第9回 寄り添う人々

第9回 寄り添う人々

2015.8.12 update.

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えぼり

日常の看護のこと、学生時代の思い出、中南米のめずらしい食べ物、そして看護をめぐる世界の出来事まで、柔らかな感受性で縦横無尽に書き尽くしたブログ《漂流生活的看護記録》は圧倒的な人気を誇っていました(現在閉鎖中)。
その人気ブログを、なんと我が「かんかん!」で再開してくださるとのことッ! これはこれは大変な漂流物がやってまいりました。どうぞ皆様もお楽しみに!

 

 

前回のウルグアイの旅から、半年もたたないというのにまた南米に舞い戻ってきた。今回は真冬のブエノスアイレスへ。以前から大ファンのテノール歌手、ホセ・クーラの出演するオペラを観るためにやってきた。

 

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bell クーラの凱旋公演、観るしかあるまい!

 

数年前からクーラ自身は指揮や舞台演出を手掛けることが増え、オペラ歌手として出演することは少なくなってきていた。今回も「カヴァレリア・ルスティカーナ」のほうには出ず、「道化師」のカニオ役のみの出演だった。

(通常、主役級のテノール歌手は「カヴァレリア・ルスティカーナ」のトゥリッドゥ役と「道化師」のカニオ役を通しで出演することが多い)

 

しかし、クーラが祖国アルゼンチンで、アルヘンティーノとしての「らしさ」を追求した演出で挑むという演出計画の記事を読み――以前にもイタリアやスイスで彼演出の舞台はあったとはいえ――これはとにかく観に行くしかあるまいと思った。

 

Cavalleria Rusticana 2015 - Teatro Colón

 

舞台はブエノスアイレスの南にあるボカ地区、タンゴ発祥の地といわれるカミニートで繰り広げられる。

 

本来独立した別々のふたつの物語の登場人物たちが、「カヴァレリア・ルスティカーナ」では次の「道化師」の伏線として、そして「道化師」では先の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の登場人物たちが後日譚としてそれぞれのドラマを舞台の中でひっそりと営み続ける。

 

そして全編を通じて、嘆き悲しむ人の横には、黙ってただ寄り添う人が必ずいる。この動画の中では、サントゥッツアの横でそっと祈り、気づかう貧しい青年が。「道化師」ではあの有名なアリア「衣装をつけろ」のシーンで泣き笑いのカニオの横で、ただ黙って手を取り見守っている酒場の女主人が。

(こちらは「カヴァレリア・ルスティカーナ」で息子トゥリッドゥを殺されたママ・ルチアがそのまま演じている)

 

カミニートの街並みや、ときおり流れるカルロス・ガルデルの歌うタンゴ、バンドネオンの音よりも、この「寄り添う」人々の果てしなく優しいしぐさが、わたしが今まで出会ってきたアルヘンティーノたちの姿を思い出させ、なにより「らしさ」を感じさせるものだったと思う。

 

 

bell 貧しても鈍しないために

 

今回の凱旋公演で、クーラは、アルゼンチン上院から文化芸術功労者として表彰された。現地新聞や雑誌でのいくつかのインタビュー記事の中で彼は、「いま人々が直面しているのは、道徳的な危機である。経済的危機はあくまでその結果でしかない」と語っている。そして「資本によって手に入れられる芸術は、誰にとってもよい効果をもたらさない」と断じている。

 

日本には「貧すれば鈍する」「衣食足りて礼節を知る」という言葉があり、それも事実ではあるだろうとわたしは思うが、鈍した心が貧をまねくというのもまた事実としてあるのだと常々感じている。そして鈍した心にいかに後から資本をブッ込んでも、本当の意味での「礼節」はなかなか身につかないということも。

 

だから「鈍してしまわないための」サバイバル術として、この国の人たちは(相変わらずの経済的苦境にありながらも)、芸術に向かおうとするのかもしれない。そのへんで映画やミュージカルを楽しむ程度の数百ペソで入れる、パライソ(=天国)と呼ばれる天井桟敷の席に鈴なりの観客の姿を見て思う。

 

 

bell なぜかアルゼンチンでアジ演説??

