第1回 戦国時代の駆血法と包帯

第1回 戦国時代の駆血法と包帯

2018.4.02 update.

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鈴木紀子(すずき のりこ)

看護史研究会所属。http://blog.livedoor.jp/kangoshiken/
日本看護歴史学会理事、日本医史学会代議員、順天堂大学医学部医史学研究室研究生。
国立大蔵病院附属看護助産学校看護婦科卒業、厚生省看護研修研究センター看護教員養成課程修了。国立病院に21年間(教員歴含む)勤務後、東京女子医科大学病院教育担当師長・病棟管理師長として13年間務める。そのかたわら法政大学文学部史学科、国士舘大学人文科学研究科人文科学専攻にて歴史研究を始め、2015年博士号取得(人文科学)。月刊誌『看護技術』『看護展望』で連載「歴史から紐解く看護技術」(2011年1月号~2012年12月号) 等寄稿多数。現在は地域で訪問看護に携わりつつ、看護技術史の講演の要請に応えている。

◆講演予定:2018年11月3日(土)第18回長野県褥瘡懇話会(長野県松本市キッセイ文化ホール)/2019年3月(日時調整中)栃木県壬生町立歴史民俗資料館企画展シンポジウム

 2017(平成29)年度のNHK大河ドラマおんな城主 直虎』をかんかん!読者の皆さんはご覧になっていたでしょうか。

 私が研究生として所属する順天堂大学医学部医史学研究室酒井シヅ名誉教授は、NHK大河ドラマ『花神』『八重の桜』をはじめ、TBSドラマ『JIN-仁』など、多くのドラマや映画で医事考証・指導・監修を担当されています。

 『おんな城主 直虎』では、時代考証・風俗考証・建築考証・衣装考証の専門家の先生がたのほかに、その場面に必要な考証および指導者として、

 

殺陣/武術指導・馬術考証・禅宗考証・言葉指導・農業指導・笛指導・囲碁指導・仏事指導・鉄砲指導・書道指導・立花指導・蹴鞠指導…….

 

 などなど、様々な分野の専門家が直接指導にあたっていました。

 その中で私も、看護師としての臨床経験や、博士課程まで看護歴史を研究してきた経歴、また研究領域が医療史・看護史であることから、酒井先生の助手的立場で『おんな城主直虎』の医事考証現場指導に関わらせていただくことになったのでした。

 この連載で、私の印象に残った現場でのエピソードを紹介してゆきます。

 

 

 

|医事考証・指導って何をすること?|

 

 さて、「医事考証・指導」と聞いて、皆さんは具体的に何をすることだと想像されるでしょうか?

 ドラマづくりにおいて、時代考証とは、番組で取り上げられる史実・時代背景・美術・小道具等を確認し、なるべく史的に正しい形をつくっていく作業です。

 出演者一人ひとりが、どのような場所で、どのような格好をし、どう行動するのか、小道具として何を用意するのか。

 演技は演出家の指示・判断によりますが、考証者が撮影スタッフへの意見具申役であり、出演者の皆さんのアドバイザーを務めるのです。

 

 さて、女優の柴咲コウさんが演じた主人公・井伊直虎は、1534(天文3)年頃に出生、亡くなったのは1582(天正10)年とされています。

 直虎が生き抜いた時代は、室町時代末期から安土桃山時代にかけてで、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝え(1543年)、織田信長や徳川家康、武田信玄らが戦を繰り返していた、まさに戦国時代の人物でした。

 

 その中の医事指導にあたったのは、戦で負傷した兵士の治療・看病場面、病床での僧医による診察場面、看病の場面、薬研(やげん)の使用場面、杖の使い方などですが、演技指導や小道具に関する指導だけでなく、物語に登場する病気の設定などについても積極的に意見を求められるなど、多岐にわたりました。

 

 

 

|駆血はしなくてもいいのですか?|

 

 最初に医事指導として現場に臨んだのが、第9回「桶狭間に死す」です。

 1560(永禄3)年、尾張の桶狭間で今川軍が大敗を喫して、井伊家の庭先にも多くの怪我人が運ばれてくるシーンでのことでした。傑山役の市原隼人さんが、兵士の大腿部を貫通した矢を手で引き抜く場面です。どのように抜くのか、抜いたらどのように処置をするのか、その時代の医療レベルに応じた具体的な指導が求められました。

 矢は貫通しているので鏃(やじり)の部分は手で折り、矢柄を手で引き抜くのですが、ここで市原隼人さんに、

 

「駆血はしなくていいのですか?」

 

 と質問されました。さて、読者の皆さんはどう思われますか?

