かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2016.5.16 update.
日常の看護のこと、学生時代の思い出、中南米のめずらしい食べ物、そして看護をめぐる世界の出来事まで、柔らかな感受性で縦横無尽に書き尽くしたブログ《漂流生活的看護記録》は圧倒的な人気を誇っていました(現在閉鎖中)。
その人気ブログを、なんと我が「かんかん!」で再開してくださるとのことッ! これはこれは大変な漂流物がやってまいりました。どうぞ皆様もお楽しみに!
ちょっと考えるところあって先月から大学院生になった。進学はいずれ機会ができたらするかとは考えていたのだが、それほど近い現実問題として考えていたわけではなかった。
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7年前ボリビアで看護教員をしなくてはいけなくなったとき、それまで教員経験もなく、まったくのシロウト状態でさてどうやって授業を構成しようかと困り果てていたときに「インストラクショナルデザイン」の本を見つけ、それでどうにかしのいだことがあった。
その著者が西日本の大学で教授をしているということは、数年前に『看護教育』(医学書院)への寄稿を読んで知っていた。しかし最近になって都内にある大学の大学院教授に就任したと聞き、これはぜひ行かねばならないと思い進学することにした。教授にはまだ、ボリビアでどれだけあの本に助けられたかという話はしていないのだが。
バンバンと肩を叩かれて……
さて、わたしも細かいことは気にしない(というか気づかない)かなり大雑把な人間なのではないかと思っていたのだが、この教授はさらに上を行く「気にしない」人だった。
受験前に出願審査(学校教育法の改正により、医療資格がある場合、既定の年齢に達していて大学独自の審査を通せば専門学校の修了生も受験はできるようになった)に際して相談にうかがったところ、
「あなたはねえ……これだけ実績も積んできてるし、もう博士から審査通したらいいわよ! 大丈夫よできるから! っていうか教えることもうないわよ。だから自分で興味のあることどんどんやっちゃってちょうだい、私が教わるから!」
オオラカかつ豪快にこう言われて、さすがのわたしも「楽できるぞラッキー♪」と思うどころか、ものすごく焦った。
「いや……そうはおっしゃられても……研究に関しては方法論もきちんと手順を踏んで学んでいませんし……お恥ずかしい話ですが、この年齢になってどれだけ面倒でも『基礎知識を積み上げる』ことがどれだけ大事か遅まきながらわかってきたものですから……」
シドロモドロで答えると、
「あらそうなの? じゃあ、ちゃんと博士までうちにいて取りなさいよ! 最後までキッチリつきあうわよ!」
肩をバンバン叩かれてこう言われ、これはここの大学に、いやこの教授のもとにいるしかないなと思った。
犬小屋どころかエサ箱さえも
看護学校という3年間のカリキュラムの中には、研究方法論に関する講義はほとんどなかった。わたしは卒業時のケースレポート作成前にわずか1コマ程度のレクチャーがあっただけと記憶している。
これは学部卒でもあまり差はないようで、それがよく他の医療職から「夏休みの自由研究」と揶揄される臨床の「看護研究」の原因でもあるのではないかと思う。日々の業務をしながら研究をする若手の負担もさることながら、その研究課題にOKを出す立場の看護部の上の職員とて研究が何かよくわかっていないのだから、たとえまともなリサーチクエスチョンが上がってきても取り上げられるはずもない。
ここで最初に言われたのは「修士で犬小屋、博士で物置が建てられたら万々歳」という言葉だった。
大学院ではきちんとした研究の進め方と論文の書き方を学ぶことが目的なので、最初からインパクトのある研究をしよう、立派な戸建ての家を建ててやろうなどと欲はかかなくてよろしい、まずは犬小屋レベルから始めなさい、家やマンション建てるのは雨漏りしない犬小屋や物置が建てられるようになってから、そして世間で修士や博士取っている人といったところで、大体は犬小屋や物置なんだから決して委縮せずに堂々とやりなさい……ということらしく。
わたしもそういうものだろうなとは考えていたし、自分がその犬小屋のエサ箱すらまともに組み立てたこともないのは自覚していたため、とりあえずの犬小屋として、かなり陳腐な(先行研究が多いという意味で)テーマを設定していた。
ところが先行研究の文献クリティークを始めてすぐに「本当にこれに興味があったの?」と思いはじめた。
1か月足らずで、つまずいている……早すぎる。
この際小骨を抜こうか、バンバン!
そこで教授に「どっち向かっていいか方向がわからなくなりました」と言うと、こう言われた。
「こういうところに進学してこようと思う看護師ってね、臨床で何らかの問題や疑問があるから解決策を探しに来るものなのね。その問題や疑問っていうのがけっこう年季が入ってたりするんだけど、それはずっと喉に引っかかったアジの小骨みたいなもんでね、それが抜けないと次に進めないの。だからこの際、小骨抜いちゃいましょうよ」
たしかにずっと、看護師になる前から引っかかっていることはあった。とはいえそれはもう少し後になってから、ライフワークとしてやっていく問題であると考えていた。
「でもその小骨だと、ちょっと話が大きくなるので、犬小屋ですまなくなりそうなんですが」
「大丈夫よー、一軒の家だって玄関タイル貼ったり門柱建てたり、小さいピースの作業に分けられるでしょう? そのへんからやればいいのよ! どっち向かっていいかって、あなたの場合は自分に向かって突っ走って行けばいいじゃない! そして私はそれを教えてもらうってことで! ね?」
また肩をバンバン叩かれて励まされ。
ああこれでもう適当なところで降りられなくなってしまったな、と連休明けに覚悟を決めることになってしまった次第。そして、喉に小骨が刺さっているという訴えで病院に来る人のほとんどはもう抜けてしまった後で、その傷が痛くて来てるってイヤーノートにも書いてありましたよ、と教授にはまだ言えずにいる。
(えぼり「漂流生活的看護記録」第10回 了)