第2回 聞き書きが開いた世界

第2回 聞き書きが開いた世界

2017.6.26 update.

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■新澤克憲(しんざわ・かつのり)
1960年広島市生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。東京学芸大学教育学部卒後、デイケアの職員や塾講師、職業能力開発センターでの木工修行を経て1995年共同作業所ハーモニー開設と同時に施設長。


■六車由実(むぐるま・ゆみ)
1970年生まれ。民俗研究者、デイサービスすまいるほーむ管理者、社会福祉士、介護福祉士。『神、人を喰う』(新曜社、サントリー学芸賞)。『驚きの介護民俗学』(医学書院、日本医学ジャーナリスト協会賞)。『介護民俗学へようこそ!―「すまいるほーむ」の物語』(新潮社)

 

各界に衝撃を与えた〈幻聴妄想かるた〉、それに刺激を受けてつくられた〈すまいるかるた〉――精神障害者と高齢者と違いはあれど、タブーをかるたにしてみたら、いろんなものが”開いて”きました。

 

(2016年12月17日、きょうと障害者文化芸術推進機構の主催で行われたトークイベント「タブーをかるたにしてみれば」の内容を3回にわたってお伝えしています。今回はその2回目です)

 

 

司会  前回お二人には、双方のかるたが、閉じた場からではなく、開かれた場から生まれてきたということをお話しいただきました。今回はさらに具体的に、どんなふうにして言葉を共有してきたかをお聞かせください。

 

 

smile幻聴妄想劇団!?

 

新澤  かるたを作るまでの間にポイントがあるとすれば、2006年に障害者自立支援法ができて、ぼくらは場所を維持していくために利用者にある程度の工賃を支払わなきゃならなくなりました。そのような外圧やプレッシャーがあるなか、最初にも話しましたが、ハーモニーに来ても、約半数の人は作業をしないんですよね。で、その人たちも一緒に参加できるものが何かないか、それでお金を稼げないかと考えたときに、ぼくたちの先輩である、北海道の浦河町にある「べてるの家」を参考にして、幻聴や妄想を皆さんに知ってもらうことで利用者が社会に参加していく方法を考えていたというのがひとつあります。

 たまたまその時期に、心理療法士が入ってくれたので、その人と相談しながら何かできないかと言っていたんです。最初にミーティングで「何かしようよ」って話をしたときに、幻聴妄想劇団というのが出たんですね。絶対ありえないと思うんだけど、老人ホームに行って、自分たちの幻聴妄想の劇を観せたらお金が取れるってみんな言っていて(笑)。でも、誰もセリフが覚えられないし、顔出すの嫌だとか言うし、二回くらいで終わったんです。

 ただ、そのときに出してきた個々の、病気の体験ゆえの日々の笑い話みたいなものが最初のかるたのネタになりました。劇団が挫折したところで何をやればいいのかわからなくなって、みんなで劇のネタを見ていたら「かるたみたいだね」という意見が出てきて、かるたにつながったんです。本当にひょうたんからコマみたいな、そういう成り立ちですね。

 

 

smile「精神障害を話す」ということ

 

司会  「精神障害を話す」というのは、とても難しいことだと思うのですけど。

 

新澤  そうですね。一般的には話せないものだろうと思います。やっぱり病気を外に出すこと、話すことによって、だいたいみんないい目に合わない。ひと昔前の地方であったら、勘当されて家から出なきゃいけないとか、離婚したり、子どもから引き離されたりというような体験を経てきて、50年、60年と病気と付き合ってきた人たちなので。

 職場でも話さないほうがいいですし、施設ですら、幻聴や妄想を話すと調子が悪くなるので先生に相談して薬を増やさなきゃという話になる。本人たちは何もいいことがないので、しゃべらない。ぼくの友人のタクシーの運転手さんは、40年間幻聴が聴こえているにもかかわらず、普通にタクシーの運転をしている(笑)。

 ただ、ぼくはそのあたりがものすごく不自然だなってずっと思っていたこともあって、うちの施設ではわりと平気でオープンにしていくようになったのかもしれません。たとえば、自分の奥さんはポルシェに乗って、毎日図書館に来るんだと言い続けている人がいて、実際は奥さんもいないしポルシェもないんだろうけど、言い続けるので、「じゃあポルシェに乗ってる奥さんに会いに行こう」って言って、ぼくは図書館前でその人と1日待っていたことがあるんです。なにかそういうのを真に受けてやってみようという、文化としてそういうものがあったかもしれません。

