かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2013.8.21 update.
『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3水曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!
→田口ランディさんについてはコチラ
→イラストレーターは安藤みちこさん、ブログも
→『訪問看護と看護』関連記事
・【対談】「病院の世紀」から「地域包括ケア」の時代へ(猪飼周平さん×太田秀樹さん)を無料で特別公開中!
そんな私の心とは関係なく、父の病状はホスピスに転院してから。急激に悪化していきました。父の変化についていくことができず、私はだんだん、焦って、なりふりかまっていられなくなりました。そうなってきて、やっと……終末期の父と意識の深い部分で交流ができるようになっていきました。それはとても不思議な体験でした。
最初のうち、父の意識ははっきりしていました。私は父と会話し、日常的な用事をやりとりしていました。その頃、私は父が発しているメッセージをわざと無視していたようなところがあります。
父は言葉の少ない昔の男でしたから、相手にわかりやすいように意思を伝えたりはしません。痛くても「痛い」とすら言わない人なのです。そんな父が何を考えているのかわからなかったし、わかりたくもなかった……というのが本心です。
私にとって父は「オレの思っていることを察しろ」と言っているように感じて苦手でした。父はストレートに気持ちを表現しません。とても屈折しています。YESの代わりにNOと言い、NOの代わりにYESと言う人なのです。なぜちゃんと気持ちを表現しないのか。屈折が強すぎて想像もできません。そのくせ、気持ちを察してもらえないと怒りを爆発させます。そんな態度はわがままで、甘ったれているように感じられ、不愉快でした。
私はそういう身勝手な父を許したくなかったのです。だったら、私の気持ちも察してよ、なんで私ばかりあなたのために犠牲にならなければいけないの? 自分がしてもらわなかったことを、なぜ、子どもが親に対してしなければならないのだ、と思っていました。たぶん、私は、愛情をもって育ててくれなかった父親を恨んでいたのだと思います。
私のなかの「小さな子ども」が怒っている。その子どもを、大人になった自分がなだめて、なんとか言うことをきかせている……そんな感じでした。とても疲れました。自分が2つに分裂してしまっているのですから。
分裂していた私の心は、父の容体の悪化に伴って、だんだん統合されていきました。このとき、私の精神の中で起こった変化は、最近になってやっと言葉にできるようになりました。きっと多くの方のお役に立つと思うので、なるべくわかりやすく表現してみます。
父は、肝臓へのがんの転移によるせん妄と、認知症の悪化で、言動が支離滅裂になっていきました。むちゃくちゃなのですが、完全に狂っているわけでもなく、どこかに一貫性のようなものを感じます。父が発し始めた奇妙な言葉は、私には「詩」のように感じました。そして、なぜ「詩」と「死」は同じ音なのだろう? と、考えたりしました。父は他者と交流するために指示的な言葉を使わなくなり、自分の内部に閉じた「詩」を語るようになった……そんな感じがしました。言葉を綴ることを職業としていた私は、いったい父の心の中がどうなっているのか、強い興味をもつようになっていました。
ある朝、私は父の髭をシェーバーで剃ろうとしました。
「お父さん、髭を剃るよ」
そう言って私が父の前に立つと、私の手に握られた髭剃り機を見た父の顔色がすっと変わりました。その瞬間、父がせん妄状態に入ったことがわかりました。父の心は内的な世界、ここではない場所にいました。
父は脅えて「やめろ!」と言いました。
「どうしたの、髭を剃るだけだよ……。大丈夫だよ」
ウイーンと唸っている髭剃り器を父の頬に当てようとすると、父は私を跳ねのけて「危ないぞ、やめろ」と叫び、逃げ出しました。ものすごい恐怖を感じているらしく、父は部屋中を飛びまわり、サッシの窓を開けて外に出ようと暴れます。私もあまりの父の形相に怖くなってナースコールをすると、近くにいたチャプレンが異変に気づいて駆けつけてくれました。
父には、私が見えていませんでした。
父には、死の影が見えていたように思いました。あのときの父の顔はムンクの「叫び」という絵のようでした。その頃から父は、介護犬の存在も恐れるようになりました。ホスピスには患者さんをケアするための大型の犬が出入りしていたのですが、父は犬の存在が別のものに見えるらしいのです。そして、犬と出会うと脅えるのです。
犬は人間を異界へと導く存在である……という記述を読んだことがあり、父には犬もまた死の世界への死者のように感じているのではないか、と私は思いました。
父のせん妄はどんどんひどくなって、日付や、自分の生年月日、なぜここにいるのかもわからないようになってきました。でも、父が語る幻覚のようなもの、夢のような話には、なにか、父からのサインが込められているように感じたのです。
あるとき、父は私にこう言いました。
「この病院には昔の知り合いがたくさん入院している。この間は、予科練で一緒だった仲間と廊下ですれ違ってびっくりしたよ」
父は戦争中、結核になって久里浜(神奈川県横須賀市)の病院に入院しており、そこで終戦を迎えるのです。父の仲間の多くは出陣して亡くなっています。父が会った仲間は、父の幻覚に違いありません。
私はホスピスの看護師さんに訊ねてみました。
「よく、お迎えが来るという言い方をするけれど、ここに入院されている方はそういうお話をなさいますか? 死んだ人に会ったりするのでしょうか?」
「そうですね……。そういう方もいらっしゃいますよ」
つづく
いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。
7月号の特集は「「緩和ケア訪問看護師」の“実践力”を育てる」。看取りまでを視野に入れた「在宅緩和ケア」の必要性・重要性が高まっています。そうしたなか「緩和ケア訪問看護師」を育てようとする動きがあります。多職種による24時間の「緩和ケアチーム」の要にもなる訪問看護師に必要な“実践力”とは?