【最終回】みんなで、おうちにかえろう

【最終回】みんなで、おうちにかえろう

2013.10.04 update.

伊藤佳世子(いとう かよこ/右)×大山良子(おおやまりょうこ/左) イメージ

伊藤佳世子(いとう かよこ/右)×大山良子(おおやまりょうこ/左)

いとう かよこ:千葉県千葉市在住。法律事務所勤務後、国立病院機構の介護職員として勤務。2008年りべるたす株式会社設立、代表取締役(在宅障害福祉サービス事業所管理者)。介護福祉士・社会福祉士・相談支援専門員。千葉大学大学院人文社会科学研究科博士前期課程修了,立命館大学大学院先端総合学術研究科博士後期課程在籍中。第47回NHK障害福祉賞第2部門(障害のある人とともに歩んでいる人)優秀賞受賞。 「りべるたす」ホームページはこちらから

おおやま りょうこ:千葉県千葉市在住。本連載のイラストレーター。 2009年特定非営利活動法人リターンホーム設立、代表理事(長期療養者へのエンパワメントを行うための研修事業等)。SMA(脊髄性筋萎縮症)療養のため、1978年大和田小学校から下志津病院隣接の四街道養護学校転入。1983年同小学部卒。86年同中学部卒。89年同高等部卒。 「リターンホーム」ホームページはこちらから

 
 
 そうして、大山良子さん(大山ちゃん)の退院から5年が経ちます。
 
 この連載を通し私(伊藤)はさまざまなことを考えるようになりました。
 完結を迎えたいま、強く思うのは、私は、大山ちゃんに事業者として単に障害のサービスを付け、病院からの退院支援をしただけで、まだ何にもしていないではないかということです。
大山ちゃんが本当の意味で、地域とつながる支援なんて、何もしていなかったのです。
 そのことに、5年経ってやっと気づいたのです。
 
 

伊藤が知らなかった「大山ちゃんの世界」

 
自分喜~1 - コピー.JPG
 退院して自立生活に入り、真由美さんと私(大山)の生活も定着し始めてきた頃、新しい自分を段々と発見していきました。
 病院にいた頃にはなかった、周囲に負けまいと探究心をもつ、意外にも負けず嫌いな自分。それから、一度これをやろうと思ったらやり通そうとするわりと頑固な自分。
 今まで心のどこかに潜んでいた“わたし”が、ひょっこりと顔を出してきました。
 
 “わたし”というカラーが出てきてほしいとは思っていましたが、果たして、それが本当の自分なのか?と言う思いもありました。
 
  と同時に、まわりの人と自分の違いに戸惑いはじめました。
 
 周りの人――講演先で出会う学校の先生、マンションの上階の住人、スーパーの店員さん、駅員さん、ヘルパーさん。色んな方がいます。そんな人たちと自分を比べ始めたのです。
 私は、特に同世代のヘルパーさんと自分を対比しました。
 同じ人間なのに全然違う!
 
 自分の年齢(30代)なら、たいていの皆さんは働いて社会的に役割を持っていて、家族を持っている人もいるでしょう。例えば、支援してくれる同年代のヘルパーさんは、よくお子さんの話をしてくれます。
 朝、家族に作ってきたお弁当の話や、お子さんの部活や受験のこと。
 子どもが言うことを聞かなかったこと…。日常の何気ない親子の会話です。
 
 私は子どもが好きなので、そうしたお子さんたちの成長についてとても嬉しく思い、聞いています。
 若いヘルパーさんは、恋話をしてくれます。意中の人のこととか、彼氏と一緒にお出かけしたり喧嘩したことなど打ち明けてくれます。
 私は、どちらの話も面白く、人って色んなことを思って生きているのだなと本を読む感覚で聞いていました。
 
自分哀~1 - コピー.JPG
 でも、私は「いつも聞いているだけ」だと思うようになりました。
 私には子供とか恋話とかいう話はできないのです。私からはアドバイスみたいな、‟そうだよねー“という気持ちの共感みたいなことがないのです。思いを共有することが、人とできないのでした。
 
