第3回 笑ってもいいんですか?

第3回 笑ってもいいんですか?

2017.6.29 update.

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■新澤克憲(しんざわ・かつのり)
1960年広島市生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。東京学芸大学教育学部卒後、デイケアの職員や塾講師、職業能力開発センターでの木工修行を経て1995年共同作業所ハーモニー開設と同時に施設長。


■六車由実(むぐるま・ゆみ)
1970年生まれ。民俗研究者、デイサービスすまいるほーむ管理者、社会福祉士、介護福祉士。『神、人を喰う』(新曜社、サントリー学芸賞)。『驚きの介護民俗学』(医学書院、日本医学ジャーナリスト協会賞)。『介護民俗学へようこそ!―「すまいるほーむ」の物語』(新潮社)

 

各界に衝撃を与えた〈幻聴妄想かるた〉、それに刺激を受けてつくられた〈すまいるかるた〉――精神障害者と高齢者と違いはあれど、タブーをかるたにしてみたら、いろんなものが”開いて”きました。

 

(2016年12月17日、きょうと障害者文化芸術推進機構の主催で行われたトークイベント「タブーをかるたにしてみれば」の内容を3回にわたってお伝えしています。今回はその最終回です)

 

 

司会  亡くなったりいなくなったりしたメンバーを思い出すよすがとして、かるたがある。これはハーモニーでもすまいるほーむでも、同じでしたね。

 

 

sun現在の困りごともかるたにしたい

 

六車  〈すまいるかるた〉と〈幻聴妄想かるた〉には重なり合いや共通点を感じていて、嬉しいです。その一方で違うのは、〈幻聴妄想かるた〉は現在の、あるいはちょっと昔の困りごとだということですね。どうしていいのかわからない幻聴妄想を、皆で共有してかるたにすることで少し楽になれる方法が見つけられるということなのだと思います。〈すまいるかるた〉の場合には、そもそも私の思考が民俗学だから、過去のその人の記憶や歴史をどういうふうに留めていくかということに関心がある。その方それぞれの生き方、過去の歴史というものを、文章や形にしてきて、その一つがかるたなわけです。だから、〈すまいるかるた〉は、子どものころや若かりしころの思い出を留めていて、そのエピソードからその人を知るというものが多いです。

 そうはいっても高齢者も、現在のどうしようもない現実や、できなくなってしまったことへの戸惑いなど、実はいろんな問題を抱えています。でも、それはなかなか口にはしないんですよね。自分がなった病気を列挙していくみたいな、おばあちゃん同士の病気自慢ってあるじゃないですか(笑)。それもいいんだけれど、もう少し現実的なもの、〈幻聴妄想かるた〉の「ご飯の食べ方がわかんなくなった」みたいなこともたくさんあると思うんです。そういうことを仲間同士で相談することはほとんどなくて、むしろケアマネさんとかスタッフ側が解決してあげるみたいな形になってしまいます。そうしたことを共有できる場として、かるたを作っていけたらいいなって思っているのですけれど。

 あと、80代、90代の人たちですから、いつ亡くなるのかわからない恐れのなかで生きていらっしゃるわけです。自分の死というものをどう受け止めていくかということでも、かるたは一つのきっかけになっていくのかなと思います。そんな意味でも、〈幻聴妄想かるた〉から刺激を受けることがいろいろあります。

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《ごはんの食べ方がわからなくなった》の絵札

 

 

sun立場の逆転も

 

六車  さきほど新澤さんがが「知識の集積」っておっしゃいましたが、私にとって「記憶の集積」ではあっても、知識、知恵の集積というふうには考えてなかったので、それはちょっとこれから試みたいですね。

 この前ハーモニーに伺ったときに、悩み相談室みたいなのがあったじゃないですか。若いお客さんが自分の糖尿病の相談をされていて、それをそこのメンバーの人たちがアドバイスするっていう。それがすごく面白くて、あれは高齢者でもやりたいなと思っていて。

 

新澤  できますよ。

 

六車  それはまさに「知恵の集積」になると思うんですよね。たくさんの知恵の集まりですから、たとえば子育てについて悩んでいるお母さんがどうしたらいいだろうって相談して、それに対していろんな意見を出して、それをかるたにしてみるっていうのもちょっと面白いかなと思ったりしています。

 あの「お悩み相談」はどうしてあのような形になったんですか。

 

新澤  六車さんのお話にもあったけど、スタッフと利用者の非対称性というのかな。いつも困っているのは利用者さんで、それを解決しなきゃいけないのはスタッフだという、そういった思い込みに縛られて、双方が苦しい思いをしている。かるた作りを通じて、そういった思い込みを少しずつ壊すことができてきているとしても、もっともっと壊せるのではないかと思っています。

