『驚きの介護民俗学』刊行!!

『驚きの介護民俗学』刊行!!

2010.11.17 update.

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六車由実(むぐるま・ゆみ)

1970年、静岡県生まれ。大阪大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。民俗学専攻。東北芸術工科大学東北文化研究センター研究員、同大学芸術学部准教授を経て、現在、静岡県東部地区の特別養護老人ホームにて介護職員として勤務。
論文に「人身御供と祭」(『日本民俗学』220号、第20回日本民俗学会研究奨励賞受賞)。『神、人を喰う――人身御供の民俗学』(新曜社、2003年)で2002年度サントリー学芸賞受賞。

シリーズ ケアをひらく

『驚きの介護民俗学』

 

月15日発行! 

(A5六版、240頁、税込定価1680円)ISBN978-4-260-01536-3

 

 

 

 

 

「キーワードは『驚き』ですね」

 

これまで「驚きの『介護民俗学』」を連載させていただいていた『看護学雑誌』は12月号をもって休刊になるが、医学書院編集者・白石正明さんのご厚意により、こうして《看護師のためのwebマガジン「かんかん!」》にて連載を再開させていただくことになった。「介護民俗学」なるものを提唱したものの、まだまだその形が明確には浮かび上がってきていないだけに、連載の継続は私にはたいへんありがたい話である。

 

ところで裏話になるが、その際に白石さんからタイトル変更の相談があった。内容的には今までの連載から継続しても構わないが、掲載の媒体が変わるのでタイトルは変えたほうがいいのではないか、その場合どのようなタイトルがいいか、といったことだった。
たしかに、執筆者にとっては一連の連載であっても、掲載媒体が変われば読者も変わるのだし、二つの雑誌の連載を混同しないようにそれぞれ区別するためにもタイトルを変えたほうがいい、というのは編集者としては当然の考えだ。それは私にも十分にわかっていた。
けれど私は白石さんの申し出に少なからず戸惑い、「タイトル変えなきゃいけないんですか……」と言ったきり口ごもってしまった。白石さんは、「変えないほうがいいですか。でもね……」と困惑した様子。

 

断っておくが、私はふだんは編集者の提案に対して結構従順なのである。しかしそのときの私は、宴席での酔いにも勢いづけられて、どうしてもタイトルを変えたくない! と頑固に言い張ったのだった。
元来モノへのこだわりがなく、どちらかというと何事にも淡白な私にはめずらしく、《驚きの「介護民俗学」》というタイトルに強い思い入れがあった。特に、「驚き」という言葉を気に入っていた。そして実は、この「驚き」という言葉を見出してくれたのは、白石さんだったのである。

 

 一昨年(2008年)の10月だった。私が月刊誌の『新潮』に《「介護民俗学」から》という文章を発表し、初めて「介護民俗学」を提唱してから間もなく、白石さんから一度会って話を聞きたいというメールをいただいた。
それからすぐに私は白石さんにお会いした。そして、介護の仕事そのものが自分にとってどんなにおもしろいか、そして民俗学を専攻してきた者として施設で出会う利用者さんの人生がどんなに魅力的かということを、聞き上手の白石さんに促されながらかなり興奮して話したのであった。

 

ひと通り話し終わった後、身を乗り出して聞いてくれていた白石さんがあごひげをさすりながらしばらく黙って考えていたかと思うと、不意に顔を上げてこう言ったのが今でも忘れられない。
「ということは、六車さんの『介護民俗学』のキーワードは『驚き』ですね。書く内容はお任せしますが、『驚き』ということを一本通ったテーマとして連載を書いてください」
そう白石さんは言ったのである。

 

「驚き?」
正直に言えば私には、そのとき白石さんが確信したキーワードにまだピンときていなかった。ただ、当時まだ介護の仕事についてから半年しかたっていなかった私にとっては、毎日の出来事のすべてが新しく、現場での利用者さんとのかかわりにおいて驚きと発見の連続だったから、「そう、たしかに今の私のワクワクした気持ちを表現するなら『驚き』ですね。じゃあ、それで行きましょう」なんて、白石さんの提案を安易に受け入れたのだった。

