第4回 ヘアドネーション

第4回 ヘアドネーション

2014.10.23 update.

えぼり イメージ

えぼり

著者のえぼりさんは意識障害患者を多く抱える中小病院で看護師を続けるかたわら、国際医療支援のためだったり、ただ気が向いただけだったりで世界のあちこち、特にスペイン語圏を漂っていらっしゃいます。
日常の看護のこと、学生時代の思い出、中南米のめずらしい食べ物、そして看護をめぐる世界の出来事まで、柔らかな感受性で縦横無尽に書き尽くしたブログ《漂流生活的看護記録》は圧倒的な人気を誇っていました(現在閉鎖中)。その人気ブログを、なんと我が「かんかん!」で再開してくださるとのことッ! これはこれは大変な漂流物がやってまいりました。どうぞ皆様もお楽しみに!

 

先日、ずっと伸ばしっぱなしにしていた髪を切ることになった。

 

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長い髪は海外でウケるけど

 

思えば看護学校を卒業したあたりからほぼ放ったらかしにしており、10年ぐらい特に手入れもせず、たまに毛先を自分で切るぐらい。それでもここ数年は白髪も増えてきて、赤毛に白髪が混じるというのはかなり目立つものなので、黒く染めるぐらいのことはしていた。

 

これだけ長いと手入れが大変でしょうとよく言われはしたが、本当に洗って乾かす以外のことはしてこなかったし、普段はまるめて上げているだけである(この日も夜勤明けで仕事中ずっと巻き上げていたのでウェーブがかかっている)。

 

実は長い髪より、短い方がこまめに整えたり手入れをせねばならないことが多い。医療支援活動などで何か月と海外に行ってしまうとそういう手入れもできないので、基本放ったらかしでいい長い髪のほうが便利だった。そしてこういう真っ直ぐな長い髪というのは海外でもウケはいい。

 

ケニアにいたときは、わたしが一人で本を読んでいたりすると、どこからともなく女の子たちが集まってきて、みんなでわたしの髪を珍しがって、自分の頭の上にのせてカツラみたいにしてきゃあきゃあ喜んでいたし、バルセロナで地下鉄に乗っていたとき、いきなりぐいっと髪を引っ張られたので何事かと思って引っ張られた方向を見ると、父親に抱っこされた赤ちゃんが満面の笑顔でわたしの髪をつかんでいて、(かなり砂漠化の進んでいた)父親の頭にのせようとしていたこともあった。

 

そういえばいきなり道の真ん中にひざまづいて「あなたの長い黒髪の先の釣り針が、今っ! 僕の心を釣り上げました!」というヘビーなナンパをしてきたイタリア人もいた。とにかくウケはよかった、うん。

 

 

医療用ウィッグという選択肢

 

しかし最近、急に「そろそろバッツリ切ってしまおうかなあ」と思いはじめ、ある日Twitterでつぶやいたところ、あるフォロワーさんから「それだけ長いなら切ってぜひ寄付に」と紹介していただいたのがジャーダックという団体。そこでは白血病やがんの治療、先天性脱毛症や不慮の事故による外傷などで頭髪を失った18歳未満の子どもたちに、人毛100%の医療用ウィッグをフルオーダーで作成し無償提供するという活動をしており、そのために必要な髪の寄付を集めている。

 

リンク先のHPにも書かれているが、医療用のウィッグでしかも小児用となると選択肢が少なく、人毛使用となると非常に高価になる。

 

この仕事をしているとよくわかるのだが、がん治療というのはただでさえ費用がかかり家計を圧迫するもので、その中で高価な医療用ウィッグなどとてもではないが手が出ない。もちろん比較的安価な化繊、アクリル毛のカツラもあるが、人毛とは見た目の違いは明らかであり、そのせいで学校でのいじめの理由になったりすることもあるという。

 

「命が助かればいいのだからそれぐらい我慢しろ」

「治療を受けられるだけでありがたいのに見た目を気にするなんて贅沢だ! 甘えるな!」

 

