第1回 わたしの「聴覚失認」体験

第1回 わたしの「聴覚失認」体験

2021.6.30 update.

三谷雅純(みたに・まさずみ) イメージ

三谷雅純(みたに・まさずみ)

人やヒトの社会や行動の本質を科学的に探る、霊長類学、人間行動進化学に強い興味を持つ研究者。アフリカ中央部(カメルーン、コンゴ共和国)を中心に、鹿児島県屋久島、インドネシアの熱帯林で調査・研究を行ってきたフィールド・ワーカー。


2002年4月に脳塞栓症に陥り、以来、右の半身まひと失語となる。自由に森には行けなくなるが、代わりに人やヒトの多様性に興味を持ち研究を続ける。生涯学習施設の講演や緊急災害情報などの放送はどうあれば「聴覚失認」のある高次脳機能障害者、聴覚情報処理障害者が理解できるか、視聴覚実験によって検証している。


文化的、遺伝的多様性を持つ人で作る社会のあり方を研究していきたいと考えている。

■ある夕食会で

 

 「聴覚失認」を経験する機会は突然訪れました。

 

 ある夕食会での出来事です。その日は高次脳機能障害者を世話する人のために懇親会がありました。高次脳機能障害の当事者も出席していましたが、当事者よりも、普段お世話している方や病院関係者が目立つ夕食会でした。テーブルに付き、向かい合った人とおしゃべりを楽しみ、ゆっくり夕食をとろう。そして親交を深めよう。そういう主旨の夕食会でした。

 

 わたしの向かいには年配の女性が座りました。お互いに、にこにこ笑ってあいさつを交わします。婦人はある病院で事務の仕事をしているそうです。わたしは研究者で、アフリカや東南アジアに出かけて行く人類学者です。また、高次脳機能障害の当事者で、失語症もあります。

 

「あら、まあ」

 

 おしゃべりは楽しく弾みました。わたしがアフリカの森で出会ったヒョウの話わたしもびっくりしたが、ヒョウの方がもっとびっくりしていて、ヒョウは黄色い‟まり“のようになって、慌てふためいて逃げていったことをしていた時です。突然、あたりに満ちているはずのことばが理解できなくなりました。急な出来事で、自分では何が起こったのかわかりません。

 

 「ブワーン」いう奇妙な音があふれ、見回すと、そこここで人びとは笑顔を作り、口が動きます。向かいのご婦人も、笑いながらくちびるを動かしていました。しかし、ことばは何も聞こえません。知らない外国語を話しているのとは違います。その状態をあえて例えるなら、音の反射がほとんどない無響室の真ん中に、「ザー」というホワイト・ノイズ(白色雑音)が響いている中、ひとり置いてきぼりにされた、そんな感じです。

 

 耳は聞こえていて言葉は脳に届いているはずなのに、何を言っているのかがまったく理解できないのです。

 

 わたしは口をつぐんでしまいました。ご婦人はわたしに何かが起こっていることは察したようです。しかし、そんなことは、よくあるとでもいうように、あまり気にかけず、わたしが突然止めてしまった話を補って、話を継いでくれているようでした。もちろん、ご婦人が何をしゃべったのか、わたしには理解できません。

 

 とりあえず、その場では平気を装って、ご婦人の話を聞いている振りをしていました。それから10分も経ったころでしょうか。また突然、

 

「……があったんです、でも……は引退しました。今は気楽なんです」

 

と、今度はご婦人の話すことが聞こえてきました。きっとわたしは、ほっとした顔をしたことでしょう。ご婦人も、わたしに何かが起こっていたことは察しています。それでも最後まで、何事もなかったかのように振る舞ってくださいました。

 

■わたしの障害について

 

