第2回 「死の受容」とは・・・

第2回 「死の受容」とは・・・

2017.5.09 update.

西村元一(左)×村上智彦(右) イメージ

西村元一(左)×村上智彦(右)

にしむら げんいち(左) 1958年石川県金沢市生まれ。消化器外科医として30余年臨床に従事する傍ら、いしかわ観光特使など多彩な活動で知られる。2006年金沢大学付属病院臨床教授、2008年金沢赤十字病院外科部長、2009年同副院長。2012年石川県医師会理事。2015年3月切除不能進行胃がん発見,2017年5月31日逝去。2016年「元ちゃん基金」創設、NPO法人「がんとむきあう会」設立・理事長。月「元ちゃんハウス」オープン・運営基金創設。著書『余命半年、僕はこうして乗り越えた!』(ブックマン社)。「がんとむきあう会」ウェブサイト

むらかみ ともひこ(右) 1961年北海道歌登町(現・枝幸町)生まれ。2006年から財政破綻した夕張市の医療再生に取り組む。2009年若月賞受賞。2012年NPO法人「ささえる医療研究所」理事長。2013年「ささえるクリニック」創立。岩見沢・栗山・由仁・旭川周辺の地域包括ケアに従事。2015年12月急性白血病発症。再発を経て2017年2月退院。5月、再々発・闘病を経て11日逝去。著書『医療にたかるな』(新潮新書)『最強の地域医療』(ベスト新書)。「ささえるクリニック」ウェブサイト

 北陸北海道病院勤務地域開業――対照的なそれぞれの現場にあって、それぞれの姿勢で医療に尽くされてきた2人のベテランドクターが、同じ時代にがん患者となって闘病生活を続けられるなか再会を果たされ、ともにケアの意義を語る盟友になりました。

 

 その2人の「患者医」  西村元一氏村上智彦氏に、毎回がん医療にまつわる共通の「お題」(テーマ)に回答いただき、彼らをささえる人たちとのコラボレーションとともに紹介する特別連載、第1回「がんと向きあう」とは……の圧倒的ご好評に感謝して、さっそくの第2回です。

*5月11日に逝去された村上氏・31日に逝去された西村氏より、ともに本連載への回答遺言を託されています。継続して更新してゆきます。【本文中敬称略】

 

テーマ●「死の受容」とは……

 

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 絶えず頭の片隅にあるものの、

受け入れたくないというのが本音であり、

できるだけ目を背けている

   西村元一

 

【解説――北陸の地域ではたらく同志として】

そもそも「死を受け入れる」ということは、

元ちゃんに求められる「あるべき姿」なのだろうか。

受け入れられないのは元ちゃんのが悪い?
そんなことはないはず。
 
自分の死、1人称の死は決して本人にとっては事実ではない。概念でしかない。
死んだという事実を自己確認できない。
だから、対象としては曖昧模糊で
絶えずどこかに見え隠れし不安と恐怖を与えてくる。
意識しながらもできるだけ目を背けているのは、
今の元ちゃんの生きる力の裏返しなんじゃないかな。
死の受容なんて、考えて考えて理屈で結論を出すもんじゃないよ。
誰にもわからないことだし、
皆がおそらく最期に腑に落ちる時がくる、
そんなものじゃないかと思う。
だから、元ちゃんの言葉は正直な気持ちだし、決して下を向いていないね。
覚悟はしても、受容なんて、敢えて問いを作るのはやめよう。
 

佐藤伸彦(さとう のぶひこ)1958年東京都生まれ。国立富山大学薬学部卒業後、同大学医学部卒業。同大学和漢診療学教室研修医、成田赤十字病院内科、飯塚病院神経内科などを経て、富山県砺波市で高齢者医療に従事。市立砺波総合病院地域総合診療科部長、外来診療部内科部長を経て、2009年医療法人社団「ナラティブホーム」創立・理事長。2010年「ものがたり診療所」開設・所長。一般社団法人ナラティブ・ブック代表理事。著書『ナラティブホームの物語 終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ』(医学書院),『家庭のような病院を 人生の最終章をあったかい空間で』(文藝春秋)などがある。

 

 

 

 

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  覚悟すること! 