 思えば今まで恋をするとか、そういう機会もなく……いえ、あったのかもしれませんが、私は病院にいる『患者さん』だったし、車いすだし、人を好きになる資格はないと思っていました。
 仮に好きになっても自分を受け入れてはもらえないだろうと思ってしまうのです。
 
 自分には社会的な役割もないから、人としての価値がないように思えてなりませんでした。そんなことから、私は周囲に対し劣等感を感じるようになっていきました。
 
 比べるのもおかしいのかもしれないのですが、身近にいる伊藤さんは、仕事をバリバリして、困っている障がい者の人たちの役に立っている。そういった姿を羨ましくもあり妬ましくも感じるようになりました。
 
 私は小学校2年の2学期から高校まで、養護学校で教育を受けました。
 友達は、病気の子どもばかりです。自分より重度な子どもたちと競うとか比べるとかした事がないので、この気持ちをどんなふうに受けとめたら良いのかわからないのです。
 
 見て見ぬふりをしていた部分のことがどんどん見えてきて、何もない自分ってなんなのだろうか? と悩むことが多くなりました。
 
 そうして、自立生活を始めて1年半が過ぎたころ、体に異変が起こりました。
 
 忘れもしません。2009年10月12日月曜日のことです。
 食べ物が、まったく呑み込めなくなってしまったのです。以前から疲れると呑み込みが 悪かったので、ぐっすり寝れば治ると思っていました。でも、何日経ってもゴックンすることがうまくできませんでした。
 呑み込むという動作を恐怖に感じてしまうほどでした。ご飯を食べることが苦痛で、でも食べないと体調を崩してしまう。ジレンマとの戦いです。
380ゴック~1.JPG そのうちに微熱もではじめて体もだるく、出かけることが好きだったのに、うちを出ようと思うと動悸がして外に出ることもできなくなってしまいました。
人と話をするのも苦手になりました。
 
 朝がくるのが、怖い。
 暗いトンネルの中に入ってしまった私は、出口が分からなくて嘆いてばかりでした。
 体も疲れていたのですが、それ以上に心も疲れてしまっていたようです。
 病院を出てから、ただひたすらにこの自立生活を順調に進むことだけを考えていました。私が失敗したら、次に病院を出たいと思っている人を出せなくなってしまう。
 でも、今このつまずきを誰にも相談できないでいる。そんな重圧を、一人で勝手にしょいこんでしまいました。
 私が病院を出た年は、37歳。
 何が当たり前で、何が当たり前じゃないのか?
 何が普通で、何が普通じゃないのか?
 おかしなことを言っていないか?
 自分は、ちゃんと37歳として考えられているのか?
 
 そんなことばかり気にして心にブレーキをかけてしまいました。
 自分に自信がないのです。
 
 
 その時期、彼女は段々と外出しなくなり、笑わなくなり、どんどんと元気がなくなっていきました。そして、なんとなくその落ち込みは私に向かっているようにも感じました。最初、それがなぜだかわかりませんでした。ただ早く元気になってほしいと焦りました。原因がわからないので、何の治療をしたらよいのかと悩みました。
 
 そんなある日、大山ちゃんは約束していた学生向けの講演会に「行くことができない」と前日キャンセルすることがありました。そのとき、彼女の深い悩みにとうとう向き合っていかなくてはならないと思うようになりました。
 
 でも、ダイレクトに「何を悩んでいるの?」と聞くことすらもはばかられるような閉ざされた感じがありました。まるで“あなたにはわからない”と言われているようでもあったのです。
苦しむ大山ちゃんのそばで、私にできることは何一つありませんでした。
 
 彼女のことをあえて特別扱いすることなく、あわれみでもなく同情でもなく、多く何かをすることもなく、思うことはきちんと話すことをして――それは、私が他のどの対象者・利用者にもするべき対応だけ――、じっと見ていました。
 

