かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2018.3.20 update.
*標準語訳:武士は患者が病院から出るまでは、刀を自分の鞘に納めてはいけないよ
2000年に発足し、安全安楽かつ効果的に患者がIVRを受けられるようにIVR看護のあり方を検討する場です。放射線科における看護の臨床実践能力を高めるため専門知識や技術の習得、研鑽をめざし、チーム医療における看護師の役割を追究し、また、IVR看護師の専門性を確立するため、継続して学習する場、人的交流の場を提供することを目的としています。
発足間もなくから開催している研究会(セミナー)は、3月16日に第19回を迎えました。記念すべき第20回は、2020年3月7日に開催予定です!
公式webサイト:http://www.ivr-nurse.jp/
Face book @ivrnurse2016
看護者の倫理綱領
看護師として医療現場に立ち続けるのは、とても厳しいことです。さまざまな問題や試練にあうことも多いと思います。しかし私たちは専門職業人として医療現場に立ち、看護実践に取り組む必要があります。そしてその実践においては、看護師の能力や経験に基づき行う必要があり、常に注意義務を伴うことが求められています。なぜならば、「看護者の倫理綱領」には第7条で「看護者は、自己の責任と能力を的確に認識し、実践した看護について個人として責任をもつ」1)とされているからです。
加藤ら2)によれば、この倫理規定条文は、保助看法と共に看護行為の注意義務の発生根拠の1つであると法的に解釈されています。私たちは看護師としてその能力を養い、国から認められた専門職業人です。医療やIVRの現場でその能力が必要とされていることを認識すると共に、その実践においては、看護実践の根拠や注意義務を伴う責任があるのです。
「武士は最後まで刀を納めてはならない」
私たちが実践しているIVRでの看護が、患者の満足を得られているかを評価するために実施した患者への術後訪問でのエピソードがあります。
患者のAさんは数回IVRを受けられた経験があり、入院治療に対しても慣れている感じの方でした。Aさんに対して、私が同僚看護師と術後訪問し、おおよそ評価が終了した時のことでした。最後に私は「私たち看護師に伝えたいことはありますか?」とAさんに質問しました。
するとAさんは、「病院は戦場のようなもの。あなたたち医療者は武士だと私は思っている。サムレーやガタナウサミティーならんどー(標準語訳:武士は患者が病院から出るまでは、刀を自分の鞘に納めてはいけないよ)」とおっしゃいました。Aさんは年齢的にも実際の戦争を経験された方でした。そして何度も入院治療を経験したことがあり、医療の現場の厳しさが戦場と似たようなものであるということを、私たちに伝えたのです。
私はこの経験のあとから、臨床で看護実践する際に、「刀を納めてはいないか? 油断していないか?」と自己の看護実践を問い直すようになりました。常に気を緩めず、細心の注意をはらって看護実践に取り組む必要があるからです。
2つの義務と看護の知
では、問題提起で示したエピソードを振り返ってみましょう。要約すると、G看護師がIVR後の患者観察を怠り、患者の状態変化に気付いていなかったというエピソードでした。
G看護師の経験は豊富でしたが、その経験から得た看護実践の能力は、患者に向けられることはなく、“看護師”へ向けられていました(自己業務を優先させた)。その結果、G看護師は、術後の合併症のリスクがある患者に対して、患者観察という注意義務を怠り、患者の状態変化の早期発見に気付くことができなかったのです。G看護師が、患者の術後のリスク状態(脱水や穿刺部位の圧迫による疼痛等)を適切にアセスメントし、注意深く患者観察を継続していたならば、患者状態の早期発見が可能であったのかもしれません。
