第2回 戦国時代の温罨法・冷罨法

第2回 戦国時代の温罨法・冷罨法

2018.5.10 update.

鈴木紀子(すずき のりこ) イメージ

鈴木紀子(すずき のりこ)

看護史研究会所属。http://blog.livedoor.jp/kangoshiken/
日本看護歴史学会理事、日本医史学会代議員、順天堂大学医学部医史学研究室研究生。
国立大蔵病院附属看護助産学校看護婦科卒業、厚生省看護研修研究センター看護教員養成課程修了。国立病院に21年間(教員歴含む)勤務後、東京女子医科大学病院教育担当師長・病棟管理師長として13年間務める。そのかたわら法政大学文学部史学科、国士舘大学人文科学研究科人文科学専攻にて歴史研究を始め、2015年博士号取得(人文科学)。月刊誌『看護技術』『看護展望』で連載「歴史から紐解く看護技術」(2011年1月号~2012年12月号) 等寄稿多数。現在は地域で訪問看護に携わりつつ、看護技術史の講演の要請に応えている。

◆講演予定:2018年11月3日(土)第18回長野県褥瘡懇話会(長野県松本市キッセイ文化ホール)/2019年3月(日時調整中)栃木県壬生町立歴史民俗資料館企画展シンポジウム

さて、前回(盗賊頭役の柳楽優弥さんの脇腹の傷、近藤康用役の橋本じゅんさんの大腿部の複雑骨折部の傷、万千代役の菅田将暉さんの肩傷の処置場面)の続きから。

 

 

|矢で射られ、馬から落ちて大腿骨骨折……全治は?|

 

 柳楽優弥さん橋本じゅんさんが受ける怪我の程度については、酒井シズ先生と一緒に演出家やディレクターの方と事前に打ち合わせをする時間が設けられ、どのような怪我を想定するのかが話し合われました。

特に橋本さんの怪我は、重症の傷を直虎がケアする場面をつくりたいということで、矢で足を射抜かれて、馬から落ちて大腿骨骨折という設定でした。酒井シズ先生は「そんなに痛めつけなくてもいいのにね」と笑っていらっしゃいました。

 

橋本じゅんさん演じる近藤が怪我を負い、その処置を直虎がするシーンでは、打ち合わせした怪我の想定で、指導することになります。 

大腿骨骨折ですから、下肢に長い副木を当て(副木を当てることで視聴者には、骨折している設定であることが伝わると思います)、矢で射抜かれた部位に巻かれた包帯にはおびただしい血がにじんでいる、という場面がつくられます。

通常、本番では同じ場面を34回アングルを変えて撮っていました。そのため、副木を固定している包帯を直虎が小刀で切る場面では、私が副木を固定する包帯を巻く、小道具さんが血のりをつける、ということを撮影回数だけ繰り返しました。

さらに、医事指導をしていると、しだいにカメラがどこを撮影しているか、確認する点もわかってきます。

骨折の場合、その周囲も内出血するので、「画面に映る包帯周囲の皮膚を紫色にしてください」と、小道具さん、メイクさんにお伝えすることが必要でした。

図6大腿骨折の手当図 - コピー.JPG

 

皆さんも、大腿骨骨折と矢の貫通という大怪我をした近藤は、抗菌薬も点滴もない時代、高熱を出し、激痛で苦しんでいると思いませんか? 

さらに、直虎が出血している傷をみるため、小刀で副木を固定している包帯を切りますから、切る時の振動で、骨折部の痛みは尋常ではないはずです。私自身、今まで3度の骨折経験があります。交通事故で大腿骨骨折、これは幼児の時で記憶はありません。次が看護学生時代に左手首骨折。3度目は妊娠中に肋骨骨折をしました。肋骨骨折では、体の中で「ボキッ」と音がしましたし、動かしたときの激痛は忘れませんが、骨折は固定をすると痛みは感じないのですよね。

 

 俳優さんの演技については、役柄の設定に基づき、気づいたことは、指導の立場で意見を求められます。

 ベテラン俳優の橋本じゅんさんに対して、医事指導として、「怪我と骨折で熱と痛みで苦しんでいます。呼吸も早くなります。直虎が包帯を小刀で切るシーンでは、少しでも動かされると振動で激痛となるはずです。声を上げて痛がってください」とお伝えしました。

