かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2022.8.26 update.
村瀨孝生(むらせ・たかお)
特別養護老人ホーム「よりあいの森」、「宅老所よりあい」、「第2宅老所よりあい」の統括所長。大学卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として8年勤務。その後福岡市で、「宅老所よりあい」にボランティアとしてかかわる。
著書に『おしっこの放物線』(雲母書房)、『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『増補新版 おばあちゃんが、ぼけた。』(よりみちパン!セ、新曜社)など。
伊藤亜紗(いとう・あさ)
東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。専門は、美学、現代アート。
著書に『ヴァレリー 芸術と身体の解剖』(講談社学術文庫)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)など。
第13回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞(2020)受賞。第42回サントリー学芸賞受賞。
2022年7月23日、東京・代官山 蔦屋書店にて、「シリーズ
ケアをひらく」の最新刊、村瀨孝生さんの『シンクロと自由』の刊行記念トークイベントが行われました。
お相手は、同シリーズで『どもる体』を刊行している伊藤亜紗さん。村瀨さんの最高の理解者である伊藤さんは『シンクロと自由』をどう読むか――注目の対談を、当「かんかん!」では4日連続更新でご紹介します。
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【目次】
補 ヒントいっぱいのQ&A(8月26日更新)
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(補 ヒントいっぱいのQ&A)
「あなたそういう人だったよね」――家族を看る難しさ
――(代官山 蔦屋書店・宮台由美子さん)見てくださってる方がQ&A書き込まれているのでご紹介します。「介護する人/される人が、夫婦にたとえられたり、親の介護の話が出ましたが、おふたりにとって、家族とそうでない関係の最も異なるところはどんなものだと感じられますか」
伊藤 いかがですか、村瀨さん。
村瀨 家族と、そうでない関係の最も異なるところ。......なんでしょう、情実かなぁ。
伊藤 情実......。
村瀨 いま母の介護してて、どうしても怒りが湧き上がってくる瞬間があるんですよ。母、せっかちなんですよね。心配性のせっかちなんです。それは認知症だとか、症状によって起こってるというのではなくて、「あなたいつもそうだったよね」っていう気持ちが出てくる。デイサービスを待つ時間にしても何にしても、「あぁ、いつもそうやって僕を急かしてきた」みたいな。「そうやって僕の心配をしてるようで、結局自分が心配なんだよね」と。
それを子どものころは言語化できなかったわけですよ。だけど大人になって、言語化できるようになっちゃった。「あっ、あなたそういう人だったんですね」って。そうやって、あれだけ思春期で抗ってたことの正体が、なんとなく自分なりにつかめちゃったりする。他人には生まれない情実みたいなものが編み込まれてた、その縄の成分を知っちゃったみたいな感じです。
僕はいつも同じところで、母に対してキレてしまうんです。どうしてそうなるのかにだんだん最近気づいてきて......それはやっぱり赤の他人にはないでしょうね。
他の人は、母のようにせっかちな状況であっても、「お怪我なく済みましたね」とか言えるし、単なる病気としての認知症状に見えたりする。だけど家族は違う。あれは病気でもなんでもなくて、「あれはあの人そのものなんだ」と。
伊藤 わたしは親の介護はまだしてないですけれども、子どもに接するときとかに、自分の母親が出てくる。切羽詰まるとすごく怒ったり。普段そんなに人に怒るタイプじゃないんですけど、子どもってけしかけるのがうまいじゃないですか(笑)。お年寄りが、表に出したくないところをうまく引き出すのとおそらく同じで、人をけしかけて怒らせるみたいな。
そこで引き出されているものって、自分の母親がわたしによって引き出されていたものみたいな感じがします。自分がすごい怒りに飲み込まれたときに、母親がわたしに対して怒っていたのと同じような行動が出たりとかするんですよね。
