かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2015.9.18 update.
1931年、朝鮮京城(現ソウル)生まれ。1951年日本赤十字女子専門学校(現日本赤十字看護大学)卒業後、日本赤十字社中央病院小児病棟、健和会柳原病院などに勤務後、2003年に日本赤十字看護大学教授。現在、健和会臨床看護学研究所所長、日本赤十字看護大学名誉教授。
1965年に東京看護学セミナーを結成し、以来、臨床看護の科学化・言語化を追究している。1995年に第15回日本看護科学学会長、1995年に第4回若月賞受賞、2007年に第41回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。
主な著書に、『ともに考える看護論』医学書院(1973年)、『看護の自立:現代医療と看護婦』勁草書房(1977年)、『実践的看護マニュアル共通技術編』編著・看護の科学社(1984年)、『歩きつづけて看護』医学書院(2000年)、『看護技術の基礎理論』ライフサポート社(2010年)、『チーム医療と看護:専門性と主体性への問い』看護の科学社(2011年)、『看護の力』岩波新書(2012年)など多数。
川島みどり先生といえば、日本赤十字看護大学名誉教授にして健和会臨床看護学研究所所長、そして第41回フローレンス・ナイチンゲール記章受章、さらには50冊は優に超える著編書とその経歴は華々しい。まさに戦後日本の看護界を背負ってきた最大の功労者のお一人である。傘寿を超えた現在でも看護に対する情熱はまったく衰えず、親しみやすい語りの一方で、看護への無理解や理不尽な政策に対しては、ときに鋭い舌鋒で批判を繰り出す。
その川島先生が、昨年日本に紹介され話題になっている認知症へのケア技法「ユマニチュード」に関心を持たれているという噂を耳にした。あの川島先生がどんな感想を?――
猛暑も鎮まり秋の気配が漂いはじめた9月の午後、新宿のホテルで川島先生にお目に掛かった。ユマニチュードについてお尋ねすると、すぐに熱のこもった口調で語ってくださった。
率直に言ったら、私はユマニチュードを、すごい偏見を持って受け取っていたの。ユマニチュードが導入されたときに、いろんな人が「先生、あれって日本でずっとやってることですよね」って言ってきました。実際に私もテレビで放映されたのを見て、ちょっと肌が合わないなぁって。つまり向こうはハグの文化、キスの文化でしょ。技法としては良いと思ったんだけど、そこに少し抵抗があったんですよ。
『ユマニチュード入門』の本もどんどん売れちゃったでしょ。つまり普及したわけですよね。そのとき私が思ったのは、現場の人たちがこれに飛びついてマニュアル化されたら危ないなぁってことです。たとえばマウスケアも行き届かないで口の周りがベタベタ汚れてるお年寄りに対して、マニュアル的に「抱き合いなさい」とか「見つめ合いなさい」って言われてもね……。ますます介護から遠ざかる人がいるんじゃないかと、そういう偏見を持ったんです。
――その「偏見」は解消されたのですか?
先日、大阪で開催された「エビデンスに基づく統合医療研究会」のシンポジウムで、一緒に登壇した本田美和子先生にお会いしたんですね。そのときユマニチュードの創始者イヴ・ジネストさんが同行されていて、初対面の握手をしました。本田先生は、認知症高齢者の方への入浴の情景を動画で紹介したり、ユマニチュードによる患者さんの前後の変化を説得的に話してくだって。そして、「今度東京でやりますから、よかったら一度いらっしゃいませんか?」って誘われたんです。すぐに「じゃ、行きます!」と。
「触れる」ことの研究で有名な桜美林大学の山口創先生も一緒に行かれるということで、同行させていただきました。そこで朝の9時半から夕方の5時まで。
――え、一日中ですね!