 同じく柳楽さんが負傷された脇腹の傷処置の撮影シーンでも、大きな傷を負い、敗血症の症状が起きていると想定できますので、「高熱の時は脈も速くなりますし、呼吸も早くなります。ただ静かに横になっているというよりは、苦しむ表情をしてください」ということをお伝えしました。

 

 そうすると・・・俳優さんたちは、こういった設定がわかると、すぐさま演じられるのですよね。現場で観ていて感心しました。すごいです。

 

 ところで酒井シズ先生から、「医事指導では、有名な俳優さんに物おじせずに指導しなくてはいけないのよ。あなた適任よ」、とほめて(?)いただいたことがあります。確かに、自分の考えや知識に自信がないと指導めいたことは言えません。考えてみると、今まで臨床の現場でも、医師にもいろいろと意見を伝えるのが看護師の役割でしたから、私の中ではそれと同じ感覚なのかもしれません。

 

 その次の撮影では、近藤が受傷の1か月後に立って歩く場面がありました。

 当時の医療レベルでは、大腿骨を骨折した方が歩けるようになるまで回復できたのかは、大いに疑問の残るところです。「大腿骨骨折なら、仮骨ができるのに8週間はかかります」とも伝えたのですが、ディレクターさんいわく、「驚異的な回復力なのです」だそうです。これもドラマ上の演出ということですね。

 そうして近藤の骨折が回復し、続いて座位の場面があったのですが、その際に脚の架台として、小道具さんが用意されたものには感心しました。何だと思いますか?

 動物の頭蓋骨です。馬か鹿かの、顔の長い動物の頭蓋骨の頭頂部が、ちょうど脚を乗せるのに良いのです。

 

図7動物骨の脚架台 - コピー.JPG

   

 どこからのアイデアなのか現場の煩雑さに紛れて聞くことはできませんでしたが、看護史研究会の友人から、モンゴルなどでは動物の骨などを様々に利用していたことを教えてもらいました。小道具の方々もわかっておられるのですね。

 

|温罨法・冷罨法の歴史と看病|

 

 医事指導のうえで、台本の内容を決めるための相談を受けることもありました。

 柴咲コウさん演じる直虎が、水垢離(みずごり)をして低体温となり意識をなくしたシーンでは、

 

「どのようにして体温を回復させたらよいでしょう?」

 

 という相談です。今から450年も前の話です。

 さて、どのような方法で主役を生き返らせましょう(回復させましょう)か・・・。

 

図8砦草 - コピー.JPG     『砦草』(国立国会図書館デジタルコレクション

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 直虎の時代より250年後になるのですが、日本で最初に出版された軍陣医書に、水戸藩の藩医原南陽(1753~1820)が著した『戦陣奇方 砦草』(1811年)があります。同書は、陣処の衛生、野陣、毒煙、飲水についての注意、救急の諸法や応急手当の方法が論述されていて、項目の1つに「凍死」があります。そこには、凍死しそうな状態にある場合の対処方法として、

 

「大鍋にて灰を炒て煖に成る時、袋に入れて心上を熨し、冷たるんば又換べし」

 

と書かれています。つまり、「大鍋で炒って熱くなった灰を袋に入れて、心臓の上から押し当て、冷めたら交換する」という方法が説明されています。勉強になりますね。

 血液を体の中心から温める、その原則は、現在にも通じる処置方法だと思います。

 すでに984(永観2)年に、丹波康頼(912~995)によって撰述され著された『医心方』「創腫科」の中に、「温罨法」と「冷罨法」に関する記述がありました。

 消炎・鎮痛を目的とする場合は、患部に(すい)(てつ)を貼り付かせる(蛭療法)、冷石または冷鉄を押し当てる、火傷のときには、患部と冷灰に水を混ぜたものに漬す、鶏子(けいし)(はく)を塗るなどの方法が記されています。日本では古くから、石・鉄・灰・鶏卵・水蛭など、身近なものを用いて罨法が行われていたことがわかります。また江戸時代の元禄年間(1688~1704)の初めごろには、保温力の強いイヌタデやナスの茎やがらなどの灰に点火し、金属製容器に密閉して燃焼させる懐炉が発明され、明治中期には懐炉にきりばい粉が使われるようになります。

