かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2011.6.06 update.
1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務などを経て、現在に至る。臨床心理士。アルコールをはじめとする依存症のカウンセリングにかかわってきた経験から、家族関係について提言を行う。著書に『アディクション・アプローチ』『DVと虐待』(ともに医学書院)、『母が重くてたまらない』(春秋社)など多数。上野千鶴子さんとの共著『結婚帝国』がリニューアルされて文庫版に(河出文庫)。
[前回まで]
相変わらず隣のベッドの高齢女性、ノジマさんから目が離せない嘉子である。娘を呼ぶ「アキコ〜 」という声も、耳から離れない。夜になり、娘がいなくなると看護師に痛みを訴えつづける。それにしてもそのエネルギーは、一体どこから来てどこへ向かっていくのだろう。
病室の入口の向かって右側には洗面台が、左側にはバリアフリーのトイレがある。昼食後に歯を磨いていなかったことに気づいた嘉子は、洗面用具の入ったポーチを持ってベッドを降りて洗面台へと向かった。
2人並んでも余裕があるほどの馬鹿でかい洗面台は、まるでマンションのモデルルームのように真っ白でピカピカに光っている。
カシカシ〜
と歯ブラシの音を立てて念入りに磨きながら嘉子はふっと疑問に思った。
それにしてもこんなに清潔なのはなぜなんだろう?
しばし歯ブラシの手を止め、大きな鏡に映っている自分の顔を見つめながら考えた。そうか、この洗面台は誰も使っていなかったのだ。
3人の同室者は歯磨きはもちろんのこと、洗面もしていなかった。入院して以来、食後にも、昨晩の消灯前にも、歯磨きをする音を嘉子は聞いたおぼえがない。
食後には必ず歯を磨くこと、眠る前に歯を磨き洗顔クリームで顔を洗い、最後に一瓶400円の資生堂の化粧水をパンパンと顔中にはたくこと。そして飛び散った水滴の跡が残らないように、鏡や水まわりを布巾できっちり磨いておくこと。
検査入院の前までは当たり前だったいくつかの習慣をそのまま実行しただけなのに、それがこの部屋では珍しい行為になってしまった。嘉子は不意に、たった一人だという感覚におそわれた。たしかに4人のうちで1人しか洗面台を使わなければ、その病室では少数者となってしまうだろう。
これまで洗面台の前で儀式のように嘉子が行ってきたことは、入院を余儀なくされた人にとって気が遠くなるほどのエネルギーを要する行為であり、体の細部が自分の意志に添って動いてくれることで初めて可能になる動作だったのだ。
熱が高くなり思い通りに体が動かなくなれば、歯磨きや洗顔はまっさきに省略されていく。どれだけ白く輝いていようと、洗面台は不要の存在と化すのだ。
嘉子は少し前とは打って変わり、あまり音を立てないように持参したピンクのプラスチックのコップでそっと口をすすいだ。
足音を立てないようにベッドに戻ろうとしたとき、ノジマさんのベッド脇のカーテンが15センチくらい開いていることに気づいた。そこからノジマさんが目を開けているのが見えた。
その瞬間、なぜか嘉子は反射的に、まるで危険物を察知した動物のようにノジマさんの視線を避けようとした。しかし、ノジマさんはまるで獲物を狙った鷹のように、その眼で嘉子を捕らえた。
抵抗できずに、二人の視線は交錯した。
それはほんの一瞬だったはずなのに、嘉子にはとても長い時間のように思われた。
「こんばんは」と声を掛けることもできたはずだ。後に振り返ってそう思ったのだが、そのときは声を掛けるなどと思いもつかなかった。不思議なほど、ただただその視線から逃れたかった。
ノジマさんの視界から消えよう。そのことだけを考えた。
あの昼間の、アキコさんに追いすがるような声がどこからかひびいてくる。
「アキコ〜
、アキコ〜 」というしゃがれ声が、今度は嘉子に向けられる。看護師さんに繰り返された会話が、こんどはからみつくように自分に向かってくるに違いない。しかし、まるで蜘蛛の巣にとらえられた蝶のように、嘉子はノジマさんの視線から逃れられない。
しわに埋もれたようなノジマさんの目は、嘉子の目を捕らえた瞬間にキラリと光った。その直後、ノジマさんは内出血のあざがまだ残っている口元を動かして丸く口を開いた。それは「ア」という音を発声する形だ。空洞のようにぽっかりと開いた口の中は真っ暗で何もみえない。そこから今にも、ある言葉が発せられようとしている。