それは自分が育ててもらって何十年間も完全に忘れていたことなんですけれども、ふと自分からそういうものが出てくる。もしかしたらわたしの母も、その上から代々伝わってきた、一家でずっと継承してる行動パターンみたいなものなのかもしれないですね。母とそのおばあちゃんと、その向こうがずっと筒の中から見えるような感じにはなりますね。
村瀨 子育てと介護ってやっぱり共通してる気がしますね。自分の出自とか、自分の系列、「こういうことか!」みたいな。こういうものを抱えて先祖も生きてきたか、と。
伊藤 オートマチックに何かが発動してしまう感じが、やっぱり家族の場合は多いかもしれないですね。
村瀨 そうなんですよ。最近僕は本当に、介護って親との出会い直しだと思っているんです。そういう意味では『犬神家の一族』や『八つ墓村』みたいな一族共同体のドロドロしたものがあって、もしかしたら介護っていうのはそれを成仏させる可能性があるかもしれない。母を介護しながら、そういうことに期待してるんです。
感じてほしい――高1へのアドバイス
――高校1年生の息子さんがいらっしゃる方から、「介護の仕事に興味があるようなので、何か一言アドバイスがあればうれしいです」と。いかがでしょうか。
村瀨 貴重な存在ですよ。なかなかなり手がなくて、我々の介護業界は、職業的にはもう嫌われてますからね。だからそういう人がいるのはすごくうれしい。しかも高校1年生で。むしろ、どうしてそんな気持ちになったのかを聞きたいぐらい。
そうですね......どんどん感じてほしいです、僕は。思い通りにならない他者がいて、その思い通りにならない他者と共に、一緒に行動せざるを得ないという状況の中で、どんどんその人を感じてほしい。いま自分の中で起こってることを感じてほしいし、感じていることを思いにしてほしいし、思ったことを考えにしていってほしい。全身でフル稼働したときに生じる「感じる」っていうことに意識を向けてお年寄りと接してもらったら、仕事って楽しいと思います。
3人目を連れて行く――関係のつくり方①
――もう1件「介護やインタビューなどで、初めての人と新しい関係を築くとき、おふたりが特に気にしていること、意識していることがあればぜひ教えてください」というご質問です。
伊藤 そうですね......最近インタビューするときには、学生とか、もうひとり連れていくようにしてます。3人目がいるとすごく楽になるんですよね。つまり、いかに「ここで出会います」「関係つくります」みたいな雰囲気にしないかってことのような気がするんです。3人だと、2人が向き合うよりも、ちょっと向き合い度が減ってくるので、いろんな出会い方を探れます。
学生がすっとんきょうな質問とかしてくれるとすごくいいんですよね。やっぱり相手もいろんな本を読んできたり準備してくれてきちゃうので、それはそれでこっちもつらいんですよね。なので、たまたまご近所さんとして住んでしまったくらいの感じになれたらなと思って、3人目を連れていくようにしてます。合理的な理由になってるのかわからないけど......村瀨さんはどうですか。
向き合わない――関係のつくり方②
村瀨 僕は人と関係をつくるのが、すごく苦手なんですよ。にもかかわらずこういう職業で、人と関係せざるを得ない。ましてや、地域の人とも関係せざるを得なかったりして。そうやって僕的には難しいっていうか、けっこう頑張ってやってるというところがあって。
人と向き合うのがやっぱり苦手なんですよね、きっと。だから伊藤さんが第三者を連れて行くというのはすごく共感しました、「あぁ、なんか似てるな」と(笑)。職員にも、職員同士の関係をつくるときに、必ずお年寄りを真ん中に置きなさいって僕はいつも言ってます。お年寄りを介して出会うわけです。
「向き合う」「出会う」というところから入ると、お互い苦しいとすごく思います。僕なんか特にそれが苦しくて。なので、介するものが人じゃなくてもいい気がするんですね。用事を入れちゃうとか。それで言うと、介護によって人がつながることができるんじゃないかって思うことがあって。
今まではたとえば農業共同体だったら、農作業を通じて人が関わらざるを得なかったと思うんですよ。協力せざるを得なかった、ひとりで屋根は葺き替えられないしとか、水の管理なんかひとりじゃできない。そうやって労働が中心にあって、人同士がむしろ直接向き合わない。「労働」じゃなくて「自然」を入れたりしてもいいと思います。だからいま、人が向き合いすぎちゃってるというか。
そういう形で介護が今後は人をつなぐと思ってたんだけど、なかなか介護でも人はなかなか協力し合わないっていう実感もありますね。短い僕の職業人生ですから、もっと時間がかかることだと思うんですけど。
でもいま、おばあちゃんのお庭にニンニクを植えさせてもらって、そのニンニクをボランティアさんや職員が世話をしに行ってます。そこで獲ったニンニクをオイル漬けにして、そのオイルを売って我々の資金にする。
伊藤 面白~い。
