こどもがもっている魔法の力

こどもがもっている魔法の力

2012.11.02 update.

馬戸史子 イメージ

馬戸史子

米国マサチューセッツ州ボストンのWheelock大学大学院Child Life専攻理学修士課程修了。ボストンでのインターンシップを経て、Certified Child Life Specialist 資格取得。カリフォルニア州のオークランドこども病院にてチャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)として勤務。2007年7月より大阪大学医学部附属病院小児医療センターにてCLSとして勤務。こどもの頃から、絵本作りが好きで、運動(特にドッジボール)が苦手でした。今も運動音痴は相変わらずですが、こども達の気持ちのボールは大切にキャッチしたい…と願う毎日です。

 


CLSになりたい方、留学等に関心がある方は以下のサイトをご参照下さい!

book 北米チャイルド・ライフ協会

book 日本チャイルド・ライフ学会

book チャイルド・ライフ・スペシャリスト協会

 

 

前回は→こちら

 

はじめまして! 聖路加国際病院の三浦さんからバトンを受け継ぎました、大阪大学医学部附属病院の馬戸史子と申します。こどもたちとご家族にとって、病院体験が少しでもストレスや不安の少ないものとなるように、ほっと安心する場所やこどもらしく輝く時間が守られて治療を乗り越えていけるように…と願い、当院でCLSとして働き始めて、今年で丸5年になります。

 

日本各地の病院でチャイルド・ライフ・プログラムを立ち上げた他のCLSと同様、当院でも、CLSがどのような職種かほとんど知られていない白紙の状態からのスタートでした。日本の病院でCLSとして働くことは、ある意味孤軍奮闘の面もありますが、決して1人ではないことも実感します。こどもたちやご家族との大切な出会いと関わり、職場の他職種スタッフの理解と協力、アメリカの指導員や元同僚の応援と助言、CLS仲間との意見交換や交流…その1つひとつに支えられて、チャイルド・ライフのタネを、少しずつ大切に育むことができました。

 

まだまだ始まったばかりで、今はやっと小さな芽が顔を出したばかりの段階ですが、これからも、感謝の気持ちを込めて、こどもたちの応援団のひとりとしての取り組みを大切に積み重ねてゆきたいと思っています。日本とアメリカでの体験を織り交ぜて、CLSとして大切にしていることを、少しご紹介させていただきたいと思います。

 

こどもがもっている魔法の力

 

CLS_mato01.jpgマジック・ワンド(魔法の杖)というおもちゃがあります(写真)。ガラスの棒の中を、星やハートなど色とりどりのスパンコールやビーズがきらきらと舞い降りてくるおもちゃで、おそらくCLSなら誰しもひとつは持っている定番のリラクセーション/ディストラクション・ツールです。

 

マジック・ワンドを見るたびに、思い出す光景があります。留学中、CLSが“処置を受けるこども”のサポートをする場面に初めて立ち会った時のこと。嫌がらず、聞き分けよく処置室に向かったその女の子は、表情も硬く全身ガチガチに緊張しているように見えました。CLSがマジック・ワンドを手に、女の子に微笑みかけると、その子の緊張した表情がみるみる和らぎ、目からぽろぽろと涙がこぼれ出しました。CLSが、「たまってた涙、やっと出てきてくれたね。よかったね」と声をかけると、その子は大きくうなずいて、泣きながら笑いました。泣いた後の女の子は、全身の緊張も硬い表情も、柔らかくなったようでした。

 

女の子は、自分でマジック・ワンドを握り、母の膝の上で、看護師と和やかに話し、CLSと遊びながら処置を終えました。安心して初めて流せる涙があり、泣くことによって初めて心身の緊張が和らぐこどももいます。女の子にとって一番の魔法は、「処置を乗り越えたこと」よりも、「安心して泣けたこと」にあったのかもしれません。

 

大学院時代の友人のCLSは、ドクターに、「この子に、魔法をかけて、処置を乗り越えられるようにしてあげて」「(処置中大泣きだったため)今日はCLSの魔法が効かなかったね」と言われたことがあるそうです。その友人とも話していたのですが、魔法の力(素晴らしく驚くべき力)を持っているのは、他ならぬこどもたち自身です。CLSの役割は、遊びを通して、「こどもに魔法をかけること」ではなく、「こどもが元々持っている魔法の力を引き出すこと、壊れないよう守ること、発揮できるよう支えること」だと感じています。

 

受け入れる力・乗り越える力

 

CLSへの依頼の多くは、病気や治療を受け入れ、乗り越えていく援助です。CLSが援助する受け入れは「泣かずに処置を受けること」や「聞き分けよく治療を受けること」ではなく、「こどもにとっての不安やストレスを和らげ、少しでも対処しやすくすること」や「安心感や主体性をもって治療に臨むこと」で、Compliance(従順に受け入れること)ではなく、Coping(主体的に対処すること)に焦点を置いて関わります。

