第1回 平等――なぜかキューバ その1

第1回 平等――なぜかキューバ その1

2014.3.19 update.

えぼり イメージ

えぼり

著者のえぼりさんは意識障害患者を多く抱える中小病院で看護師を続けるかたわら、国際医療支援のためだったり、ただ気が向いただけだったりで世界のあちこち、特にスペイン語圏を漂っていらっしゃいます。
日常の看護のこと、学生時代の思い出、中南米のめずらしい食べ物、そして看護をめぐる世界の出来事まで、柔らかな感受性で縦横無尽に書き尽くしたブログ《漂流生活的看護記録》は圧倒的な人気を誇っていました(現在閉鎖中)。その人気ブログを、なんと我が「かんかん!」で再開してくださるとのことッ! これはこれは大変な漂流物がやってまいりました。どうぞ皆様もお楽しみに! パパパ〜ンダ

 

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街中を歩くと青い碇(いかり)のマークに「ROOM FOR RENT」と書かれた看板を掲げた家が目に付く。これは「カサ・パルティクラール」という認可を受けた一般家庭が旅行者に自宅の一部を貸している宿泊施設の一種で、だいたい日本円で一泊2000円から3500円程度。場所によっては朝食のみ、もしくは朝食と夕食がつく。

 

わたしがいま滞在しているのもそんなカサ・パルティクラールのひとつなのだが、家一軒をそのまま借りて一泊が1000円程度、そして朝食と夕食がつく。場所は旧市街のど真ん中でどこへ行くのにも便利で、ありえないぐらいの低価格なのだがそれにはそれなりの訳があった。

 

実はそのカサ・パルティクラールは集合住宅の10階にあるのだが、エレベーターが修理中で使えなくなっていて、階段を使うしかない。その修理もしょっちゅう中断され、いつ終わるんだと尋ねたら「たぶん今年の9月か10月には」という。こういうところがこの国らしいなあ、と思う。

 

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というわけでそんな、砂糖と葉巻とラム酒とチェ・ゲバラ。
共産主義国キューバからこんにちは。

 

医師も看護師も同じ給料

 

今回はキューバの看護師教育をちょっと覗いてみようと思い、実は日本の寒さにも嫌気がさして村上龍みたいにカリブ海のビーチでリゾートだー! と半分浮かれながらやって来た。

 

(確かにそれはそれで1週間ほど堪能はしたのだが)それはさておき、キューバは医療においては先進国に引けをとらないレベルのものを無償で受けられることは有名であり、去年がんで亡くなったベネズエラ前大統領のウーゴ・チャベスも分子標的薬による治療を受けるためにハバナに来ていたことがある。

 

そのキューバ最高峰の国立ハバナ病院の敷地内に併設されている大学の看護学部を見学した後、病院に勤務している看護師たちに話を聞いてきた。看護師になるには5年の教育が必要である。3年課程の看護師養成校もあるのだが、それはあくまで「一般看護師」であり、さらに専門性を追究し習得していくためには「認可看護師」となる5年課程で学ぶ必要がある。日本でいう准看護師と看護師のような資格区分なのだと思うが、いずれにしてもその土台になる教育の水準からして違うな、と感じた。

 

実は共産主義のキューバではどんな職種でも、もらう給与に大差はない。医師も看護師もほとんど同じ給与で働いている。だから医師になるのも看護師になるのも「その仕事がしたいから」以外の動機がない。

 

キューバ人がよく自虐気味に言うネタで「我々は皆等しく貧しい」という言葉がある。日本ではまだ差別があって、男性と女性では給与に格差があるし、経済状況が悪いのでみんな仕事を見つけることが難しいのだけど、特に女性に関しては条件が厳しくてさらに見つけにくいのだという話をすると、キューバ人たちは皆”Aquí, no.”(ここにはない)と言う。職種によって給与に大差はないのみならず、男女の差も、人種による差別もここではないという。

 

キューバは厳しい競争社会、かも

 

ところでキューバも看護師足りてないの? と聞くと皆一斉に「足りてないわよう!」と口を揃えて言う。病棟を見る限りは日本のように患者で満床というわけではない。ぽつぽついる程度の患者も、ひっきりなしに看護師が見に行ってあれこれケアしなくてはいけないわけでもなく、ナースコールがあちこちから鳴らされるわけでもない。

 

別に人手が足りなくて忙しくて仕方がないというわけでもなさそうなのだが、何が足りないのか聞いてみると、政府が石油やガスなどの天然資源とバーターで医師や看護師をボリビアやベネズエラ、ブラジルなどの外国に派遣しているので、特に高度な専門性を持った医療者が国内からいなくなるのが困るのだ、ということだった。

 

わたしが今いるカサ・パルティクラールの階下にも、カサ・パルティクラールをしている70代の女性ひとり暮らしの世帯がある。わたしは彼女の家には何かとよく遊びにいってはお昼ご飯をご馳走になったりいろいろと話をしていたのだが、彼女の娘も看護師で、現在ブラジルで働いていて、仕送りをしてくれているのだという。

 

医療者に関していえば、こうして海外に出る機会に比較的恵まれやすいということもあり、医師・看護師になるということは、この国では少し特別な意味を持つ。しかし国内で働く上では他の労働者となんら変わりはなく、基本的にはただその仕事に就きたいから目指す。そしてこの国では医療と同じく教育もすべて無償である。だから学費が払えないからという理由で進学をあきらめることもない。

 

英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルにカルロス・アコスタという素晴らしいキューバ人バレエダンサーがいる。彼は13人兄弟の末っ子で、父親はトラック運転手をしていた。もし彼がキューバ以外の国で同じ境遇で生まれていたら、同じだけの才能を秘めていたとしても彼の人生にバレエという選択肢はあっただろうか?

 

学問も音楽やダンスなどの芸術もスポーツもそれぞれの専門的教育機関があり、男女人種関係なくすべての人に等しく門戸は開かれている。進学できるのもできないのも、そして学んだことを実らせるか無駄にするかも、ただそれを分かつのは本人の意思と能力のみ。ある意味で、キューバは平等どころかこれ以上ないほどの厳しい競争社会ではないかとわたしは思う。

(えぼり「漂流生活的看護記録」第2回了)

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