第6回【最終回】 「私をはげますもの」とは・・・

第6回【最終回】 「私をはげますもの」とは・・・

2017.9.04 update.

西村元一(左)×村上智彦(右) イメージ

西村元一(左)×村上智彦(右)

にしむら げんいち(左) 1958年石川県金沢市生まれ。消化器外科医として30余年臨床に従事する傍ら、いしかわ観光特使など多彩な活動で知られる。2006年金沢大学付属病院臨床教授、2008年金沢赤十字病院外科部長、2009年同副院長。2012年石川県医師会理事。2015年3月切除不能進行胃がん発見,数々の啓発活動を経て2017年5月31日逝去。2016年「元ちゃん基金」創設、NPO法人「がんとむきあう会」設立・理事長。「元ちゃんハウス」オープン・運営基金創設。著書『余命半年、僕はこうして乗り越えた!』(ブックマン社)。「がんとむきあう会」ウェブサイト

むらかみ ともひこ(右) 1961年北海道歌登町(現・枝幸町)生まれ。2006年から財政破綻した夕張市の医療再生に取り組む。2009年若月賞受賞。2012年NPO法人「ささえる医療研究所」理事長。2013年「ささえるクリニック」創立。岩見沢・栗山・由仁・旭川周辺の地域包括ケアに従事。2015年12月急性白血病発症。再発を経て2017年2月退院。5月、再々発・闘病を経て11日逝去。著書『医療にたかるな』(新潮新書)『最強の地域医療』(ベスト新書)。「ささえるクリニック」ウェブサイト

 

 北陸北海道病院勤務地域開業――対照的なそれぞれの現場にあって、それぞれの姿勢で医療に尽くされてきた2人のベテランドクターが、同じ時代にがん患者となって闘病生活を続けられるなか再会を果たされ、ともにケアの意義を語る盟友になりました。

 

 その2人の「患者医」 西村元一氏村上智彦氏に、毎回がん医療にまつわる、共通の「お題」(テーマ)に回答いただき、彼らをささえる人たちとのコラボレーションとともに紹介する特別連載、第1回「がんと向きあう」第2回「死の受容」第3回「患者の居場所」第4回「患者の気もち」第5回「人生のものがたり」に続く、最終回です。

*5月11日に逝去された村上氏・31日に逝去された西村氏よりともに本連載への回答遺言を託され、継続・更新しました。【本文中敬称略】

 

テーマ●「私をはげますもの」とは……

 

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家族と仲間の存在

加えて

自分が誰かの役にたっている

かもしれないという気もち

西村元一

 

【解説―北陸の地域ではたらく同志として】

病床で死を間近に感じつつ、(編集部から提示された)「はげます」
という言葉は、少し違う感覚だと言っていましたね。
今をしっかり見つめ、今を生きるために、乱れた心を鎮めるための力がこの答えだと。
家族と仲間の存在が大きかったんですね。
家族だけでも、仲間だけでもダメなんだと言っているようでした。
そして、人の役に立っているという気もちもまた心を安定させる力になっていたのでしょう。
 
亡くなる2日前、元ちゃんのところにお邪魔したとき、僕はなにも言えず、ずっと手を握っていた。
そのとき突然、元ちゃんが奥さんに向かって、
「男どうしがこんなところで手を握って見つめあってるのはまずくないか?」。あのいたずらっぽい笑顔が忘れられない。
 
奥さんがまた「失礼しました、私(部屋から)出ましょうか」と当意即妙に切り返されて・・・
「じゃあ、カミングアウトしますか」とつい私も・・・
 
あの小さな病室の空間、場に感じたのは、何か聖なるものでした。
生きたいという強い欲望でもなく
生きていけないという深い絶望でもない。
まさに、生ききろうとしている自然体の元ちゃんという聖なる存在を、
何ともいえず敬う気もちが、もしかしたら信仰の原点なのかもしれない。
 
元ちゃん、人は関係性の中で生きている。
いや、生かされているのですね。色々とありがとう。
 
佐藤伸彦(さとう のぶひこ)1958年東京都生まれ。国立富山大学薬学部卒業後、同大学医学部卒業。同大学和漢診療学教室研修医、成田赤十字病院内科、飯塚病院神経内科などを経て、富山県砺波市で高齢者医療に従事。市立砺波総合病院地域総合診療科部長、外来診療部内科部長を経て、2009年医療法人社団「ナラティブホーム」創立・理事長。2010年「ものがたり診療所」開設・所長。一般社団法人ナラティブ・ブック代表理事。著書『ナラティブホームの物語 終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ』(医学書院),『家庭のような病院を 人生の最終章をあったかい空間で』(文藝春秋)等。
 

 