とっさに嘉子は反対方向を向いて、病室から逃げ出した。
明らかに嘉子は怯えていた。少し体が震えるような気がしたが、ナースステーションの前を走ることだけはやめようという判断力だけは残っていた。
面会者がいなくなったラウンジはがらんとしていたが、照明は変わらず柔らかく、テレビの前には数人の男性患者が陣取ってナイターを見ていた。
嘉子は洗面用具の入ったポーチを持ったままであることに気づき、そんな自分に少しあきれながら、窓辺の椅子に座ってライトアップされた東京タワーの赤い光をみつめた。
ああ、検査前なのに心臓に悪い。
心なしか鼓動が早くなった気がして深呼吸をした。3回息を吸って吐くことを繰り返すうちに、だんだん落ち着いてきた。
なぜ、こんなに怯えているのだろう。カウンセラーとして、クライエントの恐怖につきあうことは珍しくない。さまざまな被害を経験したひとほど、その恐怖がふくらんでしまうということを、痛いほどに実感してきた嘉子だ。
混乱が落ち着くにつれ、この恐怖は以前にも感じたことがある、と思った。嘉子の記憶の中でひとつの出来事が不意によみがえった。
20代の半ば、精神病院の心理職として専門家のスタートを切ったころのことだ。
今から思えば非常にぜいたくな治療システムを目指していた病院だったので、精神科医は人数も多く若手が中心だった。医局には女性精神科医はひとりしかいなかったが、40代半ばの彼女は子育てをしながら急性期の男性病棟を担当し、週一度の当直もこなしていた。嘉子のことをかわいがってくれ、ヨシコちゃんと呼んだ。
「ヨシコちゃん、子どもができても絶対に仕事を中断しちゃだめよ、男性はね、既得権を手放さないからね」と、昼食後のコーヒータイムのおしゃべりの終わりには必ずそう言って聞かせた。
若手のひとりである男性精神科医Aは、なぜかいつも嘉子に議論を吹きかけるのだった。
20代半ばの生意気な若い女性が真剣に反論するのがおもしろかったのかもしれない。しかしそんなAの態度に、どこかざらつくような感覚をおぼえていたのも事実だ。
70年代半ばという時代は、東大の赤レンガ闘争から始まった精神科改革のうねりが続いていた。青医連という言葉も存在価値を失っておらず、Aはそんな運動に加わった経験をもっていた。
「木川さん、アルコール中毒患者を知りたいんなら保護室をちゃんと見ておかなきゃだめだよ」
ある日めずらしく笑顔で話しかけたAは、彼の担当する病棟の保護室を案内してくれるという。
心理室の大先輩から1か月にわたる綿密な研修計画を提示され、入職してからすべてそれをクリアしていた嘉子は、保護室研修は泊まり込みも含めて十分終えているという自覚があった。
しかしいつもシニカルな態度のAが持ちかけた話を断ればいったい何を言われるのだろうという懸念から、「ありがとうございます」と笑顔でお礼を言い、仕事が終わってからその病棟の保護室に行くことにした。
Aが担当していた病棟は、統合失調の患者さんも混じっていたものの、多くはアルコール・薬物依存症の男性患者さんが入院していた。当時の開放病棟は入院20年以上の患者さんを集めた病棟だけであり、Aの病棟ももちろん閉鎖だった。
ガチャリと鍵を開け、病棟に入ると精神病院特有のにおいが鼻を衝く。
主治医であるAのまわりには「先生! 早く退院させてくれよ」と言う患者さんが群がってくる。
先導しながらAは、身をすくめるようにして付いていく嘉子に向かって、「木川さんって物好きだなあ、アル中、面白いの?」と話しかけた。
「はい、心理なんてほかにやることないですから」
心細いことを悟られまいとはっきり答える嘉子に気づくと、入院患者の男性たちが次々とそばに寄ってくる。物珍しいのか、「何歳(いくつ)?」「今度心理テストやってよ」などと話しかけ、なかには「ヒューヒュー」と口笛を吹く患者さんもいた。
触られはしないかと嘉子は内心ひやひやしていたが、それを意地でも口に出すことはすまいと思った。
「こんにちは」とわざと明るい笑顔を向け、うなずいて手を上げたりしながら、なんとかそれをやりすごした。
男性の病棟に入ったときは、いつもそうするように努めていた。他の女性スタッフ(PSWやナースたち)は怖そうな様子など微塵も見せなかったので、怯えている自分を気取られることだけは避けようと思っていた。