 でもやっぱり、ミーティングでかるた作りを通じて少しずつしゃべれるようになったというのが現実かと思います。

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ミーティングでかるたを作っていく

 

 

smile「聞き書き」が拓いた世界

 

司会  逆に六車さんはなんでもないエピソードを引き出していきますよね。

 

六車  そもそも民俗学というのは、なんでもないことを発見していく学問なので、私はそれがすごく好きだし、たぶん経験的に訓練もされてきているんですね。

 最初に介護現場で聞き書きを始めたときは、普通にデイルームとか、みんながいるところで始めたんですよ。始めたというより、つい聞いてしまったという感じなのですけれど。それがなかなか他の職員に受け入れてもらえなくて、「仕事しないでなに聴いてんの」という雰囲気になってしまいました。そこで個室に入り、一対一で聞き始めた。30分、1時間と聴いて、それを何回か繰り返して冊子にしていたんです。

 それはそれでとても有意義なことだったと思うんですけど、私とその方との関係はどんどん深まって信頼関係が生まれていくんですけど、それが開かれず派生していかないことが残念で、もどかしかったんですね。他のスタッフが自分もやってみようともならず、どうしたらいいんだろうと行き詰まったときに、すまいるほーむに移ってきました。

 すまいるほーむの社長が私に聞き書きをやってもらいたいって誘ってくれたんですけど、すごく狭いとこなので個室でやることもできないし、スタッフも私も、お風呂の介助などをしながらなので、一対一の時間がほとんどもてない場所なんです。どうしようと思っていた期間が3か月くらいあって、でも自分自身がおばあちゃんたちのお話を聞かないと精神的にまいってくるものですから、もういいやって思ってみんなの前で普通に聞き始めたんですね。

 

smile活字以外のアウトプットも

 

六車  最初はレクリエーションの時間だったかな、聞き始めたときは、他のスタッフも「何やってんだろ?」って雰囲気だったのですが、だんだんと回を重ねてくると、そこに利用者さんもスタッフも参加して普通に質問ができるようになってきた。それでさっき言ったように料理を作ったり、すごろくを作ったりということになって。そうすると、私が一対一でやっていたときよりもおもしろい展開になってくる。話自体も、いろんな経験をもつ人がいろんなつっこみをするから、それに対して一生懸命に答えてくれる。話も広がっていくし深まっていく。

 また、それをまとめて形にしていく方法も、私は活字の人間なので、最初は文字しか考えられなかった。だけど、絵の得意な人がいたり、パフォーマンスが得意な人がいたり、お料理が得意な人がいたりすると、すごろくや料理をつくることにもなる。いろんな知恵が入ってくると、こんなにもおもしろくなってくるんだということが初めてわかってきました。また、つくるものだけではなくて、場も変わってきて、私たちスタッフが忙しくバタバタ働いているときでも、利用者さん自身がお互い聞き書きみたいなことをしているんですね。日常的に聞き書きをしている雰囲気になっていて、忙しいけど聞きたいからそこに飛び込んでいって聞き書きが始まることもよくあります。

 もうひとつ、やっていてよかったなと思うことは、たとえば行事をやるとき、その内容はずっとスタッフが考えていたんですが、聞き書きをしていくことによって、まずは利用者さんに聞いてみるという雰囲気が自然に出てきました。なにかするときには、「みんなで考えましょう」と、スタッフのほうから言えるようになって。だから最初に紹介したような、「みんなで作っていく場所」であるすまいるほーむは、聞き書きをいろんな形で進めていくことによってやっと出来上がってきた感じがしますね。

 

 

smile毎回観客が違う

 

司会  2つのかるたに共通する原点のひとつが「エピソードを楽しむ」ということだと思います。ハーモニーさんには、お客さんが描いた札もありますよね。

 