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|最終回ゲスト●西村詠子(NPO法人

がんとむきあう会理事長・元ちゃんハウス代表)|

「私を今、はげますもの」

それは主人の遺してくれた

有形、無形のもの、そしてつながりです

 

 私は、本当なら普通の専業主婦でしたので、淋しい未亡人になっていたかと思われますが、今、がんとむきあう会の理事長という過分な立場にいます。

 元ちゃんハウスをつくりたい!」という主人の遺志を継ぐという形になりましたが、そんな個人の想いのレベルではなく、ご支援いただく方が多くなればなるほど、社会的にも必要だと言ってくださる方が多くなればなるほど、来てくださって、こんな場所ができて良かったと言ってくださる患者さんやご家族が多くなればなるほど責任を感じますし、身の引き締まる思いです。しかし、そのことが私を強くしてくれています。

 非力な私を支えて共に活動してくれる大好きなメンバーが、私の気もちを察して寄り添ってくれています。

 また、他にも私のことを、そして元ちゃんハウスのことを気に掛けて心を寄せてくださる方がいてくれること自体がとても嬉しく、力をもらえます。

 ふり返れば、主人は、独り遺す私のための居場所を作ってくれたんだと思います。

 自分と遺す家族のために必要なものなら、他のがん患者さんと家族にも必要なものに違いないとの確信をもって。主人は病院勤務の外科医としてのつながりに加えて、特に金沢赤十字病院へ赴任してからは地域の先生方や、色々な方々とつながらせていただきました。そのおかげで今の私も沢山の方にお世話になっています。有難いです。

 

 不本意ながら病気となり命の終わりを意識せずにはいられなくなったとき、主人は失うものが大きすぎて、口惜しくて無念で、後悔してもしきれなくて……でも、仕方ないと諦め、その中で必死に最期まで、少しでも多くのものを遺したいと願い、生涯現役で生きたかったんだと思います。

 そんなとき、村上智彦先生という素晴らしい医師と“闘病同志”となったことで、辛い中にも喜びや心強さや励ましの念を持てたのだと思います。

 

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 私たち夫婦だけでは細いひょろひょろの木ですが、村上先生、そして佐藤伸彦先生、永森克志先生をはじめ素晴らしい皆様方のお言葉が枝葉をつけてくださり、大きな樹となっていったように感じています。

 二人では気づけない意義づけをしてくださって改めて救われる思いです。

 本当にお世話になりました皆様に、心よりお礼申し上げます。

●写真は病室での夫婦ツーショット(村上紀美子撮影)。下は2015年に坂町ミモザの家を訪問したときの記念。

 

 

 

 

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  つながりだと思う。ありがとう

みんなのおかげで、また力が増えました

つながりによって……

いつもそう思っています

   村上智彦

 

【解説―ともにあゆむ仲間として】

つながりだと彼は言います。最愛の奥さんとのつながり
彼自身が大きな家族と言うささえるのスタッフとのつながり
佐藤伸彦先生、西村元一先生とのつながり。
そして、全国の彼の仲間とのつながり。
 
宇都宮宏子さんも以前に、『同じ思いを持ち続け、頑張っている
仲間がいること、そしてつながっていくことで、大きな力になります』
と、村上とまったく同じことを言っていました。
 
僕はそのつながりを『愛』だと言いたい。
 
キューバ革命を成し得たチェ・ゲバラが、
真の革命家を動かすものは大きな愛だと言ってました。
 
村上智彦、きみは革命家なのです!
 
きみが、太陽のような愛の光をふりまいて、
宇都宮宏子さんの心を明るくし、力を与えた。
下河原忠道さんの未来を光で照らし、道を示した。
佐藤伸彦さんの影をあたため、冬を越す力を与えた。
「ささえる」のスタッフはコミュニティの力を信じることができた。
 
君が放った愛の光がみんなを照らし、
つながりの花たちとなり、咲き乱れる。
その花束を手に取り、心地いい香りの中で力をもらったって、
はげまされたって、また、君は喜ぶんだね。
 
君がここにいたことを思って、
僕もみんなも、胸が痛くなって、
目に水が溜まるかもしれないけど、
それは、つながりの花が枯れないために必要な水だからね。
 
君という光を含んだその愛の花束で、
これからも多くの人を励まし、
つながりによるやさしさ革命だなんて、笑いながら、
ゆっくりとやさしい世界に変えていくからね。
 
だから、きみは僕らにくれた遺言どおり、
その空から、愛というつながりの光を放ち、
ずっと見守っていてね。
 
●写真はトークイベント「医療をするもの、うけるもの〜その隙間をつなぐものがたり」最後の集合写真(2017年4月15日。主催:ものがたりくらぶ、共催:マギーズ東京/金沢医科大学呼吸器内科、企画:ものがたり企画)
 