 


驚き続けるのは難しい

 

キーワード「驚き」の意味の大きさに気づいたのは、それから半年ほどたってからだった。
新しく始めた仕事や生活も、はじめはすべてが新鮮で驚かされることばかりであっても、時間の経過とともにそれが日常化していくと、新鮮さをなかなか感じられなくなってしまうという経験が読者のみなさんにもあるだろう。

 

私自身も、新しく始めた介護の仕事にも慣れてきて、利用者さんへの聞き書きも回数を重ねていくと、入社したころに比べて「驚き」の回数が少なくなっていった。利用者さんのお話についても、特に何度も繰り返される話については自分の聞く態度にかなり意識的になっていないと、「へー」「ふーん」と聞き流してしまったり、返事がおざなりになってしまうことも度々あるようになっていったのである。
毎日繰り返させるルーティン・ワークと「驚き続ける快感」とを両立させることは意外に難しい。

 

しかし、人生経験の豊富な利用者さんたちには(たとえ認知症の方であっても)、そうした私の「慣れ」とそれゆえの「怠慢」はすぐに覚られてしまう。
「あんた、こんなこと聞いたって面白くないらぁ?」(「?ら?」とは「?でしょう?」の伊豆方言である)
と、興味関心が利用者さんの話に集中していない私の心を見透かしたような言葉を発して溜息をついたりする。そうすると、もうそれ以上利用者さんは話を続けようとはしなくなる。
一方で、「へー、そうなんですか。すごいですね」「それ、はじめて聞きました」「それって、つまりこういうことですか」と、こちらが「驚き」を言葉と体で思いっきり表わしながら身を乗り出して聞くと、利用者さんも調子を乗せてくれて気持ちよくどんどんといろいろな話をしてくれることが多いのである。

 

そういうときの利用者さんの表情は、介護されているときとはまったく異なっている。
入浴介助や排泄介助、食事介助といった身体介護の際、利用者さんと介護職員とは、どうしても介護される側/介護する側といった一方的な関係になってしまう。だから、利用者さんはみな程度の差はあれ、介護職員に対する申し訳なさや、自分自身の体力、能力の衰えに対する情けなさを痛感しながら介護を受けている。
けれど、聞き書きの場面では、あくまでも私のほうは聞かせていただく立場。利用者さんは、「こんなこともわからないの、まったくしょうがないねえ」「だから、こういうことなの」と無知で理解力の乏しい私をなかばバカにしながら、その一方であたたかく労わってくれながら一生懸命自分の知っていることを教えてくれようとするのだ。

 

その際私が「驚きの快感」を感じていればいるほど、話をしてくれる利用者さんの表情も豊かになる。
すなわち、聞き書きをスムーズに進めるためにも、深いところまで話を掘り下げるためにも、そして何よりも利用者さん自身が気持ちよく、心豊かに話をするためにも、「驚き」ということが決して欠かすことのできない、聞く側の持つべき重要な態度であるといえるのだ。
では、「驚き」続けるにはどうしたらよいか。
もちろん、「驚き」はマニュアル化できない。なぜならば、「こういうふうに驚きの態度を表現すべし」といったように方法論を示したとたんに、「驚き」そのものが形骸化してしまうからである。

 

その点に関してまだ明確なことは示せないが、しかし、《驚きの「介護民俗学」》というタイトルのもとに連載を重ねてきながら、少なくとも私自身にとっての、「驚き続ける快感」を維持するための拠り所がようやく見えてくるようになってきた。その拠り所とは、民俗研究者としての「矜持」と「知的好奇心」である。
最近、そのことを改めて実感した出来事があったので紹介してみたい。

 


坂井さんが本当に話したいこと

 

坂井浩二さん(大正10年生まれ)は、この9月から新しくデイサービスを利用しはじめた利用者さんである。坂井さんの娘さんは同じ施設で働いている介護職員で、お父さんがデイサービスを利用するにあたって私は娘さんからこう頼まれていた。
「父はとても話好きだから、六車さん、ぜひ話を聞いてやってください」と。

 

