かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2014.3.12 update.
『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3水曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!
→田口ランディさんについてはコチラ
→イラストレーターは安藤みちこさん、ブログも
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おじいちゃんは、お姉さんたちのことがわかったようでした。
でも、お姉さんたちは、“現実の世界”からこちらに来たので、おじいちゃんの意識状態がすぐには理解できません。
すっかりボケてしまい、やせ細ったおじいちゃんを見て動揺していました。
ご自身たちが世話をしてあげられなかったことを責めているのがわかりました。娘として当たり前の気持ちだと思います。
人間は、自分の感情を整理してからしか冷静にはなれません。自分の感情が落ち着いてからしか、他者の感情に目を向けることができません。まず、自分のことです。それが終わって、次に他者のこと。
おじいちゃんの弱った姿を見て、自分のなかに起こってくる懺悔や悲しみと、お姉さんたちが向き合う時間が必要でした。
私たち親族は一晩を共に過ごして、おばあちゃんが亡くなってからのおじいちゃんの様子などを語り合いました。いろいろな話題が出ました。離れて住んでいるお姉さんたちには受け入れがたいような、おじいちゃんをめぐる出来事もあったと思います。遅くまで、話は尽きませんでした。一晩が明けると、お姉さんたちは悲しみの感情から立ち直り、冷静になっていました。
在宅医が訪問診療に来て、「家で看取ること」と「病院で看取ること」の違いについて説明してくれました。「延命する」ということが、今のおじいちゃんにとってどういうことなのか。気管切開をしたり、点滴をしたりすることの苦しさなどについてやんわりと説明を受け、そこでようやく親族で「やっぱり、みんなで家で看取ろう」という合意が生まれました。
この合意なしには、「在宅看取り」は難しいなあと思います。
親族のなかで誰か1人でも、延命を希望した場合には、本当によく話し合って、何がいちばん本人にとってよい「死に方」なのかを考えていかなければならないです。それは、死んでいく人のため、というよりも、残された者のたための儀式のように思えます。
あるいは、自分が死ぬときのための準備かもしれません。
「合意」のためには、時間が必要です。
でも、その時間が「ない」と思い込んで合意を省こうとしてしまうことが多いのだと思います。
人はいつも時間に追われています。その日常に慣れてしまっているので、なにかを「はやく」しなければ「間に合わない」と思っている。
「はやく決断しなければ、死に間に合わない」
そんなふうに考えてしまうと、会社の仕事をこなしているのと同じになってしまいます。
命には、間に合わせるような時間は流れていないんです。大丈夫なんです。できることをていねいにすることがいいのです。
いきなり目の前に「延命しない」という看取り方を突きつけられても、多くの人は納得できません。とくに亡くなられる方がまだお若い場合には、悩むでしょう。
悩む人は、悩まなければなりません。
周りは悩む人を、待てばいいのです。
どうにもならないことは世の中になく、どうにかなっていくのです。
「どうにかなること」と、「どうでもいいこと」は違います。悩みながらどうにかなれば、それでいいのだと思います。
いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。
2月号の特集は「在宅だからICF 『生活を支える』を具現化する」。訪問看護と介護の仕事は、利用者さんの「生活」を支えること。とはいっても、生活はあまりに幅広く複雑で捉えどころがありません。さらに、多職種連携が基本となる「在宅」では、目標や課題を共有のための共通言語も必要です。その両方に効くのが、「生きることの全体像」の「共通言語」であるICFです。生活を支えるのに「いま本当に必要な支援は何か」を具現化します!