 

 直虎を低体温から回復させる看病シーンは、こうして『医心方』『砦草』を参考に、

 

「母・祐椿尼が、娘・直虎の体温が戻ることを願って、温かい灰が入った袋を心臓の上から軽く抑えて、体を摩る」

 

  という場面に決定しました。ここで、もう1つ問題が出ました。小道具さんから、

 

 「その袋はどのような形ですか?」

 

  との確認です。思案の末、ハーブボールのような形にしました。

 

図9灰入り罨法法.JPG

 どなたか、雪国の方でご存じの方がいらっしゃったら、「こんな袋よ」と、ぜひ教えていただきたいです。

 

 

|リハーサルでの大失敗と撮影現場の知恵|

 

 実はこの場面のリハーサルでは、大失敗をしました。

 意識をなくした直虎を、死亡した幼馴染の直親(三浦春馬さん)が冥界から迎えに来るという幻想的な場面で、直虎が迎えに来た直親に手を引かれるように、意識混濁の中で手を伸ばします。母親役の財前直見さんがはっと気づき、「直親、連れて行くでない」と、その手を振り払います。

 この場面をすぐそばで見ていた私は、柴咲コウさんが苦しんでいるような表情をしながら手を伸ばされていたので……きっと好きな人が迎えに来て、直虎は喜んで微笑んでいるに違いないと思ってしまい、「直虎は笑顔だと思います」とつい口を出してしまいました。演出家の方がいるのに、です。

 すぐディレクターの方に、「鈴木さん、それは演出家の先生がいますから」とたしなめられ、しまったと反省しました。あくまでも、私の立場は医事指導でした。

 これまでの看護師経験で、「三途の川を渡らずに戻ってきた」患者さんの物語を何度も見聞きするなかで、三途の川の先にある誘いについても聞いていましたので、ついつい口をはさんでしまったのでした。怨霊などの恐怖がより身近に信じられていた時代背景で練られていた台本ですから、演出の内容にもそうした時代考証があるのだと思います。

 

 おまけですが、『かんかん!』をご覧の医療関係者の皆さんにも、臨床で同様の経験はありませんか? 病状が篤くもうダメかも…と思った方が、元気に復活されたということが。

 そのような方から、「大きくてきれいな赤い鳥について来るようにと誘われたけど、川があったのでついて行くのをやめた」「きれいな花畑の向こうにおばあさんがいて手招きされたけど、こっちで呼ばれたので行かなかった」など、「三途の川」を見たものの、渡らなかった理由まで具体的に話されることがありました。そのイメージがもたらされるメカニズムについては本連載ではさておくとして、これらはあくまでも私が患者さんの話を聞いて、思うようになったことなのでした。

 ・・・そんな私の出しゃばった行動でしたが、財前直美さんはこうした看護師経験の話にも大変興味を持ってくださり、親しくお話するようになりました。

 

 さて温罨法については、勉強してきた知識がさらに生かされた場面づくりがありました。

 盗賊頭役の龍雲丸(柳楽優弥さん)が傷を負い、泥の中で瀕死状態のところを直虎が発見。屋敷に運んで汚れた衣服を着替えさせ、傷の手当てをした後、意識がなく冷えきった体を看病するシーンです。すでにディレクターの方には、古代から日本では低体温のときには、灰を用いる方法の他に、「(おん)(じゃく)」という方法があったことを伝えていたところ、第35回の台本には「新しい温石ができました」というセリフが書かれていました。

 

 温石は、現在でもホットストーンとして、マッサージに用いられています。平安時代末期から江戸時代にかけて行われた、(じゃ)(もん)(せき)滑石(かっせき)(ろう)(せき)などを温めて、真綿や布などでくるみ、懐中に入れて胸や腹などの暖をとるという方法です。石に小さな穴を開け、その穴に火箸を通して、温めた石を火の中から取り出して使用しました。この温石が、懐炉(カイロ)の原型といわれています。

 温石の実際を知るため、まず私自身が温石マッサージを体験し、施術の先生に石の温め方、持ち方などを教えていただきました。そこでの体験・知識から、小道具さんとの打ち合わせを行いました。実際には石に穴を開けることは難しいのでやめてそのまま使うことにし、小道具さんが石の水切りをしやすくするために、しゃもじに穴を開け、竹製トングを製作してくださいました。材料の石は、小道具さんたちが河原などで集めてきてくださいました。