永森克志(ながもり かつし)1972年富山県生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。佐久総合病院で研修後、村上智彦医師とともに夕張の医療再生に取り組む。栗山町で夕張郡訪問クリニック院長を経て、2013年医療法人社団ささえる医療研究所「ささえるクリニック」岩見沢院長・代表理事。Kindle専門電子出版レーベル「ものがたりくらぶ出版」編集長として『白血病闘病中』『ささえるさんスキーム』『訪問看護ステーション むらかみさんのたちあげかた』『まるごとケアの家と半農半介護』などの刊行に携わる。

 

 

 

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|最終回ゲスト●村上浩明(医療法人社団

ささえる医療研究所 副本部長)|

「私を今、はげますもの」。つながりです

 

 父が私に遺してくれたのはいくつかの短い言葉と、すばらしい人たちとのつながりでした。私が前を向けたのは、その人たちとのつながりが私を励ましてくれているからです。
 
 白血病だとわかったとき、真っ先にと駆け付けてくれた人たちがいました。主治医にもうダメかもしれないと言われたとき、病室に入れなくていい、会えなくてもいいからと傍に来てくれた人たちがいました。「ささえる」の大切ななかまたちが、父や私たち家族をいつも助けてくれました。多くの人々から、手紙や写真やSNS等を通じて励ましの言葉をいただきました。どなたも誠実で、公(おおやけ)のために働く人たちばかりです。
 
 何をしたら、ここまで人に思われるのでしょうか。
 若月賞を受賞したから?
 夕張の医療を立て直したから?
 地域医療のありかたを提唱したから?
 本当にそうでしょうか?
 
 そもそも、父がしてきたこととは何だったでしょうか?
 ジャンルを問わず地域のために先進的な活動をしている人の背中を叩き、
「あんたはすばらしいよ! 間違ってないからこのまま続けてよ!」と声をかけていました。おもてなしが大好きだったので、来てくれた人にはお気に入りの場所を案内していました。ゲストが初対面にもかかわらず、数時間は熱く地域医療やケアを語り続けていました。
 
「村上智彦の一番の功績は、人を育てたこと」
 
 そう言われたことがあります。ですが、父が教育熱心な人だったとは思えません。人に何かを教え込むようなことは、好きではなかったと思います。
 
その代わりに父は、まず背中を見せました。誰よりも汗をかき、誰よりも熱意を示しました。そうしてついてきた人たちに、何もかも任せました。疑いもせずにやれると信じ切って、権限も全て渡しました。その姿を見守り、応援し続け、成果を上げれば自分のこと以上に喜びました。
これが父のしていた「人を育てる」ということです。
 
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父はいつも誰かのために、公のために働き続けていました。
そんな父だから多くの人を勇気づけ、その人たちに慕われ、幸福な人生をまっとうできたのだと思います。
父は、彼と関わった周りの人々にささえられている人でした。
治療のさ中、何度も何度も挫けて、身内に当たり散らし、もうダメだと悲観的になりました。そんな状態でも、お見舞いに来てくれた誰かと話せばたちまち元気になりました。
亡くなる1週間前の病状のなかですら、客人と3時間以上語り続けていました。
 
そして今は、父を慕う人たちが私たちを励ましてくれています。
 
「父親が有名だと大変じゃない?」
よく言われる言葉ですが、実はそう思ったことはありません。
では、「村上智彦の息子」としか見られないことは?
これも、悪く思ったことなどありません。彼の息子だったおかげで、誰もが気さくに声をかけてくれます。貴重な話をしてくれます。無償でノウハウを教え、育てようとしてくれます。父親が亡くなっても、親戚のように励ましてくれます。こんなに恵まれたことはありません。父に、そして私を励ましてくれる素晴らしい人たちに、感謝しかありません。

少しでもそれを返せるよう、私も公のために、少しずつでも貢献していきたいと思います。 

●写真は「ささえる医療研究所」入社式でのツーショット。下は「ささえる」スタッフとして初出勤で父らに出迎えられたときの様子。
 

 

最終回コメンテーター●下河原忠道  「私を今、はげますもの

 
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思いが溢れるんだ。あの人にだけは思いっきり甘えられる。
お兄ちゃんみたいな存在。兄貴が生きていたらきっとあんな人だったんだろうなぁって。
 
先生の容態が悪化していると聞き、胸が張り裂けそうな日々を過ごしていた。家族の前で大声で泣き叫んだ夜もあった。改めて自分の心の支えだったこと、大きな存在だったことに気がつかされた。
 
そんなときに奥様の千春さんから、村上先生から僕宛に とメッセージをいただいた。そこにはこう書かれていた。
 
「下河原さんが夢だった。下河原さんが夢を表してくれる。
 凄く嬉しい。自分の恩師や永森みたいに、人を育てる、
 そういう人になると思っている。作るのが大変なのは自分も
 よくわかっているけど、何年かした時に後に人が続いて
 色んな形になっていたらいいなぁ。
 ありがとう。心配してくれて。充分だよ」
 
