かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2011.10.04 update.
「じ」じゃなくて、濁らない「し」の「なかしま」です。夫の転勤により各地の病院に勤務。九州大学医学部保健学科、聖マリア学院大学看護学部、東京警察病院看護部長を経て、2010年5月より東京病院副院長となりました。研究テーマは「働きがいのある組織づくり」で、働き方についての認識のパラダイムシフトを図る啓発活動を全国で展開中。
「すべては幸せにつながっている」「ケア提供者が幸せであることは質の高いケア提供を可能にする」という信念の下、日々仕事を楽しんでいる超positive思考の二児の母。
みっちゃんのブログ(http://ameblo.jp/tokyobyouin-director/)
前回は新しい年も始まり、新人の離職について一緒に考えてみましたね。
20代の人たちの考え方を、自分たちの価値基準で判断しない
「対人価値への仕掛け」が要
ロールモデルとなるような「輝く人財」の育成
といったポイントがあったと思いますが、今回は、そのための組織づくりってどうすればよいのか?という点を考えてみましょう。
いきなりですが正直に告白します。小院には昨年、143名の方が入職しましたが、そのすべての看護師が定着しているわけではありません。定着率は上がってきているし、入職の面接は毎月、2桁の方にお越しいただいていますが、それでもまだ辞めてしまう方もおられます。
当院の離職理由の特徴として、東京都ワークライフバランス認定企業に選ばれてから入職した看護師にみられた「入職前に言われていたことと、入職後の現実が違う」というものがあります。具体的には、以下のようなものです。
「ワークライフバランスのとれる病院のはずなのに残業がある」
「ワークライフバランスのとれる病院のはずなのに忙しい」
「復職してみたがやはり家庭と仕事の両立が難しい」
こうした理由での退職が出てしまう背景には、ワークライフバランス(以下、WLB)という概念に対する誤解と、コミュニケーション不足があったと考えています。
そもそも、WLBには「残業がない」「休みが多い」「福利厚生が充実している」「勤務希望でわがままが言える」といった“誤解”が往々にしてみられます。しかし、それはワークを辛い、きつい、やりたくないもの、そしてライフをそれ以外のものという理解に基づいています。その前提は果たして正しいでしょうか?(図1)
図2 主観としてのワークライフバランス
私たちは国家ライセンスを持ったプロとして日夜ケアサービスを提供しています。ワークは、確かにきつい、辛い側面もありますが、それ自体がアイデンティティを支えてくれる、力になるものでもあります。
一方で、看護の仕事は「なまもの」である患者を対象にしますので、予定通りいかない時もあるし、集中的に多忙になるとき、疲れ果ててしまうこともあります。そういう中で「自分がどういう生き方をしたいのか」というライフプランをもつことができれば、図2のようにその人生の立ち位置によって、仕事のしめる割合が多い時期とそうでない時期と行ったり来たりできるようになります。これが、WLBという言葉がめざす、ひとつの理想系だと思うのです。単純に、「ワークを減らし、ライフの比重を増やす」というのがWLBではない、ということがご理解いただけるでしょうか。
そして、この真の意味でのWLBを実現するためには、同僚に対する「受容」と「共感」というオタガイサマ精神を基底とした職場文化づくりが必要です。
今は、確かにたくさんすることがあって、大変かもしれません。どうしても、フルタイム働ける人にしわ寄せがくるかも知れません。でも、フルタイムで働ける人も、いつかはフルタイムでは働けないときがくるかもしれないのですから、お互いに、そういう働き方をする人なんだと「受容」と「共感」することが大切なのです。
私たち看護師は、患者さんのことは受容と共感とよくいいますが、同僚にはとっても厳しいですし、目の前の仕事のことしか考えていません。看護職人生40~50年あるのですから、いろんな働き方の人がいてよいと考えます。人は、決して、1人では生きていけず、多くの人に少なからずいろいろなご支援をいただきながら生きています。だとすれば、自分が受けた支援を、また、他の必要とする誰かに返していく・・・・そういう考え方のもと、お互いに人生のプランを立てつつ協力しあいながら、時には、残業もあり、もうダメ・・・と思うほどしんどいときもあり・・・・。
そのように考えると、残業があって忙しいからといって、それがそのままWLBがとれていない、ということにはならないのです。お互いを思いやる心を持ちつつもそれぞれのライフステージにあった働き方、捉え方ができるということが、正しいWLBなのです。
挨拶は管理者から!?
