第1回 「科学的であること」はじれったいのだ 

第1回 「科学的であること」はじれったいのだ 

2014.3.24 update.

松本卓也(まつもとたくや)

1987年生まれ。京都大学大学院理学研究科・博士後期課程在籍。2014年4月より日本学術振興会特別研究員(DC2)になる予定。タンザニアの森で約2年のフィールドワークを終え、現在は日本で博士論文を必死に執筆中。趣味は通学途中の読書(漫画を含む)と、大学の体育の授業で学部生に混じって楽しむバスケットボール。
『日本のサル学のあした』(京都通信社)のコラムを執筆。初連載です!

最古の人類の化石が残される国、東アフリカ・タンザニアの深い森に彼らは住んでいる。遺伝子配列は人間と98.8%同じ。故に彼らは<最も人間に近い動物>なんて言われることもある。和名、黒猩猩(くろしょうじょう)。学名、Pan troglodytes。通称、チンパンジー。

 

霊長類学を志し大学院に進学した私は、多感な20代の2年間を彼らの住む森で過ごした。彼らを探し出し、追跡し、観察し、彼らの行動を逐一フィールドノート(野帳)に記録することが私の仕事であった1

 

2年にもわたる滞在期間の第一の目的は、自然科学の研究である2。自然科学ということはつまり、彼らが何を食べたとか、誰が誰に毛づくろいをしたとか、他の研究者が見てもはっきりそれとわかる行動(再現性が保たれている、と言い換えてもいいかもしれない)のデータの蓄積が求められる。しかし、この「科学的であらねばならない」ということが、彼らチンパンジーを直に観察してきた私にとっては、ほんの少しじれったい。

 

もちろん、科学的な手法によって蓄積された情報・知見が、自然界の理解に貢献することは疑いようがない。それでも、私がフィールドで観察してきた彼らチンパンジーの行動は、統制された実験室で試薬を混ぜ合わせるような再現可能なものではなく、その一瞬を逃せばもう2度と同じ現象は起きない、一期一会の瞬間の連続であったと思う。

 

私を含め、チンパンジーの研究者は、ある1頭のチンパンジーを終日追跡しながらデータをとる、という手法を用いる人が多い。この手法は個体追跡法と呼ばれ、科学的な分析をする上でとても有益なものだが、私にはこの手法をとりたい別の理由がある。言ってしまえば、そのチンパンジーになりきって、彼らの世界を観たいのだ。人類学における参与観察、に近い感覚かもしれない。彼らが繰り広げる行動、巻き起こる他者とのやりとりは、とてもすべてを記述できないほど多彩で、ときにチンプンカンプン、何が起こっているのかわからず途方に暮れることも多い。でも、とにかく書き、ときにスケッチし、考え、首をひねり、夜寝る前に思い出したり、他の研究者と議論をしたりしながら、解釈を深めていく。

 

私のフィールドノートの中から1つ、チンパンジー同士のやりとりの例を挙げてみよう。

 

【観察事例①】オス同士の政治的なやりとり~第1位オスの葛藤~:2011年5月16日 14時38分より
第1位オスが低順位のオスと毛づくろいし合っているところへ、第2位オスが中順位のオスといっしょにやってくる。中順位オスは、第1位オスに大げさに挨拶をするが、第2位オスは挨拶をせず、第1位オスの横を小走りに通り過ぎる。第1位オスは肩を上下に震わせ、第2位オスを目で追いながら、さっきまで毛づくろいしていた低順位オスの肩を後ろから噛む。しばらくして、第2位オスがやぶへ入りかけたところで、低順位オスを背にしながら第1位オスが第2位オスの後をゆっくり追いかけはじめる。第2位オスは驚いた様子で振り向き、戻ってきて第1位オスに挨拶する。

 

彼らチンパンジーは<政治をするサル>と言われる。第1位オスにとっては、第2位オスと別の順位の低いオスが仲良くなって、共同戦線を張られてしまうと、都合が悪い。そこで第1位オスは、第2位オスには食べ物を分配せず、他のオスに優先的に分配して仲良くしようとしたり、第2位オスが他のオスと毛づくろいをしていると、暴れまわって毛づくろいを妨害したりする。第2位オスは、そんな第1位オスのいるところを避けて、こっそり他のオスと過ごしたりする。

 

