第21回 地域の防災と障害者の役割

第21回 地域の防災と障害者の役割

2023.2.21 update.

三谷雅純(みたに・まさずみ) イメージ

三谷雅純(みたに・まさずみ)

人やヒトの社会や行動の本質を科学的に探る、霊長類学、人間行動進化学に強い興味を持つ研究者。アフリカ中央部(カメルーン、コンゴ共和国)を中心に、鹿児島県屋久島、インドネシアの熱帯林で調査・研究を行ってきたフィールド・ワーカー。


2002年4月に脳塞栓症に陥り、以来、右の半身まひと失語となる。自由に森には行けなくなるが、代わりに人やヒトの多様性に興味を持ち研究を続ける。生涯学習施設の講演や緊急災害情報などの放送はどうあれば「聴覚失認」のある高次脳機能障害者、聴覚情報処理障害者が理解できるか、視聴覚実験によって検証している。


文化的、遺伝的多様性を持つ人で作る社会のあり方を研究していきたいと考えている。

■助け・助けられる障害者


高齢者や障害者は行政機関から被援助者としてリスト・アップされ、災害時には非障害者から助けられる。それが当然だと思っている人は、障害者に、そして非障害者にも多くいると思います。ですが、一分一秒を争う避難のときに、自分だけでなく障害者まで助けられる余裕のある人は多くないような気がします。

 

一方で、一口に障害者といってもさまざまです。知的障害のある力の強い人なら車いすを押すことなど造作もないでしょう。また片マヒがあっても、地域の人のために、あらかじめ地図上で避難経路を考えておくことが得意な人もいるでしょう。

 

防災と障害者の役割は、助ける人/助けられる人などと固定的に考えるべきではありません。柔軟にとらえるべきです。

 

20回の「地域で暮らす」の中で、わたしたち障害者は何も特別な存在ではなく、地域で生活する普通の人間なのだと書きました。今回は障害特性を積極的に活かして、障害者が地域住民と共に防災活動に奮闘(ふんとう)している姿を紹介します。それは北海道の浦河町にある「べてるの家」の取り組みです。

 


■べてるの住居と仕事


「べてるの家」は精神障害者の地域活動拠点です。ここでは「べてるの家」のことを「べてる」と呼ぶことにします。

 

べてるの始まりは浦河赤十字病院精神科病棟を退院した仲間たちが「回復者クラブどんぐりの会」を始めたことに遡(さかのぼ)ります。1978年のことでした。

 

精神病院を退院したものの、これからどうやって生きていったらいいのだろうと、どの人も大きな不安を抱えていました。そして、仲間と何度も話し合いを続けた結果、自分たちが抱える精神障害という困難だけでなく、過疎化が進む浦河町の困難も同じようにわが事とできる「精神障害を持った町民」として活動をするのはどうだろうと思い至りました。

 

べてるでは、地域で暮らす精神障害の当事者に「住まいの提供」「働く場の提供」「ケアの提供」を行うという、3つの取り組みがあります。

 

精神障害の人に服薬は欠かせません。また発達障害、今の言い方では自閉スペクトラム症で、重い知的障害の人もいます。そんな人は独居よりも集団で暮らす方が過ごしやすいのかもしれません。まず、そうした人たちのための共同住居を整えました。住まいの確保です。

 

浦河の特産品は日高昆布です。最初は浦河の人びとから昆布を袋詰めする下請けの仕事をもらいました。働き手が足りない一地方で下請けの申し出は好都合だったでしょう。その一方で浦河の人びとは「精神障害を持った町民」にどれだけの仕事ができるのだろうと疑っていたのかもしれません。事実、袋詰めの下請けの仕事はやがてなくなりました。しかし、自前ではじめた昆布の産地直送が事業として発展し、働く場の確保につながりました。

 


■ピア・カウンセリングを中心とした、べてるのケア


べてるにはいくつもの理念があり、そのひとつが「三度の飯よりミーティング」で、また「手を動かすより口を動かせ」というものもあります。


 

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<三度の飯よりミーティング>

「話し合う」ということは、大切な自己表現の場であると同時に、支え合いの場でもある。

べてるのメンバーが精神障害という病気をとおして経験してきたさまざまな危機は、「表現することの危機」でもあった。その意味で、話し合いの質が一人ひとりの生活の質に影響を与える。そしてその影響は、べてるの家ばかりでなく、べてるに連なるさまざまな人のつながりや、その場全体のコミュニケーションのあり方にも影響を与えるということを経験的に学んできた。

