がん患者と看護師のコミュニケーション

がん患者と看護師のコミュニケーション

2011.4.19 update.

川名典子 イメージ

川名典子

杏林大学医学部付属病院看護部、精神看護専門看護師。聖路加看護大学大学院修士課程修了(精神看護学)、東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学博士課程修了(看護管理学)。聖路加国際病院勤務を経て現職。リエゾン精神看護師として、また、院内外の活動を通して、がん患者さんの心の問題に取り組んでいる。

がん患者とのコミュニケーションに悩み、特別なコミュニケーションスキルを必要と考える看護師は少なくないようです。

しかし、長年、がん患者の心の問題に取り組んできた川名氏は、「患者さんに付き合う看護師に求められるコミュニケーションとは、ふつうの言葉のキャッチボール」と話します。

 

おうむ返しでは、共感は伝わらない

 

―― 近年、医師を対象とした、患者とのコミュニケーション技術研修会が催されたり、2010年度の診療報酬改定では、看護師の配置が算定要件に含まれている「がん患者カウンセリング料」が設けられたり、がん患者とのコミュニケーションに対する関心は高まっているようです。

川名 これまで、がん患者さんとのコミュニケーションについての研修会、セミナー等を行ってきて、募集をかけると、すぐに多くの方から申し込みをいただいて定員が埋まっていました。参加者の方々を見ていても、とても関心が高いように感じていました。

 

―― 研修会、セミナーで、“ふつう”の、日常的なコミュニケーションが大切だと話されていたのが印象的でした。

川名 セミナー修了後に、「今まで、患者との会話では“おうむ返し”をしていたけど、なかなかうまくいっていなかったので、ふつうの会話をしてみようと思います」「自分の本当の気持ちを伝えていいんですね」といった感想を話す方が多いです。

がんを患った患者さんとコミュニケーションをとるには、特別なスキルを身につけなければいけないと思う方は少なくないようですが、特殊な技術があればよいというわけではありません。むしろ技術よりも人としてのかかわり方が大切なのではないでしょうか。

 

―― 看護師さんのコミュニケーションというと、まず、傾聴、共感といった姿勢が思い浮かびます。

川名 確かに傾聴、共感は大切です。ただ、共感する、共感していることを患者に伝えるための過程、考え方はさまざまだと思います。

相手が発した言葉を繰り返す、おうむ返しが共感を示すのに適しているとよくいわれますが、おうむ返しで、共感が相手に必ず伝わるかといえば、私はそうではないと思います。

 

死に直面してとても不安だったり、自分の人生を真剣にふりかえったり、これからの人生について深く考えようとしている方たちに対して、おうむ返しを用いたコミュニケーションをとることによって、私たちが真剣に患者さんのことを考えていること、共感しているということが相手に確実に伝わるわけではないと思います。むしろ、技術的なオウム返しでは、伝わらないことのほうが多いかもしれません。

おうむ返しを100%否定するわけではありません。ただ、おうむ返しをすればよいというような、マニュアル的、教条主義的な考えはいかがなものでしょうか。

 

また、共感が大切といっても、簡単に共感できるものではありません。がん患者になったことのない私たちには、わからないことってありますから。「わかってあげたい気持ちを伝えたい、ただ、わからないことはわからない」で仕方がありません。

共感したつもりになるとか、共感したふりをすることよりも、わからないことでも、できるだけわかろうとする姿勢、理解できていないことを自覚したうえで、しっかりと患者さんにかかわっていこうとする努力、そういった正直さ誠実さのほうが大事だと思います。

 

告知によって変わる、“その後”

 

―― 告知のときと、告知後ではコミュニケーションは変わるのでしょうか。

川名 そうですね。告知のときに中心となるのは、医師です。そして、告知の仕方によって、患者さんの精神的な状態は大きく変わります。

告知後、もしかしたら死ぬかもしれないという現実に患者さんは直面します。そのとき、患者さんが前向きに、その人らしく歩んでいくためには、患者さんと医師、看護師の間に信頼関係が成り立っていることが必要です。

そして、いつか治癒が望めないことを認めざるをえないとき、医療者が患者さんのことを真剣に考えているということを患者自身がわかってはじめて、困難を受け入れられると思うのです。

 

信頼関係が築かれていなければ、患者さんの怒りが医療者側に向かっても不思議はありません。また、いらいらして、医療不信に陥り、医療を信じられなくなると、代替療法にばかり目が向いてしまったりすることもあります。