そこでデイ利用の初回日にまずは坂井さんの様子をうかがっていたのだが、慣れない場所に来て緊張していたのか、他の利用者さんともほとんど話をすることはなかったし、職員が声をかけてもニコニコッと笑顔を浮かべるだけで自分から話をすることはなかった。
2回、3回とデイへの通所が進んでからもその様子は変わらない。娘さんから聞いていた「話好き」という人柄は、デイではなかなか見ることができなかった。

 

そこで私は、何回目かの利用日に自分が聞き書きの仕事をしていることを伝えたうえで、「お父さんはとても話好きだからいろいろと話を聞いてほしいと娘さんから言われているんですが、もしよければ今日、お時間をいただいて昔の話を聞かせていただけませんか」
と丁寧にお願いしてみた。
すると坂井さんは、すでに娘さんから私のことを聞いてきたらしく、すぐに「うん」と頷いた。おぼつかない足取りで、お話を聞くための静かな別室に移動した坂井さんは、はじめは緊張していたがすぐに多弁に語り出した。

 

坂井さんの父親は仕事のため台湾に渡り、そのため坂井さんは台湾で生まれ、内地の旧制中学へ通った期間を除いては二十歳過ぎまで台湾で育った。内地の学校を卒業した後は、父親が働いていた塩水港製糖という台湾の製糖会社に就職し、原料部に配属された。太平洋戦争が行きづってきたころに坂井さんも戦争へ駆り出され、船舶工兵、衛生兵としてフィリピン、ラバウルといった激戦地に送られたが、それでも命からがら生き延びて日本に戻ってきたという。

 

民俗学では定番の「日本の伝統的な暮らし」については聞けなかったものの、これまで太平洋戦争の問題に関心があり、いくらか勉強や研究をしてきた私にとっては、日本の植民地下の台湾で生まれ育ったこと、その台湾で植民地政策の一環で進出していた日本資本の製糖会社で働いていたこと、台湾移住の邦人もまた戦地へ駆り出されていたことなど、坂井さんの話のすべてが知的好奇心をそそる内容なのであった。

 

私の「驚き度」はこのときおそらく頂点に達していただろう、互いに息つく暇もないぐらい濃密な聞き書きの時間を過ごした。
そうしてあっという間に時間が流れ、そろそろ聞き書きを終了しなければならない時間になった。しかし、坂井さんの口からは止まることを知らないかのように、次々と言葉が溢れてきた。

 

サトウキビを粉砕して圧搾するでしょ、そのときに出てくるバカスというカスを燃料に使うんだよ。
絞り取った汁に消石灰を入れるとドロドロの沈殿物ができる、それをケーキといってね、清浄室で汁とケーキとを分けるんだよ。
その後、何本ものシリンダーによって真空にしてあるコウヨウカンに汁を通してさ、それから結晶缶に通して結晶にするんだよ。

 

といった具合に。
それらは製糖の工程を説明するものであり、しかもかなり細部に及ぶ知識だった。
バカス? ケーキ? コウヨウカン?
私にはチンプンカンプンの内容だったし、帰りの時間も迫っていたこともあって、「ではその話は次の機会にお願いします」と言ってなかば強引に話を打ち切ってしまった。坂井さんは残念そうに苦笑した。

 

次回の聞き書きでは、戦争体験の話を1時間ほど聞かせていただいた。ところが、「お時間なので今日はここまでで……」と私が言うや否や、
「それでね、これだけは言っておかなければいけないと思うんだけどさ、結晶缶で結晶化させてから遠心分離機にかけると、一番蜜、二番蜜、三番蜜ってできて、二番蜜、三番蜜はまた結晶缶を通すんだよ」
と話しはじめたのである。
その時ようやく気づいた。坂井さんが本当に話したかったのは、戦争体験でもなく、植民地下の暮らしでもなく、製糖工程だったということを。

 

ところが困ったことに私は昔から化学が苦手で、坂井さんがせっかく話してくれる製糖工程をまったく理解することができず、興味すら持つことができない。一生懸命メモをとる努力はしてみるものの、ますます頭の中は混乱するばかり。そもそも坂井さんの人生について私は聞きたいのに、製糖工程をそんなに詳しく知ってどうなるんだ、という気持ちも膨らんでいった。
そして、何度か聞き書きを重ねるうちに、坂井さんもそうした私の困惑した気持ちを察してか、「どうせわからないよね」とあきらめ顔になっていった。

