5-3 死ぬ場所? 生きる場所?--「看取り」のかたち〈その2〉

5-3 死ぬ場所? 生きる場所?--「看取り」のかたち〈その2〉

2013.7.17 update.

なんと! 雑誌での連載をウェブでも読める!

『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3水曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!

→田口ランディさんについてはコチラ
→イラストレーターは安藤みちこさんブログも

→『訪問看護と看護』関連記事
【対談】「病院の世紀」から「地域包括ケア」の時代へ(猪飼周平さん×太田秀樹さん)を無料で特別公開中!

〈前回〉

 

「バカ、これは天命だ」

 

 クリスマスが過ぎた頃から、父はぱたっとご飯を食べなくなりました。食べたくないのだそうです。いっさい食事に手をつけなくなりました。
「少しは食べたほうがいいよ……」
「食べたくないんだ。それより水をくれ、水がうまいんだ」
 その頃には水が気管に入って咳き込むので、クラッシュアイスを口の中で溶かして飲んでいました。
「ああ、なんでこんなに水がうまいんだろう。こんなに水がうまいなんて、俺はよっぽどいいことをしたんだな……」
 ある日、父がこう言いました。
「お父さん、お酒より水のほうがおいしい?」
「ああ、酒よりずっとうまいぞ……」
 食物を食べなくなったことを、院長先生に相談してみました。このまま食べなければ衰弱して死んでしまうと思ったからです。
「患者さんは、ある時期が来ると食べなくなります。それには理由があります。人間は、口から食べ物を摂取して、それを吸収分解して自分のエネルギーとして生きています。でも、もう臓器ががん細胞に侵されて、消化する力がなくなると、食べ物を分解吸収してエネルギーにしていては効率が悪くなるのです。その時点で、肉体は方針を変えます。これまで身体に蓄積していたものを消費してエネルギーとして使うのです。だから、食べなくなります。これは、生きるための肉体の選択であり、自然なことなのですよ」
 なるほど……そういうことかと思いました。
 以前に長期の断食をした人を取材したことがあります。その人は食べ物のことしか考えられなかった、夢の中にもハンバーグとかスパゲッティが皿に乗ってびゅんびゅん飛んでいた……と語っていました。
「人間の食べ物への執着は恐ろしいですよ……」
 でも、最後の最後に食べ物が吸収できなくなると、その執着がパタっと消えるのです。食べたいとも思わない、食べ物に対してなんの欲求も起きない……と父は言いました。そして、水がうまい……と。
 食べられなくなった時点で点滴を……と家族は思いがちですが、本人の体にとっては自然なことですから、点滴を入れられてしまうとよけいにつらい、ということがわかりました。栄養が入ってきてもそれを分解して役立てる力が落ちています。尿として排出するために臓器が必死で働かなければなりません。肝臓や腎臓がダメージを受けている人にとって、尿を出すために水分をろ過するのは大変な労働です。それでも入れ続ければ、水分が細胞にたまって浮腫んでしまいます。だから、ピースハウスでは自然な状態で最期まで生きるために点滴をしない……のでした。
 実際、食べられなくなった時点で、「気の毒だ」と一般の病院に転院させる家族の方もいるそうです。お気持ちはわかります。
 食べなくなってからも、父は昏睡するまで自力でトイレに行こうとしていました。1日のほとんど寝ていましたが、目が覚めたときはふつうに会話することができました。
 年の瀬も迫った夕方、私たちが帰ろうとしたとき、父は急に「ちょっと待ってくれ……」と言い、ベッドの上に起き上がりました。
「なんだか、身体が変なんだ。手足がしびれるし、どうも、俺は死ぬらしい」
 父ははっきりそう言ったのです。
「死ぬって……、いつ?」
「わからんが、もうすぐだ。もうお迎えが来ているようだ」
「そんなこと、言わないでよ。淋しいじゃない……」
「バカ、これは天命だからどうしようもない」
 がん告知を忘れてしまった父が、自分でしっかりと死を受け止めていました。死ぬ時は自分が決める。そういう父のきっぱりした態度は神々しいほどでした。
「これからおまえたちに遺言を残す。今しかない。もうはっきりしている時はそうない。だから、よく聞いてくれ……」
 父の言葉はしっかりと力強かったです。
 私、夫、そして娘に遺言を伝えると、父は「以上」と叫び、「疲れた……」と横になりました。その後は父の言うとおり、うつらうつらした状態が続きました。ほとんどいびきをかいて気持ちよさそうに眠っていました。たまに目を開けても、どこか遠いところを見ていました。そして、年が明けた1月4日、私たちがそばにいないときにそっと、一人で旅立ってしまいました。

 

第5回 了

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訪問看護と介護

いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。

6月号の特集は「高齢者虐待を防止する−そのとき医療・介護にできること」。「在宅」は本人にとって最も暮らしやすい場所であると同時に、「虐待」の温床にもなりかねない“密室性”をもっています。そこに踏み込んでいけるのが「訪問」の仕事です。時に、適切な医療・介護を受けられないことが虐待の要因にもなっています。すなわち、医療・介護は、虐待が起こってしまう構造を“骨抜き”にもできる。では、どうやって?

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