CLSのジレンマと可能性

CLSのジレンマと可能性

2011.11.29 update.

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藤原 彩(ふじわら あや)

2001年3月に広島大学大学院博士課程前期修了。同年8月からアメリカのIllinois State University大学院でChild Lifeを学ぶ。2004年にCertified Child Life Specialistとなり、2005年3月から広島大学病院で勤務。2007年からは週末の1日に県立広島病院でも勤務している。留学中からアメリカのテレビ番組にハマり、今も平日の夜や休日に自宅でアメリカのドラマやリアリティショーを見るのが楽しみ。今、もっともハマっているのは「Glee」。「注射」が怖く、痛みに弱いチャイルド・ライフ・スペシャリストです。

 

CLSになりたい方、留学等に関心がある方は以下のサイトをご参照下さい!

book 北米チャイルド・ライフ協会

book 日本チャイルド・ライフ学会

book チャイルド・ライフ・スペシャリスト協会

 

 

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これまでにご紹介させていただいたように、わたしはCLSとして、病棟でてんやわんやの毎日を送っています。そんな日々の中には、前回のように「この仕事に就いて良かった」と心から思う日もあれば、まったく逆に「辞めたい」と泣きたくなる日もあり、山あり谷ありの連続です。願わくは「この仕事、楽しい!」とだけ思って生きていきたいし、そのつもりでこの職業を選んだのですが、どうやら人生、それほど甘くはないようです。

 

CLSとして「できること」「できないこと」

 

誰でも同じだと思いますが、何かになろうと決めたときはその職業の良い面に強く憧れを抱くことでしょう。わたしもCLSになろうと決心したときは、「きっと大変なこともあるけれど、充実した毎日を送ることができるに違いない」と思っていました。確かにこれまでのどの1日をとっても、「つまらなかった」と思う日はありません。

 

その一方で、「なろう」と決めた時には想像もしなかった、いや、少し想像はしたけれど、まさかこれほどとは…という現実に打ちのめされるときがあります。わたしがもっともつらいのは、子どもたちが痛い、しんどい、つらいといった身体症状を訴えているときに、CLSの立場としては、何もしてあげられないという現実です。

 

手術の、処置の、検査の痛みや苦痛。あるいは病気そのものからくる痛みや苦痛。病院で子どもたちが体験するこれらの中には、ほんの少し気をそらしたり、何かに夢中になることで軽減するものもあります。そして、そういう類のものであれば、CLSとして一生懸命介入しますが、それ以上のものとなるとCLSができることはとても限られるか、「何もない」といっても過言ではないように感じます。

 

手術や処置、疾患そのものからくる痛みや苦痛に対して、医師や看護師は痛み止めをはじめとする症状を緩和する薬を有効に使うこともあれば、温めたり冷やしたり、体の向きを変えたりといった様々なケアを実践して、とにかく子どもたちの苦痛に直接アプローチしてそれを軽減します。しかしCLSはというと、これといって子どもたちの身体的苦痛に対して何かができるわけではありません。痛みや苦痛を訴える子どもたちの声に耳を傾けることはできるけれど、そんなことでそれらが大きく軽減するわけではありません。ある子は、わたしに痛みを訴えても医師や看護師に知らせるだけなので、怒ってしまってその日は口をきいてもらえなかったこともあります。

 

こんなふうにチャイルド・ライフの限界を感じるのはとてもつらいことです。チャイルド・ライフが完璧だと思ったことはありませんが、実際に苦しんでいる子どもたちを目の前にしながら何もできないというのは、ものすごい無力感があり、想像以上につらいものでした。それでも、手術や処置からくる痛みや苦痛であれば、時間の経過とともに軽快していくことが多く、子どもたちの活動レベルも日に日にあがっていきます。大きな開腹手術でも、術後2、3日すると医師の許可があれば一緒に遊んだり、状態によっては車いすでプレイルームに行って少し歩いたり、座って遊んだりすることもあります。体が一番つらいときには何もできなくても、少し経つとこうやって子どもたちを「痛み」から少しでも離すチャンスが与えられるケースに関しては、わたしは限界を感じながらも幾分か気持ちは前向きでいることができます。

 

「CLSとして」子どもに接すること

 

もっともやりきれないのは、時間が経過しても決して良くなることなく、日に日に悪化していく子どもたちとのかかわりです。病気の根治が難しいと判断され、症状が進んでしまって最期を意識しなくてはいけない段階に入ると、スタッフは通常の治療やケアから「ターミナルケア」へとギアチェンジをします。CLSもそれを視野に入れながら介入を続けます。わたしを含め、どの医療スタッフもターミナル期に入ったからといって子どもや家族へのかかわり方を一度にガラッと変えることはないですが、子どもの状態に合わせているので、わたしの遊び方などは少しずつ変化していると思います。

 

