看護管理者として次の震災に備える

看護管理者として次の震災に備える

2011.5.09 update.

中島美津子 イメージ

中島美津子

「じ」じゃなくて、濁らない「し」の「なかしま」です。夫の転勤により各地の病院に勤務。九州大学医学部保健学科、聖マリア学院大学看護学部、東京警察病院看護部長を経て、2010年5月より東京病院副院長となりました。研究テーマは「働きがいのある組織づくり」で、働き方についての認識のパラダイムシフトを図る啓発活動を全国で展開中。
「すべては幸せにつながっている」「ケア提供者が幸せであることは質の高いケア提供を可能にする」という信念の下、日々仕事を楽しんでいる超positive思考の二児の母。
みっちゃんのブログ(http://ameblo.jp/tokyobyouin-director/)

 

この度の東北地方太平洋沖地震におきまして、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

東京病院は福島県や宮城県に仲間がたくさんいる南東北グループの一員です。そのため、津波の犠牲となった仲間や仲間の家族もいます。命はとりとめたものの、被災者として未だに不自由な避難所での生活を強いられたままの仲間もいます。帰る家が流されたため、ずっと病院に泊まって仕事をしたり、職員駐車場の自分の車に寝泊まりしている仲間もいます。家族を捜しに津波の現場に戻った医師が、「医師」ということがわかると「帰らないでほしい・・・遺体の検死を手伝ってほしい」と懇願され2週間ほど被災地で検死をすることになった仲間もいます。決して他人事ではありませんでした。本当に心が痛みました。

 

3月11日の東京病院

 

東京病院も被害はありました。幸い人的被害はなく、もっとも古い病棟に亀裂が走り、壁の塗装がはがれるときに発生する砂煙のようなもうもうとした白い砂煙の中、患者さんの安否確認後、安全な入院場所の新棟へ移動する作業が発生したくらいでした。停電もなく、ライフラインにも問題なく、もちろんあっという間に市場から消えた食糧によって数日間の給食のメニュー変更等はありましたが、特に大きな問題は起きませんでした。医療材料や薬品の不足などももちろんありましたが、地震と津波が直撃していた地域や原子力発電所からの放射能もれによる人災を受けている地域に比べると、その比ではありません。

 

改めて震災のことを省みると、いかにこれまで自分たちが無駄に資源を使っていたのか、地球環境を大切に・・・・など口先だけであったことが痛感させられたと思います。その意味では、驕れる人間への地球からの周期的な警告なのかもしれません。さらに、今回、看護管理者として突発的な災害に対する普段からの備えの再確認する機会となり、改めて、平時より最悪のシナリオを想定した災害対策が必要であることを認識させられました。

 

もちろん、被災とはまったく縁のない地域の皆さんもこの「かんかん」をお読みになっていらっしゃるので、なかなかその臨場感をお伝えするには、文字数が不足しておりますが、少なくとも筆者にとっては大変貴重な経験となりました。

 

たとえば、自家発電があるというのはわかっていても、いざ、という時には、一体何時間分の軽油があるのか、すべての電源が落ちて、自家発電に切り替えた後、電力が安定するまで何分かかるのかなど、なかなか具体的に把握していませんでした。

 

避難経路も把握しているつもりでもエレベータが使えない時に、途中までのストレッチャーはよいが、その後の階段では、上部の担架を運送するチームと下部の車輪台の方を運送チームと2つ必要なことがわかり、ただ、担送の数だけ把握していてもダメだということも改めて実感しました。

 

地震当日は、それはそれは慌ただしい一晩でした。不幸中の幸いと申しましょうか、日中でスタッフが多く勤務していたこともあり、あっという間に患者移動を完結できましたし、また起こるかも知れない余震に備え交通がマヒしていたこともあり病院に泊まって患者のケアをするという心あるスタッフが数多く存在しました。また、地震の影響で出勤できない状況での支払賃金の問題など、労務管理者として改めていろいろな学習をする機会となりました。