本当に対等なパートナーになるために

 
 私が通う大学院の授業でディスカッションをした際、「障害のある方は病院とか施設(で暮らす)のほうがよいと思う」と言う参加者にも出会いました。
 在宅で障害があることで周囲から偏見をもたれ、いじめを受けるより、安心できる医療機関で暮らせるのは幸せではないかという意見からです。当時、その発言した人に対して私はとても頭にきたのですが――それこそ、障害のある方のことを実際にはよく知らない人間の一般的な意見だったのかもしれません。だからこそ、大山ちゃんたちはずっと病院にいたのだろうし、それを変えようという今の私たちなのですから。
 
 やがて気づきました。その頃の大山ちゃんは、劣等感の塊だったのです。
 でも、その気持ちの裏返しとして、‟自分だって世の中の役に立ちたい!”という強い思いを感じるのでした。とても素晴らしいことであるけれど、彼女のその思いを叶えるための妙案が、私にありませんでした。
 
 実は、私は大山ちゃんと2回ほど喧嘩をしたことがあります。
 1回は、彼女たちのためにつくった私の事業所が引っ越しをした移転先に「スロープがない」ことからでした。「たった3センチの段差、そんなものあなたの電動車いすでは十分登れるでしょう」と甘く考えていた私に対する怒りでした。
 大山ちゃんにとっては、“私を迎える場所・私が仕事をする場所が用意されていない”という思いだったのです。
  「そんなに怒らなくても…」と思いつつ、「私がどんなに働きたいと思っているかということをわかる?」と言われて、胸がとても痛くなりました。
 彼女は福祉サービスを受ける客体のままでは嫌なのでした。そして、それは人としての当然の思いだと思いました。そこから、もっと自分を生かしたい。人の役に立ちたいという強い思いを感じました。
 大山ちゃんは私の何倍も頭がよく、努力家で、やる気があります。だけれども、だからこそ、障害福祉サービスを受けている自身の現状に対する不公平感とやるせなさを感じるのは当然です。そして、そうした思いが、私に向かっているかのように思いました。
 
 私より年上の大山ちゃん。いつも頑張り屋の大山ちゃん。本当の意味での対等さをどこでつくっていったらよいのだろうかと、私は悩みました。
 まず体力をつけて、段々と事務所に通勤する体制が整えられれば、彼女の能力が発揮できる仕事環境をつくることができると思っています。
 *今まで伝えていませんでしたが、まずは外出を今よりもっと練習する中で、彼女が本格的な仕事ができるよう、障害福祉サービスでない時間を作れるようにしていこうと計画中です。
 
 しかし、負けず嫌いの大山ちゃんが感じる、取り返しのつかない時間と奪われた機会へのやるせなさについては、どうして埋めたらよいのでしょう。
 そこに私に手立てはありませんでしたが、まずは、誰より大山ちゃんが大山ちゃんを好きになってほしいなと思いました。
 大山ちゃんは強さと優しさのある素敵な女性です! 少しでも自分のできることを捜し世の中の役に立とうとしている自分にわずかでも自信を持ってほしいと願いました。
 
 まずは、大山ちゃんに心の整理をしてもらいたいと思いました。
 
 悲しみも苦しみも、病院時代に“蓋をしてきた心”の整理。
 そうして、これからへの道をもう一度考えるために、一緒に文章を書くことを提案しました。
 私たちは、心の中を書くことを少しずつ始めました。
そして最初にまとめて投稿した文章「私は、心が大人になりたい」が、2012年、第47回NHK障害福祉賞に入賞したのです。
 
 それから、この「おうちにかえろう」が始まりました。
 今、皆さんにご覧いただいているこのWeb連載が、彼女と私、ふたりともの歩みを振り返り、大山ちゃんが自分を見つめることができる、その場になったのです。
 
 今の大山ちゃんは過去に時計を戻していません。
 夜ごとの不安も嚥下困難も、自力で乗り越えてきました。
 
 こうして皆さんに読んでいただくこと。特に、彼女と同じような難病でずっと病院にいることを余儀なくされてきた人たちに読まれて、少しでもそれぞれ生き方を考えることができるなら、それは大山ちゃんにしかできない、誰かの役に立つ仕事なのだと思います。
 

