1-2 「病院から在宅へ」は本当に現実的か?

1-2 「病院から在宅へ」は本当に現実的か?

2013.3.04 update.

なんと! 雑誌での連載をウェブでも読める!

『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3月曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!

→田口ランディさんについてはコチラ
→イラストレーターは安藤みちこさんブログも

→『訪問看護と看護』関連記事
懸賞論文募集中!(テーマ:胃ろうをつけた“あの人”のこと。賞金10万円)
【対談】「病院の世紀」から「地域包括ケア」の時代へ(猪飼周平さん×太田秀樹さん)を無料で特別公開中!

1−1からつづく)

「在宅看取り」の難しさ

 そんな義父が大腿部骨折で入院したときも、私は単純に骨折の手術をすればよくなるものと思っていました。たしかに、骨折は手術で治りました。でも、入院中に義父はぼけが進み、食欲を失い、げっそりと痩せてしまいました。ついにはリハビリをする気力も失ってしまったのです。

 始めは退院したら在宅介護……と思って準備をしていたのですが、あっという間に介護ではなく「看護」が必要な状態になってしまいました。ケアマネジャーさんと相談して、在宅看護のための看護師さんを探しましたが、当時、私の住んでいた町には、訪問看護ステーションが1つしかありませんでした。「在宅で看護できるのだろうか?」と不安でしたが、それでも退院に踏み切ったのは、このまま入院していたら、間違いなく病院で死ぬことになるだろう、と感じたからです。

 病院は、骨折は治してくれました。でも、それ以外のことはしてくれませんでした。……いえ、この言い方は間違っています。90歳を超えて日々老いていく身体を、誰も若返らせることはできないのです。次から次へと原因のよくわからない症状が出てきます。医師でも対応できません。仕方なく、気休めの薬が出ます。

 最初のうち、私は病院の対応にとても腹を立てていました。もう少し精神面でのケアができないものか……と。しかし、それは骨折で運ばれた救急病院に望むことではないのかもしれない……と思うようになっていきました。「老人」は、単なる病人や怪我人とはかなり違うのです。老いれば、その延長に「終末期医療」と「看取り」があります。その重要な点を、日本の医師も、家族も、病院も、見ていないのです。

 救急で入った病院には、3か月、長くて4か月しかいられません。私たちは義父をリハビリテーション科のある別の病院に転院させる手配をしました。自力で歩けるようになってほしかったし、病院側もリハビリすれば歩けるはずだ……と言うのです。しかし、同年4月に長年連れ添った義母を亡くした義父は、リハビリをする気力がまるで湧かないようでした。本人が歩こうとしないかぎり、無理に歩かせることはできません。別の病院に移しても、同じ結果どころか環境が変わって余計に不安定になるように思えました。

 かなり認知症も進行していましたが、在宅看護に踏み切ったのは、義父が以前から「死ぬときは家で死にたい」と言っていたからです。

 義父が病院を退院するとき、私のなかには「家で看取ろう」という、はっきりとした意志がありました。決意したのです。訪問してくださる医師にも、そのことを伝えました。

 その決意ができたのは、それまでに実母、実父、義母の3人を看取っていたからです。とくに実父をホスピスで看取ったことが大きかったです。

 実父は、76歳で亡くなりました。アルコール依存症でしたが、たいへん元気でしっかりした人でした。……元気でしっかりしたアルコール依存症、というのも妙な言い方ですが、本当にそうなのです。つねに缶チューハイを片手に持っていました。生前の父の写真のどれも、右手にお酒を持っています。だらだらと一日中、お酒を飲んでいました。そのため事故も多かったのですが、とにかく体だけは丈夫なのです。あの強靱な肉体を父はもてあましていたのかもしれません。働き者でした。庭の草むしりや石垣の補修など、なんでもやってくれました。やることがないと、暇にまかせて飲んでしまい、居酒屋で酔いつぶれては失禁したりしていました。本当に手がかかる人でしたが、それでも役に立つ人でもありました。