治療の選択そのものは患者さんの自由ですが、情報不足や誤解、不信感に大きく影響されて選択した治療が、本当に患者さんの希望にそった選択だったといえるでしょうか。周りの医療従事者を信頼できない環境で、治療や養生生活を続けることは、精神的に、とても負担の大きいことだと思います。

 

また、医師と看護師では、それぞれの役割、患者さんとの関係性も違いますから、コミュニケーションの形も違うものになると思います。

医師の場合、バッドニュースをいかに伝えるかが、患者さんとのコミュニケーションにおける大きな課題になるでしょう。看護師の場合、バッドニュース告知の時点ではなく、その後の継続的なかかわりにおけるコミュニケーションが重要になります。

告知後に患者さんに寄り添っていくのは看護師です。治療することは看護師の役割ではなく、治療できようができまいが付き添っていく、ケアするのが看護師の仕事です。それは自然と、人生に付き合っていくという役割になるでしょう。

 

告知後に患者さんに付き合う看護師に求められるコミュニケーションとは、ふつうの言葉のキャッチボールです。ふつうの、あたりまえの人と人としてのやり取りがないと患者さんも看護師も精神的に居心地が悪いと思いますし、ときには、患者さんが精神的なバランスを崩すこともあると思います。

また、看護師が、聞く、傾聴するだけでは聞き手がサンドバッグのようになることもあるかもしれませんが、これではコミュニケーションとしてみると、一方通行です。それに看護師が打たれるばかりのサンドバックになっていいはずがありません。

私は、患者さんと看護師のあいだで“ふつう”のコミュニケーション、会話のキャッチボールを行えることが大切だと考えています。

 

ふつうの言葉のキャッチボールが

患者さんの生活環境を整える

 

―― 会話のなかで、患者さんが話したいこと、抱えている悩みはさまざまだと思いますが、相手が話したいことを察知する、うまく返事をすることはむずかしくはないのでしょうか。

川名 うまく返事しようと思う必要はないと思います。人によって返事が違うのも、会話ではあたりまえのことです。

その人の臨床経験、人生経験や人柄などによって異なる返事があって当然です。なにか深刻な話題のサインがあったとしても、拾えないものは拾えません。ただ、だからといって、拾えないからダメというわけでもありません。

 

たとえば、年配の患者さんが孫の問題で悩んでいて、その話題を24,5歳の若手の看護師に話したとしても、解決できるような返事を望んでいるかといえば、そうではないと思います。真剣にアドバイスを期待するなら、ある程度の人生経験がある人に話すのではないでしょうか。

問題解決だけではなくて、「お孫さん、大変ですね」と話す気づかいだけで、若い看護師の対応は十分だと思います。誰もが同じように返事をしようとする必要はありませんから、楽に会話をしてほしいですね。できないことはできないのですから。

 

―― 話題が深刻な内容になってきたらどうしたらいいんでしょうか。

川名 患者さんが話したい話題であれば、どんどん会話のキャッチボールをすればいいです。

たとえば、話題が死に関する内容になると、話を続けたら、相手は傷つくんじゃないか、あるいは極端な話、相手の死が早まるんじゃないかみたいな考えにとらわれる方がいます。しかし、話したからといって死ぬわけじゃありません。

患者さんが話したいのなら、話したいことをがまんさせてしまうことのほうが心理的な負担となってしまいます。その負担を軽減することのほうが大切なのです。むしろ、話題を避けたがっているのは医療者のほうだという自覚があってもいいかもしれませんね。

 

もし、患者さんの気持ちが気がかりだったら、「この話題がお嫌だったらいいですけども」「こういうことを聞いてもいいですか」と聞いてみるといいと思います。話したくなさそうだったら、「今、この話題はやめましょうか」、踏み込み過ぎたと思うなら、「ちょっと言いすぎましたか?」などと、看護師が自分の考えや思いを伝えればよいのではないでしょうか。自分が相手の気持ちを確認したいということを、ふつうの言葉で伝えればいいと思います。

 

 “ふつう”の会話のキャッチボールをできること自体が、患者さんの精神衛生のために必要な環境の一部であると理解して、ていねいに、看護師の気持ちも伝えながら、患者さんとコミュニケーションをはかってみてください。

このページのトップへ