だから、「三度の飯よりミーティング」という理念に象徴されるように、ミーティングはべてるの家の生命線であると同時に、一人ひとりにとっての暮らしの生命線でもある。

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(「社会福祉法人浦河べてるの家」「べてるの家の理念」より引用)

 

 

この「三度の飯よりミーティング」や「手を動かすより口を動かせ」は、わたし流に言い直すなら、第20回「地域で暮らす」で書いた「ピア・カウンセリング」です。

 

医療人類学的には「素人の知識」と言えるでしょうか。わたしたち障害者は医師や看護師といった医療の専門家ではありません。しかし、専門家には分からない、当事者だから分かるということがあるものです。ときには、障害者や難病者がお互いに相談に乗り、当事者でなければ気が付かない、実感として理解し合えることをアドバイスし合う姿勢が必要です。べてるも同じだと思います。これはケアの確保です。

 

べてるは精神障害者が見る幻覚や妄想を(しかも、当事者自身がおもしろがって!)互いに披露し合う「幻覚&妄想大会」や、当事者の経験を仲間と共に「研究」とし、分析し合う「当事者研究」など、先進的な取り組みで注目を集めています。ちなみに「幻聴さん」の声の主は「いなくなると寂しい」ので、薬で消すのではなくお友だちとしてうまく付き合っているそうです。

 


■べてる、防災訓練へ


このように特色豊かなべてるですが、「障害特性を積極的に活かして、障害者が地域住民と共に防災に奮闘(ふんとう)」する機会が訪れました。浦河町地域の皆さんといっしょにやる防災訓練です。

 

浦河町は地震の頻発地域です。その上、海がすぐ近くにあります。安心して暮らすには、まず地震と津波からどうやって避難するかを取得しておく必要があります。しかし、練習(防災訓練のこと)をしていなければどうしてよいか分からず、混乱してしまいます。事実、2003年に起こった十勝沖地震では、浦河赤十字病院やべてるのスタッフが、おのおのの住居を回って高台への避難を促したそうですが、睡眠導入剤を服用していた人は地震に気付かずに眠ったままでしたし、長期入院から退院したばかりの人は緊急事態だと認識できず避難を拒否したそうです。

 

幸いこのときは支援スタッフと共に共同住宅に住む仲間からも促されて全員避難できたということですが、べてるではこの失敗を教訓に地震と津波に重点を置いた非常災害時の防災プロジェクトを2004年から行うようになりました。この防災プロジェクトには浦河町行政と国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所(国リハ)、それに支援技術開発機構(ATDO)が協力しています。

 


■仲間と行う防災訓練で幻聴を克服


精神障害者は普段から生活技能訓練(SSTsocial skills training)をしています。SSTとは、その人が、その人らしい生活を取り戻すための訓練です。ロールプレイをしながらコミュニケーションのしかたを練習します。

 

べてるではこれを障害者が相互に行います。生活上の課題に対しても仲間たちと話し合い、それぞれが対処方法を編み出そうとする実践活動と位置づけているのです。不安があっても「学べばいい」「練習すればいい」「研究すればいい」という共通認識を確立させるものだそうです。

 

このSSTを防災訓練に応用しました。

 

練習する前は、津波注意報が聞こえても危険だと思わなかったり、危険だと分かってもどうしてよいか分からなかったのが、国リハの研究スタッフから「過去の浦河町のデータから津波は4分以内に10メートルの高さまで押し寄せる」と具体的に教えてもらい、「避難は4分以内に10メートル以上の高さの高台へ」を目標に何度も練習をかさねて、克服できたそうです。

 

十勝沖地震のときは、頭の中に「幻聴さん」が表れ、「逃げるな」と言ったので逃げることができなかった人がいましたが、この練習をしてからは、「いっしょに逃げよう」と「幻聴さん」に呼び掛けると、「幻聴さん」もそれならといっしょに逃げることができたそうです。

 


■マルチメディアDAISY(デイジー)の活用


もうひとつ、国リハの研究スタッフから教えてもらったことがありました。それはマルチメディアDAISY(デイジー)の作り方です。

 

精神障害者には「幻聴さん」と共に、頭の中に世の中のことをマイナスにばかり考えてしまう自動思考「お客さん」がよくいます。「お客さん」がいるとその相手もしなければならず、せっかく地図の上に避難経路を描いてくれたとしても集中できません。そんなとき、頼りになるのがマルチメディアDAISY(デイジー)です。