 わたしは脳血管に血栓が詰まる経験をしたことがあります(障害による症状はあとで詳しく説明します)。今では血栓が詰まっても除去する方法がわかっていますし、血栓を溶かす薬もあります。詰まってから短時間であれば、薬によって血栓は溶けて流され、血流は元に戻ります。しかし、わたしに血栓が詰まったのは2002年のことです。血栓を溶かす薬を臨床で使うか使わないかは、確定していなかったはずです。わたしはその薬を使えなかったため、脳の細胞が、一部、壊死してしまいました。おかげで右半身にまひと失語が残りました。まひの認定では2級の重度身体障害者になりました。

 

 ちなみに、まひは身体障害です。失語は高次脳機能障害です。両者は別ものですが、昔から失語症は身体障害とされていました。

 

 わたしの他の障害についても触れておきます。わたしが自分で判断した限りでは、記憶障害や易疲労性、それと感情が漏れ出すという「感情失禁」この「感情失禁」という言い方は、あまり好きではありませんがあります。記憶障害のほうは、おそらく短期記憶障害です。複数の物を憶えておいて、時間が経ってからそれがなんだったかを答えるというチェック法がありますが、この試験で、わたしはどうしても憶えたはずの物が思い出せません。これは今も同じです。

 

 易疲労性というのは疲れやすいことです。不思議なのですが、わたしの場合、少しずつ疲れが増すというより、一定の時間が経つと立っていられないほど疲れが出るというタイプです。今は講義はありませんが、大学に勤めていた現役時代は講義やセミナーが教員の義務としてありました。わたしの失語は5分ほど無理やりしゃべっていると、後はスムーズにことばが出て来るのですが、2時間もしゃべると、とたんに失語が優勢になってしまいます。ですから、大勢の人の前でしゃべる時は、2時間が限度なのです。

 

 いずれにせよ、わたしにはこのような障害があります。しかし、普通に生活している限り聴覚失認はありません。というより、聴覚失認とか純粋語聾(ごろう)とか、最近の言い方では中枢性聴覚処理障害といった症状はない、ことになっているのです。それでも、ふとした弾みで、ご婦人と会話した夕食会で出た症状が出ることがあります。医学的には説明できないことかもしれません。

 

 普段のわたしに聴覚失認はないのですが、わたし以外の高次脳機能障害者には、普段から、耳は普通に聞こえるのに、ことばを理解できないという方がいます。それもあちこちにいらっしゃいます。もちろん「高次脳機能障害者はみんな聴覚失認」というわけではありません。ただ、そんな人は、聴力は普通なのですから、脳がダメージを負ったことが原因で聴覚失認になったことは間違いありません。

 

 わたしは最初、世の中からことばが消えてしまった人の気持ちを理解できませんでした。ふわふわと漂うような気持ちでしょうか。それとも何か固い物に閉じ込められたような気持ちでしょうか。いずれにしても不安なことに変わりはないでしょう。

 

■聴覚失認で失語症の前田さん

 

 わたしが失語症になってから親しくなった方が何人もいらっしゃいます。前田ショウコさんはそのお一人です。

 

 前田さんの聴力は普通に保たれているらしく、ふとした時に「聞こえた」とおっしゃることがあります。しかし、普段は何も聞こえません。その上、発話ができません。それでいて、彼女はいろいろな場所に積極的に出かけて行くのです。

 

 コミュニケーションのために「磁性メモパッド」を持ち歩きます。「磁性メモパッド」とは、磁力だけでペンで書いたところが黒くなり、用が済んだら、また専用の磁石でなぞれば消えるというすぐれものです。子ども向きの「お絵かき磁石ボード」のおとな版です。前田さんは連続した表音文字(ひらがなやカタカナのことです)が読みにくいという、失語症者に多い症状もお持ちです。聴覚失認、プラス失語症というわけです。

 

 快活な方で、話していると前田さんが年配のご婦人だということをつい忘れてしまいます。わたしと同年配で、博物館好きです。生き物が好きだとおっしゃっていました。

 

 わたしが主催していた社会人向けのセミナーにも、おもしろがって参加してくださいました。ただし、他の講師のセミナーには出たがりません。講師に知識がないと、前田さんのような人と、どうやってコミュニケーションしたらよいのか見当がつかないのです。知的障害者なら、わかりやすいことばに言い換え、ひらがなを多用すれば、伝わることもあります。しかし、前田さんは知的障害者ではありません。脳の機能で、ことばに係わる部分だけが障害を受けているのです。ひらがなやカタカナで書くよりも、漢字を使った短い文章で表現する方が伝わるのです。

