第1回 目に焼き付けようと思ったんです。

第1回 目に焼き付けようと思ったんです。

2013.8.08 update.

(都内のとある書店にて)

 

『摘便とお花見』? なんか変なタイトル〜。
 

え、帯は「看護師の尋常でない語りに耳を傾ける」だって。
 

まあ病院で毎日変な体験してるから、私らの話って正直変かも(笑)。
 

ちょっと面白そうな本なんだけど、400ページ超えてるし、、、この分厚さ何とかしてほしいなぁ。やる気はわかるけど。誰かこの本の中身を簡単に紹介してくれない?

 

 

……という脳内の声(看護師・30歳女性)に担当編集者がお答えしようという企画です。

 これを読めば、買わずに済むかも!

 

というわけで皆さんご一緒に、拾い読みしましょう。
 

 

(以下、語り部分は省略して引用しています)

 

………………

まず第1章と第2章は、小児病棟から訪問看護に移ったFさんの語りです。Fさんのお母さんは看護師、妹さんは二人とも脳性まひだったそうです。お母さんはこんな方でした。

 

私の母親も看護師だったんですけど、「看護師だけは絶対嫌や」って思ってたんですね。なんていうか、母親がけっこう人間じゃないぐらいに…なんていうか…強い人だったんですよ。ふふふ。[本書16ページ]

 

上の妹さんはかなり重い脳性まひだったようです。一家そろっての食事のとき、こんなことがありました。

 

ご飯中に便の匂いがし始めたんですよ。で、母親が「あっ、出てきたんやわ」って言って。みんなご飯食べてるんですけど、なんかもう、今じゃないとみたいな感じで通じをし始めるわけですよ。「頑張れー、頑張れー」って言って、横でやってるんですよね。ほんで「硬いなあ、痛いなあ」とか言ってて。
たまらんかったんですよ、まあ正直。もうすんごい匂いで食事をするっていう。父親も黙って食べてるし、私も黙って食べてるっていう。ハーッ。
[26ページ]

 

そんなわけで、すっかりFさんは看護師嫌いになりました。上の妹さんが入院しているときのこと。

 

妹は点滴してて。私らはちょっと遅めの昼ご飯食べてて。で、「失礼しまーす」みたいな感じで看護婦さん入ってきて、「じゃあちょっと吸引していいですか」みたいな感じで。ジュルジュルジュルジュルっていうじゃないですか。「ウォーッ」て思いながら。なんていうか…あの…経験をしてきてるんですよ。
「絶対嫌や。看護師さんっていう生き物はもう本当に嫌や」と思って。ふふふ。私はもう絶対に看護師だけにはなりたくないと思って、育ってきたんです。うふふふ。
[29ページ]

 

でもなぜか、Fさんは小児科の看護師になります。やがて患者に「受容」を強制する雰囲気に慣れることができず、病院を離れることになりました。

 

「あの人やったら受け入れられる」とか、「言ってみたけどあの人は受け入れられてない」とかって言うんですよ。だけど、私自身が25とかですよね。そんときに、「25年かかって私自身も受け入れられてないのに、そんな1か月かそこらで受け入れられるわけがない」と。[43ページ]

 

しかしその後、訪問看護という別のタイプの看護に出会います。たとえば、不治の病にかかった若いyさんの家。そこでは摘便が主な仕事でした。ある日のこと、yさんは尊厳死の同意書に署名をしようとします。

 

オーバーベッドテーブル付けて。そこに同意書みたいなの…なんですか…尊厳死のやつを出して。手、力入らないのに、こうやって書こうとしてるんですけど、手に力が入らないから字が書けないんですよ。
「あーっ」って思って。それは摘便の日だったんですけどね。まあ1時間半なんですよね。あの、じーっと座って、それをずっと見つめ続けたんですね。ほんで何も言わずに、見つめ続けたんです。それで、yさんがどういうふうに手が動かないんかなとか、どこで失敗するんやろうっていうのをしばらくこうずうっと見てて。
[71ページ]

 

クライマックスのその瞬間! しかし経験を積んだ看護師Fさんが頭の中を去来していたのは、ある意味、意外なことです。

 

まあ私は看護師として、その1時間半のあいだで、排便コントロールをするっていうタスクがありますから。それがどんどんどんどん短くなっていくんですけど。だから私は、この残り少なくなっていく時間で、どんだけ…なんていうか…スッキリきれいに出せるかみたいな。その計画をこうワーッて考えながら、もう、あれは端折ろうかとか、もうあれでカッカッカッとやって。[76ページ]

 

そして、この言葉。

 

でも、目に焼き付けたんです、私の。yさんは、迷ったんだと思うんですね。自分がこう起きて書けるっていうぎりぎりの線まで、待ったんだと思うんですね。どういう思いがあったのかはちょっとわかんないんですけど。彼女と別れたりとかいうこととか、研究のこととかも、いろんなこと言ってはりましたし。なんか、なんか、そういうのをなんか、なんか。私なんかのなんていうか、あの、なんていうんですかね。私情とか感情とかを挟みたくないなって思ったんです。[77ページ]

(一日一摘:第1回了)
 

——看護師はなぜ情景を目に焼き付けるのか?
——目に焼き付けることにどんな意味があるのか?
——なぜ私情とか感情とかを挟みたくないと思ったのか?
さあ、著者・村上靖彦はどう答えるのか??

 

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 誰も看護師を知らない。


気鋭の現象学者は、

看護師の語りに吸い寄せられた。

それは「人間の可能性の限界」を拡張する営みに思えた。

生死のあわいで――

心身の不調の只中で――

家族との諍いの渦中で――

かつて宗教者が権威に護られながら行っていたことを、

現代では、生身の看護師が替わって執り行う。

それも感情は使わずに、

「追体験」と「立ち会い」という

アクロバティックな振る舞いで。

ケアという行為の言語化に資する驚異の哲学書。

 

 

 

摘便とお花見 看護の語りの現象学 イメージ

摘便とお花見 看護の語りの現象学

 看護師さんの語りはおもしろい。
 看護師は、私が身につけることのできない技能を持ち、私が決してすることのないであろう経験を重ねている。しかもこのような技能と経験は、同じ人間として地続きのものでもある。それゆえ看護師の語りを聴くとき、私は自分の経験が拡張されるように感じる。しかもそのような語りを文字に起こしてから分析すると、表面のストーリーの背後に、さらに複雑で多様な事象が隠れている。本書はそのような驚きを描いている。
(「はじめに 語りの驚き 」より)

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