8-2 おじいちゃんと同居する−家で看取るということ〈その1〉

8-2 おじいちゃんと同居する−家で看取るということ〈その1〉

2013.10.09 update.

なんと! 雑誌での連載をウェブでも読める!

『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3水曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!

→田口ランディさんについてはコチラ
→イラストレーターは安藤みちこさんブログも

→『訪問看護と看護』関連記事
【対談】「病院の世紀」から「地域包括ケア」の時代へ(猪飼周平さん×太田秀樹さん)を無料で特別公開中!

前回まで

 

「怒り」の背後の「隠れた望み」

 介護や看取りの場面では、信仰や生活信条における対立が露になります。親戚や近所も含めて、それぞれの「死生観」が問われるので、ふだんは出さない自己の信念がぶつかり合うようになります。そのとき、看取る側が「どう折れるか」は苦しい問題です。
 看護師や介護職は、感情労働をしているという自覚がそれなりにありますが、訪問診療をする医師の方は、たぶん、この「どう折れるか」にずいぶん悩まれるのではないでしょうか。
 義父母は毎朝晩の勤行を欠かしませんでした。規則正しく、必ず、2人で正座して大きな声で勤行をあげていました。こうして信仰しているから自分たちは元気で生かされている、いつもそう語っていました。それは、事実だろうと思います。心の支えとしての信仰は、人を強くします。
 私は義父母の信仰に抵抗感はなかったので、私に無理強いさえしなければ、干渉せずに受け入れていました。
 おばあちゃんが、倒れたときも、おじいちゃんは必死で祈っていました。
 信仰の力が必ずおばあちゃんを助けてくれると信じていたようです。おじいちゃんの気持ちはわかります。
 「おばあちゃんは、前に倒れたときも勝った。今度もおばあちゃんは負けないよ、必ず元気になる」
 そう言うおじいちゃんの言葉に、どう応えていいかわからなくて、「そうだね、きっと元気になるね」と言いながら、心の中にはなにかしっくりこない思いを抱えていました。私は信仰をもっていないので、一緒になって祈ることができません。それはきっと、おじいちゃんにとっては淋しいことだったろうと思います。
 私は、生き死にまで神様頼みか……と、なんともやるせない気分になっていました。その私の「違和感」は、おじいちゃんに伝わっていたと思います。でも、「おばあちゃんは信仰していたから、きっとよくなる」と同意はできませんでした。
 おばあちゃんが亡くなったあと、おじいちゃんはずいぶん落ち込みました。
 そして、なぜ、おばあちゃんは死んでしまったのか?と考えたようです。
 あんなに信仰していたのに、なぜ助けてくれなかったのか……と。でも、人はいつか死ぬのだから、いくら信仰をしていても永遠に生き続けることはできないです。それを受け入れるための信仰ではないのか? なぜ、おじいちゃんは、それがわからないのだろう。
 私は、そういうおじいちゃんの心の弱さを見るのが不快でした。
 相手に対して共感できないので、私の言動はどこか「歯切れが悪い」ものになっていました。
 (おじいちゃん、死ぬことと信仰は無関係だよ)
 心でそう思っているからです。
 「おばあちゃんは、信仰の仕方を間違っていた。だから、死んだんじゃ」
 ある日、おじいちゃんは、亡くなったおばあちゃんの信仰批判を始めました。びっくりしました。思わず「そんなこと言ったら、おばあちゃんがかわいそうだよ」と呟くと、
 「わしより先に死ぬなと言ったのに、約束しとったのに、死におった」
と、怒っていました。
 悲しみと怒りが一緒に表現されたことに私は面食らい、なぜ、おじいちゃんは怒っているんだろうと考えました。理不尽な運命に怒っているのか。現状を受け入れられなくて怒っているのか。信仰に裏切られたので怒っているのか。
 あとになって、やっと、このときのおじいちゃんの怒りの大元になっている、ある出来事を知るのです。それは、おじいちゃんがずっと誰にも話せず抱えてきた秘密でした。おじいちゃんが生涯、許すことのできなかった事件……。あまりに個人的なことゆえ、ここには書けません。
 でも、そのことを知ったとき、信仰に入った理由や、おじいちゃんが何に怒っているのか……が、なんとなくわかりました。おじいちゃんは、その秘密を突然、台所で晩酌していた私たち夫婦の隣に来て語り出したのです。……いえ、私に向かって語り出したのです。
 さして仲もよくない、どちらかと言うと口げんかばかりしている嫁の私になぜ? と思います。赤の他人だから言えることがあるのでしょう。その事件を夫はまったく知らず、唖然としていました。
 「怒り」という感情は、とても不思議な感情です。
 とくに介護の場面、看取りの場面では、怒りにはていねいに注意を向けなければならない。なぜ怒っているのか……。その理由の深いところに、必ずその人の「満たされない思い」「隠れた願望」があるように思います。怨念の背後には強い「願い」があります。大事なのは、なにかつらいことがあって「うらみに思っている」ことの背後にある、満たされなかった望みであり、それを理解して「どうして欲しかったのか」がわかると、相手の淋しさが少し理解できるようになる。
 しょせん他人ですから、淋しさを埋めることなどできませんが、「ああ、ほんとうに大変なことがあったんだなあ」「淋しかったんだなあ」と思うだけでも、私の態度は変わりました。おじいちゃんも、自分の怒りが理不尽ではないことを知ってほしかったのでしょう……。おじいちゃんが1人で背負ってきた「運命」。人は誰でもそういう「荷物」を持っているものですよね。その荷物が重ければ重いほど、怒りも大きいように思います。
 「怒り」は重要です。相手の怒りだけではなく、自分の怒りも。
 怒りを他人にぶつけるとき、だいたい人は別のことで怒っているのです。でも、それは理解されないことが多い。怒りは相手を傷つけるだけですが、怒りで自己表現してしまう方は、とても多いと思います(私も含めて)。

 

つづく

訪問看護と介護 イメージ

訪問看護と介護

いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。
9月号の特集は「懸賞論文大賞発表! 「胃ろう」をつけた“あの人”のこと」。100通近くもご応募いただいた懸賞論文の「大賞」ほか、秋山正子賞・川口有美子賞を発表! このほか、計12作品をご紹介。「胃ろう」へのそれぞれの思いや考え、個別のケアの方法、そして1人ひとりの生き様は真に迫ったもの。「高齢者殺人」をテーマにした日本ミステリー文学新人賞作品をめぐる対談も興味深い。

詳細はこちら

このページのトップへ