「こころに傷を負った人」に接するすべての人へ

「こころに傷を負った人」に接するすべての人へ

2011.7.22 update.

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中井久夫(なかい・ひさお)

1934年生まれ、精神科医。神戸大学名誉教授。1989年に読売文学賞、1996年に毎日出版文化賞などを受賞。
著書に『中井久夫著作集』『分裂病と人類』『治療文化論』『記憶の肖像』『最終講義:分裂病私見』『西欧精神医学背景史』などのほか、医学書院から『看護のための精神医学』『こんなとき私はどうしてきたか』が刊行されている。
また、『心的外傷と回復』(ハーマン)、『戦争ストレスと神経症』(カーディナー)等々の翻訳書のほか、『現代ギリシャ詩選』『カヴァフィス全詩集』『若きパルク/魅惑』(ヴァレリー)などの訳詩集でも知られている。

推薦のことば――イントロダクション (中井久夫)

 

これはアメリカの『サイコロジカル・ファーストエイド』の最新版(第2版)を兵庫県こころのケアセンターの明石加代、藤井千太、加藤寛の3名が翻訳し、センターのホームページに掲載していたものを一冊にまとめたものである。

 

私は何か書くように出版社からいわれた。

こころのケアセンターの初代所長であった老医の序文といえば、普通は花束のようなものを期待されているのかもしれないが、実践的なマニュアルには不似合いだろう。それに仲間誉めは見苦しい。3人ともPTSDを専門とし、その臨床と研究と教育と知識普及とに努めてきた実績があって、1995年の阪神・淡路大震災以後の自然災害において現地入りを経験しているといえば足りるだろう。

 

特に加藤は東京都の精神科救急医歴が10年あり、乞われて震災直後からセンターに入った。恒久施設となったこころのケアセンター創立の中心的人物であり、1999年の台湾震災においては首脳部を含む政府、行政担当者の政策立案と現地指導において日本側主役を務めた。

 

私の経験は、訳者たちよりはるかに非系統的である。未経験のまま、いきなり震災に指名されて引っ張りだされたので、問題をみつけては解決のタイミングと優先順位とを考えるしかなかった。

このマニュアルには、その際手さぐりで気づいたのと同じことが、また気づいていれば役に立ったことがたくさんある。そういう意味で、たいへんよいマニュアルである。

 

ただ、マニュアルは教科書ではない。マニュアルにはいささかの取っつきにくさがある。序文に多少の意味があるとすれば、取っつきをよくする工夫であろう。

私がこの序文を、カタカナ語の氾濫に眉を顰められるのを承知で「イントロダクション」としたのは、「中にひきずり込む」というその語のもとの意味を含めてのことである。

 

 

本書の最初の部分は一般的常識に見え、そういうものとして読みとばされる恐れがある。マニュアル作りがうまいのはアメリカが移民の集まりの国だからだろうが、その結果生まれたマニュアルほど常識が必要なものは他にない。

常識を骨太とするのがよいマニュアルである。

 

弁解の文化が発達している日本ではマニュアルは弁明の根拠であり、いろいろな項目の有無や記述の欠陥が追求される。しかし、それは正道か。こういう実話がある。

 

将棋の名人に「あらゆる手を想定して次にどこに駒を置いたらよいかを本に書くことができますか」と将棋記者が尋ねた。名人の答えは「書ける」。

「では、一手ごとにその本を見れば名人にも勝てますね」

「うん。でもビルの一つや二つでは足りないぜ」

 

災害は毎度新しい。私たちは毎度ビルの階段を駆けのぼってはおれない。現場で重要なのは状況の盤面をそのつどそのつど読みこなすことである。

イマジネーションとセットになったとき、骨太な常識が一本通っているこのマニュアルが生きるのである。

 

 