この点について、もし患者の観察が何もされず、医師の指示に基づく適切なケアが患者に提供されなかった場合、G看護師は過失責任(注意義務違反)を問われる可能性があります。なぜならば、加藤ら2)によれば「①結果発生の予見義務を怠り、②結果回避義務が果たされていない場合、過失(注意義務違反)と理解される」と法的に解釈されているからです。齋藤3)による考察においても、「療養上の世話か診療の補助かの業務を考慮に入れつつ、看護師として、わずかな注意を払えば、悪結果を予見できたにもかかわらず、漫然とこれを見過ごした行為をとった場合」は過失責任を問われるとされています。ここでキーワードとなるものが以下の2点になります。
①予見義務 ➡ 事故の発生(または発生の可能性)を事前に認識・予見すべき義務のこと
②結果回避義務 ➡ 予見に基づいて事故の発生を回避すべき義務のこと
看護実践においては、常にこの2つの注意義務が課せられているのです。予見義務とは、IVRを受ける患者にどういったことが予測されるか、事前に患者情報に基づいて認識することです。「前回造影剤投与後にアレルギー症状が出たので、今回もアレルギーの発現が予測される」「抗がん剤の動注後に嘔吐症状の発現が予測される」「迷走神経反射を起こした病歴があり、今回も慎重な患者観察が求められる」などです。
これらの事前の予見に基づいて、看護師が造影剤変更の提案をしたり、動注前に制吐剤を投与したり、慎重な患者観察と症状発現前後に適切な薬剤投与ができるように事前準備をしたりすることが、結果回避義務ということになります。
では、我々看護師は事前に得た患者情報を何に照らし合わせ、判断すれば「予見」が可能となるのでしょうか? 必要なものは、それぞれの看護師が持つ経験と学習から得られた「看護の知」になります。大串4)は、知識はポランニーの提唱した「暗黙知」と野中郁次郎の提唱した「形式知」の2種類に分類されると述べています。
①暗黙知 ➡ 経験や勘に基づく知識のことで、個人はこれを言葉にされていない状態でもっている。例えば、個人の技術やノウハウ、ものの見方や洞察が暗黙知に当てはまります。
②形式知 ➡ 文章や図表、数式などによって説明・表現できる知識のこと。明示的知識とも呼ばれます。例えば、マニュアルは形式知を具体化したものの典型といえます。
例えばPCI(経皮的冠動脈インターベンションの略)を受ける患者の心電図を見て、Ⅱ、Ⅲ、aVfのST上昇ならば、造影をしなくても右冠動脈の病変が予見できることは形式知となります。また、この患者さんが、PCI施行中にPVC(心室期外収縮)も単発に出るため、「なんだか胸騒ぎがする」「急変するかもしれない」といった予測をすることは暗黙知です。
通常私たち看護師はこの形式知と暗黙知を総合的に駆使して、患者情報に照らし合わせることで、さまざまな看護の「予見」が可能となるのです。ですから、「看護の知」を豊富にもつことは、注意義務に「予見」が必要な意味からもとても重要なこととなります。「看護の知」を得る方法として、大串は以下の10項目を示しています。
①教科書から学ぶ
②実習・体験から経験的に学ぶ
③患者と接して仕事の中で学ぶ
④ベテランの先輩から指導を受ける
⑤院内・院外の研修会で学ぶ
⑥雑誌や学会などの新しい知識を吸収する
⑦新しい知識を実践して気がつく
⑧新人に指導しながら逆に教えられる
⑨チームをまとめる際に養われる
⑩リーダーとして判断する
前述した「看護者の倫理綱領」の第8条には「看護者は、常に、個人の責任として継続学習による能力の維持・開発に努める」とされています。常に経験や学習によって新たな「看護の知」を得ることは、看護者の責任ならびに責務なのです。
結論
おわりに
(沖縄県南部医療センター・子ども医療センター 伊波 稔)
<おわり>
[引用文献]
1)日本看護協会:看護者の倫理綱領、看護に活かす基準・指針・ガイドライン集2016.日本看護協会出版会、2016.
2)加藤済仁、蒔田覚、ほか:看護師の注意義務と責任―Q&Aと事故事例の解説.新日本法規、2006.
3)齋藤美喜:看護師の過失判断基準についての一考察.日本赤十字武蔵野短期大学紀要第18号、2005.
https://ci.nii.ac.jp[2017.12.15アクセス]
4)大串正樹:ナレッジマネジメント―創造的な看護管理のための12章.医学書院、2012.