かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2014.6.23 update.
1987年生まれ。京都大学大学院理学研究科・博士後期課程在籍。2014年4月より日本学術振興会特別研究員(DC2)になる予定。タンザニアの森で約2年のフィールドワークを終え、現在は日本で博士論文を必死に執筆中。趣味は通学途中の読書(漫画を含む)と、大学の体育の授業で学部生に混じって楽しむバスケットボール。
『日本のサル学のあした』(京都通信社)のコラムを執筆。初連載です!
例えば自己紹介をするときに、「アフリカでチンパンジーの研究をしています」と私が言うと、返ってくる反応の多くは「危険じゃなかったか!?」というものだ。確かに、何度か生きた心地がしなかった経験はある。昔は2台に1台のバスが事故を起こしたとされる山道で、夜中に乗っていたバスがずっと無灯運転のまま走り続けていたり、乗っていたちゃちなセスナが真っ白い雲の中に入ってなかなか出てこなかったり(※1)、といったことはあったが、「キャンプに着けばまずは一安心」なのである。
キャンプのあるマハレ山塊国立公園は、タンザニアの中でも田舎に格付けされるであろう町から、さらに湖をボートで6時間ほど行ったところにあるため、都会で顕著な強盗や自動車事故などの心配はかなり少なくなるのだ(※2)。国立公園内は部外者が立ち入り禁止である上に、滞在するキャンプは湖岸からさらに山の奥にあるため、不審者がキャンプの周りをうろついている……といったこともまずない。つまり、調査地のキャンプにさえ着いてしまえば、一番怖い存在である「人」がいない、というわけである(※3)。これは病気の危険性が低くなるということも意味している。近隣の村で発生した感染症がキャンプにまで及ぶことはほとんどないし、蚊によって媒介されるため最も身近で危険な病気と言えるマラリアも、キャンプ滞在中に感染することは少ない(※4)。
次に考えられる危険は野生動物である。マハレ山塊国立公園内にはヒョウやヘビなど人間にとって脅威となる動物も生息している。しかし、現地のアシスタントがすぐに危険を察知してくれるため、そこまで危うい場面には遭遇しない。また、チンパンジー観察時には、さらに安心感がある。ヒョウやヘビは、チンパンジーにとっても天敵と考えられており、近くにいるといち早くチンパンジーが発見して、「ラーコール」と呼ばれる独特の音声を発するのだ。その声をわれわれ調査者が聞いて、「なんだなんだ?」と警戒する、という具合である。
さて、ひとくちに天敵と言っても、彼らチンパンジーたちは大騒ぎして逃げ去るばかりではない。彼らがいわゆる天敵をどのように捉えているか考える糸口として、普段ヘビを見つけると執拗に警戒音を発するチンパンジーたちが、特大のヘビ、ニシキヘビに出会った時の様子を紹介したい。
【観察事例①】「ニシキヘビとの遭遇」2011年2月28日
9時16分:チンパンジーの集団を発見。
周囲から聞こえてくるチンパンジーの声の頻度がいつもより多い。
9時20分:観察路を太いヘビがはっていくのを見た……。オトナオス『カーター』を先頭に、6個体ほどのチンパンジーが、ヘビの後ろ5mほどをついていく。ヒィャウ!ヒィャウ!と誰かが常に声を出している。
9時26分:ワカモノメスの『ジュジュ』が執拗にヘビを追跡しようとしている様子だ。しかし、ヘビの姿は藪の中でわからなくなってしまったようだ。ワカモノメスの『ユナ』は1mほど木に登り、ヘビが入っていったであろう草むらを見回している。その後『ユナ』は地面におり、ヘビの通ったあとのにおいを嗅ぐ。オトナメス『エフィー』も続けて地面のにおいを嗅ぐ。
私はずるずると地面を滑っていくヘビの胴体しか確認することはできなかったが、その大きさからニシキヘビの仲間であることは確実だろう。シャーロックホームズの中に『まだらの紐』という有名な短編小説があるが、私はそのニシキヘビを見たとき、「まだらの綱」だと思った。運動会で引っ張り合うような太さの(もしくはそれ以上の)綱が、ずるずると滑って、藪の中へと消えて行ったように見えたのだ。頭は確認できなかったが、今思えばそれゆえに恐怖が増していたような気もする。ヒトやチンパンジーなど悠に丸呑みできそうだった。