しかしこうしたWLBの理解を「誤解」と切り捨ててしまっては、管理者としては問題があります。というのも、こうした誤解が生じる背景には、必ず管理者とスタッフの間でのコミュニケーション不足があるからです。はい、私自身も反省しています……。
コミュニケーションをとりながら、前述のWLBの考え方やプロとしての生き方をともに考える時間をつくることができれば、辞めずに済んだ人も少なくないはずなんです。辞めた人を「わがまま」と捉えるのは簡単ですが、看護職人生40~50年という長丁場のなかで、その人が今、どのあたりに立っているのかを考えながらコミュニケーションを図ることが、師長・主任といった管理職には求められます(もちろん、中には勘違いも甚だしい、という人もいると思います。そういう方とは御縁が無かったということで、別の人生を楽しんでもらいましょう)。
管理職のマインドセットとして重要なのは「スタッフがいるから、病棟が成り立つ」という考え。これを規定においた管理を、サーバントマネジメントといいます。ではサーバントマネジメントでもっとも大切なことは何かというと、これは実にシンプルで「あいさつ」なんです。
「管理職者から挨拶するのはおかしい、上司よりも部下が先にあいさつすべきだ」「上司に挨拶しないなんて、なんて常識のないやつ!」と思っていませんか? もちろん、その考えは間違っていません。でも、「あいさつ」が習慣化していない人にそれを求めるのは不毛です。
挨拶して損することなんて何にもないのですから、とにかく上司も部下も関係なく、あなたの側からあいさつをはじめてみましょう。
はっきりと
確実に相手に聞こえるように
相手の目を見て
自分から挨拶!
これに尽きます。
白衣(ユニフォーム)には「お疲れ様」
私服には「こんにちは」。
これを繰り返しているうちに、私の姿をみたら必ず挨拶をするようになり、お互いにできるようになります。この挨拶、本当に師長によってスタッフの挨拶が違います。スタッフをみれば、師長がどんな挨拶をしているか、よくわかります。私には挨拶するけれどスタッフに挨拶しない師長の病棟では、スタッフ同士がお互いに挨拶をしていないことに気づきます。
恐ろしいほどに、違いますよ! 中には、へそ曲がりな医師が「お疲れ様」と挨拶しても「おれは疲れてない!」と言い返してきたりもしますが、それでいいんです。そこでコミュニケーションのキャッチボールが始まっているのですから、しめたもの。
25回以上会う!?
ある研究結果によると、人間は25回会って話せば親近感をもつそうです。つまり、職務上の事でも、プライベートでもなんでもいいから、用件だけをさっと言うのではなく、会話として普通にいろいろ話す、というコミュニケーションを25回重ねると、お互いに少しずつ、相手のことがわかってきて、親近感を持つようになる、ということだと思います。
当院から離職していった人たちの中にも、もっとお互いのことを知り、理解し合うことができていれば、離職は避けられたかもしれません。25回というのは、職務上だけでなく、プライベートも含まれます。その場合はもしかすると、25回よりももっと少ない回数で、関係性がうまれるかもしれませんね。
さらにいえば、いわゆる飲み会的なコミュニケーションでもいいし、院内のイントラネットやインターネットを介した会話でもいいのだと思います。以前ICT(information communication technology)に関する研究をしていたのですが、実はインターネットでもイントラでも、とにかくinformation technologyを導入すると若い人とお局さまとの立場上の優位性が変わり、お互いに教え合う姿が見られるようになり、コミュニケーションが図れるようになる、という結果を得たことがあります。
また、ICTを介したコミュニケーションという意味では、実は私自身も体験しています。私ごとで恐縮ですが、実はブログをしております(http://ameblo.jp/tokyobyouin-director/)。そうすると、全国いろいろなところで講演をしたときに、私は初めてお会いするのですが、ブログを見てくださっている方は私の事をいろいろ知っていてくださるので、とても親近感をもって「いつもブログ読んでます!優人くん、大丈夫ですか?」など話しかけてくださいます。そうなると、初めてお会いするのにものすごく親近感をもってお話しすることができます。まさにICTによる「25回」以上の効果ですね。だからと言って、みなさんにブログをしましょうと言っているのではありません。要は仕事以外の「つながり」をもつということも大切ということなんです。
言いたい? 伝えたい?
ついつい職務上の扱いばかりしていると、自分がいいたいことばかりを言ってしまい、用事が終わったら、それで終わり、ということになりますよね。それではなかなか「つながり」はできません。相手にちゃんと「伝わっているか」が大切です。
「言いたいことを言う」ことと「伝わる」ことはちがいます、「言いたい」と「伝えたい」の違いとも言えます。前者はあくまでも主体が「自分」であり、自己の認識のパラダイムの範囲で物事を言う時です。後者は主体が「相手(客体)」であり、相手がどう理解するかという、相手側の認識のパラダイムで物事を言う時です。
医療現場にいる皆さんは、患者説明の場面を思い出していただけるとよいでしょう。患者さんが理解しているかどうか、どうやったらわかってもらえるかという意識で伝えるときと、情報として一方的に話すときとでは、認識のパラダイムが異なります。同僚に対しても同じように、会話の主体を客体に設定した姿勢が大切になると考えています。
まだまだ組織づくりの途上にある総合東京病院。しかし、少しずつ着実に私の失敗の回数も少なくなってきています。なでしこジャパンが諦めずにつかんだ栄光! とまで華々しくはないけれど、地道な努力は必ず報われる! そう信じて、毎日が修行中の中島でございます。
次回は、役割で育つ、つまり、人財開発についてお伝えできたらと考えています。