病院生活でいちばん嫌だった弱者差別

 
 最後にもう一人、大山ちゃんと私から、皆さんに伝えたい友達の話を。 
 大山ちゃんと一緒に入院されていたHちゃんのことです。
 
 
 Hちゃんは身体障害だけではなく知的障害も併せ持っている男性でした。今はお空に住んでいます。数年前に、30代の若さで亡くなりました。
 
 Hちゃんは、中学生になるまでおうちで暮らしていました。自宅では祖母に主に世話をされてきたようですが、お年を召され、体力的に孫の介護が大変になったので病院に入院してきたようでした。
 彼は、おばあちゃんに育てられたからか、ズボンを「もんぺ」、靴下を「たび」と言ってはみんなを笑わせるような愛されキャラの方でした。
 
 言葉数は多くありませんが、一生懸命に私に話かけてくれます。
320ひでち~1.JPG『りょうこ、たび、きれい』と褒めてくれたり。
『りょうこ、きょう、うんこ、でたよ』と報告してくれたり。
 
『りょうこ、りょうこ』って、そのお部屋の前を私が車いすで通ると、必ず呼んでくれます。私を、癒してくれるHちゃんが大好きでした。
 
 私が病院生活で一番嫌だったことは、知的障害をもつ方へのスタッフの態度でした。
スタッフの皆がそうだったわけではありませんが……。人員と時間の限られた中での介護職の仕事では、上手に思いを伝えられない人たち、特に知的な障害をもっている方は、スタッフの意のままに荒い介護を誰よりもされてしまうのです。文句を言ったり、訴えたりできないからです。
 
 Hちゃんも例外ではなく、そういった扱いをされてきた一人です。
 ほったらかしの看護でした。車椅子に乗せても何をするわけでもなく、ただ食堂に置いておくだけ。
 ベッド上にいても様子を見に行くわけでもなく、「体が痛い」と言っても「さっき(体位を)替えたでしょう」と怒られ、足に褥創ができてさえ、頻繁に体位を変えてあげている様子はありませんでした。
 
 Hちゃんが『かんごー、かんごー』と助けの声を発しているのに、「うるせーなー」とか「さっきやっただろー」という、医療や福祉の仕事に就く人とは思えない汚い言葉が返ってきます。  あるとき『くるしーくるしー』とあまりにも言っているので、気になった私が車椅子で様子を見にいくと、酸素不足で真っ青な顔をしていたことがありました。
 慌てて看護師さんを呼びに行って処置をしてもらい大事に至らなかったのですが、自分が見に行かなかったらどうなっていたかと思うとゾッとします。
 
 たぶん、Hちゃんの『くるしー』はスタッフの耳に届いていたと思います。
でも、いつものことだし、‟うるさい“としか感じられてなかったのでしょう。
 
 知的障害の方の扱いは、はっきり言って酷いです。一歩間違えれば、虐待行為です。
 当たり前のことですが、忙しいからと言って、汚い言葉を使って良いわけでもないし、人手がないからと言って乱暴なケアをして良いわけではありません。
 でも何よりも許せないのが、ひどい扱いだと思いながらただ見ているだけの自分でした。
職員にそういうことはやめてほしいと言えなかった自分が許せないのです。
 私は患者という客体として、ただそれを見ているだけでした。その偽善的な自分に怒りを感じるのでした。
 自分の意思をうまく伝えることができない人であっても、誰かがそばにいれば、どんなことをしてほしいのかとか、どう思っているのか、さらには急変を察知することができます。
ですから、Hちゃんのような方たちにこそ24時間で見守る人が必要なのです。
 いつもと様子が違う!とわかるのは、密に接していないと気づかないのです。
 
 今の私は、もう見ているだけの自分ではありません。Hちゃんのことを思うと、講演などではできるだけこの出来事を自分の言葉できちんと伝えていこうと思います。
 
 そうして、こういった意思表示のはっきりできない人への対応に警鐘を鳴らし続けるのが私の役目だと思っています。
 Hちゃん、お空で見守っていてね!
 