 

ブエノスアイレスではかなり頻繁に、大通りを封鎖した大規模なデモが行われる(「コルテ」とか「パロ」といわれる)。

 

ある日、友人の家をたずねるためにコリエンテス大通りという劇場や書店の多い通りを歩いていると、コレクティーボ(市内路線バス)の60番線従業員たちの、賃上げと労働環境改善を求めるパロが行われているのを見かけた。

 

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わたしが写真を撮っていると、「セニョーラ! モデル料は高いぞ!」「俺らトップモデルだからな!」とコレクティーボ運転手のおっちゃんたちが口々に声をかけてくる。関西で生まれ育った者としてはなんだかものすごく親近感がわく。

 

するとデモの先頭でトラメガを持っていた男性がわたしにトラメガを手渡し、何かスピーチしろと言う。急にそんなこと言われても……と思いながらもわたしはトラメガを持ち、「Amigos! Trabajadores! 友よ! 労働者たちよ!」とつい叫んでしまった。

 

「日本からあなたたちの友が来ましたっ! わたしも一労働者です! 連帯せよ! 闘おう! ありがとう!」

 

すると、「うおおおおお! ルチャモーーース!(闘おう!)」と地鳴りのような叫びがデモ隊からわき上がった。

しまった、ウケてる(焦)、、、何やってるんだろうわたし。

 

そしてデモの最前列にいた何人かが駆け寄ってきて、わたしを囲んで言う。

 

「日本から来たのか! 遠い国から応援ありがとう!」

「だって70年ぐらい前にエビータが日本にミシンや毛布送ってくれたでしょう? 最も遠い国だけど、最も冷淡な友であってはいけない、って言って」

「ええ子や」

「あんた60番線どこでも乗り降りフリーにするよ! 使ってくれ!」

 

 そう言って、みんなで記念撮影をしてハグして別れた。

 

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bell 誇り高く生きる、とは

 

そんなこんなで友人の家への到着は少し遅れた。

 

3年前に初めてブエノスアイレスに来たとき、わたしはこの友人の家に忘れ物をしていったのだが、こんな遠い国の、ふらふらあちこち旅をしているいつまた来るかどうかもわからない人間の忘れ物を友人はきちんとそのまま保管しておいてくれていた。

 

友人もまた同業者(看護師)であり、20年以上がん看護を専門に働いてきた人である。わたしは前回彼女に会ったとき、「治って(自立して)生きていく人」と「治っても他者に依存しながら生きていく人」と「治りもしない死にゆく人」への、自分でも無意識につけていた目線の差をかなり厳しい言葉で指摘された。

 

「丸裸のただの命を看なさい、みんな結局それしか持っていないんだから」と。

 

しかし実際に「人間」を素の状態にして見ることは、属性で振り分けて見る以上にしんどいことでもある。長くそうしてきた彼女には本当に尊敬の念しかない。

 

帰国の日、ダルセナ・ノルテ港にあるエセイサ空港直行バスのターミナルへ行くため乗ったタクシーの運転手が「悪いけどちょっと遠回りするよ、7月9日大通りのオベリスコ周辺は通りたくないんでね」と言う。

 

「またパロやってるの?」

「わからないけど、きのう市長選があったからね、始まる可能性がある」

「ブエノスアイレスはいつもパロだねえ」

「問題だらけだからね、俺たちも黙っちゃいないし」

「問題だらけのブエノスアイレスだけど、わたしは気に入ってるよ。ポルテーニョはオルグジョーソ(プライドが高い)っていわれて、一見無愛想だけど、でも友達になれば見たこともないほどとことん愛情深くて」

「それがわかるセニョーラもオルグジョーサだよ。いいかい? オルグージョ(プライド)ってのは、勝ち誇ることじゃない。他者を認めて愛する能力のことだ、オルグジョーソ! 最高じゃないか!」

 

そう言って、本当に楽しそうに笑った。

 

「誇り高く生きる」とはどういうことだろう。わたしはブエノスアイレスに行くといつもこのことを考える。

(えぼり「漂流生活的看護記録」第9回 了)

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