 

コーピングとは、ストレスとなる状況を、“避ける”“取り除く”“最小限にする”“切り抜ける”“受け入れる”“乗り越える”ために人が行う対処法です。こどもの“乗り越える力”を育むコーピング援助では、プレッシャーになるような目標を設定しないこと、大人の視点や目に見える行動や反応から“成功”“失敗”を判断しないこと、励ましや過度な期待により「大人の期待に応えられなかったらどうしよう」などの新たな不安や恐怖を生まないようにすること、を大切にしています。

 

話さなかった子が話すようになる、笑わなかった子が笑うようになる、処置を拒んでいた子がスムースに受けられるようになる…大人の目から見て分かりやすい“効果”が見られたときは、“成功”として注目されがちですが、こどもたちにとって本当に大切なのは、目に見える変化のない時間、その子の心の中で、その子だけのユニークな形で、ひそかに乗り越える力が育まれている時間なのだと思います。

 

また、“行ったり来たり”する葛藤を肯定することも大切にしています。こどもたちが得た「自信」を支えることと並行して、「一回うまくいったから、今後もずっと大丈夫」ではなく、「うまくいく日もある。うまくいかない日もある」という“逃げ場”を残しておくことも大切だと感じています。

 

一見、受け入れができていないように見えるこどもたちもいます。いつもと同じように泣き叫んで処置を受けた子が、処置後に、誇らしげな表情でこう言いました。「わたしは変わった。前は、いやなことは、ただ、“いやー”って泣くだけだった。今日は、“元気になるっていういいことのために大切だからがんばる!”って思って泣いてたの。がんばれって言われたからじゃなくて、自分でがんばるって決めて泣いてたの」。そして、自分を褒めたい気持ちになっていたと、教えてくれました。表面的には同じように泣いているように見えても、心の中ではそんなにも大きな変化が起こっていました。

 

また、処置室へ行くことを決心して病室からの数メートルを移動するのに長い長い時間がかかった子が、自分で歩き、やっとの思いで勇気を振り絞って処置室に足を踏み入れて、大粒の涙を流しながら処置を受けたことがありました。その時、彼の決心と勇気と頑張りを、医師・看護師・母・CLSみんなで認め見守りました。処置後、落ち着いた後、処置を振り返ったその子は、「思ったより、だいじょうぶだった。すごい?もう、次からは楽勝!」と笑顔で言いました。どちらの子も、もしも、周囲が、「今回も泣いちゃって駄目だったね」という反応だったら、自信を失い、傷ついてしまっていたかもしれません。表面的な表現に惑わされず、小さな勇気の芽に気付き、認め、サポートし、次の自信につなげてゆくことも、受け入れの援助の大切なポイントです。

 

一方で、何の問題もなく受け入れができているように見えるこどもたちもいます。聞き分けがよい子は、不安や恐怖心やストレスが見逃されやすく、中には、弱音を吐けない子、もう大きいからがんばらなくちゃと気持ちを張り詰めているこどももいます。「同じくらいの年齢の子たちが、検査前は不安だったけど終わった後は、ほっとしたって言ってたよ」と伝えると、それがきっかけとなって心を開いてくれることもあります。「ほんとは私も昨日の夜不安で眠れなかったの」と話し出し、「(検査のときに)一緒にいてほしい」とCLSに伝え、処置後も、「もう少し、これ、借りてていい?」と言いながらお守りのボールを握りしめつづけていました。

 

また、「だいじょうぶ?」と聞かれると、「だいじょうぶ」と笑顔で答え、周囲に「いつも、泣かないで、えらいねぇ」とほめられると、痛い処置も、涙を流さずぐっと我慢して乗り越えている子がいました。心の中には、流せなかった涙がいっぱいたまっていっているように思われました。お話しした後、「こんなのがあるのよ」と、大阪弁で文字が書かれた市販の絆創膏を見せると、「うわぁ、おもしろい」と笑い、「次の時、先生に、貼ってほしいってお願いしてみる!」と言って、“いたいねん”と“がまんしてるねん”の2枚を選びました。処置の後、女の子の手には、しっかり、その絆創膏が貼られていました。「先生がね、これ見て、“そうやんなぁ、痛いよなぁ”って言いながら貼ってくれたの!看護師さんがね、“いっつも我慢してるんやんね”って言ってくれたの!嬉しかった」。そう言って、涙ぐみながらふわぁっと笑いました。自分で気持ちを伝えることができたことも、しっかりと温かく受けとめてくれた先生と看護師さんの優しさも、大きな安心感になったのでしょう。女の子は、役目を終えた後の絆創膏をごみ箱に捨てずに、いつまでも病室の良く見える位置に貼っていました。小さな絆創膏は、女の子が、ずっと言えなかった言葉、胸の奥にしまっていた気持ちをそっと包んで、代弁しているかのように、そこにありました。

 

今を生きる力

 