 
 Hちゃんが亡くなるときの夜勤は、担当は私(伊藤は当時、病院勤務)でした。
 2日前に夜勤明けで帰ったときも状態が悪かったように思いましたが、その日も同じく悪かったままでした。しかし、スタッフで確認していた「重症患者リスト」には挙げられていませんでした。
 
 身体が苦しいせいか『かんごー、かんごー』と呼んでばかりでした。でも、何度か体位交換をしても身体が苦しそうでした。
 このような状態であれば、だいたいの患者さんにはご家族が付き添っています。Hちゃんには事情があってご家族が来ることが難しいので、一人でこの病室で苦しみと戦っているのでした。しかし、そんな感じの状態がしばらく続いていて、スタッフとしてはそれを常態化して受け取っていました。
 
 夜勤の休憩時間が終わり、ナースステーションに戻ると、朝4時頃にHちゃんのモニターから、サチュレーションが低くなったときのアラーム音が‟ピー”と鳴っていました。
 ただ、そのサチュレーションを貼るテープがよくズレていたので、またズレただけかなと思いながら行くと、Hちゃんの顔が真っ青でした。
 急いで「看護師さん、Hさん大変です!」と呼びに行きました。担当看護師さんはナースステーションでちょうど経管栄養の準備をしていたところで、その後、Hちゃんが息をしていない様子に気づかれて医師を呼ばれました。
 
 病棟はそれからが最も忙しい時間でした。
 患者さん全員の経管栄養・朝の排泄・起床の介助を7時までにしなければなりません。3人体制での夜勤のうち、その1人はHさんのところの作業に廻ったため、2人で残り全員ぶんをこなさねばなりませんでした。人の死、今はその重みを受けとめている場合ではないと思いました。廊下の端の部屋からいつもの通り、朝の介助を始めていきました。
 「あれ、今日は2人のスタッフでやっているの? 何かあったの?」と患者さんに聞かれるのですが、なんと言ってよいかわかりませんでした。
 
 状況を知っているHちゃんと同じ病室の人たちは、起床介助して、その顔を拭いても拭いても涙があふれていて、拭ききれませんでした。なんと声をかけてよいかもわかりませんでした。どうして気づかなかったのだと責められているようにも思いました。
 そして、訪れたHさんの死。こういったことをどう受けとめていけばよいのか、私はわからなくなりました。
 今も大山ちゃんの講演でHちゃんの話を聞くと、涙がとまりません。
 

みんなで、おうちにかえろう

 
 退院して地域で暮らすようになり、それまで周囲は医療職と患者さんばかりだったけど、いろんな人たちに会うようになり、世界が広がりました。
 そこで、ひとりひとり、それぞれの思いを持ちながら仕事して、悩みの中で生活をしていることを知りました。
 
劣等感を持つことは悪いことじゃない。
劣等感の裏には、自分の向上心が詰まっています。
私には私にしかできないことがある。
400おうち~1.JPG
 自分の家族は持てないかもしれないけど、同じ気持ちの仲間を増やすことができる。
 伊藤さんのようにあちらこちらと飛び回り、困っている人の支援はできないけれど、一人の人の話をじっくりと聞いてあげることはできる。
 そうやって、こつこつと丁寧に生きていくことができる。
 
 長期療養生活をして、齢を取ってから、その分の社会性を取り戻すことは本当に本当に大変で、並大抵の苦労ではありませんでした。
 多くの‟するべき経験”をすっ飛ばしてしまったことの喪失感は、並々ならぬものです。
 
 「病院は安全で良い」と言われ、「在宅療養は安定しない」と言われます。
 私が住んでいた病院は安全だと思わなかったし、在宅で関わる人との信頼関係、それが一番の安全と安心になるのだということを実感しています。
 
 そして、どんな人もすべて、生きていくのに安心な人生などないのだと思います。
 
 私は、病院や施設自体を批判したいという思いはありません。
 ただ病院は、私にとっておうちになることはありませんでした。
 
 でも、いざ病院を出ようとしたらおうちがなかったので、私は自分でおうちをつくりました。
自分楽~1 - コピー.JPG
 家族みたいになるまで数年かけて作るヘルパーさんとの信頼関係。
 それから、店舗づくりだった住まいから自力でまた新居を探し、引越しをして自分らしい毎日を送ってきました。
 