 

 セミナーの時、わたしはその日喋ろうと思っていたことを大きめの文字で印刷して、セミナーの前に前田さんにお持ちしました。前田さんはそれを読んで、顔を輝かせて喜んでくださいました。

 

 前田さんの場合、視覚や触覚、嗅覚が残ったことは、快活さを失わず、活動的であり続けたことの基本だったと思います。感覚の多くが残っていたことの貢献が大きかったに違いありません。成人してからの障害だったので、手話は覚えられませんでしたが、いろいろな物事の概念は学校教育を通じて、十分認識されていました。その知識を応用して、興味のあることに何でも挑戦しているのだろうと思います。

 

 持って生まれた明るい性格も幸いしたのでしょう。前田さんは話してみるまでは障害者だとわかりませんし、相手が前田さんの障害を認識して、内容を「磁性メモパッド」に書いてくれても、多少のわからないことは類推で補い、それでもわからないことは笑い飛ばして気にしないのです。それがいいのかどうかは別にして「笑い飛ばして気にしない」態度は豪快に見えます。豪快には見えますが、一方でそれは相手を思いやる、前田さんなりの繊細さの表れなのかもしれません。

 

 

***

 

 

 

 前田さんのように快活な方でも困る時があります。それは災害が起こり適切な行動が求められる場面です。ラジオや地域の防災無線はもちろんですが、テレビでも、緊急時にはことばで災害情報を伝えることがよくあります。この時、アナウンサーが肉声で伝えることが多いのです。ところが、聴覚失認の方は脳にことばが届いてからのプロセスがうまく働かないのですから、ことばで伝えられてもよくわかりません。聞こえていることが理解できないのです。

 

 津波の時に「すぐに逃げろ!」というのと、地震の時に「今はまだ外に出ると危ないから、うかつに動くな」というのでは、指示がまったく異なります。それをうまく伝えるためには、どうすればよいのでしょうか……

 

■わたしの体と障害をめぐるフィールド・ワークへ

 

 冒頭で触れた、ある病院の事務をなさっていたご婦人は、夕食会の最後に「今日は楽しかった」とおっしゃいました。そして、最後まで、わたしの様子が変だったことには触れませんでした。

 

 一方、わたしはといえば、突然、何を言っているのかが理解できなくなったのですから、今から思うと、慌てて当然だったのかもしれません。しかし、その時は妙に落ち着いたままでした。

 

「相手は病院の関係者だから、きっと高次脳機能障害者にも慣れているに違いない。それに、たとえそのご婦人がわからなくても、周りには、普段から高次脳機能障害者の手助けをしている人が多くいる。わたしが突然ひっくり返っても、きっと慌てることはないだろう」

 

そんなふうに考えて、ゆったりと構えていました。

 

 そして、その時は気が付きませんでしたが、後になって考えてみると、自分にはわからなかった聴覚失認者の体験を、ほんの少しだけですが、できたのだと悟りました。わたしの「聴覚失認」を「突発性難聴みたいだ」という人もいましたが事実はそうなのかもしれませんが、医学的な分類は、この際、どうでもよいのです。

 

 (突然、ことばが理解できなくなった)

 

 (耳は確かに聞こえていた。自分はちょっぴり不安だったが、ゆったり構えてもいた)

 

 (新しい体験を、ほんの少しだけした)

 

 (わたしのような人類学者にとって、この「聴覚失認」経験は、別の世界に触れるまたとないチャンスかもしれない)

 

 

 幸か不幸か、ことばの理解は、すぐ元に戻りました。ただ、それから少しずつ変わっていく自分も感じていたのです。

 

(三谷雅純 「ことばを失う」の人類学 わたしをフィールド・ワークする 第1回おわり)

 

 

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