 アルコール依存症だから、肝臓がんで亡くなるのではと思っていたのに、よほど鋼鉄の肝臓だったのでしょう。父は肺がんで亡くなりました。酔っぱらって庭木を剪定していたときに脚立から落ちて腰の骨を骨折したのです。入院中に内臓の打撲を調べるために撮ったレントゲン写真で、肺がんが判明しました。そのときはもう、治療ができないまでに進行していました。

 なにしろアルコール依存症ですから、退院させたらまた酒を飲んでしまいます。入院中に禁断症状を起こして大暴れし、次に飲酒したらショック死するかもしれない、と言われていました。父は退院して家に戻ることを切望していましたが、わが家には夫の義父母もおり、さらにアルコール依存症で末期がんの父の在宅看護などとても無理でした。結局、骨折の治療が終わってから、精神科病院でアルコール依存症の治療をし、最終的にホスピスに入院して亡くなりました。

 私は父が自分の住んでいたマンション(私の家から歩いて12分のところにありました)に戻りたいと言うので、父の希望を短期間でも叶えたいと思い、訪問介護、ショートステイ、デイケアなどを組み合わせた介護プランを考えて、最寄りの介護施設に相談してみましたが、対応してもらえるところがありませんでした。

 とにかく、複数の病気(問題)をもっていると、現行制度を使うことはとても困難になるのです。そのことはいつも痛感していました。私の父の場合、複雑骨折をしていて、肺がんの末期で、アルコール依存症で、しかも認知症に移行しつつありました。そんなめんどうな患者は、どんな病院もどんな施設も受け入れてはくれないのです。

 いろいろ考えあぐねた末に、私はがんの治療を完全に放棄して、父を精神科病院の開放病棟に入れました。そこでアルコール依存症の治療をした結果、奇跡的に認知レベルが元に戻りました。実は、ホスピスに入院するためには本人への告知が前提だったのです。アルコール依存症から認知症に移行していた父はせん妄が激しく、告知などできる状態ではありませんでした。だから、正気に戻ってくれたときは本当にうれしかったけれど、でも、せっかく夢の世界から現実に戻って来た父を待っていたのは、がん告知だったのです。

 ホスピスに入った父は、痛みもうまくコントロールしてもらい、酒も抜けてシラフの状態になり、本当に1か月もない短い間でしたが、私たち家族と穏やかな時間を過ごすことができました。私と娘は、父の病室に泊まり込み、そこでは料理などもできましたし、日当たりのいい庭を散歩したりお茶を飲んだりと、静かな時間が流れていきました。それは、看取る側の私の大きな慰めになりました。最期の時間をどう過ごすか……は、残されて生きていく家族にとって、とても重要なことです。それを痛感しました。

 また、ホスピスですから日々、入院されている方が亡くなっていきます。死を受け止めていく看護師さんや、チャプレン(牧師さん)の言葉、ふるまいを身近に感じ、そこからたくさんのことを学ばせてもらったのです。この時の経験がなければ、義父を在宅で看取る覚悟ができたかどうか……。もしかしたら、できなかったかもしれません。

 ですから、家での看取り……と言っても、経験もないご家族はどれほど不安であろうかと思うのです。

 人は亡くなるときは、ふうっと、あちら側にいかれます。誰の手助けも必要ではありません。一人でいかれます。でも、その前にたいがい、死を受け入れられず苦しみます。大往生などと言いますが、誰も死んだことがないのですから、死ぬのは不安なのです。死んでゆく人が一番不安です。

 その不安に寄り添えるかどうか……。ここが「看取り」において大きな課題です。こちらも怖いですから、おろおろしますし、なにより「もし自分の選択が間違っていたらどうしよう」と思うのです。

 ですから、在宅で看取ると決めても、最後の最後に病院に電話するご家族は多いです。そのお気持ちは、本当によく理解できます。

1−3へつづく)

訪問看護と介護 イメージ

訪問看護と介護

いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。

2月号の特集は「住まいで医療も最期まで――いろんなかたちの『24時間』」。在宅・地域ケアに求められる「24時間対応」へのさまざまな取り組み方と、定期巡回・随時対応型サービスやサ高住での試みも。

詳細はこちら

このページのトップへ