 

今回の震災で改めて検討した危機管理

 

以下に、今思いつく限り、筆者が遭遇した危機管理上の未熟な部分を正直にお伝えしようと思います。もしかしたら、そんなこと、うちの病院では当然よ! なんてお叱りを受けるかもしれませんが、それを覚悟で、管理者としての現場対応での実際についてふれたいと思います。

 

  1. 患者の安否確認:スタッフは患者に安心するよう声かけする
  2. スタッフの安否確認:事務長、院長、看護部長は常に一定の場所で報告を受ける
  3. 病院全体の被害状況の把握:中央配管の異常の有無、電気・水道・ガスの破損、トイレが正常に使えるか、ナースコール使用可否、非常電源場所の再確認。この結果、安全な場所が確保できると判断できたら患者の移動に取り掛かる
  4. 酸素ボンベの確認と、患者の移動先病棟に必要数を確保
  5. 移動に伴う「力仕事」担当と、「ケア継続」担当を決める(院長・看護部長・師長)
  6. 受入れフロアの構造やケア能力を加味した患者の移送先の決定(師長)。その際には、下記a-dを考慮し、誰がどこに行ったのか、必ず記録しておく(師長)
    a. 人工呼吸器装着患者、酸素使用患者、持続吸引患者、などの重症患者
    b. 上記a.には該当しないが、モニタリング、間欠的吸引、輸液管理など医療的処置の多い重症患者
    c. 重症ではないが認知症による様々なリスクが考えられる患者
    d. 上記以外に比較的落ち着いている患者
  7. a-dのなかでも、いちばんの重症患者であるaはできるだけ、1か所に集める
  8. 安全なところへ患者移動する(重症患者には主治医もしく医師付き添う)。
  9. 移動場所の確保のために、移動先の患者の部屋移動などを実施(軽度の患者をスタッフステーションから遠いところへ移動し、急性期病棟から移動してくる患者をスタッフステーションの近くへ移動させる、など
  10. 今回は、閉鎖する病棟が急性期病棟で、避難病棟がリハビリ病棟であった。そのため、医療材料が確保できているかを確認し、患者ケアに必要な医療材料を閉鎖する病棟から運び出し、重症度や必要度に合わせて一時的に配布した。物流管理は受け入れ側の師長が責任をもつこととした(閉鎖する病棟の師長は、患者の采配で手一杯だった)
  11. 一時閉鎖する病棟の看護しを患者移送先に一時的に配置するとき、上記a.b.にはできるだけ急変対応能力の高い看護師を配置する。
  12. 患者転棟時、必要書類を間違いのないように揃える担当者を決める(主に主任、リーダー)
  13. 移動に伴う、患者の貴重品の管理担当を決め、患者別にまとめた袋に記名する(看護師とともに主に事務方2人が担当)
  14. 移動に伴う患者の必要最低限の身の回りの物品の選定をし(主に看護師)、移動の担当を決め実行する(主に事務)
  15. 移動時に不要な患者の私物管理担当を決め、保管可能な場所を確保する。その際、患者ごとにわかるように記名しておく
  16. 閉鎖する病棟の入口に、患者様の移動先を明記し貼っておく
  17. できるだけ早いうちに平常の業務に戻し、患者に安心感をもたせる
  18. 患者が移動した先のスタッフが、急に入院患者が増えることに対して混乱しないように、管理職者はできるだけラウンドし、困っていることはないか確認しながら労をねぎらう。

 

患者のことがひと段落したら、次にスタッフのことを考える必要があります。非常電源と自家発電を確認したところ、8時間しか持たないことが判明しました。救急車の受入れもストップ、外来の縮小と外来ブースの確保など、翌日以降の病院運営についても協議しました。