チンパンジーの<挨拶>にも少し触れておこう。彼らが声を出して面と向かってする挨拶はパントグラントと呼ばれる。「ガハガハガハ」「ガッガッガッ」という独特のグラント音(呼気を喉にひっかけるようにして発する音)を伴うのが特徴だ。時にキスをしたり、抱き合ったり、手を差し出して相手に噛んでもらったり、動作のバリエーションはとても豊かである。一般的には、劣位個体が優位個体に行うとされ、順位を知るための指標に用いられる。久しぶりに会ったオス同士などは、特に激しく音を立てて挨拶する。

 

今回の事例で着目したい点は、久しぶりに会ったのに挨拶をしなかった第2位オスに対する、第1位オスの反応である。第1位と聞くと、いわゆる<ボスザル>のような圧倒的な存在を思い浮かべるかもしれないが、その実態は大きく異なるようだ。今回の事例のように、第2位オスが<挨拶をしない>というルール違反を犯した場面でも、第1位オスはすぐにそれを咎めることができなかったのである。

kuroshoujou1-1.jpg

また、肩を震わせながら低順位オスの肩を噛むという第1位オスの行動は、システマティックな見方をすれば<その低順位オスへの攻撃>と捉えられるかもしれない。しかし、実際の光景を目の当たりにした私にとって第1位オスの姿は、第2位オスへの恐怖を文字通りかみ殺しつつ、低順位オスを必死に頼りながらなんとか平生を装う、第1位オスの心理的葛藤を物語っているように感じられた3。いっぽうの第2位オスも、当初は平生を装っていたものの、第1位オスに動きがみられると慌ててすぐに挨拶を始めていた。

 

そもそもこの<順位>というのは、主にチンパンジーの挨拶の「する」「される」の方向性から、観察者が番号を付けたものである4。今回の事例はオスたちのやりとりのほんの一端を紹介したに過ぎないが、例えば第1位オスが王冠をかぶって威張っていたり、第2位が第1位を蹴落とそうと虎視眈々と狙い続けていたりといった、われわれが「政治」と聞いて思い浮かべそうな様相が、オスチンパンジーの社会の常態というわけでは決してないように思う。どちらも案外、おっかなびっくり振る舞っているものなんだな、というのが私の印象だ。

 私がこうしたチンパンジーのやりとりに魅力を感じる理由のひとつは、科学の網では容易に捉えきれない、良くも悪くも「なんとなく彼らのことをわかった気になってしまう」部分があるからだと思う。「松本、論文を書くことに躍起になって、フィールドで感じたおもしろさを忘れたらあかんぞ。われわれが科学に合わせてあげている、くらいの気持ちでおればええんや」とは、私の大先輩の言葉である。
一方で、前述したとおり、私(人間。念のため)にはとてもわかりそうにない部分もたくさんある。今後も、私のフィールドノートの中から観察事例をがっつりと(!)紹介しながら、彼らチンパンジーのことを考えていきたい。それはきっと、私たち人間について考えることと表裏一体のはずである5


【本文註】

1 有り体に言えば、物言わぬ彼らを私が一方的にストーキングし、双眼鏡でじろじろ執拗に観察し、(時々「これはおもしろい」とニヤニヤしながら)勝手に行動を記録していた、わけだが、日本で人間相手にこんなことをしたら、たちまち逮捕であろう。

2 研究課題は、『アフリカ類人猿のコミュニティの構造と進化』と大仰な銘が打たれているが、フィールドでの実際の研究活動は、早起きして山登り、チンパンジーを追いかけ記録をとり、疲れて帰って飯食って寝る、といったたいへん地味なものだ。

3 残念ながら当時の第1位オスは、オス同士の闘争中に不幸にも命を落とし、2013年9月の時点では当時の第2位オスが第1位として振る舞っている。

4 もちろん、順位を想定することによって解釈がしやすくなる現象は数多ある。ただし、『ボスはこう振る舞うものだ』といった見方は、われわれ人間の順位に対するステレオタイプな考え方を彼らに押し付けることになってしまう。

5 人間である私がチンパンジーである彼らを語る、それ自体が既に『偏った行為』であるということをここで指摘しておきたい。彼らが言葉を話さないのを良いことに、私が勝手に描いたチンパンジー像を、読者の方々に押し付けることになってしまうかもしれない、ということ。紹介する観察事例はあくまで私というレンズを通して見たチンパンジーの姿である、ということをご理解いただきたい。
 

このページのトップへ