こどもたちは、明日に向かう力を持っています。でも、それを支えているのは、こどもたちの今を生きる力なのだと思います。未来を楽しみにして待つことも、大きな励みとなりますが、こどもたちは、今を耐えてただ未来を待つだけではなく、どんな状況にあっても、今を生きる力、今を楽しむ力を持っています。

 

起き上がることも、手で何かを持つこともできず、目も開けられない状態で、「○○して、遊びたい!!」と、“元気な時のお気に入りの遊び”を希望する女の子がいました。「また元気になったらね」と周囲に説得されても、「また後でって言わないで。今じゃないといや」と泣きながら訴えました。医師・看護師・ご家族と目で会話をした後、女の子に「わかった、今遊ぼうね。今、いっしょに○○して遊ぼうね」と言うと、その瞬間、表情はみるみる穏やかになり、ほっとしたような微笑みを浮かべうなずきました。ベッドサイドで、彼女が、自分自身で遊んでいると感じられるよう援助しながら“代理遊び”をしました。“元気な時のお気に入りの遊び”を求める姿には、「元気になりたい」「元気になるぞ」という“明日へ向けた願い”とともに、それよりも強く、「今、元気に遊びたい」「今、楽しいことして遊びたい」という“今を生きる思い”が感じられました。「元気になったら」ではなく「今」、「将来の目標」ではなく「今の体験」として、遊び、楽しみ、生きる時間だったのだと思います。

 

留学中に「私は信じる」というタイトルで、各自が、実体験から得た遊びに関わる信念についてのスピーチをしたことがありました。私は、ある女の子との関わりを通して、終末期にあるこどもたちにとっての遊びの意義について話しました。たとえ身体的には死に向かっていても、一瞬一瞬、輝きながら、成長しながら、明日を信じて生きている、そのことは、健康なこどもたちと何も変わりはないということを、彼女は教えてくれました。彼女は、絵を描くことが何よりも大好きで、最後の最後まで、絵を描き続けた女の子です。病状の悪化に伴って、体の自由が奪われてから、絵を描く自信を失い、「もう絵は描かない。上手にかけないから」と言った彼女に、震える手でも、細かい動作ができなくても、描きやすい画法を提案しました。その画法で、美しい、輝くような絵を描いた彼女は、満足そうにその絵を見つめ、「私の将来の夢知ってる?イラストレーターになることなの」と言ってふわぁっと笑いました。その笑顔を今も忘れられることはできません。彼女は、私に、「もし、イラストレーターになったら、忙しくなると思う?」と問いかけました。「将来、イラストレーターになれると思う?」とは尋ねませんでした。少し涙ぐみながら微笑んで「忙しくなると思う?」と尋ねた彼女のまなざしは、(伝えたいこと、分かってくれてるよね?私、知ってるの。もう元気になれないこと、知ってるの)と語り、私がそのサインを受け止めていることを確認しているように見えました。「そうね、きっととっても忙しくなるね」と答えると、彼女は、「そうよね、今のうちに、いっぱい描いておかなくちゃね」と言い、震える手で、絵を描き続けました。一冊の絵本に仕上げることを提案すると、大喜びしました。そして、一緒に製本して、素晴らしい絵本ができ上がりました。大好きなご両親に、最初の、最後の、そして最高の絵本をプレゼントして、彼女は天国へ旅立ちました。

 

遊びを通して、こどもたちは、個別の具体的な願いだけではなく、全身全霊の願いを表現することがあります。彼女の「絵を描きたい」という願いは、単に「絵を描きたい」という願いではなく、「思いを表現したい」「何かを作り出したい」「自分の気持ちを伝えたい」「誰かと伝え合いたい」「大好きな家族を喜ばせたい」「心和み、安心したい」「楽しみたい」「成長したい」「何かをやり遂げたい」「嬉しい、幸せと感じたい」「自分を誇りに思いたい」「夢を描きたい、叶えたい」「将来・明日を心に描きたい」「自分らしく輝きたい」…つまり、「生きたい」という願いだったように感じられました。

 

こどもたちにとっての「遊び」は、単なる「ストレスからの楽しい気晴らしやごまかしや暇つぶし」ではなく、「生活、人生、生きること、自分らしく輝くこと」そのものです。こどもたちにとっての「成長」は、単に、課題をクリアして知識や技術を身につけることや、前進することではなく、その子だけのユニークな方法・歩幅・ペースで、「こうなりたい」「こうありたい」と思う道を歩んでいくこと、その道の途中で、今、「生きている」と心底感じられること、つまり、「いのちの実感」なのだと思います。

 

どんな病状であっても、こどもたち1人ひとりが夢や希望を抱き、その子らしく生きられるように、これからも、こどもの“いのち”と“こころ”の輝きを応援する取り組みを、他職種のスタッフと連携・協力しながら、小さなことから1つひとつ積み重ねてゆきたいと思っています。

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