 今の生活すべてが、私のつくった‟おうち”なのです。
 それが私のささやかな自信です!
 大山良子
 
 
 大山ちゃんは今、もっともっと働きたがっています。
 私たちはこれから、制度だけでない本当の意味での暮らしをつくるために何をすればよいか考える、そのスタートラインに立ったに過ぎないのです。
その新たな課題が見えたこと、これはとても大きな財産であり、しかし超えられるかわからない不安の始まりでもあります。
 
 でも、きっと大山ちゃんと一緒につくってきた仲間たちみんながいて、これからいっぱい一緒にいろいろなことがやれるはずだと思います!
 
 今も、千葉市のご近所どうしで暮らす私たちです。
私たちの長いお話を読んでくださり、ありがとうございました。
 ご一読いただき、感謝しております。
 
お近くにお寄りの際は、ぜひ遊びに来てくださいね!
伊藤佳世子
 
 
りべるたす年譜
2008(平成20)年1月 「りべるたす」株式会社設立(千葉市中央区)
2008(平成20)年3月 障害福祉サービス事業 (重度訪問介護、居宅)
              地域生活支援事業 (生活サポート、移動支援)
2009(平成21)年7月 事業所開設 (千葉市中央区白旗)
2011(平成23)年10月 同行援護サービス事業
2012(平成24)年4月 登録喀痰吸引等事業者(登録特定行為事業者)
2012(平成24)年5月 共同生活介護・共同生活援助一体型事業「ブレイブ」開設
       「すまいる1」(2床)、「すまいる2」(2床)開設
2012(平成24)年7月 「すまいる3」(2床)、「スマイル4」(2床)開設
2012(平成24)年10月 「ブレイブ」短期入所事業
           「りべるたす」事業所移転(千葉市中央区末広)
2013(平成25)年4月 「すまいる5」(5床)開設
(NPO法人リターンホーム年譜)
2009(平成21)年2月 特定非営利活動法人「リターンホーム」設立(代表者大山良子)
2009(平成21)年10月 重度訪問介護従事者養成研修スタート
2012(平成24)年5月 喀痰吸引等研修スタート
2012(平成24)年9月 厚生労働省 平成24 年度障害者総合福祉推進事業
「重度障害者等包括支援に関する実態把握と課題整理に関する調査」
2013(平成25年)10月 相談支援センターこすもす開設(管理者伊藤佳世子)
 
600りべるたす2013年9月30日.JPG
  りべるたすスタッフのみなさんといっしょに(前列左:伊藤、中央:大山)
 
 
 
【おしまい】

*「おうちにかえろう 30年暮らした病院から地域に帰ったふたりの歩き方」は,

  2013年2月~10月にかけて,ほぼ隔週で連載しました。ご意見・ご感想お待ちしています*

 
 
■医学書院にこんな本があります■

在宅ケアのはぐくむ力 イメージ

在宅ケアのはぐくむ力

「地域ケアを担う看護職としての訪問看護は、医療・介護・福祉に関わるケアの専門職のみならず、一般の方、もちろんご家族も含めて、たくさんの方々との顔が見える関係をつくることが大切です。この“つながる力”の広がりの中で、例えば、いつの間にか飛んで行ったタンポポの種が芽を出し、花を開き、その大地に根を張るように、在宅ケアを担う仲間が育っていく姿を見ることができます。
(中略)
人から指摘されてそうなるのではない、自分の中で起こる変化に、自分で気がついていく過程……。そこに在宅ケアの“はぐくむ力”が働いています。そして在宅ケアの本当の「教師」は、利用者さんその人やご家族であることに気がついたときに、自分がグンと大きく、より謙虚になっていることに気づくでしょう。 」(プロローグより)


同時代を生きるトップランナー 看護師秋山正子がつなげて、はぐくむ、不思議な「在宅ケア」の力を、あなたにも。

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