 利用者さんは困っているネタでかるたを作るんだけど、いつも困っているだけの人じゃなくて、人の悩みの相談にも乗れる。立場の逆転ができないかなって常々思っています。そんななかで、毎回必ず実習生が来ると、「悩みごとをひとつ聞かせてよ」って言って、それをメンバーが解決する。「(その原因は)悪の組織です」みたいな回答だったりするんですが(笑)。そういう根も葉もない根拠のない回答もあるけれども、本当に真面目に相談に応えている。

 というのも、彼らは施設を利用している人ではあるけれど、実はお家に帰ると、年老いたお父さんお母さんの面倒をみていたり、家族内では介護の担い手である場合もあるんです。いろんな知識を持っているのに、それを発揮できる場がない。それは同じ仲間たちを助けるためにも使えるだろうし、そうじゃない人にも使える。立場が逆転することで生まれるものがあります。まあ、特に社会的な意義というより、単にぼくが面白そうだなと思っただけなんですけど(笑)。

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実習生をまえにご機嫌

 

 

sun「こうしちゃいけない」ではなく、「こうすると面白い」

 

司会  お話を聞いていると、おふたりとも支援者と非支援者というような境目をなくしていこうとされている気がします。そのあたりの心構えなどはありますか。

 

六車  心構えというよりは、たぶん新澤さんも私も、そういう固定された関係が心地悪いんですよね。

 

新澤  そうですね。

 

六車  介護とか福祉の現場が行きづまってしまうのはそこにこそあるんじゃないかって思うんですよ。もっと、介護する側・される側とかではなくて、そこで「人と人」としてみんな一緒に生きていける場にしたい。

 回想法は私も勉強したんですが、聞き書きと共通する部分もあるんですよ。だけど私は回想法の何がダメだったかというと、いくつか決まりごとがあったんです。

 たとえばメモを取ってはいけないと言われました。真剣に聞いていないように思われるからと。組織によって説明の仕方が違うみたいなのですが、私が行ったところではそういうふうに説明されました。あるいは、質問はいいけど否定はしちゃいけないとか、オウム返しがいいとか、とにかくいろんなルールがあることで心地悪かったんですね。「そんなこと言ってたら聞けないじゃん!」って思って。素直に聞きたいじゃないですか。「え、そうなの!?」って。

 そう言ったからといって語ってくれる方が不快な思いをするとは限らなくて、「いや、そんなことはない」ってさらに説明をしてくれて、ようやくお互いに分かり合うみたいなところがあるんです。だから福祉は、「こうしちゃいけない」じゃなくて、「こうすると面白い」というところで深まっていったり広がっていったりすると思います。そのほうが、働いている人にとっても気持ちがいいと思うんですよね。

 

 

sun「うちはよくない、変わったことをしています」(笑)

 

司会  福祉現場ですと、どうしても事なかれ主義というか、荒立てないようにしてしまう文化がありますね。

 

新澤  だからだんだん息苦しくなっていく。ぼくも最初は、利用者が「こういう幻聴が聞こえるんです」って言ってきたときに、「裏の面接室に行って話しましょう」って、一対一での世界で聞いていました。隣で一緒に働いているメンバーが何に困っているのか、それすらもお互いに知らない関係でした。1年間ひたすら30分ずつ面接を繰り返しても、何も解決がつかないんですよね。ただぼくが「うんうん」と言って、「聞いてくれてありがとう」と帰って行く。誰もその人の困りごとを知らないから、お正月などの長期休暇でその人が苦しんでいるときにはぼくが行くしかないという……。

 それで行き詰まったときに、思い切って部屋の外やミーティングでそういう話を始めたんです。すると解決策も仲間が出してくれるし、Aさんが困っていることをBさんもCさんもみんな知っているんですね。すると、本当に日頃の仲間のつきあいのなかでフォローしてくれる。「こんなに調子が悪いんだから、新澤を呼ぼう」って、最後にぼくの携帯が鳴るんですよ。それまでは「明日は何時に集合ですか」ってことまで、ぼくの携帯にかかってくることがあった。

 みんなの前でそういう話をしはじめて、結局、ぼくが楽になったというのがあると思います。それを「いいですね」って聞いてくださる方もいるんですが、「とんでもないことだ」と言う方もいます。基本的には、個人情報の漏えいになりますよね。「Aさん今日、幻聴が聴こえてるんだってさ」と言って回るわけですから。「みんなもそれで困ってるんだからミーティングでその話を共有しようよ」って(笑)。それは個人の秘密をバラしているだけだろう、そういうことはしてはいけないっていう同業者がいるのも事実です。

