かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2011.7.14 update.
筑波メディカルセンター病院介護・医療支援部
2011年3月11日14時46分。この日は私にとって、生涯忘れることのできない日となりました。
私の勤務する筑波メディカルセンター病院は茨城県南部に位置し、県南及び県西地域を中心に一次から三次の救急医療を担う急性期病院です。また、つくば保健医療圏の災害拠点病院にも指定されています。
災害拠点病院の使命は災害時に発生する多発外傷、挫滅症候群、広範囲熱傷などの重篤な救急患者に対し、二十四時間緊急対応を行い、ヘリコプターによる被災地からの患者の受け入れや被災地外への搬出、消防機関と連携した医療チームの派遣を行うことです。食料や水、医療材料、医薬品の備蓄を行い、災害の混乱時でも自立した医療活動が行えるよう整備が必要です。
多発外傷などの重症外傷患者の診療は、日々の救急医療で行われており、院内に併設されているヘリポートを使ったヘリコプター搬送も積極的に行なわれています。
私たち介護・医療支援部は患者の日常生活の援助を中心に食事、清潔、排泄介助や移乗介助、検査・リハビリ・手術の搬送や手術室や中央材料室での器材の洗浄・滅菌業務、外来での診療介助や内視鏡検査室での洗浄・消毒の業務を、チームの一員として行っています。
茨城県は普段から地震が多く、3月11日も、揺れ始めは「地震だな?」くらいの感覚でした。しかし、「つくば市震度6弱」の横揺れは、あまりの長さに普段とはまったく異なるものだとすぐに判断ができました。
揺れが続く中、手術室に居た私がまず行ったことは、地震による恐怖で混乱したスタッフを落ち着かせることでした。周りのスタッフにも動揺を与えないよう声を掛けながら、揺れが収まるのを待ちました。他所のスタッフにも余震の度に動揺するようになった者もいました。
地震が収まり、手術室内を見渡してみると、至るところに器材や物品が棚から落ちて散乱しており、改めて今回の地震の凄まじさを感じました。
地震直後の室内
隣接する中央材料室でも、洗浄機の水がほとんど溢れ出て、床が水浸し状態でした。
震災から二十分後、新館側の建物が原因不明の停電となり、いっそう不安を煽りました。手術室も、新館と本館をまたいで六部屋あり、うち二部屋が停電の影響を受けましたが、幸い、手術中の患者への影響は少なくてすみました。
一般の外来患者は独自の判断で院外に避難された方が多く見られ、救急外来や小児外来では職員が誘導し、被害の少なかった別の建物へ避難しました。入院患者については、壁に亀裂が入った箇所が見られるものの、崩落するような状態ではなかったため、待機との指示が対策本部から出されました。しかし、連続して余震が続いていたため、正直不安でした。
震災から二時間。新館側の自家発電回路は未だ復旧せず、自家発電機の代替として使用せざるを得なかった蓄電池からの電力供給も限界が見えてきました。そのため、人工呼吸器を装着している患者さんを、本館側に平行移動することになりました。本館の小児病棟や、電気が使用できる手術室の一部も一時的な待機部屋となりました。
人工呼吸器装着中の患者さんの一部を手術室に退避
震災から四時間。時間はすでに18時を回り、夜になろうとしていました。病院にあるエレベーター(以下EV)四基と食事用EV二基は停止状態。夕食の時間ですが、EVが使用できないため、配膳車を使っての配膳は不可能でした。となると、人海戦術しか方法はありません。院内にいるスタッフに協力を求め、地下にある調理室から地上5階建ての各病棟フロアまで、階段を使い食事を配膳することになりました。
停電中の新館側の階段は真っ暗で何も見えない状態。懐中電灯と、各踊り場に置いたランタンの明かりだけで対応しました。もちろん下膳も同様の対応しかないかと思いましたが、本館側にある薬剤科使用の小型EVが可動再開となったため、それを活用しました。大型のEV復旧の目途が立たないため、翌朝の朝食の配膳は介護日勤スタッフを一時間早く勤務させ、対応することが決まりました。
震災から六時間。一時的に電気が復旧したため、洗浄機が可動できる状態となりました。いつまた停電するかも分からないと、あわてて、手術器械の洗浄業務を行いました。洗浄が終わるころには、日付が変わろうとしていました。食事をしていなかったスタッフに何か食事でもと、院内にある自動販売機を確認しましたが、すでに売り切れ。院外のコンビニに行くも、棚には何もない状態でした。「こんな状況がいつまで続くのか?」と不安を覚えました。
非常用電源の明かりの中、手術器具を洗浄
三月十二日早朝。災害対策本部会議で非常事態宣言が発令されました。深夜未明に電源は復旧したものの、つくば市は断水となり、節水の指示が出されました。それに基づき、帰宅できる患者は全て退院して頂き、検査なども極力控えるよう指示が出されました。定時の入院も三日間停止せざるを得ない状況となりました。最終的に水は枯渇状態となり、給水されなければ、病院機能が維持できない寸前のところでした。
入院患者にも、洗濯機の使用禁止やトイレの使用制限、必要時以外の清潔ケアは行わず、更には食材が調達できないため、震災三日目から備蓄食を提供することになり、多大なご迷惑をお掛けすることになりました。震災後、次々に浮上する未体験の問題は、災害対策マニュアルを読んだだけでは対応しうるものではありませんでした。
震災から十二日目には非常事態宣言は解除され、通常通りの病院運営に戻りましたが、震災を通して、多くのスタッフが危機管理を意識したことと思います。ただ、時間を追うごとに危機意識が薄れてきていることも否めません。災害時の行動手順だけではなく、資源の無駄遣いや買占め行動など、人としての道徳観の部分も含めて、今回の「想定外」の震災から学ぶところは大きいと考えます。