 

マルチメディアDAISY(デイジー)は、音声を吹き込むと、その音声と音声を表す文字、そしてその場面に沿った絵や写真を表示します。音声と文字、絵や写真は互いに同期しており、読み上げた音声に従って文字が黄色にハイライトされます。

 

精神障害者は認知が困難なことがありますが、いつもの仲間と会話すれば普段の自分に戻れると言います。マルチメディアDAISY(デイジー)によって、複数の感覚器官に同時に働き掛けが行われ、仲間の声が聞こえたり、仲間が写真に写っている様子を見ることにより、本来の自分を取り戻し、集中して避難経路を確認できるのだと思います。

 

ATDOの河村宏さんはマルチメディアDAIS(デシジー)の開発に関わった有名な方です。河村さんは浦河町を訪れて次のように言います。



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浦河町は地震の多いところですが、幸いこれまで津波や土砂災害による甚大な被害を受けることはあまりありませんでした。おそらく、町の皆さんも地震・火事への対策ほど、津波被害についてどこが安全でどのようにすれば危険から逃れられるか具体的に話し合う機会がなかったのだろうと思います。(中略)べてるの家の皆さんがきめ細やかに、グループ・ホームとかニューべてるからの避難をし、自分で努力すれば確実に安全を確保できる方法を見つけてきているのは、大きな意味があります。(中略)こういうときにここに逃げれば安全なんだということを皆さんが体で覚えていること、そして全員が同じ方向へ逃げていき、こっちへいけば安全なんだと思えることは、とても安心感があります。(中略)DAISY(で作った)避難マニュアルで『ここの交差点を右に曲がります』などと言っているのはとても意義があります。全員でひとつの流れになれば、避難そのものが安全になっていくからです。それを多くの人、地域のみんなで確認しておくのが重要でしょう。地元の人が同じ方向へ避難していれば、(地理に不慣れな)旅行者が来ても、一緒に逃げながら、こっちにいけば安全なんだということがわかります。

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「べてるの家の防災プロジェクト2008Area」から、一部改変の上、引用)

 


■津波避難のエキスパートとなったべてる


警察署の交通課長は、べてるの避難訓練を見て感心したそうです。べてるの人が車いすの人をかばいながら、黙もくと避難所へ急ぐ姿を見て驚いたというのです。

 

浦河町の職員は、べてるの退避行動を評して、自主訓練の行き届いているべてるの人には、今まで以上の配慮が必要だとは思いません。それよりも、せっかく集団行動をしているのだから、訓練のときに赤い誘導灯を持ってくれたら町民もどちらに逃げたら良いのかがよく分かる、と言ったそうです。

 

こうして、べてるは、被援助者から、今や地震や津波避難のエキスパートになりました。町で津波防災に関する一番の物知りになったのです。何も特別なことをしたわけではありません。精神障害者が日ごろから気を付けていることや、とっさの場合に忘れがちなこと――例えば避難している間のくすりの準備など――を仲間で述べ合い、工夫を重ね、苦労を分かち合う、その延長でした。

 


■これからの課題


当然ですが、これからの課題もあります。それは地域の人びとと過ごす避難所での生活です。精神障害者は他の人とコミュニケーションを取ることが苦手です。何日間も町の人といっしょに過ごさなければならない避難所の生活は辛いでしょう。それをどうするかは今後の課題です。

 

普段の生活でも地域の人といっしょに暮らすというのは、わたしたち障害者にとっては、とても重い課題です。同時に大切な課題でもあります。べてるの皆さんのように、それを解決する糸口をつかんだグループは、まだ少ないと思います。多くのグループは試行錯誤の途中かもしれません。また社会に向けて自分たちの障害を理解してほしいと訴えることに忙しくて、とても他の障害者や非障害者の安全までは気が回らないという場合も多いでしょう。

 

しかし、障害者にも非障害者と同じだけの人生の可能性があるはずだと信じるのなら、いつか解決しなければならない問題です。


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今回の原稿は「社会福祉法人浦河べてるの家」©2021 Bethel.or.jp「べてるの家の防災プロジェクト 2008(社会福祉法人 浦河べてるの家, 2009「北海道べてるの家に学ぶ地域防災」AJU福祉情報誌 No.109)(社会福祉法人AJU自立の家, 2010)を参考にさせていただきました。


第20回はこちら


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