保護室の鍵をガチャリと開けたAは、「ほら、禁断症状が激しいからよく見てごらん」と言った。
昔の保護室は、床に穴が開けられておりそこから排せつをするようになっていた。換気は不十分で悪臭が漂っており、自殺防止のためか高いところにある小さな窓には手が届かない。裸電球が天井高くぶらさがっており、壁には排泄物が塗りたくられた跡があり、息の詰まりそうな空間だった。
目の前に座っている40代くらいのアル中患者さんは、いっしょうけんめい薄汚れた毛布の上を指でつまみ、「いっぴき、にひき……」と数えている。毛布の上を這いまわっている無数の虫を一匹ずつ殺しているのだ。彼の状態が、小動物幻視というアルコール依存症(当時はアルコール中毒といった)特有の離脱症状ということは、本を読んで嘉子も知っていた。
「まだ虫がいるの? ほかには?」
Aは毛布の端にひざをついて患者さんの顔を見ながら質問をした。嘉子はこれからのやりとりをちゃんと見ておこうと、2人から少し離れてひざをついた。
そのとき、急に立ち上がったAはそのまま保護室を出てしまった。
背後でガチャリと扉が閉められ閉じ込められた嘉子は、白衣のポケットにある鍵をギュッと握りしめ、身体を固くして患者さんの様子を見つめた。
突然、その患者さんは虫をつまむのをやめ、毛布から視線を上げ嘉子のほうをじっと見つめた。彼の眼の焦点は最初はぼんやりして定まらなかったが、しだいにその光が変化していき、ある瞬間にはっきりと嘉子の目を捕らえた。二人の視線が交錯したのと同時に、彼は手を差出し、少し黒ずんだ指を嘉子のほうに伸ばした。
それが嘉子の身体に触れようかという瞬間、そして嘉子が保護室のドアのほうに向けて後ずさりを始めようとした瞬間に、ガチャリと音がしてAが戻ってきた。
「ごめんごめん、患者同士のけんかが始まっちゃってさ」と笑いながら入ってきたAは、嘉子の表情を見て驚いた顔をした。おそらく蒼白になっていたに違いない。
その保護室でのできごとと、それ以降に起きた病院での一連の顛末は、記憶から抹殺したいほどにつらいものだった。
Aはその場では嘉子を心配してみせたものの、医局の医師たちには、木川さんはこわがりだ、患者のことを怖がって震えていた、と吹聴した。かわいがってくれた女医さんが気をつかってこっそり教えてくれたのだ。
精神科病院は閉鎖的社会だ。噂は瞬く間に病棟、病院全体の職員にまで伝わった。嘉子は気丈にふるまっていたものの、いたくプライドを傷つけられることになった。
精神病院の心理職として、患者さんを怖がっているということは専門職として失格である、と考えていたのだから、最大の弱点を暴露されたことになる。おそらくAはそのことを知っていたのだろう。そのうえでわざと保護室に嘉子を誘ったのかもしれない。
Aがどんな顔で嘉子のことを笑いものにしたのかを考えるだけで、身体が震えるほどに恥ずかしく腹立たしかった。
やがてその病院を辞めることになり、Aのことも保護室のこともいつのまにかすっかり忘れてしまったはずだった。
嘉子は自分のことを楽天的と思っていたし、家族からも「そんなんじゃ、絶対長生きするよね」と言われるほど気分の切り替えが早かった。だからこそ今日までカウンセラーの仕事を続けられたと信じていた。トラウマなんて、仕事以外では自分とは無縁だと考えていた。
それが、ノジマさんの目を見た瞬間、あの記憶が一気に生々しくよみがえったのだ。
東京タワーのきらびやかな赤い光をぼんやりと頬杖をついて眺めながら、やはりあれは「狂気への恐怖」だったのかもしれないと思った。そして、その恐怖は今でも嘉子の中に潜伏しており、何らかの引金で一気に目を覚ますのだ。
ノジマさんの目の光、自分を捕らえて放さなかったあの獰猛な光に、嘉子はたしかに狂気の片鱗を見た。
わずか一瞬の視線の交錯が、嘉子の遠い昔の恐怖を思い起こさせたのだった。
(第10回了)
[次回は7月上旬UP予定です。乞うご期待。]
アディクションアプローチ もうひとつの家族援助論 A5判・224ページ・1999年06月発行 定価 2,100円 (本体2,000円+税5%) ISBN978-4-260-33002-2
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DVと虐待 「家族の暴力」に援助者ができること
A5判・192ページ・2002年03月発行 |