そう、一日中ですよ(笑)。
――ぜひゆっくり聞かせてください。
最初に施設側からイヴさんに対して、これからケアを行う入所者の方数名の簡単な紹介がありました。イヴさんはスタッフが何に困っているかを聞いたうえで、それぞれの方のところへ向かったわけです。その日はユマニチュードの研修を終了した東京医療センターの2人の看護師も来ていたんですね。情報をほとんど持ち合わせない初対面の利用者の方にアプローチをするわけでよ。だから、いったいどんな展開になるのかなと興味津々でね。
部屋に向かう途中でイヴさんがみんなに話してくれたのは、「とにかく黙って入っちゃいけない」ということ。まずはノックして、そこから始めなさいと。
イヴさんに先立って1人の看護師がまずノックをして、本人の了解を得たうえでそばに近づき、静かに頭をなでながら、耳元でずーっとお話をしていました。しばらくして「友達を連れてきていいですか?」と聞き、イヴさんに手を挙げて合図をします。イヴさんは「必ず了承をとって、拒否されたら絶対強行してはいけない」って言っていましたからね。
最初の方(女性)は、車椅子上で訳のわからない叫び声を上げている方でした。看護師のささやきで少し静かになったところで、合図を受けたイヴさんは、車椅子を明るい光のさす窓側に向かって移動させました。姿勢を正してから車椅子から下ろして、明るいほうを向いて立ってもらいました。「とにかく立たせること」と言いながらね。でも久しぶりの立位だったから、すぐに車椅子に腰掛けさせて、窓越しに風景が見える位置に車椅子を置きました。
それで私たちは次の方のところに向かってみんなで移動したんですが、後ろから声がするんですよ。振り向くとその方だったんです。でも、さっきのような意味不明の叫び声ではなくて、「おとうさーん」って。たぶんご主人のことかしらね。きちんと意味ある言葉に変わっていて、私は「へーっ」って驚きました。
本田美和子さん(左)とイヴ・ジネストさん(右)
――目を見て、話して、立ってもらっただけで。
次にお会いしたのは、ベッド上臥位で、視線が合わず上肢が拘縮している方でした。おそらくどこの施設でもよく見受けるような。イヴさんは私の腕を引っ張り、「やんなさい」って。その方とアイコンタクトをとりましょうって。
実はその前に、みんながごはんを食べてるところをイヴさんと一緒に見ながら廊下を歩いてきたんですが、彼は「全然アイコンタクトないね」って言うのね。そうなのよ。まるでシャベルで砂を運ぶように機械的にスプーンを口に運んでいる。相手の目がうつろでも知らん顔で。
そんなことがあったので、私はその方の顔のそばに近づいて、もう懸命に目を見て。ぼーっと遠くのほうばかり見ていた人だから、アイコンタクトとるまでに1分間以上かかりました。でもね、アイコンタクトとれた途端、パッと表情が変わったんですよ。これにもびっくりしました。アイコンタクトって普通は数秒でできるし、それ以上はやらないと思う。それがあのときは1分やりました。職場ではこの1分ができないんでしょうね。
――1分ってかなり長いですよね。
そう、やってる側からするとすごく長い。イヴさんは「相手の瞳のなかに自分の顔を入れなさい」って言うんですよ。だから私はず~っとその方の顔を覗き込んでね。視線と合ってほしいと思いながら名前を呼び、見つめ続けたんです。それでやっと1分後に目が合ったというわけです。
そうしたらイヴさんが――その方は手がすごく拘縮してたんですが――その拘縮を伸ばしはじめたのね。そしたらちゃんと伸びた!
――あの技術は魔法的に見えるけれど、抵抗感さえなくなればできてしまうのかもしれませんね。
でも、一人うまくいかなったケースがあったんですよ。拒否されたの。認知症がそれほど進んでいなかったのかもしれない。何回も優しく説得したけどダメだった。
拒否されたら次回いつ来るか約束しなさいって言われていたので、「今はもう帰りますけど、いつ来ましょうか? 10分後ですか、15分後ですか?」と聞いたら、「時間なんか言えないわよっ!」って怒られた。「じゃ、もうすぐお昼だから、お昼が済んだころに来ますね」って。お昼が済んだころに行ってみたけれど、やっぱり「いやよ」って。背中拭こうとしても、ぴしゃっと拒否する。
でも私は逆に、こういうのがあるってことでホッとしたんですよ。全部うまくいったら、それはおかしいと思う。新しい療法って何でも、うまくいくとこしか言わないのよ。うまくいかなかったら、その要因を探すほうが面白いでしょ?
――拒否にあったら無理強いするなって、イヴさんはいつも言いますね。
イヴさんの言ったなかでいちばん印象的だったのは、「ケアは暴力だ」という言葉。最初は「えっ!?」と思いましたけどね。だけど考えてみたら、ナースも介護職も本人の思いを全然無視して「さぁ、身体拭きましょう」「さぁ、頭洗いましょう」「ごはんですよ」と言ってますよね。少なくとも「○○を食べますか?」とは聞かない。
だからちゃんとノックをして、相手の心を開いてから、「○○をしてもいいですか?」って聞いてから行うべきだって彼は言ってったのね。それは今までの私たちの看護にはまったく抜けてたことだと思う。「私がやることは良いことなんだから、やりましょう」という感じでしょ?