僕は無理を承知で、お願いのメッセージを千春さんに送った。
いや、お願いではない。断られても行きますとすでに家を出ていたのだ。
村上先生との夕張での出会いをつないでくれた本(『村上スキーム』)を抱きしめて。
わがままは認めます。たくさんの人たちが会いたい気持ちを我慢しているのに。でもどうしても我慢できなかった。そして、やっぱり先生は会ってくれた。
 
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病室には村上先生と話す北大の若い医師がいた。その若い医師は村上先生に憧れていたと告白をしていた。
ここにも同じ気持ちの人がいることが無性に嬉しかった。
 
村上先生は普段と何も変わらない表情で僕の顔を見て微笑んでくれた。
いろんな話をしてくれた。あの大雪の中、夕張で出会った日のこと。
安心して人が死んでいける住宅をつくること。
家族のこと。これからの事業のこと。
私の事業がシンガポールで表彰されたのを自分のことのように喜んでくれた日のことも。死の淵に立たされているこの瞬間にも人の心配をしている大地のようなデカさ。
いつもの村上智彦だった。強くて優しくて希望の人そのものだった。
つらかった。この世界からいなくなってしまうと思うと苦しくて寂しくて胸が張り裂けそうだった。でも、悲しんでいる場合じゃないんだぞと感じさせる強さを村上先生は見せ続けてくれた。
いつものようにやる気に満ち溢れた状態で僕を送り出してくれたのだった。
なんて人なんだろう。僕は村上智彦になりたい。少しでも村上智彦に近づきたい。
病室を出る時に最後に見た先生は、天井を仰ぎ、心に刻む祈りのような表情だったことを今でもはっきりと覚えている。
 
大切なことはすべて先生が教えてくれた。
会いたい。村上智彦に会いたい。
あの人は優しいからすぐに甘えさせてくれるけど、もうここにはいない。でも、すごく強い力で今でも支えてくれている。これからどんなことがあってもそばにいてくれると思っている。もう孤独ではないと教えてくれたんだ。
 
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勇気を持って進んでごらんと、いつも励ましてくれた。
俺たちで変えるんだ。絶対にできる。多くの人に希望を与えてくれたあの人に続いていくんだ。
 
村上智彦が目指している場所は、今でも誰かの心に生き続けている。
 

下河原 忠道 (しもがわら ただみち)1971年東京都生まれ。株式会社シルバーウッド代表取締役。一般財団法人サービス付き高齢者向け住宅協会理事・高齢者住まい事業者団体連合会 幹事等。2000年高齢者住宅・施設等の企画,開発,設計,運営を手掛けるシルバーウッド社設立。2011年直轄運営によるサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」開設。2017年現在、設計段階含め12棟の高齢者住宅を経営中。2016年、VR(バーチャル・リアリティー)を通して一般人が認知症のひとが感じる世界を垣間見られるソフトウェアを開発すべく「VRでの認知症体験」プロジェクト開始。2015年、「銀木犀」の取り組みでアジア太平洋高齢者ケア・イノベーションアワード最優秀賞受賞。2017年、「VRでの認知症体験」で、同アワード「BEST SMART CARE TECHNOLOGY-SERVICE部門」最優秀賞受賞。

 

Special Thanks:トークイベント「医療をするもの、うけるもの〜その隙間をつなぐものがたり」(2017年4月15日。主催:ものがたりくらぶ、共催:マギーズ東京/金沢医科大学呼吸器内科、企画:ものがたり企画)

協力:秋山正子,宇都宮宏子,ものがたり企画,たくさんのみなさま

連載写真提供:西村家,村上家,道上俊哉,そのほかたくさんのみなさま

 

[医学書院のロングセラー紹介~ 多死時代のプライマリヘルスケア その答えは暮らしのなかに]

地域医療と暮らしのゆくえ  超高齢社会をともに生きる イメージ

地域医療と暮らしのゆくえ  超高齢社会をともに生きる

著:高山義浩

この国の津々浦々でひとびとの暮らしが支えられ、明日につながるために

世界の貧困・紛争をテーマにさすらった若者が、医師となって、佐久で若月俊一の魂に出会った。沖縄にあっても地域医療の前線にあり、時に霞が関のミッションを帯びて奔走し、どの現場でも汗を掻き続けるその目に「地域包括ケアシステム」の実像はどう映るのか。この国のかたちをどう模索しているのか。診療の傍ら多方面に発信する著者による、現代に老い病むひとを支えたいすべての医療者に捧げる提言の書。

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