人生を生き切ったふたりの医師が最後に行きついたのは、人が生きることの全体をささえるという共通の場所だった。
 そして、これこそが究極の医療のかたちなのだと思う。
 
 ●後段写真、松山なつむ・雅一夫妻(訪問看護ステーションかしわのもり)とともに
 
佐々木 淳(ささき じゅん)1973年京都市出身。筑波大学医学専門学群卒業、三井記念病院(内科/消化器内科)在職中の1999年メディカルインフォマティクス株式会社取締役・Founder。東京大学附属病院消化器内科、井口病院副院長、金町中央透析センター長を経て2006年MRCビルクリニック開設(悠翔会の前身)。2008年東京大学医学系研究科博士課程中退、医療法人社団悠翔会創立・理事長/診療部長。都市部の地域・在宅医療チームの旗手として、患者満足度調査の導入等ユニークな挑戦を続けている。編著に『これからの医療と介護のカタチ 超高齢社会を明るい未来にする10の提言』(2016年)、監修に『在宅医療 多職種連携ハンドブック』(2016年)。
 

次回予告:人生のものがたりとは・・・

 

[医療者と患者・家族のふたつの目線で、なっとくのケアを探そう]

患者の目線  医療関係者が患者・家族になってわかったこと イメージ

患者の目線  医療関係者が患者・家族になってわかったこと

編:村上 紀美子

患者の目線で話してみませんか

患者の本当の声を聞くことから始まる「患者が主人公」の医療。それがわかっていても、なかなかできないのが現実である。本書では、医師、看護師、看護教員、医療ジャーナリストなど、20名の医療関係者が、自身の患者・家族体験をもとに〈医療者のおかれている事情〉と〈患者・家族としての本音〉のふたつの“目線”から、「なっとくのケア」へのヒントを医療者に向けて語りかける。

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