10-3 帰ってこられたおじいちゃん−家で看取るということ〈その3〉

10-3 帰ってこられたおじいちゃん−家で看取るということ〈その3〉

2013.12.18 update.

なんと! 雑誌での連載をウェブでも読める!

『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3水曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!

→田口ランディさんについてはコチラ
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【対談】「病院の世紀」から「地域包括ケア」の時代へ(猪飼周平さん×太田秀樹さん)を無料で特別公開中!

前回まで

 

もう在宅っきゃない

 夏に台風が来て、停電が起こりました。
 真っ暗な夜に、おじいちゃんはトイレに行こうとして、転んで大腿骨頸部骨折をしました。懐中電灯の電池が切れていたため、1人で手探りでトイレに行こうとしたみたいです。
 そのころ、おじいちゃんはものすごく孤独だったと思います。背中にも顔にも「淋しい」という文字が浮かんで見えました。だんだん、おじいちゃんが遠くに遠くに1人で行ってしまうような、そんな感じでした。
 私は、ちょっと怖かったです。
 あのころのことを思い出すと、あんまりおじいちゃんが孤独そうで、胸が苦しいです。人間をこの現世につなぎ止めている何か……絆のようなもの……がほどけて、おじいちゃんはふわふわとさ迷っていました。生きることへの欲望が薄れていくとき、人は本当に幽霊みたいになるのだと思いました。
 骨折したおじいちゃんは、救急車で運ばれて入院しました。病院は骨折の治療をしてくれました。そして、また言われました。
 「リハビリをしないと歩けなくなりますから、リハビリをしましょう」
 骨折したおじいちゃんが入院した病棟は整形外科病棟です。入院患者となったおじいちゃんは病棟で完全に浮いていました。
 なにしろ認知症ですから、1人で大声でしゃべり出すし、何度も同じことを聞くし、ふつうの骨折患者とは違います。病院は「ほかの患者さんに迷惑なので、なんとかしてください」と言ってきました。
 「なんとか、って、どういうことでしょうか?」
 「大きな声を出されては、ほかの患者さんに迷惑なんです」
 そう言われても、どうせいと言うのかな。しょうがないので「よく言って聞かせます」と答えてみました。それで話は終わりました。
 整形外科の先生は、認知症の知識はないのでしょう。そういうものかもしれません。いつのまにか、おじいちゃんベッドはナースステーションに運ばれていました。ここが一番監視しやすい、ということなのだと思います。
 アルコール依存症の父が骨折して入院したときも、せん妄状態から認知症になってしまい、やっぱりナースステーションに運ばれていました。うちの家族はやることがみんな一緒だな……と、なんだかおかしくなりました。
 入院中に、「入れ歯喪失事件」が起こりました。
 給仕の方がおじいちゃんの入れ歯(食後にトレイにティッシュにくるんで置いていた)を捨ててしまったらしいのです。おじいちゃんは骨折しているので基本的に自力で移動できませんから、おじいちゃんが入れ歯をどこかに持っていくことは考えられません。だから間違って捨てられてしまったのだと思います。とにかく、入れ歯がなくなったおじいちゃんは食べ物が噛めなくなり、お粥が出されました。
 おじいちゃんはお粥が嫌いでした。ご飯が食べたいと言います。でも、噛めません。病院は、消化が悪いからお粥を食べるように言います。おじいちゃんはそのうち、食事をしなくなりました。
 ようやく新しい入れ歯ができてきたころには、おじいちゃんはすっかり痩せてしまい、入れ歯が合わなくなっていました。どう言ったらいいんでしょう、もう何もかも悪いほうへとどんどん転がっていくような感じでした。それでも、病院はおじいちゃんのリハビリメニューを出してきます。いま必要なのは何だろう。リハビリでないことは確かなのですが、病院がそれを見つけてくれることはありません。
 病院は治療するところなのです。だから骨折の治療をして歩けるようにリハビリを奨めます。老いは病気ではありません。老いは治療できません。では、老いていく人には、何が必要なんでしょうか……。
 3か月が過ぎるころになると病院はしきりに転院を促してきます。
 「リハビリができる病院に……」
 いちおう、リハビリ施設の充実した病院への転院手続きはしていたのです。でも、私たちは、その転院をやめました。病院にいてもおじいちゃんは苦しいばっかりです。
 在宅介護。もうそれっきゃないだろう、と思いました。
 家に帰ろう……と言ったとき、おじいちゃんは本当に嬉しそうでした。やっぱり家がいいんだよね。ふつうに暮らすほうがいいに決まっているよね。
 帰宅した夜、おじいちゃんはご機嫌で、ご飯もたくさん食べて元気でした。
 でも、帰宅して自分の部屋に帰ってみると、そこにおばあちゃんはいません。その不在感はどうすることもできません。2人で過ごした部屋。2人で入ったこたつ。2人のふとん。でも傍らには誰もいないのです。家に戻って来れば、おじいちゃんは「おばあちゃんの死」という現実とまた向き合わなければなりませんでした。
 それが、本当に、痛いほどよく伝わってきました。
 次の日の朝、おじいちゃんは起きてきません。朝ご飯を運んだ夫が不安そうに戻って来ました。
 「なんだか様子が変だ」
 「どんなふうに?」
 「ぜんぜん、ここにいない感じなんだ。変なしぐさをしている。昨日はあんなにはっきりしていたのに……どうしたんだろう」
 家族にせん妄が出たときの、あのうすら寒いような感じはなんとも言いようがありません。わかっていても、最初はやっぱりゾッとします。 
 
連載第10回了
 
☆次回のアップは2014年1月15日を予定しています。

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訪問看護と介護

いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。
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