こどもと接するときに大切なこと

こどもと接するときに大切なこと

2012.12.12 update.

馬戸史子 イメージ

馬戸史子

米国マサチューセッツ州ボストンのWheelock大学大学院Child Life専攻理学修士課程修了。ボストンでのインターンシップを経て、Certified Child Life Specialist 資格取得。カリフォルニア州のオークランドこども病院にてチャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)として勤務。2007年7月より大阪大学医学部附属病院小児医療センターにてCLSとして勤務。こどもの頃から、絵本作りが好きで、運動(特にドッジボール)が苦手でした。今も運動音痴は相変わらずですが、こども達の気持ちのボールは大切にキャッチしたい…と願う毎日です。

 

CLSになりたい方、留学等に関心がある方は以下のサイトをご参照下さい!

book 北米チャイルド・ライフ協会

book 日本チャイルド・ライフ学会

book チャイルド・ライフ・スペシャリスト協会

 

→前回はこちら

 

こどもの気持ちに居場所をつくること

 

「初対面のこどもと接するとき、CLSが気を付けていることや大切にしていることは、どんなことですか?」よくそんな質問を受けることがあります。○○くん、○○ちゃんという特定のお子さんについてではなく、“こども”という一般的な質問です。

 

CLSに限らず、子どもと関わっておられるあらゆる立場の方が、お一人お一人、それぞれに、気を付けておられること、大切にしておられることがおありだと思います。ここでは、初対面の(もしくは、まだ信頼関係ができていない)こどもと接する時に大切にしていることの中から、CLS以外の立場の方々の関わりにおいても共通しているのではないかと思われる点を、いくつかご紹介したいと思います。

 

「話す」前に「聞く」ことから。「聞き出す」よりも「耳を傾ける・汲み取る」ことから。

 

病院という場所は、こどもたちが受け身になりがちな場所、思いやニーズを発信しづらい場所だからこそ、「こちらが伝えたいこと」からスタートせずに、「こどもの気持ち、こどもが伝えたいこと」からスタートする関わりを心がけたいと思っています。

 

それは、直接的に感情表出を促す方法で「聞く=聞き出す」よりも、まず、「聞く=耳を傾ける、汲み取る」ことから始まります。「聞く=聞き出す」際、無理に心の扉をこじ開けられたと感じさせてしまっては、閉じた扉に鍵をかけてしまうきっかけになるとともに、「こどもが言いたいこと」ではなく「大人が知りたいこと」を言わせるという、大人の都合を優先した関わりにもなりかねません。

 

「心を閉ざす」ことはネガティブに、「心を開く」ことはポジティブに捉えられがちですが、「心を閉ざす」力も、子どもたちが、受け止めきれない状況の中で心を守るための大切なコーピング・スキルだと思います。「何が怖いの?」「どうして嫌なの?」などの直接的な質問よりも、必要な時に気持ちを伝えやすくなる時間・場所・関わりづくりにより、思わずぽろぽろと自分から思いを語りだす子どもたちが多いと感じています。

 

そして、「必要な時に、気持ちを伝えやすくなる援助」の前に必要なのは、こどもが、「(伝えるかどうかに関わらず)自分の気持ちを大切に受け止めてもらっていると感じる機会」をサポートすることだと考えています。

 

 

こどもの安心感を守る「間(ま)」を大切に

 

時間の間。場所の間。関わりの間。会話の間。「間(ま)」は、こどもの安心感を守るために欠かせないものだと感じています。環境・過程・関係性の急激な変化、急接近、急展開などは、大人にとっては親しさの表現や援助の手であっても、こどもにとっては脅威にもなり得ます。可能な範囲でこどもが安全だと思うスペースやペースを守ること、沈黙を恐れず無理に言葉で埋めないこと…それらの、ひと呼吸、ワンクッション、あたたかみのある沈黙は、こどもが安心してくつろげる場所・時間・関わりにつながり、こどものペース・タイミングで体験や感情や情報を表出し消化していく第一歩となることが多いように感じています。

 

 

こどもの気持ちに「居場所」をつくる

 

表出するかどうかに関わらず、こどものいろいろな気持ちに「居場所をつくる」こと、それは、ありのままの感情をvalidateする(=気持ちや考えが大切に尊重され受け止められていると感じさせる)ことではないかと思い、大切にしています。

 

こどもが「誤解による恐怖」を抱えている場合、「誤解の訂正」に焦点を置くと、「こわいって思ったのは間違い。こわいって思ってはいけない」と、感情そのものを否定されたように感じるこどももいます。こどもの誤解が生まれるには、その背景・過程があり、「大人の常識」では「間違っている」ことであっても、「こどものイメージ・理解・想像」の中では「正しさ=もっともな理由」があります。

 

たとえば、目薬を怖がっていた子は、「目薬をさす」という言葉を聞いて、「注射のように目を針で刺される」と誤解していたことを、遊びの中で表現しました。「誤解の訂正」の前に、「こわかったね。そう思ったから、こわかったんだね」と気持ちを肯定し寄り添うこと、それから、少しずつ、誤解を解き、安心と理解を援助していくことが大切かと思います。また、「もう大丈夫ね」と念を押されることで、「もう不安に思ってはいけない」と思わせないように、“消えない不安”にも、常に居場所をつくる援助ができたらと思っています。

 

 

「何を」よりも「どんなふうに」

 

こどもたちを援助する際、どんなツールを使って、どんな言葉を使って、何を伝えるか、何を目的として、何をするか…といった、「何を」の部分に焦点を置きがちになる場面があります。日々の業務でいっぱいいっぱいで時間的精神的な余裕がない時も、日々の業務に慣れ過ぎてルーティーン化してしまった時も、効果を実証したり効率的に進めようとしたりする時も、陥りがちな点かもしれません。

 

こどもたちに何か声掛けをする際、言葉選びも大切ですが、こどもたちの印象に残り、心理的影響を残すのは、言葉そのものよりもむしろ、どんな口調・声のトーン・速さで、どんな位置(こどもとの距離・視線、姿勢や佇まい)で、どんな表情・仕草で、どんな雰囲気で接したか…という部分ではと思います。

 

たとえば、同じ「だいじょうぶ」という声掛けでも、こどもの気持ちに寄り添った「いたわり」「温かい励まし」「安心感を守る援助」にもなる反面、言い方と状況によって、大人側の「苛立ち」「不安」「混乱」の表現、「軽率で配慮のない励まし」、こどもにとっての「プレッシャー」にもなり得ます。時間的余裕のない医療現場では、「具体的に動く」ための「何を」の部分を優先してしまいがちだからこそ、限られた時間の中で「心に寄り添う」ための「どのように」の部分を大切にしたい…と感じています。

 

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次回は、これらの大切さを痛感したエピソードのひとつ、CLSになったばかりの頃の経験をご紹介したいと思います。

 

⇒次回はこちら

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