 

図10温石の絵コンテ.JPG

 

 本番では、温石を担当する辰役の山本圭祐さんに温石の包み方も指導しました。

 温石は、太い血管の通っている脇の下や、鼠径部に置くことなども打ち合わせて本番に臨みました。テレビでは、直虎が温石で龍雲丸の体を一生懸命摩り、布団に入れていた温石を新しい温石に交換する場面が放映されました。

 

 同じく、本番で医事指導として撮影したのは、看病によって体温と意識を回復した龍雲丸が、その後、敗血症を発症して高熱に苦しむシーンでした。その看病の場面づくりには苦労しました。この時代にあって体を冷やす場面をどう再現したらよいのでしょう・・・。

 病床には、辰役の他に、瀬戸方久役のムロツヨシさんがいます。1人は額に当てている水で濡らした手ぬぐいを交換する係、ここで、もう1人の俳優さんに何をしてもらうかです。

 ・・・う~ん、悩みました。この状況で水冷以外に看病できることって、何があるでしょう。

 テレビ画面を観ている方が、体が冷えている人に暖をとらせているシーンと、高熱で苦しんでいる人が解熱するように冷却のための看病をしているシーンの違いが一目でわかるようにするために、場面づくりを提案するのも医事指導の役目です。

 小道具をどうするのか、俳優さんにはどのような演技をしていただくのか、具体的に看病として行うことを指導しなくてはいけません。画面では常に1人ひとりの俳優さんが、何かしらの動きをすることが求められ、看病としての「動き」を提案するのが、医事指導に求められます……。

 

 ここで、俳優サイドからの逆提案。辰役の山本圭祐さんが、

 

 「うちわで扇ぐのではどうでしょう」

 

 と知恵を貸してくださって、その提案はすぐに採用されました。

 実際に看護として「うちわで扇ぐ」経験がなく、なかなか案として浮かびませんでした。まだまだ勉強が必要です。

 

 本番を終えた1週間後、ある学会発表のため京都に行き、大徳寺を見学する機会に恵まれました。すると、お寺の玄関先の雨樋の下に、温石に適した大きさと形の石砂利を見つけました。

 

図11大徳寺 - コピー.JPG

 

 今まで意識をしていませんでしたが、雨に打たれ、水の流れで角の取れた石が、昔の生活では身近にあったことに気づきました。こうした軒先の石砂利が当時の温石に使われたのではないでしょうか――。昔の生活の知恵に改めて気づき、看護技術のルーツを調べるきっかけになりました。

 

 さらにその後、凍死しそうなほど体の冷えた人には、庭の土を柔らかくして掘り、その中で枯れ木などを燃やして温かくなった土の中に体を埋め、熱い土を周囲からかき入れる、と書いてある文献を見つけました。その文献とは、江戸時代の町医者、平野元良『救急摘方』(1856年)の、「凍死しそうな者を救う心得」「溺れた者を蘇生する心得」です。これって砂風呂の原点?と思いました。

 

 

図12救急摘方.JPG

       救急摘方国立国会図書館デジタルコレクション

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 先ほど、脚の架台に動物の頭蓋骨が使われていたことを紹介しましたが、動物の膀胱が冷罨法でも使用されていました。

 1896(明治29)年に平野鐙が日本で初めてナース自らの手で執筆・刊行した『看病の心得』にも、膀胱の氷嚢の説明があります。牛馬豚などの膀胱は材質として弱かったようですが、熊や鹿などの膀胱は水筒としても使われていたようです。

 昔の人の知恵はすごいですね。動物の膀胱を使った冷罨法は、現在でも北海道の平取町立二風谷アイヌ文化博物館「クヨイ(水袋)」として展示されています。

 

 私たちの身近なもののルーツを探る――歴史を学ぶのは、ほんとうに面白いですね。  

 

 こうして学んだ「温罨法」のルーツは、論文「看護技術としての『罨法』の歴史」*にまとめました。よかったらご一読ください。 

 * 日本医史学会関西支部発行『醫譚』復刻第105号(通巻122号),163-175頁,2017年            

(第2回おわり)

 

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