 だから、ぼくはその件については責任を持つというか、覚悟を決めている。ハーモニーでは「ミーティングはみんなでやる」ということにしている。メンバーにとっては、そのほうが楽そうな気がするので。ある人が幻聴で困っているというのはみんなが知っていますから、長い休みのときにぼくが行かなくて済むようになった。メンバーが食べ物を持って行ったり、ちょっと薬を分けたりといった、よくないこともしているようですけど(笑)。

 そういうことも含めて、みんなで支えていく。力むんじゃなくて、集団を力付けていく、集団を作っていくという意識で考えていますね。だから実習生が来ると、「うちはよくない、変わったことをしています」って言うことにしています(笑)。

 

司会  ハーモニーさんに行った時に、「居場所色」が強いというか、皆さんが安心して居られる場所という印象を受けました。そのような実践で失敗したことはないですか。

 

新澤  そのあたりは裏腹ですよね。自分の秘密を話したのに解決がつかなかったら言いふらされたって思いますから。「ごめんね、ごめんね」って、謝るしかないですよね。日々失敗です。

 

 

sun笑ってもいいんですか?

 

司会  それでは、そろそろお客さんから質問や感想などありましたらお願いします。

 

観客1  〈幻聴妄想かるた〉について質問が二つあります。一つ目は笑える/笑えないの境界線はどこかということ。自分が笑えることでも、他者は戸惑ってしまうかもしれません。その境界線はどこにあるんでしょう。

 

新澤  それ、よく質問されます。ハーモニーに来る見学者の方が「私は面白いと思うんですけど、これは笑っていいんですか?」とぼくに聞かれるんですが、「本人に聞いてください。」と返します。

 また、かるた大会に来られていたある方は、メンバーに「あなた笑われているけれど不愉快じゃないの?」と聞いていたんですが、メンバーは「そんなことないよ」と答えていました。「ひとりでいると幻聴や妄想があるけれど、みんなでかるたを作っているときにはないし、かるたの話をしてるのは好きだから、笑われてると思わない」と。

 きっとそれぞれが苦痛ではないからやっているので、だから笑ってもいいように思います。少し前に24時間テレビが「感動ポルノ」だと話題になりましたが、逆に笑うべきだとも思わないです。すべて感動につなげる必要もないし、すべてを笑う必要もない。普通でいいです。

 

観客1  ありがとうございます。もう一点、以前はお金を稼がないといけないと外部から圧力があったとお聞きしましたが、現在はかるたでうまくお金は回っているんでしょうか。

 

新澤  えーと、世田谷区内の公園を清掃したほうが儲かります(笑)。でも、皆さんに講演に呼んでいただくのがいちばん嬉しいです。交通費・昼食代・時給1000円くらい出すと、メンバーとぼくが行ってみんなでかるた大会ができる。優勝者は握手もしますし(笑)。

 

sun支援と別のツールを持つことが、場を豊かにする

 

観客2  私は精神病棟で看護の助手をしています。今日お二人の話を聞いて、一人でも二人でもいいから少しでも時間をとって、こちらがわからないことは聴けるような、話し合える関係を作っていきたいと思いました。

 私自身、病院の仕事のなかで救われた経験もありまして、患者さんに「太く短くはあかんで、長く細く生きや」と言われました。その方は人生の大先輩なんですが、はじめは「この人に何でこんなことを言われないといけないんだ」と思っていました。今になったら私の恩人といいますか、どんな障害を持っていても、人として暖かく響くそういう言葉は一生忘れられない。そういったことを今日、思い出しました。ありがとうございます。

 

六車  介護とか福祉の場でのかかわりは、一方的というか、一面的になりやすいと思うんですね。特に重度の方は医療的な問題もたくさんあります。レビー小体型認知症の方は、幻覚だけでなく身体症状もかなり出ますし、自律神経の問題や薬の管理などの問題も出てきます。ケアにとても気を使いますし、いろいろ勉強もしなきゃいけない。ですが、気がつくとその人を「患者さん」として見ている自分がいるんです。これじゃダメだなと。ダメっていうのは、その人にとってもだけど、自分も苦しいからダメだなと思うんです。

 そのときに、私にとっての聞き書きはケアや支援とはまったく別なかかわりになる。支援を超えたというよりは、支援をいったん置いといて聞き書きをする。そこがポイントかな、と思います。

 聞き書きでなくてもいいんですけど、支援とは別のツールを持つことが、その場所を豊かにするためにもお互いを楽にするためにも必要だと思います。いろんな方法があると思いますが、かるたはすごく作りやすいんですよ。文章も短いしその場で作れるので、行きづまったらかるたを一緒に作ってみるとかしてみると、ちょっとずつ変わっていけるのかなと思います。

