3-3 「好奇心」と「人生ドリル」ー『毎日がアルツハイマー』を観て

3-3 「好奇心」と「人生ドリル」ー『毎日がアルツハイマー』を観て

2013.5.22 update.

なんと! 雑誌での連載をウェブでも読める!

『訪問看護と介護』2013年2月号から、作家の田口ランディさんの連載「地域のなかの看取り図」が始まりました。父母・義父母の死に、それぞれ「病院」「ホスピス」「在宅」で立ち合い看取ってきた田口さんは今、「老い」について、「死」について、そして「看取り」について何を感じているのか? 本誌掲載に1か月遅れて、かんかん!にも特別分載します。毎月第1-3水曜日にUP予定。いちはやく全部読みたい方はゼヒに本誌で!

→田口ランディさんについてはコチラ
→イラストレーターは安藤みちこさんブログも

→『訪問看護と看護』関連記事
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前回

 

「尊敬」を体験する

 ひとつ気をつけなければならないことがあります。認知症のご老人を相手にしているとき、だんだんとおちゃらけてしまうことです。慣れてきて、相手を観察できるようになると、こちらも余裕が出てきます。日常生活のなかで笑えるネタを探すようになるのです。
 「うわーー、おじいちゃんこれどうしたの?」
 あるとき、義父は「机を作る」と言い出して、トンカンギコギコ、大工仕事を始めました。もともと大工さんだったのです。でも、半日かけてでき上がったのは、机とも椅子ともつかない不思議なものでした。作りたいイメージはあっても、そのイメージを具体化することがもうできなくなってしまっていたのです。本人もでき上がったものを見て「???」という顔をしていました。
 「おもしろいものができたねえ!」
 「知らん……!」
 「いや、でも現代アートっぽいよ、ぎゃはは」
 家族でその作品を鑑賞したのですが、みんなで図に乗り過ぎて義父のプライドを傷つけてしまいました。
 相手は、こちらに尊敬の気持ちがないことは敏感に見抜きます。ですが、家族というのは案外と残酷なもので、つい過剰に悪ふざけをしてしまいがちなのです。それも家族関係の醍醐味ですから、いいかなとも思うのですが、似たようなことをしている介護職を見たことがあります。
 お年寄りと対等に気兼ねなく悪ふざけをすることが、フレンドリーだと誤解しているような方です。たしかに、そういうコミュニケーションも必要なのですが、節度とかバランスを気にかける繊細さを失うと、ただ粗暴な感じになってしまいます。このあたり、個々のキャラクターもありますから難しいですね。
 私は年配の方と対するときには、「愛情」よりも「尊敬」を重視します。年をとって愛情ばかりかけられると、なんだか子ども扱いされているようで気分が悪かろう、と思うのです。大切なのは尊敬で、その気持ちがベースにあれば、あとはそれぞれのキャラクターで正直におつきあいすればいいのだと思います。
 関口監督の言葉には、お母さんに対する深い「尊敬」を感じます。いえ、人間に対する「敬意」と言ったほうがよいかもしれません。
 私たちは最近「敬意」を学ぶ機会がとても少なくなっています。だから「尊敬する」というのがどういうことかわかっていない方もいます。それは、学ぶ機会がなかっただけで、本人が悪いわけではありません。尊敬する人と出会うというのは、本当にラッキーなことなんです。
 フランクでフレンドリーな関係の背後に尊敬がないと、とても薄っぺらいおつきあいになってしまいます。それを言葉で言うのは簡単ですが、実感は体験からしか伝えられません。
 「看取り」の体験は、他者への畏怖と尊敬の体験とも言えます。死の過程で人間はどんどん自己変容していきます。顔つきも変わってきます。たとえ記憶を失っていても、菩薩のように穏やかになっていかれる場合が多いです。死んでいく方たちと接しているうちに、自分のなかに深い尊敬の気持ちがわいてくるのを何度も経験しました。人が尊くこのうえもなく高貴な存在に思えるとき、えも知れぬ美しい光が心を満たしてきます。他者を尊く思うとき、自分もとても尊く思えてくるのです。人間が本来もっている光は、自他を共に照らすのですね。

 