本書の“常識”は古来の医療である。ヒポクラテス時代からの「まず害するなかれ」「まずそばにいること」である。

そして

「温和な態度で簡単明瞭な日常の言葉を語れ」

「相手がとった最低限の利己的行動をなじるなかれ」

「医療の専門家以上に出るな」

「当面の身体と環境の安全を確保せよ」

「あなたの本物らしさはあなたの日常の立ち居振る舞いから判断される」

「喪失体験、トラウマ体験に深入りするな」

「症状、病理、診断など病いのほうに偏る言葉を慎め」

と次第に具体的になっていく。

 

「あやふやな情報、誤解されやすい言辞をもてあそぶな」

「上からの目線をやめよ」

「子どもにはさらに目の高さを合わせよ」

「通訳を使うときも通訳でなく本人の目を見て」

「思春期の人は対等の大人同士として」

「親へのエンパワーメントを忘れるな、障害を持つ人、高齢者にも」

「基本は、“何かお手伝いできることがありますか、お役に立てることが”である」

とさらに具体性が増してくる。

 

私が16年前のキャンペーンで学んだことは、これらを出ない。「入り口までお供する」つもりの私の序文はここまでで、中身が尽きたに等しい。

 

ただ、47頁の「やるべきこと/言ってはいけないこと」は特に大切である。「言ってはいけないこと」の筆頭は、なんと「お気持ちはわかります」であった。以下、うっかり言いそうなことの羅列である。

さて世界語の仲間入りをしそうな「がんばれ」はどうであろうか。

 

グラウンディングの項(65頁)にも大きく教えられた。

また、「死のいきさつにこだわりすぎること」(55頁)についても改めて考えさせられるものがあった。

アメリカのこだわり方と日本のこだわり方はおそらく同じではないだろう。戦死者の徹底的な遺骨収拾は日本独自に近い。イスラエルと日本の共同考古学隊が大量の骨に出くわして搬出した後、発熱したのは日本隊員だけだったそうである。

被災者が近しい人の死のいきさつにこだわる、そのこだわり方は、アメリカと日本とでは文化的相違があるのだろう。その間隙に形式的な土下座で済ます「土下座文化」が生まれた。

 

 

アメリカではどうか知らないが、神戸で悩んだ一つは「情報をよこせ」のたえまない要求であった。日本のヒエラルキーでは、ボトムアップ型の情報伝達において「情報が自分をバイパスすること」は自分の権力を無視された耐えがたいことなのであろう。

情報は各レベルで満足ゆくまで再読され、訂正、補足あるいは削除されて一つ上に挙げられる。

 

逆にトップダウン型では、即時に伝達実施されることを求めてくる。

非常事態では、自分が唯一の上位機関であると思っているところが複数生じるのが普通であって、そこからの指示が殺到する。これをどう捌くかに忙殺される。高い(と本人が思っている)権力者の視察ほど形式的で短時間で、とにかく中央からの統制がとれていることの再確認であって、現地の地図を持っている視察団などはみられなかった。

ある災害では、中央が統制がとれていると満足している一方で、現地では殴り合いが起こったという風評がある。

 

神戸の場合は現場で盤面を読んで対応していった。

格別具体的な指示がなかったが、4月28日までにおこなったことは不問に付する代わり、以後は統制に服せよという意向が非公式に伝達された。「公」を先んじ「私」を後にせよとは明治維新を準備した人の言葉であるが、「公」とは中央官庁だけに限らない。現地で働くあなたの行為も劣らず「公」の行為である。

 

そういう方々にとっての「公」を支援するものとして、このマニュアルの刊行を喜ぶものである。

 

 

3月11日以後の原子炉の現場の生の記録が

ようやく陽の目を見だした

2011年5月16日に新緑の中で

 

中井久夫

神戸の寓居にて記す

『災害時のこころのケア――サイコロジカル・ファーストエイド実施の手引き 第2版』 イメージ

『災害時のこころのケア――サイコロジカル・ファーストエイド実施の手引き 第2版』

定価1200円
A5版変型、196頁、2色刷

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