と言う人も少なからずいるとは思う。あるいは、

 

「外見を理由にいじめる人はかわいそうな人なんだから気にしないで無視するのが一番です」

 

と一見いい人っぽく、実はまったく何をするでもない無責任なことを言う人も。

 

 

これ以上苦労させたくないよねぇ

 

わたしたちが用いる看護診断の中に「自己知覚」という領域があり、その領域の中に「ボディイメージ」というクラスがある。自分の身体がどういった状態で、他者からどう見えているのかの認識である。

 

疾患や治療によって、例えば乳がんで乳房切除した、外傷や疾患で四肢を切断した、大腸がんでストーマを造設した、大きな傷跡が残ったなどの身体の形態に変化が生じたとき、あるいは外見上の変化はなくとも、今までできたことができなくなるなどの機能上の変化が生じたとき、これまで認識していた自己の身体像とギャップが生じる。これを「ボディイメージ混乱」状態と呼び、対処と受容に向けての看護介入の必要な問題として捉える。

 

医学は疾患に焦点をあて、その「疾患」によって起きる患者の内面の生理的な問題を解決する。しかし看護は、(もちろん生理的な問題の正確なモニタリングと状況の予測をしながら)その「疾患」によって起こされる問題を抱えた人間が、外界と関わることで生じうる問題という、社会学的な面までが守備範囲である。

 

「命が助かればいい」「治療を受けられるだけでもありがたい」もまた、医療にとってひとつの大きな原理原則のうちではある。しかし看護師としては「んー、もうちょっと社会的存在として見ていきたいよなあ」と思ってしまうのである。

 

もちろん生じた変化を隠せば問題がたちまち解決するわけではないのは承知の上なのだが、ボディイメージの変容に対処し、受容するには多大なエネルギーを要する。ただでさえ治療でエネルギー使っているというのに、これ以上苦労させたくないよねえ、と。

 

 

いよいよパッツリと……

 

そういうもっともらしい大義名分でもなければ切ることに踏ん切りがつかなかったのかと言われそうだが、正直なところ、最大の理由は美容室選びが楽だったからだ。

 

10年ぐらい放ったらかしだったので、これといって行きつけの美容室がなかった。かといってそのへんにたくさんある中から適当に飛び込みでいきなり入ってみて失敗したと思うのも嫌だしなあ……。そう思っていたので、賛同美容室の中から選べばいいというのが、ものぐさ小心者にとってはありがたかった。

 

わたしが選んだのは、原宿のBREENという美容室。ここでカットしてもらうことにした。

 

その前の用事が大幅に長引き、予約時間を1時間以上過ぎてから来店したにもかかわらず、丁寧に応対していただき恐縮。切った髪は美容室から直接送ってもらえることになっていて、これもまたものぐさ小心者にはありがたく。

 

そしてまた半年から1年ぐらい、手を加えなくても大丈夫なヘアスタイルに整えてもらった。

 

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「モノ」を寄付する、ということ

 

さて、寄付された髪さえあればウィッグがたちまちできあがるわけではなく、もちろん作成には技術や費用も必要ではあるため、ジャーダックではヘアドネーションと同時に、寄付金の受け付けもしている。

 

お金の寄付というのは、自分がそういった寄付金を原資としている医療支援活動をしてきたので、そのありがたみというのは非常によくわかる。実際に必要不可欠なものであるし、カネの利点は何にでも交換できる可変性である。そして最近はクレジットカードや健康保険組合の利用ポイントを寄付に転換したり、ワンクリック募金など、直接自分の財布からカネが出ていくわけではないシステムも増え、敷居が低くなり、誰にでも参加しやすくなったのはいいことだと思う。

 

しかしわたしは、「モノ」――今回は50cm以上の髪であったり、あるときには直接働くかたちでの看護師としての技術や知識などであったり――、そんな自分の持っている有形無形の「モノ」が、需要とうまくマッチして使われる場があるのも、また別の良さがあるのではないかと思っている。

(えぼり「漂流生活的看護記録」第4回了)

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