村瀨 見守りではなくて、ニンニクをただ庭に獲りに行くだけ。それってニンニクを媒介に、さりげなく「まだ生きてるな」みたいな感じ。そういう形で関係をつくろうとしてるのかな。いずれにしても、あんまり向き合わないほうがいいんじゃないですかね。
ステルス介護の提案――感謝の外へ
伊藤 ステルス(隠密)介護ですね。その話をもう少しうかがってもいいですか。
村瀨 今はどこでも、契約して、意識化して、本人も参加するって感じですよね。だから真逆なんですよ。そうじゃなくて、本人に気づかれないうちに介護してた、されてたっていう関係です。
『シンクロと自由』で、あるおじいちゃんのことを書きました。ゴミ屋敷にみたいになってて、夕方になるとたそがれちゃって、電話魔になるおじいちゃんの話です(8章「たそがれるお爺さん」)。僕たちは電話がかかってくると大変だから、電話するときに誰かが行くことにした。サービス精神旺盛なおじいちゃんが自分の旅の話をすることによって、電話のことを忘れちゃう(笑)。
「所長、今、岡山まで行って、帰ってきたところ」
そう言いながら、玄関先で靴を脱いだ。
「岡山って、今ですか?」
時計に目をやると針は午前10時を指している。
「所長、そうだよ」
「また、なんで?」
「それが、不思議なことってあるもんだよ。所長。通帳がなくなってね。実はパリでなくしたの。それが、岡山の郵便局で見つかってさ。さっき連絡があったから、取りに行ってきた」
お爺さんは近所のコンビニにでも行ってきたような感覚で話す。
「岡山まで何に乗って行ったんですか?」
「自転車だよ、所長」
「えっ! 自転車で!? どのくらい時間がかかるものなんでしょうか?」
「いやぁ、休み、休みだからねぇ。1時間ぐらいかなぁ」
(『シンクロと自由』271頁)
村瀨 おじいちゃんはその目論みに乗ってくれて、電話はかかってこなくなるんだけど、そこに行く人たちの靴下が真っ黒になるっていう問題が今度は起こったんです。みんな掃除をしたくなっちゃう。でも、おじいちゃんは困ってないんですよ。困ってるのは僕らの靴下であって。
こうして、汚いことを気にしないおじいちゃんの問題を、関わることで増やしていくっていうことになり、今度は介護保険でヘルパーさん入れろなんて話になっていく。契約によって、本人の生活がどんどん変質してくるわけです。
そこで、おじいちゃんをこっそり風呂に誘い出して、留守を預かってる間に、床だけは拭いておこうと。帰ってきたおじいちゃんは、床拭かれたことはわからないだろうって。
そういう文脈で介護をされていく、地域のなかで生きていく。我々もそういうふうに事を終わらせていく。そういうことがあってもいいんじゃないかなって。むしろ僕はそれをベースにしたいと思ってます。
伊藤 すごい話ですよね。落語みたいな話なんだけど。さっきのニンニクの話を聞いてから今の話を聞くと、どんどんステルス化していくっていうか。ふふふっ。介護の"介"って媒介の"介"、間になにか挟まっていくっていう意味ですよね。挟まってお互いが違う方向を向いてるんだけど、全体としては何かが回ってしまう。「制度」としての介護を否定するような、「現象」としての介護、みたいな世界ですよね。
村瀨 そうなんです。お年寄りも感謝しなくていいじゃないですか。感謝されたら、僕らもまたやんなきゃいけないって感じになりません?
伊藤 たしかに(笑)。
村瀬さんとのトークは第2弾が実は予定されてまして、9月19日の敬老の日に福岡の書店、ブックスキューブリックさんで対面で行います。わたしと村瀨さんでずっとやらせていただいてた往復書簡が、ミシマ社から『ぼけと利他』という本になるんですが、その出版記念です。またそのときに村瀨さんと直にお会いできるのを楽しみにしています。
村瀨 今度は直接ですよね。楽しみです。
伊藤 少しずつ距離を詰める感じで、よろしくお願いします。
村瀨孝生×伊藤亜紗『介護現場から自由を更新する!」了
【編集部からのお知らせ】
10月16日(日)に、『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)や『ニワトリと卵と、息子の思春期』(婦人之友社)で、いのちを鮮烈に描写する繁延あづささんと村瀨さんのトークを、長崎で行います。
タイトルは「涙の出方が変。」
無料でオンライン配信も行いますので、ぜひお申し込みください。詳細はこちら。
介護現場から「自由」を更新する!
「こんな老人ホームなら入りたい!」と熱い反響を呼んだNHK番組「よりあいの森 老いに沿う」。その施設長が綴る、自由と不自由の織りなす不思議な物語。
万策尽きて、途方に暮れているのに、希望が勝手にやってくる。
誰も介護はされたくないし、誰も介護はしたくないのに、笑いがにじみ出てくる。
しなやかなエピソードに浸っているだけなのに、気づくと温かい涙が流れている。