人生の練習ドリル

 YouTubeの「毎日がアルツハイマー」を観ていたら、すばらしいシーンがありました。関口監督がオーストラリアに旅行に行ってしまいます。その間、お母さんと離れて暮らすことになります。監督はもちろん、お母さんが心配です。帰国して「ただいま」とお母さんに言うと、お母さんは「???」という反応です。「オーストラリアから今、帰って来た」と伝えると、「うそ⁈」と驚くのです。
 アルツハイマーのお母さんは、関口監督がずっと家にいて一緒に暮らしていた……というふうに認識しています。だから、監督がいなかったということが信じられません。監督は「よかった。ずっと念を送っていたから、それが伝わったんだね」というようなことを言います。お母さんは「まさか、あんたがいなかったとは……!」とショックを受けつつも「そんなに私のことを思っていてくれたんだ……。ありがたいねえ」と涙を流すのです。
 関口監督は本当にお母さんに信頼されているのだなあ、なんというステキな親子関係だろうか……と、観ていてこちらまでうれしくなってしまいました。
 何より、お母さんの素直さに打たれました。私は、こういうふうに年をとれるだろうか。ひがみっぽい老人になるような気がします。「いない間も自分をみていてくれてありがたい」と、お母さんは自分の認知の障害を娘の愛情が見せる奇跡として受け止めていたのです。自分に起こったことをどう受け止めるか。それは、本人の心の豊かさの現われなのだと改めて思いました。
 愛情は、今ここに溢れている……。たくさん受け取るか、少ししか受け取らないか、それは自分が決めているんです。
 私の実父や義父は、戦中派の男ですし、愛情を受けとることがとても下手でした。親から愛情を受けずに育ったと感じており、実父も義父も自分の父親に対しては歪んだ感情をもち続けていました。本当はもっと認めてほしかった。愛されたかった。でも、それを伝えられぬまますでに父親は死んでおり、子どもの頃に満たされなかった思いは年をとっても……死ぬまで、心のなかにフリーズドライされて残っていたのです。
 だから、こちらの思いをなかなか素直には受け取ってくれませんでした。そして、子の愛情を試すようなことばかりしていました。
 こんなわがままを言っても、まだ俺のことを大事にできるか? そんな難問を出してくるのです。そして、こちらが怒ると、「ほらやっぱり……」とばかりに心を閉ざしてしまいます。
 私は、父親からいつもそうやって「愛情」を試されてきましたし、差し出した愛情は何度も拒否されてきました。そういう男たちを介護していくと、自分の未熟さが露呈してしまいます。愛情を受け取れない父親から育てられた私もまた、人の愛情を十分に受け取るだけの素直さに欠けています。だから、自分の本性を見せられるようで、腹が立って腹が立ってたまりません。まるで狐と狸の化かし合いのようなことになってしまうのです。
 その化かし合いのなかで、他人には見せない自分の弱さを見せつけられ、自己嫌悪に陥り、悔しくて泣いたことも何度もありました。いやはや、親というのは実にいろんなことを教えてくれます。
 親がもっていた「歪み」は、多かれ少なかれ子どもにも受け継がれています。家庭というのは「困難」の宝庫ですから、誰でも何かしらの歪みをもらって、それを克服していくという人生の過程を歩んでいます。
 介護や看護の場面では、この「歪みに気づく」という難しい課題が、練習問題のドリルのように何度も出てくるのです。繰り返し、繰り返し、同じ問題を解かされます。
 「いったい、人生ってなんだろうか……」
 親を看取りながら、私はいつもそう思っていました。私たちの人生って何のためにあるんだろうか……と。

 

連載第3回了(次回のアップは6月5日の予定です)

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訪問看護と介護

いよいよ高まる在宅医療・地域ケアのニーズに応える、訪問看護・介護の質・量ともの向上を目指す月刊誌です。「特集」は現場のニーズが高いテーマを、日々の実践に役立つモノから経営的な視点まで。「巻頭インタビュー」「特別記事」では、広い視野・新たな視点を提供。「研究・調査/実践・事例報告」の他、現場発の声を多く掲載。職種の壁を越えた執筆陣で、“他職種連携”を育みます。楽しく役立つ「連載」も充実。
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