新澤  というか、ほとんど人が入らないとできないっていうのに近いかもしれないですね。先日、六車さんも遊びに来てくれましたけど、毎回、ミーティングはゲストがいるのが当たり前なんです。ぼくたちは彼らの話を聞いてもらいたいので、毎回観客が違う、聞いてもらえる人が変わるとどんどん話が豊かになったりおもしろくなっていったりします。いつもの病気をいつものメンバー同士で話をおもしろくしても何の得にもならないと思っているようです(笑)。だんだん客がいて当たり前ってことになりました。

 で、いろんな特技を持った方がいらっしゃったときに、じゃあ次のかるたを描いてみようかっていうような持ちかけをするようにしています。なので、たまたま通りかかったボランティアさん、実習生、あるいは遊びに来てくれたアーティスト、そういう人たちが、それぞれ札を同じ立場で描いていって、そのうえでかるたにするときにはどの絵がいいかなって選ぶようにしてもらっている。むしろ利用者が、聞き手として外の人たちが入ってくるということを前提に作っているのかもしれません。

 

司会  大学で講義をするときにかるたを持っていくということもあると聞きましたが。

 

新澤  そうですね。講義をするときに持っていくのもあるし、あらかじめ大学の学生さんたちにかるたの言葉を書いてもらうんです。それを一回送ってもらって、ぼくたちでかるたにして、それも持って行って一緒に向こうで遊びます。だからいきなり大学でみんなでかるた大会やるよって言ったら、自分で描いた札がそこにあったりするんです。それをうちのメンバーと一緒に取ったりする。で、実際かるた大会が終わってみて、ふと気づいたら「病気の人と自分の差ってどこなんだろう?」っていうような感想をもつ。「妄想的なことがいっぱい書いてあるかるただと思っていたけれど、自分にも気になっていることはいっぱいあった」というような気づきにもつながるみたいで、今後そのあたりの展開も含めて考えています。

 

 

smileみんなが憶えていてくれる

 

司会  前回、亡くなった人やいなくなっていく人のかるたのことをお話くださいました。

 

六車  常に積み重なっていくものなんですよね。最初に出来上がったかるたがあって、新しい人が来たらそこに新たな札が加わるから、地層みたいな感じになっていると思う。そうすると、下のほうの地層の方は、だんだんその場にはいらっしゃらなくなる。亡くなることもあるけれど、他の場所に移っていかざるを得ないということもある。ほとんどが本人の選択ではなく、仕方がない事情でそうなることが多いです。

 こんな形で、みんながつながっていて、居心地が良いと思える場所ができているわけですから、本来であれば、どんな形であれ、そこに通い続けることができたらと思うのですが、制度上の問題などで難しいこともあります。高齢者ですと、独居の方が骨折して一人では暮らせなくなってしまったときに、特養(特別養護老人ホーム)に入ってしまったら特養の中だけの世界になってしまう。有料老人ホームに入った場合も、本来なら外部の施設にも通えるはずですけれど、なかなかそうはならないのが現実です。そうすると、そこで突然お別れが来てしまいます。それはすごく切ないというか辛いというか、どうしようもないところで、利用者さんも私も置き去りになってしまう。

 でも、このかるたがあることによって思い出せるんですよね。かるたをやることによって、「この人、今どうしているかな」「あんなに元気だったから絶対に向こうの施設でもみんなのアイドルになってるよね」と、そんなふうに思える。それは逆に言うと、残された私たちの不安を少し和らげることにもなります。

 自分もいずれ亡くなるし、一人では暮らせないかも、どこかの施設に入らなきゃいけないかも……といった心配があるじゃないですか。ここを去らなきゃいけないとしても、こうしてみんなに思い出してもらえると思えるだけでなにか違うのかなって。なんの慰めにもならないけれども、そんなふうにも思いますね。

 

 

smile失踪癖のしゅう坊さん

 

新澤  いなくなった人の話をちょっとしましょうか。たとえば、いなくなるにも、いろんないなくなり方があります。2011年に新しいかるたを作ったのですが、その際は、明確に集合知とか集団の記憶・記録として残しておきたいというぼくたちの意向がありました。

 しゅう坊さんという人がいて、月曜日に銀行に行くと言ったまま、突然失踪してしまったんですね。金曜日までいなかった間に何をしていたのかというと、都内のサウナを泊まり歩いて、「御徒町に行け」とか、「新宿に行け」とか、幻聴の声が聴こえるがまま引きずり回されながら、1週間食うや食わずで、途中死んでしまいたくもなりながら、なんとか生き抜いた。残ったぼくらは「どこに行ったのかしら」なんて話をしていました。

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しゅう坊さんの札。電車に磔になっている?