イヴさんは体育学の出身で、看護師じゃないんです。そういう人があんなに看護の本質に近いことやっているのを見て、ちょっとショックだった。一方イヴさんにとってもカルチャーショックはあったんですよ。
「自分は体育の教師だから『動け、動け』って言ってたのに、アメリカでもフランスでも病院のナースたちはみんな『動かないで、動かないで』って患者さんに言う」と。それがいちばんのショックだったっていう話も面白かったですね。
それでね、この研修の後みんなが明日からすぐにユマニチュードをやるんだろうなって私は思っていたんですよ。でもみんな半信半疑っていうか、「そんなこと言われたって、やれっこない」っていう感じだったの。
――川島先生の反応がいちばんよかったんじゃないですか。
そうかもね(笑)。だから私、みんなの前で意見を求められたときにこう言ったんです。
「いま職場はすごく忙しいし、本当に人が足りないし、次から次へといろんなことやらないといけないから大変だと思います。私がアイコンタクトをとるのも1分間かかった。でもその1分間でずいぶん変わった。その1分間でいいから、その人に集中することから始めませんか」と。
とにかくケアっていうのは、目の前の人に対して「時間をいかに提供するか」ということだなって思ったの。「時間をあげること」だって。みんな「忙しい忙しい」って言ってるけど、じゃ1日15分とか10分とかいう時間を生み出せないかというと、そんなことはないはずなの。どうやって「ケアの時間」を生み出すかが、私たちの課題じゃないでしょうかって話したんです。
介護施設だけでなく病院でもナースは「忙しい忙しい」って言いますよね。私はよく昔から言うんだけど、忙しいって言う人はね、物を取るときも忙しそうに手をぐるっと回してさっと取る(笑)。いかにも忙しそうでしょ? その人がいると周りも忙しくなっちゃうのよね、なんとなく。
――認知症の人はそういう空気に敏感ですからね。それにしても「時間をあげる」っていい言葉ですね。
この人のことだけを考える時間を、1分か2分でもいいからあげたい。そのときはほかのことは考えない。
私が高齢者の長期記憶の再生の研究をしていたとき、その人が何が楽しかったか、何が生きがいだったかを知りたいから、そばに寄ってお話しするんですよ。家族に聞いてもダメなことっていっぱいあるの。息子や娘はもっとダメなのね。配偶者もダメ。その人から聞く以外ないわけですよ。
たとえばこの人は食べ物は何が好きだとか、印象的なのはこの人だっていうキーワードを探して、それを使って記憶を呼び出すようなことをします。そのキーワードは結局、その人に集中して、関心を持って話を聞くしかないんですね。もちろん記憶の再生はそれはそれで効き目があるんですよ。でも、「キーワードを探すまで」のプロセスが大事。時間ですよ、やっぱり。その人は自分に関心を持ってくれているっていう時間によって、心を開いてくれる。
イヴさんもね、あの情熱っていうか、一つのことをやろうとしてる人の、なんて言ったらいいかな……パッション。それは真似できないですね。こちらが一歩下がっちゃうくらい。汗だくだくでやってますよね。
――あの大きな体でね(笑)
でも、彼は優しいよ。体格がよくて、相手を動かすときはすごい力を出すけど、触れ方はすごく優しい。
彼の言っている4つの柱★1とか、5つステップ★2とかは、そのままの言葉じゃなくてもね、全部現場で使えると思う。だって私たちはこれまで、少なくともあんなに顔を寄せて見なかったんだから。
まあでも日本人って、愛してるっていう言葉、あんまり使わないでしょ。だけどフランス式に「あなたを愛してる」「あなたっていい人だ」「あなた大好きよ」とか言われて、言われたほうは気持ちいいのかなぁ、それとも戸惑ってるかなぁと思っちゃった。
――イヴさんは「日本人は見つめたりしないってよく言うけど、認知症の人はみんな私の目を見てくれるし、触ると喜んでくれる」と言いますね。それは文化によって後天的につくられたものに過ぎず、認知症になるとそういう後付けの性質はなくなっていくと。
なるほど、それはある!