スタッフについては、

  1. 帰宅できないスタッフの仮眠室の確保、寝具の手配(リネン担当者)
  2. 地震後ずっと動き続けているスタッフたちへの飲み物や食料の調達、病院に泊まるスタッフへの朝ごはんの手配
  3. 翌日からのスタッフの配置と通勤・勤務確認(勤務交代など)

の3点がポイントとなりました。

 

震災対応を経験して

 

翌日には、移動した患者のご家族に連絡しましたが、なかなか電話がつながらず、結果的にすべての患者の御家族と連絡がつき承諾を得られるには3日かかりました。中には、こちらとの連絡がつかないうちに、直接病院にこられ、自分の家族はどこにいったのか? と尋ねる方がいらしたので、病棟入口に張り出してある紙と同じものを確認しながら、移動先へ御案内する場面もありました。

 

実際は、もっと細かな配慮をスタッフ同士がしてくれていましたし、厨房の栄養科の皆さんもほぼ徹夜のフル稼働で動いてくださいました。また、こういう時に男性陣はやはり力持ちだな?とつくづく感心しました。もちろんたくましい力持ちの女性看護師もたくさんいましたが、やはり、男性の医師、看護師、理学療法士、作業療法士、薬剤師、事務などの方に力仕事を任せ、女性は細かな作業(書類確認や名前の記入、数の確認、おにぎりづくりなど)に回るなど、役割分担する必要があるということも改めて感じました。

 

翌日からは物資の調達という問題も発生しましたが、とにかく、直後に二次災害が起きないように、まずは患者の安全を確保する上で、どのように采配するかという現実に直面した時のことをお伝えしました。

 

頭ではわかっていても、いざ自分が当事者になるということは、よい訓練にもなりました。また、その夜、地震の影響で、心配になってかけつけた夫婦歴50年を超える御主人に見守られながら安らかに、旅立たれた患者さんもおられました。その御主人が言われた言葉がとても印象的でした。「もしも地震がなかったら、今夜、家内の最後に間に合わなかったかもしれない。多分、じいちゃん(御主人)が来て、安心したんやろう…もう十分頑張ったからね…苦しい、寂しい思いをさせずに済んだからよかったです、ありがとうございました…」

 

午前2時ごろの静かな病棟の待合所で、受音量を最大にされているのか、時折、ガサガサと雑音の入る補聴器を触りながら、穏やかな顔で語られたその御主人との時間は、昼間の騒ぎがうそのように感じるほど静かな空間を作り出していました。

 

私が学んだことは、管理職がオドオドビクビクしないこと、です。我々が不安げな表情をしているとそれはスタッフへ伝わる。ひいては患者へも伝わる。管理職は、何があっても動じない、どーーーんとした構えが大切であるということ、そして、もうひとつ、危機管理とは、頭でわかっていても、その通りに進むとは限らない。常に、最悪のシナリオを想定して、日常から訓練されていなければならないということ。

 

さて、今後は、また通常モードに戻りたいと思います!

 

看護管理者たるもの「群盲象をなでる」ようでは、なかなか解決できない、日々の問題!でも、大したことをしなくてもいいんです!日々の管理者としての立ち振る舞いの中で、そして師長たちとの会話の中で、また、スタッフとの会話の中で、脚やしっぽや鼻を触りながら、「象」というものを理解するように、日々の看護管理を進めていけばよいのです! 

 

なお、わたくしごとですが・・・・4月より一気に医師が大幅増となり、てんでバラバラの医師たちをまとめるところまでをもする副院長なんてとんでもない!なぜって、250床から500床まで拡大する病院の過渡期の総看護師長をお引き受けし、さらに発展させていく看護部を任せられたからには、もう医師のことまでかまってらんない!というのが本音。そこで看護部に専念させていただくこととなりました!

これがまた、毎日、楽しくて楽しくて仕方ない!でも、毎日、大失敗を繰り返し、猛省をの日々・・・・今後ともどうぞ、よろしくご支援のほどお願い申し上げます!


 

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