わたしの場合、幼児期の子どもたちへの介入が多いため、子どもたちから期待される役割は、たとえターミナル期であっても「遊ぶこと」です。親御さんもそれを望んでおられることが多いように感じます。遊ぶことによって少しでもその子がその子らしく時を過ごせるなら、少しでも痛みやしんどさに集中させなくてすむのなら、少しでも病院環境や病気からくるストレスの発散につながるのなら、とその子が望むアクティビティを用意します。病気が進行してくると、いくら本人が望んでもかつてのようにうまくできないこともあります。それでもその子が「それをしたい」と言えば、何とか方法を考えて(CLSが「手伝う」ことでたいていは解決します)、そのアクティビティをおこないます。いよいよ体が動かなくなってきたり、眠っているような状態が多くなったりと、自分自身が積極的に遊ぶことができない状態になっても、遊ぼうとする子どもは多く、子どもたちの遊びへの気持ちが少しも衰えないことに親御さんやわたしたちスタッフはいつも驚かされると同時に、そんな子どもらしい姿に励まされます。一度「今日はしんどそうだね。また明日にしようか」と言って、「イヤだ」と泣かれたこともありました。

 

どんな状態であれ、その子のところに訪室してその日の遊びを決めますが、子どもに決めてもらう日もあれば、こちらから提案することもあります。いずれにしても、自分の呼吸が苦しくなったり、体を起こしておくことがつらかったり、痛み止めで眠くなったりする段階に入ると、子どもたちは言います、「あやちゃんがそれで遊ぶのを見てる」と。それがたとえ「数人用のボードゲーム」でも、「最後までちゃんとやって!!」と指示がでます。CLSひとりで3、4人の役をこなしながらゲームを続けるのは、おとなとしてつらくないといえばウソですが、ウトウトしながらも時折目が覚めて「今、誰が一番?」とチェックを入れる小さな友人が目の前にいるので、あまり大胆にサボることはできませんし、一応の勝敗は決めて、誰が勝ったかを報告しなければいけません。このようなボードゲームは、ひとりで遊ぶ寂しさも手伝って少し大変ですが、「絵を描く」、「ジグソーパズル」、「折り紙」といった遊びだと先ほどのような負担はゼロに近く、なおかつその子にも参加してもらう部分を用意しやすいので、こちらのテンションも上がります。絵だと「黒目は子どもに塗ってもらう」、パズルだと「ポコっとはめる瞬間をやってもらう」、「折り紙に折り線をつけるときにCLSの手を上から押す」などなど。もちろん、無理に手伝う必要はなく、その日の気分や状態次第で決めていきます。

 

子どもの死と、CLSとしての思い

 

それすらもできなくなるときがやがて来ます。そうなるとその子ども自身に直接してあげられることは、ほとんどない気持ちがします。ご家族や兄弟姉妹と「これから先」の話や「これまでの楽しかったこと」を語り合ったりすることはできても、目の前で苦しそうに呼吸をしている子どもたちの体には何もできません。苦痛をとるのは他のスタッフの役割で、チャイルド・ライフの役割ではないのです。医療行為をしないということで「子どもたちに安心感を与える役割」を担うのがCLSであり、それにあこがれて渡米までしてなったCLSが、こういった場面では、苦しんでいる子どもたちを「何もしないこと」によって痛めつけているような気持ちにさえなります。まさか自分がこんな風に感じるなんて、その場に至るまで想像もしていませんでした。

 

そんな子どもたちを見送るたびに、このジレンマがのしかかってきます。もちろん誰もCLSを責めることはありませんし、わたし自身もCLSの役割以上のことはできないと十分わかっています。しかし、申し訳ない気持ちを抱いているからか、自分が役立たずに感じられ、「他のCLSだったら、こんなときでも何かできたのかも」「自分が未熟だからいけないのかも」という思いから、最後はなぜか「自分はCLSに向いてないのかも」という結論に至ることが多いです。

 

がしかし。いつまでもグズグズ言っているヒマはありません。自分が落ち込んでいる間も闘病中の子どもたちがいて、今を一生懸命生きているのです。それに気付くのに時間はかかりませんでした。なぜなら、いつも目の前に小さな誰かがいて、キラキラした目で「あそぼ♪」と話しかけてくるからです。この小さな友人たちのために、「後ろ向きジレンマ」を自分の中でどうにか解決しなければならないと思い、それまでの自分のかかわりが本当に適切なものだったかを振り返ることを始めました。「きっとあれでよかったんだ。精一杯やったんだもん」と自分を慰めるのではなく、「もっと他に良い方法があったんじゃないか?」「本当にCLSの専門性を十分発揮できただろうか?」「曖昧なかかわりで周囲を混乱させなかっただろうか?」と自分を追い込みながら考える作業は、なかなかつらいものがありますが、自分で何とかするしかありません。「はぁ~あ…」とため息をつきながら苦痛の作業をおこないますが、そうやって出した答えは必ず自分のレベルアップへとつながると信じていますし、迷いに迷って答えがでないときがあっても大丈夫です。ここで一緒に連載をさせてもらっているCLS仲間が精神的なサポートをしてくれ、わたしがチャイルド・ライフの目標にある「前向きに困難を乗り越えられるように」支援をしてくれるからです。彼女たちは友人ではありますが、それぞれの病院で同じ責任を負ってこの仕事をしているので、変な甘やかしはありません。それでいて、責めることなく、むしろ共感を示しながら、気づかせる形でわたしの課題を指摘してくれます。さすがみんな現役CLS!彼女たちに感謝すると同時に、チャイルド・ライフのポジティブな可能性を改めて認識(というより体感?!)している今日このごろです。

 

さて、今回でわたしの担当は終了します。今までありがとうございました。次回は聖路加国際病院の三浦絵莉子さんです。きっと広島の「わたし」とは違ったお話をしてくださると思うので、どうぞお楽しみに。
 

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