タンザニアから東北へ

タンザニアから東北へ

2011.7.04 update.

仲本光一

外務省在タンザニア日本国大使館医務官
神奈川県川崎市生まれ。聖光学院高校、弘前大学、横浜市大第二外科を経て、消化器外科専門医として神奈川県で勤務。1992年10月、外務省入省。ミャンマー大、インドネシア大、外務省診療所、インド大、ニューヨーク総、在タンザニア大勤務。入省後、心療内科、精神科、熱帯病、救急医学、産業医の研修を受講。インドネシア暴動、えひめ丸海難事故、北朝鮮拉致被害者ケアなどを経験。海外邦人支援NPO(ジャムズネット)に参加。個人ホームページ「博士と助手」

 

タンザニアで震災を知る

3月11日(金)、朝7時半にダルエスサラーム市アリハッサン通りに面するオフィスに出社した私は、メールのチェックを行いながらNHK国際放送を横目で見ていました。いつもと変わりないのんびりとしたタンザニアの真夏の朝でした。8時46分(日本時間14時46分)に東北で地震が発生、津波警報が発出され、1時間後にはその地震と津波がもたらした惨状がテレビの前で徐々に明らかになり、以後日常は一変しました。NHKは全てが地震関連情報となり、私はテレビの前に釘付けになりました。

 

日本からはるかに遠いアフリカの地にいる自分が、被災した方々、祖国日本に対して何ができるのか自問し、その結果、自らが開設している「ジャムズネット東京」(海外邦人を医療面で支援する団体)のホームページ上で震災関連情報・医療者向けマニュアル等の有用な情報を掲載することを始めました。情報は毎日更新し、それまでわずかなアクセスしかなかった同HPは1週間後にカウント数が1万を超え、国内のみならず海外にいる多くの人の目に留まりました。

 

国内の医系学会は震災の影響で全て中止となったのですが、4月に予定していたジャムズネット東京の総会は決行することにしました。今こそ医療関係者は集結し、この国難に対して我々ができることを実行に移すべき時であると考えたからです。

 

南三陸の避難所へ

 

帰国した4月17日、東京で総会を開催、復興支援のためのプロジェクトなどが提案されました(写真1)。月末には徳州会TMATによる宮城県での医療支援活動に参加し、南三陸の避難所ベイサイドアリーナでの外来診療(写真1)、周辺地域での巡回診療(写真2)を行いました。すでに震災発生から40日が過ぎており、当初1200人だった収容人数は600人まで減少していました。

 

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写真1 南三陸ベイサイドアリーナでの救護所

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写真2 南三陸での巡回診療

 

各地から送付された支援物資は豊富にあり、食事は3回提供され、電気も来ていましたが、水道が復帰しておらず、トイレで水が使えない・手を水で洗えないなど、衛生状態に問題がありました(写真3)。避難された方々はコンクリートの床に段ボールや薄い毛布を敷いた状態で寝ており、パーティションも高さ50cm程度の段ボールで仕切られているに過ぎず、プライバシーは無い状態でした。地震・津波直後の「死か生か」の急性期は過ぎ、亜急性期、慢性期となっており、感染症、深部静脈血栓症、糖尿病・高血圧などの慢性疾患の管理、不眠症が問題になっていました。

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写真3 わずかな量の支給しかない給水所

 

すでに引き上げていましたが、震災直後からイスラエルの医療支援チームが同避難所に来ており、彼らが使用していたプレハブ、検査機器などは全てそのまま残され、被災した志津川病院(写真4)の仮設診療所としてスタートしていました(写真5)。避難所には日本全国の医科大学・医師会など多数のチームが集結していましたが、志津川病院の仮設診療所がスタートしたことにより、各チームは引き上げ、地元医療機関へ引き継ぎをする段階に入っていました。今後は元々の医療過疎問題をいかに解消するかが重要な課題になってくると思われます。

 

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写真4 被災した志津川病院

 

 

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写真5 仮設志津川診療所内の検査機器

 

福島県立医科大学を訪問

 

当方と柳澤医師(NY在住)は、その後TMATから離れ、福島県に移動し、福島県立医科大を訪問、精神科の丹羽教授他に面談しました。福島は、岩手や宮城と異なり、原発事故の影響もあり、他地域からの支援が少ない状況で、特にメンタルヘルスケアについての人材・施設が不足しているとのことでした。柳澤医師から9.11後に作られたマウントサイナイ大学の救援者向けサポートプログラムが福島でも利用できないかとの提案が行われました。

 

当方からは、ジャムズネットを通じたメンタルヘルス面での支援についての提案を行いました。郡山市内では避難所3カ所を視察しましたが、水道や電気が復帰しており、入浴施設も完備され、一部は個室形式になっているなど、南三陸に比べて居住環境が恵まれた状況にありました(写真6)。

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写真6 郡山市内避難所ビッグパレット内の入浴施設

 

しかし、福島第一原発周辺地域から避難してきた住民が多く、今後の生活に対する不安は南三陸よりむしろ強く、また阪神大震災の際には、仮設住宅に移ってから老人の孤独死などが多く発生したとの報告があり、子供や高齢者などの災害弱者に対するメンタルヘルスケア、PTSD対策が必要になってくると思われます。ジャムズネットなどを通じた長期的な支援を検討しています。その後仙台に戻り東北大学医学部で山本医学部長等と面談し、情報を収集しました。

 

被災地域の惨状は目を覆うばかりでしたが(写真7 、今回の被災地訪問で、多くの志の高いボランティア、忍耐強く礼儀正しい被災者の方々と接することができ、結果として日本復興への確かな手ごたえ、希望の火を感じることができました。私個人にとって貴重な機会となりましたことに改めて感謝いたします。

 

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写真7 南三陸の被災地

 

「ジャムズネット東京」
http://jamsnettokyo.web.fc2.com/
 

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