 

まったく知識がないことに興味を持つのは難しいし、興味がないことに「驚き」をもって耳を傾けるのは意外に大変なのだ。でも、このままでは、心躍らせて話をして、「話好き」の人柄の本領を発揮してくれている坂井さんの気持ちに応えることができないし、興味を持てないことを聞くのは私自身もつらくなってくる。

 


民俗研究者としての矜持と
知的好奇心を拠り所にして

 

そこで私は、とにかく坂井さんの話そうとしていることを少しでも理解できるようにと、ネットや書籍で砂糖や製糖工程について調べることにした。
だが予想以上に情報が少ない。そしてようやく見つけたのが『砂糖の事典』(東京堂出版)だった。
ところが事典を入手したものの、製糖の歴史のあたりはおもしろく読めても、製糖工程については何度読んでもやっぱり理解できない。自分の理解力のなさをつくづく痛感するばかり。また同僚には、「わざわざ事典を買うなんてもったいない。普通そこまでしないよ」と呆れられる始末。

 

けれど私は、意地でも製糖工程を理解したかったのだ。
それは、利用者さんの話にしっかりと傾聴しなければ、という介護職員としての義務感ではなく、話していただいたことはとりあえず精いっぱい理解する努力をするという、これまでの経験で培われてきた一民俗研究者の矜持によるものだったといってもいいかもしれない。
私は腹をくくり、事典に記載されていた原料糖(粗糖・精製するまえの砂糖)の製糖法の図式の拡大コピーをもって坂井さんの席へ行った。そして、こうお願いした。

 

坂井さん、このあいだからお話してくれていた製糖工程なんですが、私どうしても理解できなくて。

それで事典を買って勉強してみたんです。

それでもさっぱりわかりませんでした。

すみませんが、今日、もしよろしければ、この図式を見ながらもう一度教えてもらえませんか。

 

坂井さんは拡大コピーした図式を凝視して、ぶつぶつと言いながら一つひとつの工程をしばらく確認していたかと思うと、おもむろに顔をあげて目尻にたくさんの皺を寄せながら私の顔を見つめた。
「こんなものわざわざ買うなんてもったいない」
そう皮肉る声は弾んでいた。

 

その日の午後、別室で2時間たっぷりお話を聞いた。
坂井さんは図式を指さして、一つひとつ丁寧に言葉を選びながら、私がわかるまでじっくりと教えてくれた。
だんだんと理解できるようになるにつれて、私の知的好奇心は急激にくすぐられていった。そして最後には、サトウキビを工場に搬入してから粗糖ができるまでの工程がわかるようになったばかりでなく、複雑な工程を何度も繰り返したどることによってようやく砂糖ができあがるということに感動さえ覚えたのであった。
まったく知識のなかったときには坂井さんがなぜそんなに製糖工程ばかり話したがるのか理解できなかったが、なんとなくその理由もわかったような気がした。最後に坂井さんはこうつぶやいた。

 

12月から5月までの製糖期間は工場は休みなしで動いていたんだよ。

だから原料部に所属する人も夜勤があったさ。

夜勤は暇だから、俺は工場中を見て遊んでいたんだよ。

好きというか、なんだかとにかくおもしろくてさ。

 

坂井さんがワクワク胸を躍らせて夜の製糖工場を歩いている姿が目に浮かぶようだった。理解できないのは悔しいという、一民俗研究者としての矜持は、実に浅はかで単純なものだが、その矜持にこだわることによって結果的に利用者さんの人生がより立体的に、そして豊かな陰影を帯びたものとして浮かび上がってきた。
驚くこと、そして、驚き続けること。
それが「介護民俗学」を支える一番のエネルギーになる、ということをわかっていただけただろうか。
だから私は、《 驚 き の 「介護民俗学」》というタイトルに、これからも頑固にこだわっていきたい。

(六車由実「驚きの介護民俗学」web第1回了)

 

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