2-3 ペコロスさんの智恵--「問題」という言葉の追放

2-3 ペコロスさんの智恵--「問題」という言葉の追放

2013.4.10 update.

なんと! 雑誌での連載をウェブでも読める!

『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3水曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!

→田口ランディさんについてはコチラ
→イラストレーターは安藤みちこさんブログも

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2-2からつづく)

 

他人の痛みは痛くない

 「田口さんは、ご家族の不幸をこんなに作品に書いて、苦しくはありませんか?」と聞かれることがよくあります。まったく苦しくありません。苦しかったら書けません。なぜ苦しくないのだ? と聞かれるのですが、それははっきりしています。
 たしかに、私の父親はアルコール依存症で、末期がんで亡くなりました。義母は脳梗塞で、義父はぼけて老衰で亡くなりました。みんな、本当に大変でした。でも大変だったのは、親たちであって、私ではありません。私は……いたって健康体で、病院にもめったにかかったことがなく、夫と娘もいて、仕事ももっていて、さしたる問題は何もありませんでした。ここが大事なのです。たいがいの人は「家族の問題」と「自分の問題」を混同してしまいます。
 亡くなった私の兄や母がそうでした。兄は、酒乱の父にいつも怒り、父がいることで自分は不幸になった、父が酒乱だから自分はダメな人間になった、父が酒をやめればすべてうまくいく……かのごとく父を憎んでいました。母は、兄がひきこもりだから家族がうまくいかない、兄さえまともになってくれたら自分は幸せになれると、錯覚していました。
 ですが、誰より困っているのは当事者であり、他人の痛みは痛くない……という大原則に立って、実は自分は安全な場所にいることを思い知らなければなりません。
 私も長いこと、酒乱の父とひきこもりの兄のことで困り切っていました。この二人をなんとかしなければ幸せになれない、悩みが尽きないと思っていました。私の心が暗いのは病んでいる家族がいるからだと考えていたのです。
 でも、それは間違いでした。兄がひきこもりなのも、父が酒乱なのも、二人の人生であり、それによって一番苦しんでいるのは当人たちで、私が苦しむのはお門違いなのです。私は、ただ自分の身勝手な要望どおりに家族を変えたくて、イライラ悩んでいたのでした。「他人を思いどおりにしたい」という欲求によって自分が苦んでいるにもかかわらず、何もかも家族のせいにして被害者面をして生きていたのです。
 在宅で介護や看護をしていると、だんだん「苦しいのは自分」という妙な思い込みが大きくなっていって、認知症の親に対して「この人は何もかも忘れてしまって楽でいい」などと思ったりもしてしまうのですが、やっぱり、苦しいのは本人に決まっているのです……。
 看護や介護に携わる人たちの多くは、「苦しんでいる人を援助したい」という理想をもっています。それはちっとも悪いことではありません。私が出会った介護者の人たちの多くが、「おばあちゃん子だった」「子どもの頃におじいちゃんにかわいがってもらった」と言います。「子どもの頃に病気をして、まわりからよくしてもらった」と語る看護者の方にもよくお会いします。自分がしてもらったことをお返ししたい。それはとてもすばらしい志です。
 では、ケアとはなんでしょう。これは深い問いです。たぶん仕事を続けるうちに「ケアとは、してあげることではない」ということに気づいていかれると思います。それは在宅看護で家族と向き合うようになったご家族も、いつか気づかなければならないひとつの峠です。
 私たちは「人の痛みをわかる人になりなさい」と育てられてきますので、人の痛みをわかろうとします。でも悲しいことに、人の痛みは、絶対にわからないのです。かろうじてわかるのは、「人の痛みはわからない……という痛み」なのです。同時に、「私の痛みもわかってはもらえない」のです。身体の痛み以上に、心の痛みは永遠にわかりあえません。
 こう言うと、とても冷たいように思われてしまうかもしれません。でも、「わからないんだ……」ということが身に染みないと、相手をひたすら理解しようとする努力をどこかで放棄し、自分の勝手な思い込みで物事を進めてしまいがちなのです。「わからない……」ということは、努力と謙虚さにつながっていきます。
 わかっている(つもりの)看護者は自信満々で頼りになりそうですが、実は、当事者やご家族の側には小さな不満が渦巻いているかもしれません。多くの家族は、「うまく言葉にできない」思いを抱えがちです。言葉にすることが苦手な人が、とても多いのです。「自信」と「思い込み」は相手の言葉を封殺するので、自分ではよくやったと思っていても、まわりは「何か納得できない」と感じているかもしれません。支援する側が、当事者を押さえつけて主役になってしまうことはよくあります。

