かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2014.1.30 update.
「依頼原稿ゼロだけど溢れ出てきます」
(このページの最後にライブトーク@ふらっとすぽっとのフルバージョンのリンクがあります。)
2014年1月17日、紀伊國屋書店新宿南店3階イベントスペース「ふらっとすぽっと」にて、『坂口恭平 躁鬱日記』の著者である坂口恭平さんと担当編集者の白石によるトークイベントが行われた。
当日18時半頃、ふらっとすぽっと周辺にて紀伊國屋書店の豊富な品揃えを堪能していると坂口さんが颯爽と登場。非常にお元気そうで安心する。
紀伊國屋書店の方に控え室に案内していただき、開始時刻の19時まで打ち合わせを行う予定だったが、元気な坂口さんが話しだすと常にトークイベント状態になってしまうので、既に控え室にてミニトークイベントが開催されてしまった(その模様は上記動画よりご覧になれます。)。
未発表新作小説の朗読や、お父様譲りの相撲甚句の披露によって一気に坂口空間になった控室から会場に向かうと、なんと20人の座席+50人以上の立ち見の超満員。
壇上着席後、坂口さんが会場の写メを撮ってから「お薬飲んでねアラーム」に合わせてお薬を飲み、ついにトークイベントが開始される。
「坂口さんきっと将来立派な人になると思うんですよ」「この本はきっと将来、坂口さんの基礎資料としての真価までも発揮するに違いない」とラブコールを送る白石。
まずは『坂口恭平 躁鬱日記』ができた経緯から……との流れになるが、流れ通りにはいかない。四方八方に話が飛び、途中白石から「みなさん、言ってること分かりますか?」などの発言も飛び出す。
坂口さんは2004年よりつけていた日記から一時期Twitterに移行し、一日200ツイート(原稿30枚分)の言葉が流れていたものの、そこから日記に再度移行したものが『坂口恭平 躁鬱日記』の冒頭の「4月15日」のページである。「世界は点線でできている」「人々は満天の星空を線で結んで星座を作りたがるけど僕はそうではない!」等の主張が世間に伝わらないので日記をつけ始め、気がつけば原稿750枚分の日記を書いていたという(14:15)。
2011年に2人が初めて出会った当時、坂口さんは「当事者研究なるものは内省のできない躁鬱病患者にはできない」と考えていた。しかし、日記を書き始めたことで「これは当事者研究という入り口しかない!」と思い、慌てて白石に連絡をとったのが2013年、2人の再会であった(27:00)。
白石曰く「当事者研究は反省しない、人ごとのように書くことがツボ」であり、操期の坂口さんは自然に当事者研究的なスタンスで日記を書いていたのである。それは日記なのに「坂口恭平」という俯瞰的な言葉が約200回登場することにも如実に現れている。そして今回の躁鬱日記の最も革新的な点は「鬱記」が登場することであり、その「感動するほどつまらない(!)」鬱記を書かしめる鬱期と、華やかな操期の落差も坂口さんの魅力の1つであると2人は語る(42:45)。
他にもトークは多岐にわたり、坂口さん、奥様のフーさん、娘アオさん、フーさんには見えない坂口さんの精霊ダンダール、アオさんのイマジナリーフレンドのみっちゃん・よっちゃんの総勢6名で冬の寒い朝に、家の中で畳にシートを敷いてピクニックをした話では会場からも多いに笑い声が上がっていた(34:45)。また、坂口さんの本との接し方や「電話口で読み上げる」という原稿作成の進め方なども紹介された(46:30)。
質問タイムでは、「何歳の時に躁鬱病と診断されたのか?」というものから、「坂口さんのレイヤーは何枚ありますか?」「僕も0円ハウス建てていいですか?」など、坂口さんファンの方々らしいものも投げかけられ、あらためて坂口さんのカリスマ性を感じた(52:10)。
とても多くの方にお集まりいただいたため、後方にいた私はイベント中演者2名の姿を見ることは全くできなかったが、代わりに観客の方々の姿をよく見ることができた。書籍を参照しながら話を聴く方、Twitterで実況し続ける方、人ごみの中なんとか写真を撮ろうとする方など、様々な方がいらっしゃったが、その後ろ姿には何とも言えない一体感があり、ライブ会場のようだった。ネット上でも何名かの方が同じことを言っていたが、「音楽を聴いているようなトークイベント」であった。
そんな一体感溢れる現場に居合わせたことを喜ばしく思うと共に、場を提供してくださった書店の方々、そしてお集まりいただいたオーディエンスの方々、ありがとうございました。
当日ライブに参加できなかった方は、ぜひその一体感を下記URLから味わってください!
『坂口恭平 躁鬱日記』坂口恭平×白石正明
ライブトーク@ふらっとすぽっと
(本文中の(00:00)時間は動画と対応しています。)
僕は治ることを諦めて、「坂口恭平」を操縦することにした。家族とともに。
ベストセラー『独立国家のつくりかた』などで注目を浴びる坂口恭平。しかしそのきらびやかな才能の奔出は、「躁のなせる業」でもある。鬱期には強固な自殺願望に苛まれ外出もおぼつかない。試行錯誤の末、彼は「意のままにならない《坂口恭平》をみんなで操縦する」という方針に転換した。その成果やいかに!