品川にあるグループホームの話なんですけどね。品川区民だけではなく、ブザー鳴らしてから玄関にたどりつくまで5分かかるという芝白金のお屋敷に一人で住んでいた人とか、赤坂の芸者さんだったとかね。その一方で、お布団の綿がはみ出してるような感じのゴミ屋敷で、洗面器と鍋を一緒にして暮らしていたような人とかね。そういう9人が、それぞれ8畳の部屋に住んでるんですよ。
そのなかの一人に女社長さんがいて、私に名刺をくれた。もちろん昔の社長の名刺よ。そして「どうぞお部屋を見てください」って。行ったら8畳の部屋に綱が張ってあって、100着近い素敵なお洋服が掛かってた! 自分は着道楽だったからこの洋服を着ていたんですよって。だけど寝るところがないのよ。とにかく、ずら~っとお洋服だから。
そのあと、9人が座っている応接間みたいなところに行ったんです。そしたら「座布団持ってらっしゃい」って命令したのは、いちばん貧しい人。その社長さんが「はい!」って言って持ってくるわけ(笑)。それを見たとき私は、認知症ってみんなのバリアを取り払うという側面もあるんだなと思った。認知症があることで、過去のうわべのものがなくなるというか。
――ある意味、人間対人間の関係になってくる。
夕方になってきたら、誰かが「ごはん、つくらなきゃ」って言い出した。「じゃ買い物は誰が行く?」ってみんなで相談して、3人か4人がお使いに行ったの。ヘルパーさんが後ろからついていくんですけどね。
帰ってきて、何を買ってきたかと見ると、はんぺんばっかり。今日はおでんするって言うんだけど、お鍋に入れたら、はんぺんだからね、こーんなに膨らんじゃって(笑)。そして慣れてる一人が、キュウリをちゃちゃちゃと刻んで塩もみをつくって、みんなで夕ごはん。
――認知症になるとか、年を取るっていうのは悪いことばかりじゃないですね。
それまで人に言えなかった秘密を言えたりとかね。……認知症って何だろうってここのところ考えてるの。なんていうかな、フィジカルな意味じゃなくて、その人の社会的な背景とか、生きざまとか、生い立ちとかあるわけじゃない?
やっぱり、その人のくらしは大事だと思う。いまの看護学って医学の焼き移しみたいになっているから、全部フィジカル・アセスメントなんですよ。それに病名からのスタートなの。私はいま「病名いらない!」と言って歩いているんだけど(笑)。病名なんてなくても看護はできるもの。認知症などはまさにそうです。
――医学って基本的に無時間モデルで、それまでの経緯とかはあまり見ないですからね。
時間が大事なのよ。私たちの1時間は60分で、誰もが平等に60分って思うでしょ? ところが老人になると違うのよ。もうちょっと長くなって1時間が80分ぐらいになる。それなのに60分のテンポでやってくから、老人はついていけない。
これは私の意見じゃなくて、甲府の笹本会という医療法人の理事長さんの言葉なんです。「老人ホームでは、昼間は2時間経たないと1時間にならない時計にして、みんなが寝てから元に戻すのはどうだ?」って言ってました。それ、いいでしょ?
『象の時間、ネズミの時間』という本もあるけれど、老人の時間ってやっぱり違うと思うのね。それをスタッフは8時間のなかでタタタタっとやるでしょ。あれじゃ混乱してますます認知症になっちゃう(笑)。
――最後に、ユマニチュードについてお言葉があれば。
東京での研修会の午後は公開講座で、100人ぐらい来たんですよ。そこでイブさんは1時間半講義をしてくれました。それを聞いて私が思ったのは、「ユマニチュードって単なる方法ではない」ということです。ユマニチュードは、そこに流れているフィロソフィー(哲学)がいちばん重要なんだって私は思いました。
ユマニチュードのやり方を学ぶ前に、それが生まれた基礎となる哲学をまずきちっと勉強してください。それを最後に言いたいですね。そこがわかっていれば、方法はそれぞれに合わせたいろいろなものが出てくると思います。だから、哲学を抜かしていきなりやり方だけを真似しないでください。
私はユマニチュードで言っていることをぜひ日本流にアレンジしたいですね。日本でみんながユマニチュードをやったら、すごいことになると思う、本当に。
[注]
★1 ユマニチュードの「4つの柱」は以下のとおり。
(1)見る (2)話す (3)触れる (4)立つ
★2 「5つのステップ」は以下のとおり。
第1のステップ――出会いの準備
第2のステップ――ケアの準備
第3のステップ――知覚の連結
第4のステップ――感情の固定
第5のステップ――再開の約束
(「川島みどり氏、 ユマニチュードを語る」了)
魔法? 奇跡? いえ「技術」です。
「この本には常識しか書かれていません。しかし、常識を徹底させると革命になります。」??認知症ケアの新しい技法として注目を集める「ユマニチュード」。攻撃的になったり、徘徊するお年寄りを“こちらの世界”に戻す様子を指して「魔法のような」とも称されます。しかし、これは伝達可能な《技術》です。「見る」「話す」「触れる」「立つ」という看護の基本中の基本をただ徹底させるだけですが、そこには精神論でもマニュアルでもないコツがあるのです。開発者と日本の臨床家たちが協力してつくり上げた決定版入門書!