 

ペコロスさんの“頼りない力”

 さて、『ペコロスの母に会いに行く』の主人公のペコロスさんは、本当に「頼りない人」なのです。なんとなく「とほほ……」な感じです。
 お母さんのみつえさんは、ときどきペコロスさんが「はっとするような真実」を言って、ペコロスさんに衝撃を与えます。「ホントはぼけてないんじゃないか?」と思うような鋭い指摘をされて、息子のペコロスさんは右往左往します。また、みつえさんの深い情感に触れて、思わずもらい泣きしたりします。
 この漫画のなかで、ペコロスさんは介護する側の家族なのですが、二人の関係は実に対等に描かれています。ペコロスさんはいつも、認知症のお母さんから人生を教えられているのです。そして、素直にびっくりし、自分を振り返ったり、悩んだりします。そこがペコロスさんのすごいところであり、この漫画の魅力です。
 介護しているはずのペコロスさんが、みつえさんの存在に支えられて生きている。みつえさんは、ペコロスさんにつねに哲学的な問いを投げかけ、ペコロスさんはその問いにはっとしてたじろぎ、自分が見ないようにしてきた世界を発見する。
 ペコロスさんは、とっても頼りないのだけれど、強いのです。揺れ続ける力、驚き続ける力、途方に暮れ続ける力をもっています。だから、どんどん認知症が進行するみつえさんとともに在り続けることができます。その変化を、常識的な善悪で受け止めるのではなく、もっと大きな視点で一緒に体験することができるからです。
 看取り……って、何度経験しても慣れるということはないんです。毎回、違うんです。毎回、おどおどするし、悩むし、どうしていいかわからない。もちろん経験を積んだ分だけ知識は増えますから、事務的な対応などは得意になります。だけど、人間と人間の関係はひとつとして同じものはなく、相手が違えば毎回違う自分が現われてきます。
 実の親の看取りと義父母の看取りは、心持ちがまるで違いました。私の場合は、実の親のほうがずっと苦しかったです。それは、子どもの頃からの親子関係のよじれが消えていなかったからだと思います。どんどん変化していく父を、変化のままに受け止めていくことは、〝過去の自分〟との苦しい決別でもありました。
 〝昨日の父〟は、〝今日の父〟ではなくなっているのです。過去の重荷を捨てて、死ぬ準備をしている人はだんだんきらきらしてきます。お地蔵さんのような顔になってきます。その人を前に、酒乱で母を殴っていた父をオーバーラップさせてばかりいたら、父の心に寄り添うことができません。自分も過去の怨念、期待、思い込み、そういうものをかなぐり捨てて、目の前の父と向き合うしかなかったのです。
 ずっとよい親子関係だった方は、認知症になっていきなり、自分の親が破廉恥になったり守銭奴のようになったり、ということを目の当たりにすると、その変化がどうしても受け入れられません。人が変わってしまった……と思うのです。本当は認知障害による何かしらの不安が、ある行動へと駆り立てているのですが、その不安は本人もよくわかっていなかったりするのです。
 まわりの人間にできることは、まず安心させること。大丈夫なんだ、ここにいていいんだ、自分は必要とされているんだ、と感じてもらうこと。でも、これはただマニュアルに沿って返事をしたり、行動したりすることでどうにかなるものではありません。相手に対して心から「おお!」と感動し、「すごいなあ」と思い、「ありがとう」と言葉に出すことでしか伝えられないのですね……。
 ペコロスさんは、みつえさんに対していつもそのように接しています。それが漫画を通して伝わってきます。
 これって、あんがい「子育て」にも通じるものだな、と思います。わが家の娘はいま高校一年生なのですが、認知症気味の老人たちと長く付き合ってきたせいか、自分の理解できないものをすぐに拒否はせず、おもしろがって観察するようになりました。
 「問題」というのはだいたい、健常者が勝手に問題として認識しているだけで、当事者はいかんともしがたくそうなっているにすぎません。老いて病んでいく人と共に歩むためには、「問題」という言葉を家から追放することが必要となります。いま、目の前になにかとてもユニークで、おもしろいことが起こっているだけなのです。素直にびっくりして、共に楽しむしかありません。

 

(連載第2回了☞ゴールデンウィークでお休みのため次回UPは5月8日です。)

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訪問看護と介護

いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。

3月号の特集は「あれから2年 災害対策の「変えた」「変わった」」。「これまでのマニュアルでは役に立たなかった」とも言われる東日本大震災の経験を経て、今「災害対策」はどう変わったのか? どう変えてきたのか? 岩手・宮城・福島・茨城各県から現場訪問看護師にご報告いただきました。

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