さて、チンパンジーたちの反応はどうであったかと言えば、遠巻きにしつつも、ニシキヘビを追跡する、といった様子であった。もちろんこの行動は、危険な動物の現在地を把握することで、安全性を確保するという戦略ともとれる。しかし、私が気になったのはその「しつこさ」であった。常に警戒するようなラーコールが聞こえていたものの、彼/彼女らの行動を観察して、まるで狩りをしながら獲物を追い詰めているような、そんな錯覚さえしたのである。もしくは、やじうま根性と言うべきか、好奇心と言うべきか……。
実は、以前に小さなヘビで似たような事例を観察していた。そのときはオトナオスとワカモノオスが3個体ほど集まり、ヘビの逃げ込んだであろう枯草の上に乗っかって探索するような動きをしていた。かなり小さなヘビだったという点から、私は彼らの恐怖心が薄いのだろうと、当時勝手に判断していたのである。今回のニシキヘビの事例は、大きさ(危険性の尺度、と私が勝手に考えていたもの)もチンパンジーの性別も関係なく、チンパンジーの天敵と想定されるヘビに対して、驚くほどのしつこさで関心を示すこともある、ということがわかった事例であった(※5)。
ヘビやヒョウなどが、チンパンジーにとって天敵となり得ることと、チンパンジーがヘビやヒョウを前にどういった行動をとるか、ということは、いちど切り離して考えなくてはならないだろう。つまり、天敵だから恐怖心に駆られて逃げる、もしくは避ける、という私の勝手な想定は、チンパンジーに押し付けられるべきものではないと反省しなければならない。そもそも、すべてのチンパンジーが、仲間が食べられる場面を目撃して天敵を警戒するようになるわけでは決してないだろう。若い個体の中には、実際にニシキヘビをほとんど見たことがない個体もいたかもしれない。そういう意味では、遠巻きに、つまり身の安全を確保しつつ、なるべく対象のことを知ろうと考えるのはごく自然なことなのかもしれない。
さて、ここで1つ言っておかなければならないことがある。今回の事例のように、私(観察者)自身が身の危険を感じている場合などは、観察自体にも少なからず影響が出ている、という点だ。当然、私もニシキヘビに食べられたくはないので、どうしても観察がいつもより「遠巻き」になっている。それに、私は執拗にニシキヘビの痕跡を追おうとするチンパンジーたちを見て、「よせばいいのに……よせばいいのに……」とずっと思っていた。私自身がニシキヘビの存在に「びびって」しまって、記載する情報量が少なくなったり、彼らの行動の偏った側面だけを描写しすぎた傾向もきっとあるだろう。フィールドワークのデータは観察者自身の影響を無視できない、ということを示す一例と考えていただきたい。
ちなみに、「(アフリカ滞在は)危険じゃなかったか!?」という反応に対し、私は一生懸命、タンザニアの森の快適さと安全性を訴えるのだが、「それは安心だねぇ」という反応が返ってきたことは、未だかつて無い。
(本文註)
(※1)天国への入り口があるとしたら、きっとこんな感じだろうな、と思った。ちなみに、調査地に最寄りの飛行場には、過去に事故を起こした機体の残骸がそのまま残されていて、それを見るたびに無事に着陸したことを心から喜ぶ気持ちになる。そんな目的のためのモニュメントとして残してあるわけでは決してないだろうが……。
(※2)昔は海賊ならぬ湖賊が出ることもあったそうだが、私は出会ったことが無い。
(※3)言うまでもないとは思うが、タンザニアの人々がすべからく悪い奴、というわけではない。むしろ、明るく温和な気質の人が多いと思う。個人的な感覚では、笑いのツボも日本人となんとなく似ている気がする(少なくともキャンプで同居したイタリア人よりは、タンザニア人の方が確実に笑わせやすかった)。キャンプに日本人ひとりで滞在している時の話し相手はもっぱら現地のアシスタントや国立公園関係者だが、日本人の友達と話すときと変わらない感じで普通に冗談を言い合っている。
(※4)キャンプにはマラリアを媒介する蚊がそもそも少ない、という理由もある。私はいちど村でマラリア原虫をもらって、激しい発熱に見舞われた。マラリア用の薬のせいなのか熱のせいなのかはわからないが、ベッドに横になっても寝入ることができず、頭の中で延々と将棋の駒を動かし続ける、しかも止められない、という悪夢に3日間うなされた。また、朝に一杯のお茶漬けを無理やり胃に詰め込む、という食生活だったため、頬がこけるほど痩せた。あんなに辛い体験は2度としたくない。
(※5)基本的には、チンパンジーはヘビやヒョウなどを発見したら、騒ぎつつやんわり避けることが多い。どのようなきっかけで彼/彼女らの反応が「回避」から「探索」になるのかは、今の段階で明確なことは言えない。