まわりに感謝してもしきれないですが、

心残りがあると覚悟ができません

   村上智彦

 

【解説――ともにあゆむ仲間として】

村上は、白血病になり真っ先に『死』について意識したそうです。

遺言も書いたと言っていました。

彼の大好きな佐藤伸彦医師の(末期が近づいた患者さんに常に問いかける)言葉
 やり残したことはないか
 いい残したことはないか
 食べ残したものはないか
 を何回も自問自答したようです。結果として、その言葉のことをやりきり、
心残りを絶ち、覚悟することが、死への受容につながるとおもっているようです。
 
義理堅い彼は今まで、ささえてきてくれた周りの人たちへの感謝を忘れません。
ただ、その人たちへの感謝を考えると恩返しできていない自分に不甲斐なさを感じるようです。
だから、周りへの感謝は尽きないけど、そのまま周りの人への心残りとなり、
それに執着してしまう。そこにはまだまだ悩んでいるようです。
でも、もし、仲間とのつながりが、心残りにもなり、覚悟を鈍らせたとしても、
そのつながりが、彼にとって、死に向かっていく希望の光にもなっていると僕は思います。
 ●写真は、気仙沼にて村上撮影(2011年5月頃)
 
永森克志(ながもり かつし)1972年富山県生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。佐久総合病院で研修後、村上智彦医師とともに夕張の医療再生に取り組む。栗山町で夕張郡訪問クリニック院長を経て、2013年医療法人社団ささえる医療研究所「ささえるクリニック」岩見沢院長・代表理事。Kindle専門電子出版レーベル「ものがたりくらぶ出版」編集長として『白血病闘病中』『ささえるさんスキーム』『訪問看護ステーション むらかみさんのたちあげかた』『まるごとケアの家と半農半介護』などの刊行に携わる。

 

 

第2回ゲストコメンテーター●宇都宮宏子「在宅ケア移行支援」の伝道師ナースが、友として

 

 

そうだなぁ、と思う。「受容した患者」を望んでいるのは
医療者の勝手な言い分なんや。
 
退院支援の場面で、「現状が受け入れられない患者さん」
「受容できていない患者さん」という表現を聴くことが多い。
 
看護師は、主治医に対して
 
再度、IC(インフォームド・コンセント)をして! 
 ちゃんと理解できるように説明してくださいと……。
おいおい、『これでもか』って、(死の)引導渡せっての?
 
って主治医の心の叫びが聞えますね。
現状はわかっている、わかっているけど、
そうではない自分でいることを表現する……
それは自分自身のため、 周りにいる大切な家族のため……
どこかで、それぞれが腑に落ちる時がくる、
そうなんだよね。
 

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病気がわかってからの西村先生、そして村上先生は、「死」を意識して、何度も覚悟をする場面に向き合って、 それでも、大事なこと、多くのことをそれぞれの活動地域だけではなく、全国に伝え、発信している。
 
私が、「医療の在り方、求められる看護」を考え、現場を動かした時、ド~ンと背中を押してくれたのが、 夕張にいた村上智彦先生。そして2008年の、秋山正子さんの「30年後の医療の姿を考える会」だった。
 
2014年、夕張に会いに行って、(大学病院から)独立してからも、札幌での仕事があるときは岩見沢へ、旭川へと連れて行ってもらって……
 
村上先生が、私が活動する上での灯台だった。
 
覚悟できていないのは、私かもしれないなぁ。
 
宇都宮宏子(うつのみや ひろこ)1959年福井県生まれ。京都大学医療技術短期大学部(当時)看護学科卒業。数々の現場を経て2002年に京大病院で 「退院調整看護師」として活動開始。2012年4月より『在宅ケア移行支援研究所』創設。医療機関の在宅移行支援、地域の医療介護連携推進、在宅医療推進事業研修・コンサルテーションを中心に活動している。聖路加国際医療大学臨床教授、京都府看護協会担当委員(認知症サポートナース・退院支援・看取り支援人材養成研修等)、東京都在宅療養推進会議退院支援強化事業・在宅療養支援員養成研修委員等公職多数。主著に『退院支援実践ナビ』(医学書院)『看護がつながる在宅療養支援』(日本看護協会出版会)『退院支援ガイドブック』(学研メディカル秀潤社)がある。
 
 

次回予告:患者の居場所とは・・・

 

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