 

 戦国時代にあっては、武将召し抱えの金創医(戦場外科医)による刀疵・槍疵・槍傷などに対する治療は金創治療とよばれ発達しました。

 治療の実際としては、その場で止血し、洗って薬をつける、気付薬(元気の出る興奮剤)や接骨薬などを用いながら縫合したうえで、気血を補う薬を服用させていたようです。

 止血には、蒲黄(食物のガマの花粉)、ヨモギなどを用いていました。骨折には、皮付きの井柳を副木として用いました。

 

 日本に海外の外科学――いわゆる南蛮医学を伝えた栗崎道喜が、9歳でフィリピンのルソンに渡り、医術を修めて長崎に帰国したのは1596年(慶長元年)とされています。その後、長崎万屋町で開業して南蛮流(栗崎流)を開いたパイオニアですが、桶狭間の戦いはそれより36年前の話になります。ちなみに、杉田玄白らにより『解体新書』が刊行されるのは1774(安永3)年ですから、直虎の時代から200年後です。

 

 また救急処置法として、駆血や止血法の具体的な方法が記録として確認できるのは、江戸時代後期です。戦場での作法として、「きっと駆血はしていたでしょう」と、想像だけで医事指導はできません、史的に正しく指導するためには、1560年当時の資料を見つける必要があります。探しました……

 

  ......ありました。東京国立博物館画像検索 C0046172

図1雑兵物語 - コピー.jpg

 

 中村通夫・湯沢幸吉郎校訂『雑兵物語 あおむし物語』(岩波書店、1943年)には、鏃を体内から抜く方法が絵で描かれており、そこには、

 

「矢根疵を手にて抜かないものだ。釘抜があんべいならば、それでぬいたがよいもんだ。」

 

 と書かれています。本書の成立年代は「1657(明暦3)年以後、1683(天和3)年以前」。

   雑兵たちの創治療は、ほとんど仲間うちで行われ、血が体内に溜まるのを防ぐために横に寝かせることはせず、時には木にしばりつけて行われました。矢の鏃抜きや、鉄砲の弾抜きには、鉄はさみ、釘抜きを用いて多少の経験のある者が行っていたようです。

こうした現場の知恵が蓄積された戦乱期であった桶狭間の戦いに隣接した年代で、兵士らが行っていた処置方法を推察することができました。

 

 ・・・ということで、ディレクターには、手では矢は抜けないことなどを伝え、釘抜きのようなもので当時は抜いていたこと、駆血帯の考えは幕末頃に始まったことを伝えました。しかし、現代の視聴者の方から「あれ、駆血しなくていいの!?」と疑問が持たれそうで、医事指導の難しさを実感しました……。

 

 結局そこはドラマということで、ビジュアル表現を優先して、大腿部は駆血として布で縛り、怪力を誇る傑山役である市原さんの見せ場として、脚に貫通した矢を抜く迫力あるシーン(下は著者作図。以下も)になりました。

 

図2手で矢を抜く - コピー.JPG

 

  矢を抜くときには、市原さんが「布を持ってこい」と叫び、直虎役の柴咲コウさんがいくつか布を手に取り駆け付け、布で圧迫し、包帯として巻き始めます。そこでの私の仕事は、脚に適した幅の布を実際に巻きやすいように環軸帯として準備し、柴咲さんに包帯の巻き方の指導もしています。

 このシーンでは、負傷兵が次々に庭に運ばれてきてごった返しており、そこここで負傷した兵士が呻いています。井伊家の大敗を表す悲壮感が出る演出となっていました。

 

 医事指導では、看病のために用意する小道具の他に、看病にあたる人の動きにも目を配ります。エキストラの方々にも、「こうやって背中を支えてください」「布を巻くときはこうやってください」などの指導も行いました。負傷兵が屋敷の庭に運ばれてくるシーンの医事指導は、今川屋敷の庭や徳川引馬城内のシーンでも経験しました。

 負傷兵になるエキストラは何十人といらっしゃるので、本番前の包帯巻きも大変です。

 

 いちど時間がなくて手甲や脛あての上から包帯を巻いたことがあります。すると殺陣/武術指導の先生からストップがかかりました。

 武将は鎧を着ており、頭は兜、顎は頬当、肩は鳩尾板きゅうびのいた、腕は大袖、体幹は鎧胴、草ずりで守っていたので、刀で切られる部位(包帯が巻かれていて自然な部分)は、「保護されていない首と大腿の内側、脇の3か所だけです」と教えてくださいました。

 

「では戦場では、何が直接の原因となって死んだのですか?」と聞いてみました。答えは、ほとんどが殴り殺しで、打撲死だったそうです。時代劇で、刀が主体の戦争での負傷兵の処置シーンでは、鎧に関するこのような知識もないといけないのだと、たいへん勉強になりました。

 

 

 

|戦国時代の包帯の巻き方|

 

 傷の手当てのシーンでは、盗賊頭役の柳楽優弥さんの脇腹の傷、近藤康用役の橋本じゅんさんの大腿部の複雑骨折の傷、万千代役の菅田将暉さんの肩傷の処置場面にも立ち会いました。特に、柳楽さんや菅田さんにはリハーサルで実際に包帯を巻かせていただきましたので、役得でしたね。

 

 万千代役の菅田さんは、右肩口を背後から刀で切られる設定でした。事前にディレクターからのお電話で、後ろから刀で切りつけられると知らされていたのですが、先に紹介した殺陣武術指導の先生の話が念頭にあり、「鎧を着ていたら肩は切られるのかな?」ということが疑問で、なかなか包帯の巻き方がイメージできませんでした。それに肩の傷だと、腕も固定しないと傷の安静は保てません。