《まち屋 御徒町 五反田 上野へ 逆らえないんだよね》

 

 これもメンバーが描いた絵です。しゅう坊さんは、町屋とか五反田とか上野に行って、最後は、上野のハローワークで何かだらしないことをしてしまって、ハローワークのスタッフにすごく怒られて、それで目が覚めたそうです。

 で、帰ってきたらまたミーティングをするわけですね。ぼくらはそのときに、幻聴・妄想に左右されて失踪してしまうのは仕方がないと思いました。逆に、失踪しても生き残るためにはどうしたらいいんだ、失踪しなきゃいけないんだったらどうやって生き残ればいいんだってテーマで話をしました。

 ある人は「周りに相談するのが大事だね」と言い、「ぼくも富士の樹海に行ったことがある」なんて言う人もいる。みんなそんな記憶があるんですね。だから、失踪ではなく旅行にとどめるにはどうしたらいいかなって現実的なことを考えるわけです。「なるべく派手な格好をしたり、だらしない格好をしたりすると早く見つかるからいいね」とか言って、ぼくたちは「失踪の心得」というのをミーティングで作った。

 

 

smile「失踪する」と言って失踪しよう

 

新澤  大事なのは、「失踪しそうならば失踪するかもと言いふらそう」と。「なるべく汚い変な格好をしよう」とか、「怒られるといいな」とか。自分だけで籠っているのではなくて、何か目立つことを行動化すること。いちばん現実的だったのは「携帯電話を持つこと」で、しゅう坊さんは携帯電話を持つことになりました。それでミーティングで札を何枚も描きました。

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《もしも失踪するときには 周りに相談しながら進めていくのがいいと思います》の絵札

 

「もしも失踪するときには周りに相談しながら進めていくのがいいと思います」、これはすごく好きな絵なんです。受話器の上の方が「今日失踪?」って聞いていて、下の方が「うん、今日失踪」って答えているという(笑)。で、しゅう坊さんはこの失踪事件の1年後に亡くなるのですが、でも彼がそうやって命を張ってというか、経験してくれたことというのは、かるたの中にこういうふうに残っていて、特にこの札は何度も何度も出てきます。「失踪するときには周りに言っとこうぜ」と。で、なんかあったときには携帯電話で呼び出せるところにいこうよとか。ハーモニーのみんなが持っていた知識を集積したような場として、かるたを捉えるというようなこともずっと考えています。

 

 

smile記憶と記録と解決策

 

新澤  さっきの「若松組の妄想」(第1回参照)の中村さんはしゅう坊さんの大の親友だったんですが、その翌年に亡くなるんですね。最後に中村さんが住んでいた部屋は若松組がしょっちゅう揺らしに来ていた部屋でもあるんだけど、若松組のかるたというのは皆さんとメンバーたちの記憶にやっぱり残っています。そこに次のメンバーがまた入るので、「昨日、若松組が揺らしに来たよ」とか言っているんですね。その人は起立性低血圧で、ふらつきの症状がある人なんですけども(笑)。フラフラしたときに「若松組がまだ残っていた」と。若松組は、その後いろんな友だちのところに時々現れたりするので、「どうやら警察に言うといいよ」という話が噂話のように残っている。

 だから、その人がいたという記憶・記録と同時に、こんなふうに乗り越えてきたよという話が何か解決のきっかけになればいいかなと思っています。さっき六車さんからも亡くなった方の写真の話がありましたけど、うちの施設も亡くなったメンバーの写真がぽつんぽつんと置いてあって、まさしくそこに今でもいるかのように、かるただけじゃなくてそうやって残していく、積み上げていく、っていうのは施設のあり方として大事かなと思っています。

 

六車  すまいるほーむでは、今までもちろん亡くなった方もおられるのですけれど、かるたを作ってからは幸いなことに、亡くなった方はまだいらっしゃらないんですよね。でも亡くなったら、皆でお別れ会をするときにひとつ新しいかるたを作ってもいいですね。

 

新澤  うんうん。

《タブーを「かるた」にしてみれば 新澤克憲×六車由実》第2回了

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