 

すまいるかるた聞き書きの様子.bmp

〈すまいるかるた〉聞き書きの様子

 

新澤  かるたを作るのはいいと思います。かるたを作ると話を聞くことになるし、支援のなかではしない話もできる。支援では「今」しか見ることができないけれど、その人の「前」まで遡っていくというのが支援にはない深みになっていく。そういった意味で、場としては豊かになっていくと思います。その時間を捻出する大変さは、職場によって違いますが。

 

 

sunオムツ替えるのも大事だけど……

 

司会  組織の問題もありますよね。

 

六車  そうですね。以前の職場では左遷もされましたし。孤軍奮闘してきて、職場を移動することでやっと救われました。最近は、私の本の読者とか講演を聴いた人の中で、「やってみたんです」と、実際現場で始めてくれている方もいるんですね。だけど、やってみて、本人も利用者さんも楽しかったのに、他のスタッフが認めてくれないという例もよく聞きます。休み時間に聞き書きをしているのに、「そんなことをするのはその人のためにならない」だとか「自立ができない」だとか言われて、聞き書きができない状態にあるなどの悩み相談もいくつも寄せられています。それは組織のトップになる人の考え方の影響が大きいですよね。

 もう一つはとにかく形を作って、他のスタッフにもわかる形にしていく。「何をやっているかわからない」ということが非難の対象になるので、それを「見える化」していく。利用者さんへも、どう受け止めているのかわかる形にしたり、こうした方が楽なんだと伝えていく方法を考えていったり。

 

新澤  オムツ替えるのも大事だけど、そこは置いておいて、その他の豊かさをどうわかってもらうかですよね。就労施設にアート活動を持ち込む際にもそういったジレンマはあるでしょうね。でも、制度のなかのサービスだけでは人は豊かになれないんだということを、もう一度みんなで確認したいという思いが出てきている。当事者が実際にそう話してくれることもあります。少しずつ、働くだけ、訓練だけではないというのが見えてくるのかなと思うんですが、まだまだ現場は大変だなと思います。

 

司会 作品を作る施設や作る人は注目されることが多いのですが、そこに向けた支援者の目線はなかなか議論には上がらないところです。今回、お二人をお呼びしてお話しいただいた意図として、現場を豊かにしていく支援者の目線の大切さもうかがいたいという思いもありました。ご質問あれば、もうお一方ほど。

 

 

sunポルシェはどうなった?

 

観客3  最初の方に出てきた、ポルシェに乗って奥さんがやってくる話がありました(第1回参照)。実際に張り込みをされたとおうかがいしましたが、当然ですけど、奥さんは来ないんですよね? そうなると、幻聴や妄想が本当に幻であるということを本人に認識させてしまうことにはならないのでしょうか?

 

新澤  大丈夫、次の週はフェラーリになりますから(笑)。

 そういったことが妄想だとわかって、本人ががっかりして(妄想が)なくなるというのも綺麗な支援の形としてはあると思うんですけど、多くはそうはいかずに、「奥さんはフェラーリに乗り換えたんだ」とか、話しは尽きないですね。

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《遠慮なくフェラーリで待ち伏せ 「彼と付き合っているのは私」

 ハーモニーの皆は全員知っている》の絵札

 

観客3  そういうイマジネーションの歪み方が、かえって――こういった言い方は好きではないのですが――こちら側から見ると驚きで新鮮にも見える。こちらも、ひと段階、飛ぶような気持ちになれるんです。

 

新澤  そうそう、それが楽しくて仕方ないし、そう思ってもらえると嬉しい。

 

司会  ありがとうございます。そろそろ時間ですので最後にそれぞれ一言ずつお願いします。

 

六車  今日一日、雑談も含めてお話をさせていただいて、なんでこんなに共通している部分があるんだろうって。もちろん、私は〈幻聴妄想かるた〉を真似したので共通点があるのは当然なのですが、前提となるところが同じなんですよね。それが嬉しいのですが、不思議でもあります。きっと現場で葛藤していくなかで、向かっていった先が同じだったんだろうなということなんですかね。

 

新澤  そうですね。初めて会った気がしないというか、いくらでも話してられるという感じになります。きっと同じような問題に突き当たって、自分の力ではなく、仲間の力や目の前にいる利用者さんの力を借りつつ、場を作っていくということが共通しているような気がします。でも、日本中で2人だけではなくてたくさんいるでしょうし。北海道でかるたを作っている人もいるかもしれませんし、二人で探しにいきましょう。

《タブーを「かるた」にしてみれば 新澤克憲×六車由実》了

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