 実際にどのようなシーンを演出の方は作ろうとしているのか、台本を読むだけではわからないものです。

 

 演出の方にしても、医事指導でどのような包帯を巻くかにより、どのような作業・しぐさ・動作が実際に描けるのか、リハーサルで私が示さない限りわからないのです。晒を準備して、傷の位置を自分なりに想定して、自宅で夫や息子をモデルに、右肩を中心とした八の字包帯を練習してみたりしました。

 菅田さんの包帯シーンより以前に、柳楽さんの腹帯のシーンがあり、晒で腹帯を作って小道具さんに紹介していました。晒が作られたのは時代的にはもっと後になりますが、そこは撮影上の便宜を優先しました。本番では、包帯は衣装さんまたは小道具さんが巻き、固定のための結び目を3つ作るなら2つは結んであるところから、カメラが回ることになります。

 カメラが回り始めて、最後の結び目を作るところ(結ぶ人は柴咲コウさんです)を現実感を出し、いかに演出するか。その小道具としての腹帯を考えました。撮影では、ほんとうに細部にまで心遣いがなされているのです。

 

 そしてこのような治療・看病の場面では、看病セット(下図の一式)の不足がないかも確認します。

 

図3看病セットと腹帯図 - コピー.JPG

 

 その経験から、菅田さんの肩傷の八の字包帯では、最後の結び目をどのように作ることができるのかを考え、悩みました。

 

 結局、腹帯同様、縫製した肩当て付き胸帯を使ってはどうかと考えて下図の見本を作って持参しました。

図4肩当付胸帯写真 - コピー.JPG

 

 リハーサルでは、使用する布=包帯について、小道具の方と入念な打ち合わせをすることになります。下図は、肩当て付き胸帯についての私の覚書です。

図5肩当付胸帯 - コピー.JPG

 

 私が看護師になった1980年代では、腹部の手術をする患者さんには腹帯を、肺や乳がんの手術をする患者さんには肩当て付き胸帯を晒で作っていただくため、看護師は実際に作り方を指導していました。今回の医事指導では、その経験が大いに役立ちました。

 

 包帯の巻き方には、臨床経験が役に立っています。私が5年間手術室に勤務した当時は、まだ何といっても石膏ギプスの時代です。

 

 その後の外来勤務での救急患者対応の経験を思い出しても、骨折、打撲(脾臓破裂、肝臓破裂の方もいました)、脱臼、刃物の刺し傷(腹部)、鉄砲玉(弾丸)の取り出し(海外で銃撃され体内に残っていた)、異物の取り出しなど、様々な治療処置を経験してきました。包帯も体のあらゆる部位を巻いてきましたので、負傷兵の方々に巻いた伸縮しない天竺布でも、ずれることなく巻けました。

 「指導」役が巻いた包帯がグダグダだと、スタッフや役者の方々に信用していただけないと思いますし、臨床での実際の看護経験と自信がなければ医事指導に対応できなかったところでした。

 

 なお包帯法も、南蛮医学を開いた栗崎によって広まりました。

 刀傷などを治療する金創治療に精通していた栗崎は、治療に圧迫繃帯、木綿布などを用いました。しかし、日本で綿の栽培が拡大し、安定した生産から全国的に使用が広がり、晒木綿などが作製されるのは江戸時代の慶長年間(1596~1615)になります。

 

 また、私たちはふだん時代劇で、口に焼酎を吹きかけて消毒する場面を見てきましたが、そこでアラキ酒(焼酎)と呼ぶ蒸留酒を使用して、それまでの金創治療よりも効果を上げたのも、栗崎の時代の発案になります。

 

 ですから桶狭間の戦い当時は、焼酎を吹きかけての傷口消毒はまだなされていなかったと見なされます。

 

 私たち看護師は、1つの看護技術を提供する場合、必要物品は何か、その配置をどうするかなど、その流れをイメージしてから看護にあたります。そして実際には、自分に身に付いている看護技術を自然に繰り出しています。

 

 医事指導では、この看護技術の一連の流れの中で行う実際の手の使い方などを、実際にやってみせて、言葉にして役者さんに教え伝えることになります。例えば、些細なことですが、軟膏の膏薬を作る場合、軟膏ベラを使ったあとは、ベラの膏薬はふき取り、軟膏壺の蓋を閉めます。

 

 その1つひとつを役者の方、演出家の方に説明し、場面の流れを作っていくのです。

 

 私自身、いつもはどうしているだろう…。この時は何をする?…とずいぶん考えました。

 

 医事指導として、ひとつひとつその時代の医療を調べ、史的事実に基づいて専門家として具申していくのが私の役割でしたが、看護師として身に付けた診療の補助技術も生かされたと思います。

 

 これまで臨床で、私に多くのことを経験させて下さった患者さんがたに感謝ですね。

(第1回おわり)

 

 

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編集:看護史研究会 
編集協力:加藤 文三
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