被災者から支援者へ 第3回

被災者から支援者へ 第3回

2011.6.27 update.

安保寛明 イメージ

安保寛明

3月6日に医学書院のセミナーを経験したのもつかの間……。
3月11日に地震が起きて、病院を含む地域全体が数日間の停電をしました。
停電が終わり携帯電話の電波が安定してから、数々のメールに励まされました。
私の周囲では状況が落ち着きつつあるので、被災者から支援者になり行動を始めたと
ころです。


タイトル写真:安部俊太郎(http://shuntaro-color.com/

被災者から支援者へ 第3回

安保寛明

岩手晴和病院 社会復帰支援科長 看護師/精神保健福祉士

 

言葉が届く「範囲外」

 支援センターに戻ってから、翌日以降の支援体制について、打ち合わせをし、意見をまとめていった。

 

現状では、自宅へアウトリーチして個別支援をすることは難しい。避難所ではすでにコミュニティが形成されていて、障害のある人へのかかわりをするための情報収集が、かえってコミュニティに亀裂をもたらす可能性がある。

 

避難所の多くでは薬が手に入るようになっているので、通院や薬に関する支援は控えてもよさそうだ。支援に向けて無理に行動するのではなく、行動が必要なときに素早く行動できるよう、職員も休息をとって蓄える必要がある。

 

物質的な支援も届いているが、ピッタリフィットする支援物資が少ない。例えば大きいサイズの下着、靴、水のいらないシャンプー、携帯できるサイズに小分けされた洗剤などがあると、避難所生活に便利。こんなことを話していった。

 

そして、私が部外者として特に主張したのは、「職員が、休みをとること」だった。

 

自宅が津波で流された職員は、妻や子供と別れて暮らしていて、財産だけではなく、思い出の品々も失っている。そういうときにアウトリーチを含めた支援をし続けることは、精神的負担が大きい。だから、「職員が交代で休みをとるようにして下さい。今日は私が来るから出勤したという職員もいるかもしれませんが、今後はそういうことのないように配慮をお願いします」と強調した。

 

こうして私は、長い1日を終えた。自分が被災地で支援にかかわったのはこの日が初めてだったが、1日とは思えないくらいにエネルギーを使った。

翌日から私は、支援を申し出てくれている友人の数人に、支援物資の提供を呼びかけた。

 

 4月に入り、3月26日の呼びかけから10日間で、多くの支援物資が集まった。特にうれしかったのは、関西地方のある病院から届いた支援物資で、物資だけではなくて寄せ書きも届いていた。

 

4月から、岩手晴和病院では被災地で公的職務を行う人々に対して、精神健康の支援をすることになった。その様子は地元の新聞とCNNで取り上げられた。

 

4月23日、私はその診療の補助のために、同じ町を訪れた。桜が満開になっていて、雪が残っていた1か月前とは気候が大きく変化していた。しかし、町の光景はまだまだ変わっていなくて、復興が見た目にわかるようになるまでには、長い時間がかかることを予感させた。

 

 

5月。あの支援センターの職員が、岩手晴和病院へ来ることになった。当院でおこなっている、元気回復行動プラン(WRAP)や認知行動療法に関するプログラムと、音楽療法を見学しに来たのである。被災地での心のケアには、支援者による支援の押しつけではない当事者性が重要だ。支援センターの職員もそのことを感じているようだった。

 

自宅が津波で流されたあの職員は、アパートを借りることができて、妻と子どもと一緒の生活を再開することができたと聞いた。

 

6月からは定期的に支援センターを訪れ、被災地域に住む方々へ、プログラム等を通じて支援する予定になった。

 

今回の震災で被災地が負った被害は、言葉でのケアが届く範囲ではないと感じた。なので、私は震災直後から、被災者から支援者へ。具体的なアクションを通じて、被災地の人々を応援しています。

【おわり】

このページのトップへ